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風読みの冠  作者: 一枝 唯
第3話 疑惑 第4章

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08 あんたの許可が要るってのか?

 薄暗がりにぼうっと影が浮き上がったように見えても、ティルドはびくつきはしなかった。

 ただ、まるで幽霊(ベットル)みたいだなと思い、アーレイドからここにくるまでに巻き込まれた「幽霊話」を思い出した。あれはいったい何だったんだろう、と彼はふと考えたが、ここでいきなり答えが天から降ってくることもなければ、いまの状況には全く関係のないことでもある。彼は一(リア)浮かんだ思考を打ち消した。

 もちろん、それは幽霊ではない。約束の場所、約束の時刻に、約束した相手が姿を現しただけだ。

「それで、今日のお楽しみ(・・・・)は何さ?」

 ティルドはただ、何事もないようにハレサにそう問うた。「面白いところに連れて行ってやる」と言って彼を呼び出した盗賊が何を企んでいるのか興味はあったが、それを見せるのも少し癪だ、という気持ちがある。

「こっちだ、ついてきな」

 慣れない夜道だ、足元を警戒しながらハレサの案内について小路を行けば、盗賊は右に左にこまごまと曲がって、まるでティルドの方向感覚を狂わせるようだった。

 いまさらティルドを騙して身ぐるみを剥ぐこともないだろうから、これはハレサが尾行を警戒してでもいるか、それとも盗賊の習性か。

「ここだ」

 しばらく行くと、ハレサは小さな声でひとつの裏木戸を指し示した。そのまますっと片手を上げ、暗号めいた奇妙なやり方で戸を叩く。実際、暗号なのだろう。

 少し待つと戸は静かに開けられ、ハレサはティルドがついてくるよう合図しながら、するりと戸のなかに消えた。ティルドは何となく生唾を飲んでからそれに続く。

 なかは薄赤い灯りがともされていて、いかにも後ろ暗い雰囲気があった。

「ハレサか、珍しいな。しばらくこっちじゃ見なかったが」

「賭け事からは足を洗ったんでね。マキラーラは一度も俺を好いてくれなかったからな」

 ハレサは〈享楽神〉にして賭け師の守り神の名を口にしてにやりとした。

「それじゃ今日はどうしたんだ? そっちの坊やも賭け師には見えんね」

「おや、目が曇ったんじゃないか、ガーレル。こいつはなかなかの強運の持ち主なんだ。まさか、子供は入れられんなんて言い出すんじゃないよな」

「……おい、ハレサ」

「冗談だ」

 ティルドが、賭け師と言われたことと子供扱いされたことに抗議の声を出すとハレサは肩をすくめた。

「俺は単に、グラカをとっ捕まえたいのさ」

 その言葉に見張りの男は納得したようにうなずき、ティルドも同じようにした。

 成程、ハレサはグラカを探して話を聞き出そうというのだ。もしグラカが魔女に情報を売ったのならば、逆に何かしらこちらに売れるような情報を掴んでいるかもしれない。

「〈黒鳩〉か。あいつはマキラーラの寵愛が自分に一生向かんことをいつまでも悟らん哀れな奴だな」

「悟られちゃ、あんたらは困るだろ」

「違いない」

 男はくつくつと笑うと大きな身体でふさいでいた入り口からどいた。

「通っていいぞ、ハレサ。それじゃ幸運を」

「それは要らんよ、今日は賭けはやらんと言ってるだろ」

「ふん? それじゃあ、お前が賭けるかどうかを賭けようか?」

 守衛はにやりと笑うと〈享楽神〉の印を寄越した。

「裏賭博場、って訳」

 ティルドがハレサに囁くようにすると、盗賊はにやりとした。

その通り(アレイス)。ここにいるのは一筋縄じゃいかない連中ばかりだ。騒ぎは厳禁ってことになっちゃいるが……俺から離れるなよ」

 扉の向こうは、もわりとした空気が漂っていた。

 瓏草(カァジ)の煙は言うに及ばずだが、一攫千金を夢見て多額の(ラル)をやりとりする夜の享楽者たちが自身の運試し、場合によっては生きるか死ぬかの際どい勝負に挑む空間が醸し出す、ただれた熱気。

 健全な世界に生きてきた少年は顔をしかめ、少し咳き込んだ。

「ここに、鳩がいるって?」

「そうさ。情報を得るのにいい場所だなんて(うそぶ)くが、あいつはマキラーラの虜でね」

 こういった裏賭博場などティルドが足を踏み入れたのは初めてであった。ささやかな賭け事はエディスンでもどこででも日常的に行われ、ネタさえあれば賭け屋と言われる類の人間が素早く賭け率を定め、金儲けの場――賭けた方ではなく、賭けさせた方が儲けるのがたいていだ――を作るし、ちょっとした遊技場としての札遊び場なども繁華街には存在するが、大きな金額を掛けることを禁じる街も多い。

 禁じられると言うことは、逆に言えば行う者があとを立たないということでもある。禁じられればそれは地下に潜るだけ、というのは古今東西、どの手の話でも同じことだった。

 情報屋(ラーター)グラカが金を欲しがるのは、生活のためなのか道楽のためなのか、ティルドは知る由もない。それとも〈木々が種を落とすのか、種が木々に育つのか〉と言うように、どちらがもともとの理由であるのか判らなくなってもいそうだった。

「いたぞ」

 ハレサが示す先には確かに見覚えのある顔があった。「鳩」とはよく言ったもので、しぱしぱと瞬く小さな目とちょこちょこと動かす首は確かに灰色の(ルワク)を思い出させる。いつもティルドの前で気に障るにやにや笑いを見せていた生き物はいま、ずいぶんと真剣な表情をしていたが、半開きになった口はだらしなく、熱に浮かされた狂気のようなものを感じさせる。これはグラカに限らず、台の上の賽子を目線の力で好きに動かせまいかというようにそれらを凝視している賭け師全てに共通する様子だった。

 台は複数あったから、ひとつの賭けが何名かの明日――場合によっては明日以降人生全て――を揺るがす瞬間に静まりかえったり大騒ぎになったりはしない。ただその場には、ざわつきと罵りの言葉が魔法の詠唱のように低く流れ続けていた。

 そして、彼が見ていた卓からもまた罵り声が聞かれ、今宵も胴元が勝利したことを周囲に知らせる。

「賭け師が儲けることって、あるのか」

 ティルドはハレサの袖をつんと引くと尋ねた。盗賊は悪そうな笑いを見せ、たまにはな、と答えた。

「よう、鳩助。調子はどうだ」

 ハレサが背後から声をかけると情報屋はびっくりしたように小さな目を見開き、余裕ぶってにやりとしてみせた。

「こりゃハレサの旦那。珍しい。こちらはいま前座が終わったところさ、黒鳩様の巻き返しを見物するかい」

「素直に全額すった(・・・)と言えよ」

「冗談はやめてもらいたいね」

 言うとグラカは席を立ち、ハレサとティルドの方へやってきた。

「おや、こいつはティルド坊ず。いたのか、見えなかったよ」

 ティルドはむかっとするのを堪えようとしたが、表情からは隠せなかった。小柄であることをあからさまにからかわれるのは、子供扱いされるのと同等か、それ以上に腹が立つ。

「よく言うぜ、目にしてなくてもとっくにご存知で、あちこちに情報を売ってたようじゃないか」

 ハレサはグラカの「見えなかった」の意味を微妙にずらしてそんなふうに言った。情報屋は肩をすくめる。

「それが俺の商売だからね。何だ、わざわざ何かケチつけにきたのか」

「有用な話があれば、必要なもんを出す」

「そいつはいい」

 グラカはにやりとすると首をくいと傾けて、大部屋の端にある横掛けの細長い卓を示した。

「一杯行くとしよう。こういった場所での取引も、たまにはおつ(・・)ってもんだ」

 黄金色の液体が入った小さな杯が三つ、黒く塗られた木卓の上に並べられた。

 お子様は酒なんぞやめてラッケにしておいたらどうだ、などと言われたティルドは、ガキじゃないと今度は反論したが、黒鳩は嫌な笑い声を立てるだけだった。ハレサは少年の意地を汲み取ってキイリア酒を三つ注文し、彼らの前には同じ杯が並んだという訳である。

「それで、何を知りたいんだね、〈雨夜のハレサ〉」

「いや、俺の稼業とは直接に関係がない」

 そのふたつ名がハレサの盗賊稼業とどう関係があるのかティルドには見当がつかなかったが、とりあえずは黙っておくことにした。

「まず、お前がティルドの兄貴に俺が知っている情報を売りつけたことは不問にしてやろう」

「偉そうに言うもんだね、旦那。誰にどんな情報を売るか、あんたの許可が要るってのか?」

「いいや。だがティルドが俺に接触することは判りきっていただろう。その前に小金を稼いでおこうと焦ったお前さんの気持ちも判らなくはない」

「焦っただって? このグラカ様が? 馬鹿も休み休み言いな。情報ってのは行く相手を選ぶんだ。あんとき坊ずの兄貴に出会ったことも、兄貴が俺から情報を欲しがったことも、〈導き手〉のご意志ってもんでね」

「よく回る舌だ。そう言や、鳩の舌ってのは珍味だそうだな」

「……それは脅しかい」

 グラカの目が警戒するように細められる。

「何を言ってるんだ」

 ハレサは笑った。

「俺に脅されるようなやましいことがあるって?」

「怖い旦那だ」

 盗賊の笑顔に情報屋は首をすくめた。


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