06 やさしい人の方がいいわ
背後から声をかけられて、ユファス青年は振り返った。
「ああ、やっぱりそうよね、ティルドのお兄さん。そうでしょう?」
小走りに彼に駆け寄ってきた女は、ユファスの顔を見て得心したようにうなずいた。
「そんなに似てるのかな」
ティルドの兄は少し首を傾げて苦笑した。
「そう言うあなたは? ティルドの知り合い? 彼から話を聞いていないように思うけれど」
ユファスは女を眺めながら言った。ティルドが彼に話したレギスで起きた出来事のなかに出てきたのは、盗賊ハレサ、情報屋グラカ、商人ポージルとその商売敵タニアレス、そして少女盗賊アーリのことだけであったように思う。
このような――美しい金髪女性と知り合ったという話は聞いていないように思った。
「あら、そう?」
女はにっこりと笑った。
「そんなことないと思うけれど」
「この街でのティルドの知り合いということは、もしかすると」
ユファスは咳払いをした。
「あまり大声では言えない仕事をされておいでかな」
女は目をしばたたき、それから笑う。
「ご想像にお任せするわ」
その微笑みは、妖艶と言うのが相応しかった。ユファスに女と遊び回るような性癖はなかったが、女性に慣れていないというほどでもない。しかしどうであっても、彼女の微笑みにどきりとさせられない男は稀だろう。
「僕に何か?」
その例に洩れずユファスは少々どぎまぎしながら、そう問うた。
「まさか、ティルドに何かあったんじゃないだろうね」
何となく湧き上がった不吉な感覚をユファスは弟への心配と取って、彼はそんなことを尋ねた。
「ないと言えばないけれど、あると言えばあるかしら」
くすり、と女は笑った。
「そんな適当な」
彼は抗議をしたが、女は笑って応じなかった。
「ちゃんと話をしてもらえないか、セリ」
名を知らぬ相手に、女性に対する敬称を使って呼びかけたユファスは、またも楽しそうな笑い声を受ける。
「丁寧なのね、ユファス。弟はずいぶんとやんちゃだけど」
瞳に悪戯めいた光が宿った。
「私は、元気いっぱいの男の子より、やさしい人の方がいいわ」
「……それは、どうも」
どうやら弟より好みだと言われたようだが、それで「彼女は自分に気があるようだ」などと考える習性はこの青年になく、彼は曖昧な礼の言葉のようなものだけを返した。
自分が名乗っていないことには気づかなかった。気づいたとしても、ティルドが話したのだろうと気にとめなかったかもしれないが。
ユファスの返答に笑いながら女は彼の横に並ぶと、するりと腕を取った。青年は目をしばたたく。
彼は、女性と話すことに緊張したり、話題が見つからないというようなことはなかったけれど、それでもこうしてあからさまに――彼を男として見ているということ、彼女が女であることを主張するかのように豊かな胸を寄せられるということは、珍しい経験であった。顔を赤らめて取られた腕を引くとまではしないが、いささか戸惑うというところだ。
「それで、僕に何の用なのかな」
ユファスは繰り返した。
「わざわざ声をかけてきたからには何か用事があるんだろう?」
「あら」
女は笑って、ついでにまた身を寄せるようにした。
「すてきな男性がいると思ったらどうやらティルドのお兄さんでしょう。近づくいい口実に思った、というのはどうかしら?」
「悪くない気分だけど」
答えながらユファスは彼女の手の動きに気をつけた。と言うのも、もし女が盗賊ならば、狙いは彼の財布だろうと思うからだ。美女に寄られてにやにやして金を盗られたなどということになれば、仮にも元兵士としてはずいぶん情けない。
「僕は自分の外見にそれほど幻想を抱いてないんだ。懐中が狙いならやめてもらうよ」
「あら」
女は楽しそうに笑う。
「そんなつもりじゃなくてよ。ただ、お兄さんはティルドがどうしているのか気にするんじゃないかと思って」
「あいつがどうしたって?」
彼が片眉をあげると女はユファスの耳もとに口を寄せた。吐息がかかれば、意味もなくどきりとする。
「町憲兵に捕まったわ」
「何だって?」
兄はぴたりと足をとめた。
「あいつ、何をやらかしたんだ?」
「街なかで剣を振り回したみたいよ」
「馬鹿な」
ユファスは口をぽかんと開けた。
「いくら何でもそんなことするはず――」
そこで彼は言葉をとめた。
ティルドが「そんな馬鹿なこと」を躊躇わずにするであろう相手がひとり、いる。
「相手は魔術師か?」
「あら」
またも女は言った。
「どうかしら? 私が知ってるのは、彼が大騒ぎをしながら剣を振りかざして、駆けつけた町憲兵隊に殴られて連れて行かれたことくらいね」
「おいおい」
ユファスは頭を抱えた。
「それは洒落にならないだろう。この街での刑罰は?」
「さあ」
女は肩をすくめた。
「たいていは鞭打ちね。罰金を払ってどうにかなることもあるんじゃないかしら」
「どっちも嬉しくないけど、後者の方がずっとましだね」
兄は顔をしかめ、女に向き直った。
「詰め所の場所を教えてもらえないか? あなたに一緒にきてほしいとは言わないから」
女を盗賊と推定しているユファスはそう言った。
「かまわないわ、案内してあげる」
そう言うと女はユファスの前にくるりと回り込むようにすると、指を一本、立てた。
「聞いて。弟を自由の身にしようとしてもそう簡単にはいかないと思うわ、ユファス。それより、あなたには大切なことがあるのを忘れないで」
「何、だって?」
ユファスの声に不審の色がのぼせられたが、女は艶然と笑みながら、指をそのままユファスの顔面に近づけていった。彼はつい、その指の先を見つめるようにする。
「彼はそれ以上危険に陥ることはないけれど、彼の腕輪は違う」
「何――」
ユファスの視線が指から逸れた。女の薄青い瞳と彼の薄茶色い瞳がぱっと合わさると、ユファスは、「視線を捉えられた」という感覚になる。彼はそれから視線を逸らせなかったのだ。
「あなたならば、身内であることを疑われないわ。そんなに似てるんだもの。だから、弟の荷物を引き取ってくるといいわ。ええ、腕輪だけで――充分だけれどね」
ユファスは女の身体から発せられる甘い香水の匂いにくらりとするのを覚えた。
「腕輪を取ってきなさい、ユファス・ムール。あなたの、その手にね」
にっと笑った唇がどんなに不吉であるか伝えられる弟は、このとき兄からも腕輪からも離れていた。
「それから、その首から下げているものも外してしまいなさい。あなたには守りなんて必要ないのだから」
魔女は彼の胸元を指し、その衣服の内に収められている翡翠に触れることを避けるかのように手を引いて、くすりと――笑った。




