11 火は我らの力
「認めたくはありませんわね」
メギルは拗ねるように言った。リグリスは笑う。
「お前よりも誘惑の技に長けているやもしれん。そうなればサーヌイなどは、お前のことなど忘れて、向こうの魔女に夢中になろうな」
「彼をどうこうする気はありませんけれど、せっかくの崇拝を失うのもあまり嬉しくありませんわ」
リグリスは今度は笑わず、じろりとメギルを見た。メギルは謝罪の仕草をする。
「では、例の少年の方は」
その言葉にリグリスは片眉を上げた。
「何を言い出す。あの子供は必要だ」
「無論、判っております。ですから、その連れを」
「ふむ」
司祭は考えるように顎に手を当てた。
「悪くはないが、先日の件はもうローデンに気づかれているかもしれん。同じ手は使えない。となればサーヌイにはいささか手強かろう」
「面倒ごとが多すぎますわね」
メギルは心配そうに目を伏せて言った。彼女のそれは皮肉ではなかったが――大事な主にそのような口を利く気質はメギルにはなかった――リグリスはすっと目を細める。
「だが、面倒だと言っていつまでもローデンを避けている訳にもいかぬ。ひとつ、やつの足下に火を放ってやるか」
「足下、と言われますので?」
「そうだ。風司の道具たちに気を回すあまり、身近なところが疎かになっているようだからな。遠方を気にする暇を作らせぬようにしてやろうか」
「そうすれば、風食みのことにも手が回らなくなるやもしれませんわね」
女魔術師は主の意向を汲んだ。
「私がついて参りましょうか?」
「そうだな。あやつが力を上手く働かせることができなければ、補助して、働いたように見せてやれ。いまに自分の仕事が判ろうよ」
「お任せを」
魔女は満足そうに笑むと立ち上がった。
「火は――大好きですわ」
「それでこそ、私の魔女だ」
リグリスは唇の両端を上げて笑みの形を作り、彼の隣にやってきたメギルの口づけをそのまま受けた。
「火は我らの力であり、守りだ」
「ええ、ドレンタル様」
メギルはリグリスの言葉に声にうっとりしながら返し、男の身体に火をつけるかのような熱い口づけを続けた。
それはまるで熟練の春女のようでもあったが、深く男を愛する女のようでもあった。
リグリスが同じ形で彼女に愛を返すことはなかったが、メギルはこの関係に充分、満足をしていた。
彼の隣に居続けるためならば、彼女はどんなことでもするだろう。
かつて彼女がともに旅をした戦士たちの多くは、火の術を持つ彼女を「便利な魔術師」くらいにしか考えていなかった。
しかし彼女は、それでも仕方がないと思っていた。
彼女が得意とする火の技は、街道で魔物たちを相手にするのにいちばん向いている。街なかで協会のために誠実な仕事をするには、メギルの能力は攻撃的でありすぎたのだ。
だからと言って「魔術師」たる道を捨てるには魔力がありすぎた。
彼女にはそれしか、道がなかった。
それでも、そうして生きていくのだろうと思っていた。
そうした旅の一団はざらにいたが、そのなかでも彼女が行動をともにした三人の戦士は腕がよく、まるで冒険物語のように魔物を退治し、洞窟を探索し、賞金首を倒し、宝を手に入れた。
戦士のひとりと恋仲になり、このままこうして生きていくのだろうと思っていた。
恋人と思っていた男の豹変と、ドレンタル・リグリスの誘いがなければ。
メギルはその日、生死をともにしてきた男たちと分かれ、初めて出会った見知らぬ神官、オブローンの名を口にする怖ろしい男の手を取った。
後悔はない。
これが、彼女にとって唯一の道だったといまでも変わらず、思っている。
リグリスは、彼女の火術を「魔物を倒す技」ではなく、火である故に尊重をしてくれる。それが彼女には喜びだった。
この男が彼女の魔力を利用したいだけであることは判っている。
それでも彼女には喜びだったのだ。
メギルは、かつての若い恋人よりも深く、年嵩の男――獄界神の司祭を想うようになっていた。
リグリスがそれを知り、その上で彼女を利用し続けようとしていることもまた、判っている。
火の術に長けた魔女の心はその技と同じように、自らか相手を、それともその両方を焼き、焦がすようなものを求めていた。
それが彼女を栄光に導こうが破滅に突き落とそうが、それが魔女の選んだ道だった。
自身が滅びるとしても一向にかまわなかった。
その思いは風が火に力を与えるかの如く、彼女の火を強くした。
「ドレンタル様」
女は囁いた。
「必ずや、風神の力をあなたのものに」
男はそれには何も答えず、女の身体を探った。
女は愛で力を得たが、男は力のために愛を利用した。どちらも互いにそれを知り、暗い欲望は黒い炎となって彼らを燃やす。
風具を手にし、風司の力を得ることは、彼らの望みであり、喜び。
「力か」
リグリスは呟いた。
「業火の力を強く得た、暁には」
その顔に歪んだ笑みが浮かんだ。
「まずは、エディスンから滅ぼしてやるとするか」
「お望みの……ままに」
熱くなっていく吐息の合間からメギルは声を出した。
彼らの夜は、はじまったばかりである。
その夜は栄光へと、続いていくのだ。




