07 それで充分だ
「いかんな」
彼は呟いた。
「何がだ」
カリ=スは慎重に問うた。
「俺は、何か魔術にかけられてるのかもしれん」
王子の言葉に砂漠の男は片眉を上げた。
「その魔女は美しいのか」
「そう言ったら、機嫌を損ねた」
「成程」
何処まで何を納得したのか、カリ=スはうなずく。
「魔力で惑わされているのかどうかはともかく、惹かれているという訳だな」
「どうかな」
ヴェルフレストはごまかす意図ではなく、肩をすくめた。実際、判らない。
アドレアは彼を好むと言い、だが誘うのではないと言った。ヴェルフレストは彼女を美しいと思い、思うままにそれを口にしたが、魔女はそれに満足するどころか怒りを見せた。
ならばアドレアは彼に〈魅了〉の術など使っていないように思う。
だがそのように告げることで、言うなれば「油断」させようとしている、という可能性は?
判らない。
もしかしたら本当に、彼はあの魔女に惹かれているのだろうか。
白い髪に赤い瞳、魔物のような雰囲気の、齢の見当すらつかぬ不気味な魔女に。
「それはそれで、面白いのやもしれん」
「豪胆ですね、殿下」
苦笑するような声はカリ=スからではなく、いつの間にか現れた神官の口から出ていた。
「相手は魔術師でしょう。魔力をお持ちではない殿下が、その魅力なり魔力なりに対抗されるのは難しいと存じますよ」
神官が語る内、カリ=スは腰の剣に手をやると躊躇いなくそれを抜いた。
「よい、カリ=ス。これがヒサラの代役だ。ラタンと言う」
砂漠の男が前回の「自己紹介」時に不在であったことを思い出してヴェルフレストは言った。カリ=スは剣を下ろしたが、抜き身のまま鞘にしまうつもりはないと言うように、警戒を見せながら神官を見た。神官はそれに気づき、薄く笑う。
「どうかされましたか、カリ=ス殿。もしや、砂の神以外の神を崇める者は信用ならないなどとは言いませんでしょうね?」
「そのようなことは考えておらぬ」
カリ=スは変わらぬ口調で答え、そのままラタンを眺め続けた。
「ふむ」
ヴェルフレストはじろじろと、自身の脇にすっと立った剣士と、目前にたたずむ神官を見る。
「さて。ふむ、成程」
何を思うものやら、彼はひとつうなずいた。
「では問うとしよう」
彼は下衣の留め金を半端にかけたままという、ずいぶんとだらしない格好のままで言った。
「神官。お前は何者だ」
その問いかけにラタンは首を傾げた。
「何者、と言われましても、神殿の命をよって殿下をお守りする任を受けた」
「嘘だな」
王子の指摘に躊躇いはなかった。
「カリ=スをただの護衛の戦士だと思うなよ」
では彼は何者か、というように眉を上げたのは、当のカリ=スの方だった。
「魔術で縛られるよりも強く、父上への恩を返したがっている、護衛の戦士だ」
にやりとしてヴェルフレストは修飾詞をつけた。
「つまり、俺と父上に都合の悪い存在は、すぐに見抜く」
「都合が悪い」
ラタンは戸惑ったように繰り返した。
「しかし、ローデン術師は」
「ローデンは、俺のことなんぞどうでもいいと思っているかもしれん。あやつにとって大事なのは父上とエディスンだ」
ヴェルフレストはラタンの言を遮った。
「そうなると、ラタン。お前は俺にとって都合の悪い存在と言うことだな」
「どうしてそのような結論になるのです」
神官は驚いた顔をした。
「殿下はローデン術師を信頼していらっしゃらないのですか」
「信頼している。だが、俺に都合が悪くてもろくに気にしないだろうと思っている」
王子は皮肉げに唇を歪めた。
「では」
ラタンは混乱するようだった。
「私が、どのように殿下に都合が悪いと」
「そこまでは知らぬ」
彼はあっさりと言った。
「ただ、カリ=スがお前を警戒している。それで充分だ」
「ずいぶんと、その男を信頼しているのですね」
「それもある。お前のおかげだ、ラタン」
「何ですと?」
神官はまたも判らないと言うように首を振った。
「あのときは俺も判らなかった。だがいまでははっきりと判る」
ヴェルフレストはにやりとした。
「お前は、初めて俺の前に姿を現したとき、カリ=スの居所を気にしていた。そして、彼が戻ってこようと言うときに、まるで慌てたように姿を消した。それは判っていたからであろう?――カリ=スがお前に不審を抱くことを」
砂漠の男は声を発さぬまま、ゆっくりと剣を構えた。ラタンは何度目になるか、首を振りながらため息をつく。
「殿下」
「何か言うことがあるか、カリ=ス」
王子は神官の台詞をまたも遮り、隣の男に声をかけた。
「神官。お前は、不吉な臭いがする」
「はっ」
笑ったのは、ヴェルフレストだった。
「魔術師並みに曖昧だな、それは」
「だがそうとしか言い様がない」
砂漠の男は悪びれなかった。
「お前につきまとうのは死の臭いだ、ラタン」
「困ったものです」
ラタンは呟いた。
「どうしてそのような疑いを――ああ」
不意に神官は、合点がいったという顔をした。
「判りました、殿下」
「何がだ」
ヴェルフレストは眉をひそめた。
「殿下のお望みが、です。判りました、殿下のご許可がないうちは、先の魔女の話をローデン術師に伝えることはしないと誓いましょう」
「何だと」
彼は目をしばたたいた。
「俺が、そのことをローデンに知られたくなくて、お前を脅そうとしていると言うのか」
「違うのですか」
神官はまた戸惑うようだった。
「殿下が魔女などに気を取られているとなれば、ローデン術師は喜ばれぬでしょう」
「それは……間違いないが」




