02 諦められるもんか
ハレサとともにアーリの荷物を彼女の気に入りの場所に埋めたティルドはそのまま〈錆びた鈴〉亭の食堂にハレサを案内した。
兄を盗賊に引き合わせるのに抵抗を覚えなくもなかったが、ここで紹介をしなければ、あとでまた心配されるに決まっている。
「では今宵は飲もう、少年。いい宿を選んだな、ここはなかなか美味い酒を出すんだ」
そんなことを言ってそれぞれ酒と簡単なつまみを注文した彼らは、それらがやってくると無言で杯を掲げた。ユファスとの待ち合わせにはまだ少し早い。
「あー、そうだ。ひとつ言っておくがな、ティルド」
アスト酒をひとすすりしてからハレサは咳払いなどして言い出した。
「俺とアーリは、何でもなかったからな」
その言葉に少年は片眉を上げた。
「何だよ、いきなり」
「いや、お前さんがおかしな噂を真に受けたらいかんと思ったんだ」
「噂って何さ」
ティルドがもっともな問いを発すると、ハレサは唸った。
「知らないなら余計なことを言ったかな。まあ平たく言えば、アーリが俺の女だったという噂だよ」
「……〈水辺の夢は水音が見せる〉って言うよな」
理由もなくそんな噂が立つ訳もない、と少年は言った。いきなりそんなことを言われて少し驚いたが、むしろ有り得ると思っていたくらいのことだ。
「だから、そうじゃない。あいつはなかなか、したたかでな」
ハレサは口の端を上げた。
「俺の女だと言うことにしておけば、おかしなことを企む男が減ると踏んだんだ。この業界じゃ女は少ないし、ましてあいつは若くて可愛く、酒を飲むとすぐに陽気になる傾向があったから、すぐにやれると勘違いする馬鹿も多くてね。身を守るのはたいへんだったはずだ」
苦い顔で、ティルドは小さくうなずいた。少女は一度、そのようなことを口にしていた。望んだ関係を得たことはなかったと。
「あいつが俺にひっついてたのはそのためだ。いいか、何か聞いても誤解はするなよ」
ティルドは、じとっとハレサを見た。
正直、疑わしいと思った。彼が軍経験で培った考えによれば、男が女を陥としたと自慢することはあるが、わざわざ陥とせなかったと話すことはあまりない。聞かれてもいないのにその女と寝ていないと言い出す男は、逆に寝ているのだ。
だが、ティルドは別にどちらでもよかった。
少女はもう、いないのだ。
「ふうん、そう。ま、そう言うなら」
ティルドはあっさりした調子で言った。少年が素直に安心するか、それとも逆に追及してくるとでも思っていたのか、ハレサは拍子抜けした顔を見せる。
「何だ、反応が薄いな」
「だって」
ティルドはにやりとしてみせた。
「過去の話だろ」
少年はそれを「恋人の過去など気にしない」という広い心を持つ男の台詞のように言ってみせた。
心の内には、苦いものがある。
彼が恋人の過去の男に嫉妬したり、いまでも続いているのではと疑心暗鬼に駆られたり――そんなことはもう、起こらない。
「まあな」
ハレサもまた、少年の心の内を知ってか知らずか、同じような笑いを見せる。
「じゃあ」
追及するつもりでもなかったが、ティルドはふと思い出したことを聞いてみることにした。
「ガルとかって名前の戦士は」
「何だ、やっぱり気になるのか」
「そういうんじゃないけど、何となく」
ティルドは曖昧に言った。
「ふむ」
ハレサは特にからかうのはやめたようで、考えるように腕を組んだ。
「あれもだいたい同じだな。あいつもこのあたりじゃひと目置かれてるから、つきまとってりゃガルの気に入りに見えた。そうなりゃガルを怒らせまいと思う奴も多い」
「どんな奴」
少年は言った。「気になる訳ではない」とは言うものの、全く気にならないと言えば嘘になる。
「旅の戦士だ。顔がいいから、女にゃもてる。アーリも、あいつが醜男だったらつきまといやしなかったろうな」
ティルドはアーリが「格好いいのよ」を連発していたことを思い出した。
「剣の腕は相当なもんだ。賞金稼ぎをやってる訳じゃないが、大物の首を何個か胴から斬り落としてる」
「へえ、すげえな」
少年は感心したように言った。
たいていの町憲兵隊は自分たちで犯罪者を捕まえたがるものだから、犯罪者に賞金がかけられることは滅多になかった。だが、町憲兵や街道警備兵から逃れることに天才的な賊どももおり、そういった相手を燻り出すために金の力が使われることもたまにはあった。
だが、ひとりの人間がそれを複数も狩ったというのは、なかなかに尋常ではない。
「そうは言っても、奴さんがひとりで大活躍って訳じゃない」
ハレサはティルドの驚きに気づくと、そう言って手を振った。
「いい仲間がいたんだよ、あいつには。だがそれをどうしてか失った。事情は知らないがな」
あいつが語ろうとしないんだ、と盗賊は肩をすくめた。
「ただ、聞かされていなくても判ることもある。あいつは仲間を殺されたんだ」
少年はぴくりと肩を震わせた。
「そしてその復讐に誰かを追いかけてる」
もう一年以上にゃなるかな、と戦士の友人は言った。
「どこにいるかも判らない相手らしい。全く、いつになったら諦めるんだか」
「諦めねえよ」
ティルドはぼそりと言った。
「居所が判らないくらいで諦められるもんか」
盗賊は片眉を上げた。
「何でまたそんな」
言いかけたハレサの目が険しくなる。
「おい、お前まさか、アーリの仇を取ろうなんて考えてるのか?」
「何が『まさか』だよ」
ティルドはむっとして言った。
「当然のことだろ」
「おいおい」
ハレサはぼさぼさの頭をかきあげた。
「敵は魔術師だろ? 無茶はよせよ」
「無茶なんかじゃない。魔術師だって人間だ。斬れば、死ぬ」
そう言ったのはエイルの師匠であった。エイルはそれを煽りと取ってたしなめたが、ティルドとしてはすがりたい言葉のひとつだった。
「そりゃまあ、理屈ではな」
ハレサは嘆息した。




