11 あいつの気に入り
その丘には、静かな風が吹いていた。
「ここから見えるレギスが好きだと、言ってたな」
ハレサはそんなことを言った。
「どうってことない、ごみごみした街なのに、夕陽を浴びるとお伽の国のように見えるんだそうだ。ま、女の子だな、ってとこか」
盗賊はそう言って首を振った。
「ここがいいだろう」
ハレサは一本の木を少女の墓標代わりに定めると、少年に小さな手鍬を渡した。通常ならば「何で俺が」の一言くらいティルドの口から出てくるところだが、この場合においては違ってくる。もし、ハレサがその作業を開始すれば、彼は自分がやると口を挟んだだろう。
「あの、さ」
少年は手鍬を振るう前に、躊躇いがちに声を出した。
「何だ」
促すようにハレサが言うと、ティルドは思い切ったように続ける。
「俺、何かあの娘の思い出になるものを持っていっても、いいかな」
「何故、俺に訊く」
ハレサは肩をすくめた。
「お前はアーリといい仲になったんだろ。何か持っていきたければ好きにすればいい。俺なんかは感傷だと思うがね」
まあ、俺はひねくれ親父だからな、と盗賊はまた言い、しかし言葉とは裏腹に自らしゃがみこんで少女の荷を解き出した。
「よくかぶってた帽子なんかはどうだ。……見当たらないようだが」
「焼けた。一緒に」
「成程」
ティルドの短い返答にそれ以上ハレサは口を挟まなかった。
ここまでやってくる間に、ハレサは幾つかティルドに質問をしていた。そのなかには、何故遺体と一緒に荷物を埋葬しなかったのかというような問いも含まれ、少年は痛む胸を堪えながらそれに答えた。何も残らなかったのだと。そのときもハレサは黙り、彼の肩を優しく叩いただけだった。
「そうだ、変なこと訊くけど」
はっとしてティルドは言った。
「アーリが持ってるはずのもので、そこにないものとか、あるかな」
「何だって?」
「いや、実は」
レギスへの道中で荷を荒らされたことを話した。
「成程。だがさすがに、本人しか判らんだろう」
彼女が荷袋に何を詰めていたかなんて、他人に判るはずがない。もっともな話だ。ティルドに判らないのと同様、ハレサにも判らない。
「気に入りの装身具なんかであれば見当もつくが……ああ、そう言えば」
ふと思い出したようにハレサは少女の荷から何かを取り出した。何やら小さなものを無骨な手に握り、ティルドの前でそれを開く。
「例の耳飾りとはいかないが、これもあいつの気に入りだった」
小さな箱に入った小さな青い石は、きれいに丸く削られている。ティルドに見慣れない金具がつけられているが、それが耳にとめるためのものであることは知っていた。
「アーリって、こういうの嫌いなのかと思ってた」
「普段、身につけんからな」
ハレサがあとを引き取った。
「実はこうした小物は好きだったらしい。ただ商売柄、現場に何か落としてくる訳にいかんからな。我慢してたようだ」
商売柄ね、とティルドは繰り返した。
「初仕事で手に入れたんだと言って、これは特に大事にしてたな」
それが「仕事で稼いで買った」となのか、もっと直接的に「それが初仕事だった」のかどちらだろう、とティルドは考えた。どちらにしても、彼が彼女に「もうやめろ」と説教をすることはない。
どうだ、と言うように青い石の入った小箱が差し出された。ティルドはうなずいて受け取ると、小指の先ほどの耳飾りが入った箱を閉じた。
「青い色が好きだったのかな」
自分はほとんど彼女を知らないかもしれないと思いながら少年は言った。友人としてひと月近くをともに過ごしたけれど、恋人となったのは、わずか一夜。
「どうかな。ただ、海を見てみたいなんてことは言ってたな」
「海?」
「青いもんなんだろ。見たこたないが」
「ああ」
ティルドは曖昧にうなずいた。
「青いとは言うけど、こういう色じゃない、な」
少女はアーレイドの街で海を見たろうか。ティルドの心にそんな思いがよぎった。彼が城に兄を訪れていた間、少女はあの街の港で海風に出会っていたろうか。
そう言えば、港がどうのと口にしていたような気がする。なれば、少女はひとりで初めての海を楽しんでいただろうか。
その想像はやはり彼の胸を痛くした。その話を分け合えなかったことが痛く、もし少女が海辺の街まで行ってろくに海を見ていなかったのであれば、教えてやれなかったことが痛かった。
「有難う。もらってく」
明るい青をした小さな石が少女の耳を飾っている様子を想像したティルドは、やはり覚えた苦いものを飲み込もうとするかのように、小箱をそっと握り締めた。
袋を埋める程度の小さな穴を掘るのは簡単だと思ったが、踏み固められた地面は手強く、思った以上に時間がかかった。作業を終えると、夕暮れが近い。
途中でふらりと姿を消したハレサは小さな花束を手に戻ってくると、荷を埋め終えて木陰に座り込んでいた少年に放った。
「アーリに渡してやれ」
「あんたがやれば」
彼は盗賊に黄色い花を返却しようとしたが、ハレサは両手を拡げてそれを拒否した。
「恥ずかしがるなよ、少年。お前さんにゃ思いつかないようだが、女ってのはこういう贈り物ってのを喜ぶんだ」
ハレサの言い方は、それが死者に手向ける花ではなく、こましゃくれた少女の頬を染めさせるためのささやかな手管であるように話した。それは少しだけ少年の心を落ち着かせ、彼は花を手にすると掘り返したばかりのやわらかい土の上に置いた。
ハレサがその脇に立つと静かに〈冥界神〉コズディムの印を切る。ティルドも切りなれぬそれを見よう見真似で切った。
(待ってろよ、アーリ)
(必ず、仇は取るからな)
声に出されなかった言葉を聞き取りでもしたかのように、ハレサは黙って、少年の肩を抱いた。ティルドは何となく安心した。
彼はふと、もし父親が傍らにいてくれればこんな感じがするのだろうかと思った。そんなことを口にすればハレサは、自分はまだ若いと怒るだろうなとも考え、何となく可笑しくもなった。
沈黙の内にふたりは祈りを終え、やはりもう何も言わないままで夕暮れの丘をあとにした。
夕陽に映えるレギスがお伽の国のようだとはティルドには思えなかったが、それでも、彼を慰めるかのように優しく迎えてくれるような、そんな感じがした。
そうしてそのまま街へ向かい、大樹を振り返らなかったティルドは、その近くで音もなく蠢く影に気づくことは、なかった。
そうなれば彼は「幽霊話」を思い出すことも、少女の荷から本当に何もなくなってはいないのだろうかと考え直すこともまた、なかったのだ。




