07 歓迎の宴
王子殿下にはいくつか問題があったが、そつなく「王子をこなしている」ことだけは手放しで褒められる。大砂漠から見知らぬ土地を訪れ、彼の父への恩を返そうとしている男はそんなふうに考えていた。
彼はエディスン軍兵のひとりであり、公式の身分や肩書きは、実はティルド・ムール少年とほとんど変わることがない。もっともティルドはいつどこに配置換えの命令を受けるか判らない、いわば見習い期間の延長という辺りであるのに対して、カリ=スには実際、小隊長級の能力を認められていた。現実に隊を抱えてはいないが、有事の際には小隊を率いる権限が与えられている。
今回、カトライとローデンは彼に中隊長級の印章を与えたが、それは「第三王子の連れ」としての名目であって、言うなれば世間体だ。カリ=スはそれを理解しており、この待遇を昇進と考えるような男ではなかった。実際のところは、無事に旅を終えれば王は彼に同様の昇進か何らかの報償を与えるつもりでいたが、カリ=スはどんな形であってもカトライに仕えられればよいと考えていた。
歓迎の宴は、華やかにはじめられていた。
ヴェルフレストは宴の主役であったから、常に人に囲まれる。見知らぬ制服に彼の連れと知れてカリ=スに声をかける者もいた――この付近は東国と呼ばれる地域にも近く、外見を物珍しく思われることはそれほどなかった――が、実直で、大して面白味のなさそうな護衛戦士と判断されると、彼はほとんど放っておいてもらえた。
穏やかな旋律が流れ出す。
階段の脇にいる宮廷楽師たちが優しい響きの舞踏曲を奏で出した。
通常、歓迎のだろうが何であろうが、王が開くほどの大きなものとなれば舞踏はつきものだ。
異国の王子に誘われようと姫君たちもヴェルフレストを囲み出すと、カリ=スはすっかりやることがなかった。
彼の役割はヴェルフレストの護衛であり、王子がどう言おうと女性に声をかけて踊るつもりなどなかったから――指摘通り、舞踏を知らぬということもあるが――彼はただ、彼の殿下に危ないことが起きないかどうか見張るのみである。
王の宮廷で賓客に狼藉を働こうと考える人間も、普通はいない。だが彼は油断をしなかった。オブローン神官かもしれぬ存在がヴェルフレストを追っているという、ヒサラの言葉を決して忘れてはいないからである。
そうしてじっと立っていると、彼はまるで、ウェレスの近衛の一員のようだった。
そうなれば、しかし利点もある。
と言うのは、人々は、彼がまるで壁に描かれている絵でもあるかのように、その周辺で噂話をしたからだ。おかげで彼は半刻と経たぬうちにあらかたの貴族の名と顔を一致させ、その評判もたいていのところを把握した。
彼はそう言った――密偵めいた――訓練を受けている訳ではなかったが、もともと上流階級の人間は護衛の兵や使用人の存在に重きを置いていないので、ただじっとしているだけで、よくも悪くも「いない扱いにされる」のだ。
「今年の冬は過ごしやすいようですな」
「南方でもまだ雪嵐が起きぬと言う話ですぞ」
「〈冬至祭〉も近いというのに、珍しいこともあるものです」
「何、厳しいよりは穏やかな方がよいではありませんか」
どうやら今年は暖冬であるらしい。寒さを罵るヴェルフレストが聞けば驚くだろうな、とカリ=スは思う。
「そう言えば、あの話をお聞きになりましたか、閣下」
「どのお話ですかな。最近の醜聞と言えば、コール閣下のご長男の」
「ああ、あれはあまりよろしくない話でしたが、そうではなく、儀式長官のご子息の方で」
「おお、そちらでしたか。聞きましたとも、報酬の伯爵領を辞退したにも関わらず、南の地で修行中とのことでしたな」
「カーディル閣下はいつも変わったことをお考えだ。もっと頻繁に宮廷にこられればよろしいのに」
「そのように言われるのは、貴殿が娘御をお持ちではないからですよ」
どうやらそれは彼らの間では大した冗談であったようで、貴族たちはひとしきり笑った。
「それにしてもエディスン王はお若い使者を送られた」
「陛下に年頃の王女殿下でもおられれば話は判りますが、まさか第三王子殿下がわざわざ一貴族の娘のためにこうして遠くまでおいでになると言うこともないでしょうに」
「儀礼でしょう。それこそ修行の旅だというお話をされていらした」
「それにしても伴がひとりというのは解せませんが。遠方には変わった風習があるのでしょうな」
砂漠の男が話題となった主の方に目をやれば、ヴェルフレストは「王子」によく似合う「姫君」の手を取って優雅な調べに身を乗せているところである。
どうやら有力者の令嬢のようで、賓客が最初に踊るのに相応しい相手であるようだ。きれいな顔立ちをしているが、ヴェルフレストの「好み」ならば向こうにいる姫であろう、と思ったカリ=スは、そのあたりもそつがないのだなと少し感心をした。
ヴェルフレストは、エディスンでいちばんの踊り手と言うことはなかったが、王族としてその訓練を剣技以上にたたき込まれている。習慣や曲の差異によるささやかなステップの違いはすぐに覚え、人々がこの王子を「見事な踊り手である」と評価するのに後ろめたさを感じないくらいには器用であった。
何曲かを続けて踊ったところで、若くて健康な王子はそう簡単に疲れることなどなかったが、酒を欲するふりなどすれば、遠くからやってきた王子は長旅で疲れているのだと思わせることができる。
久しぶりにきれいな花を抱えて回るのも悪くないが、と王子は思った。
ここでは、エディスンのように気軽に目当ての姫を定める訳にもいかない。ここでの彼は「エディスン王家が安泰である限り権力を持つが、継承位は低い」という微妙な立場の第三王子ではなく、「力ある都市エディスンの代表たる人物にして、その王位継承権を持つ」使者なのだ。
彼の故郷でならば気に入った姫に声をかけ、適当な頃合いを見計らって退出、というのが定番であったが、今日の主役は彼である。見せかけたほどには疲れていないがまだ夜は長いし――先の旅も、長い。
ふと彼は、旅路の先を思った。
この旅は、まだ続く。
何も、ウェレスを明日にでも出て旅を続けるというようなことはない。むしろ、これまでのどの街よりもゆったりとした滞在になるだろう。
だが、名目上の目的地であったこの街にたどり着いたことは、道程の半分を意味しない。いったいどれだけ、この旅を続けることになるのだろうか。
見えない行く先。未来というもの。
脳裏をよぎった茫洋とした何かは彼の知らない色を帯びていた。ヴェルフレストは自身の知らぬ感覚を面白く思いながら、小さな杯に注がれている淡い赤色の、よく冷えたキェラスを楽しんだ。
「――では私はお役ご免ですわね」
諸侯方、姫君方に囲まれ通しのヴェルフレストであったが、不思議とちょっとした静寂はできるものだ。彼の耳にそんな台詞が入ったのは、そのときであった。ヴェルフレストは何となくそちらを見やる。
「何を言う、まだ宴ははじまったばかりだぞ」
見れば、そこにはウェレス王の臣下であろう貴族らしき男と、その連れらしい女性がいた。
「もう『列席した』ということにはなるでしょう。私にはここで笑顔を見せているよりもやることがあります」
「たまには休め、せっかくの舞踏会ではないか」
「私が望んでやってきた訳でもありません」
どうやら夫妻という訳ではないな、とヴェルフレストは聞くともなしに聞いていた。恋人同士でもないようだ。男は四十の半ばほどだろうか、なかなかの伊達男だが、十以上年下と見える彼女を陥としきれていないらしい。




