03 お門違いだからな
「特に何もなくなってるようには見えないな」
ばらばらの荷をかき集め終えながらユファスはもう一度ティルドを振り返る。と、少年の手はとまっていた。
「どうし……」
ユファスは声をかけて、弟の視線に気づく。
少年が手にしていたのは、少女の服だった。百合の飾り模様が見える。
兄はそのまま、何も言うことをせずに弟を背後から見ていた。ティルドも何も言わぬままでそれをぐっと強く握りしめると、自身の荷と同じようにしまいなおした。
「ああ、俺も同じだ。なくなったものはないような気がする」
少年は、自身の内を通り過ぎたものを隠して言った。アーリの荷に関しては正確なことを言えなかったけれど、彼自身の荷物が金を含めて無事である以上、少女の持ち物がなくなっているとも思えない。
「おかしな話だな、いったい」
ユファスは浮かんだ疑問をそれ以上口にできなかった。と言うのも、ばさりと天幕の入り口が開けられ、外に出てくるように言われたからである。
「特に盗まれたものはないみたいです」
外に出ながらそう言ったユファスは、しかしそこに不穏な空気を感じ取った。
「……何か、ありましたか」
いつも彼ら兄弟ににこやかに接していた顔たちにはいま、明らかに不審の色が浮かんでいる。
「……あの。何か盗まれたものでもあったんですか」
ユファスの脳裏に奇妙な考えがよぎった。もしや、何か重要なものがなくなっていて、どうしてだかはともかく、それを盗んだ容疑が彼らにかかっているのではなかろうか、というような。
しかし、すっと進み出たひとりの男──確か、隊商主の息子だ──の言葉は彼を却って混乱させる。
「何も盗まれてなどはいない」
「それなら」
よかったではないか、と続けようとしたユファスはそれを遮られた。
「どの天幕も、お前たちのそれのように荒らされてもいない」
「はあ?」
声を出したのはティルドである。
「何だ、それ。ここだけ侵入されたってのか? 何でまた」
「幽霊よ!」
先の女性が叫んだ。
「取り憑かれてるんだわ」
「……おいおい」
ティルドは顔がひきつるのを感じた。楽しい展開ではない。成程、その結論が不穏な空気の理由か、とユファスは理解した。理解したからと言って納得はできないが。
「確かにおかしなことですけれど、たまたま目についた天幕を荒らしただけでしょう。幽霊に取り憑かれてるなんて言うのは」
ユファスは魔除けの印を切りながら言った。
「飛躍しすぎてます。そんなものに好かれる覚えなんか、ないですし」
「覚えがあろうとなかろうと」
男は続ける。
「話を聞いてみれば、ほかにも不気味な影を見た者がいる。あんたたちが一緒にくるようになってからだ。以前はこんなことはなかった」
「おいおい」
ティルドはまた言った。
「ちょっと待って下さいよ」
ユファスは努めて穏やかに言った。
「僕たちは、何も」
「聞く耳は持たん。いますぐ、荷物をまとめて出て行ってもらう」
兄弟は顔を見合わせた。
ものを投げつけられたり悪魔を退治してやるなどと言って襲いかかられないだけましかもしれないが、はいそうですかと簡単にうなずくこともできない。そんなことをすれば、まるで彼らが「取り憑かれている」と認めるかのようではないか、とティルドは思った。
「そりゃ、ないんじゃないのか。ちょっと変なことがあったくらいで」
「ティルド」
兄はむっとしたように反論する弟を制した。
「やめとけ」
「でもユファス」
「判りました」
「おいっ」
「仕方ないだろう。金を払っている訳でもないんだ、出て行けと言われたらそうするしかないさ」
確かに彼らはこの隊商と何の契約もしていない。言うなれば好意で便乗させてもらっているだけなのだから、それが失われたなら、結果は言うまでもない。
「ああ、判ったよ」
弟は不満そうに言った。
「出てけってんなら、出てくさ。でもな、幽霊がどうとか、そんなのはお門違いだからな!」
それだけは明確にしておかなくてはならないとでも言うように、ティルドは「幽霊を見た」と主張する女と隊商主の息子に指を突きつけた。
「――ちくしょう、何か悔しいな」
荷を馬に縛り付け、彼らから逃げるように去っていく隊商の馬車隊を見送る形になりながら、ティルドは呟いた。
「あんなことになったら、たいへんだなとか言って同情してくれたっていいものを」
「してもらったって役には立たないと思うけどね」
ユファスは乾いた笑みを洩らした。
「おかしな話だ」
笑いを収めてから彼はまた言った。
「何なんだろう。金は無事、金目のもの……もないけど、とにかく何も失われていない。それはけっこうなことだけれど」
「いったい誰が、何のために」
ティルドがあとを次いだ。
「もしかして、やっぱり俺たちの荷が目的だったと、思うか?」
「――腕輪、かい?」
弟の言いたいことを理解して、ユファスは言った。ティルドはうなずく。
「有り得るな。でも、それもおかしいとも思う。その、あの女性の言った『影』とやらが……魔術師なら」
「あいつなら、こんな面倒な真似はしないだろう」
ティルドは吐き捨てるように言った。ユファスは弟の目に暗い炎を見た。
「つまり、俺たちを隊商から追い出して、それから狩ろうなんてことは考えない。その気なら、あの隊商ごと焼くさ」
そのまま少年は呪いの言葉を続け、ふと兄に見られていることに気づいた。
「何だよ」
「いいや」
ユファスは小さく首を振った。
「その通りなんだろうなと思うよ」
兄の内によぎったのが弟への危惧か、その類のものである、と言うことが何となく判ったティルドは、少し落ち着かなかった。
「仕方ない。幸いにして太陽はこれから天頂に向かうところだし、このまま東を目指そう。少々糧食が心配だけれど、商人か旅人に行き会えば分けてもらえるかもしれないし」
「最悪、木の根でも食うさ」
ティルドはそんなことを言って肩をすくめた。
いったい、誰が何のために彼らの荷を漁ったのだろうか。
それを議論しても答えは出ないだろうと思った。
本当に、何もなくなっていないのか――ということへの答えも。




