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第130話 月夜の雲海に非道は響く

 三人と天使が現れたのは、靄の立ちこめた木々のさらに上。

 転移の魔法によって移動したそこに雲はなく、流れる靄からはいくつかの巨木がわずかに頭を出し、隠れるには適した場所に見えた。

 天使の翼で飛ぶ天音と、魔法で飛ぶ宗右衛門とホウヨウは手ごろな枝の上に降り立って、大きな葉に背を預けて、


「逃げ切ったか……」

「一応」


 一息ついた。

 靄の上は風が強く、雲と変わらない様子で靄が流れていく。

 天高くに存在する月や星々を見ながら、天音はふとこの世界の宇宙はどうなっているかを少し考えた。

 この世界にもビッグバンがあって、そこからこの星、そしてこの世界が生まれたのだろうか。


「寒くないか?」

「平気。天音は?」

「私も平気……」


 見てるこっちが寒くなりそうなホウヨウのマントと水着と言う格好だったが、しっかりマントを巻きつければ温かいのか、いつもの無表情である。


「……寒くないならここで良いか」

「賛成」

「ええ」


 満月の夜、先ほどの戦いを終えて、三人はさすがに疲れがあった。


「お疲れ様です、皆さま」

「スペース……さっきはありがとう」

「いえ。マスターに受けた恩を考えればこれくらいは。見張りは私がやりますので、お休みになられては?」

「……そうする」


 現れたスペースにそう言われると、こてん、と寝てしまったホウヨウ。


「俺も見張ろう。天音殿も寝ると良い」

「私は寝る暇があったから。貴方が先に寝て」

「……わかった。何かあったらすぐ声をかけてくれ。あとこいつは起きない」

「ふふ、わかった」


 そうして、腕を組んだ宗右衛門もしばらくしてから眠りについた。

 冷たい風が強く吹いているが、大きな葉を風よけにして、それ以外の音は周囲に存在しない。はるか遠くまで広がる靄の海が満月に照らされて、幻想的な空間を描いている中、逃亡中の緊張を少しだけ忘れて、天音は景色に魅入る。


(本当に、綺麗……)


 この世界に来なければ、一生見ることは無かったその風景の中に自分がいる、運命の悪戯。神様の悪戯に流されるのも悪くないのかも、と、隣に姿を表したスペースを見てふと思い……


 ――その気配を、察知した。


「マスター」


 ぱしっ、と、スペースが『それ』を片手で止めてへし折る。

 軽い音を立てて下の雲海へと落ちていったそれは、なんの変哲もない『矢』だった。


「……」


 無言だった。

 世界の美しさに魅了され、浸っていた時間を邪魔されて、天音は無言でその男――隠れもせず浮いていたエルフ、フルメルンに向かって飛翔する。


「……何か用?」

「ご挨拶だな、あの魔女を退けるとはなかなかやるらしい」


 雲海の上で、二人は対峙する。

 二人からは少し離れ、声は届かないだろう。


「で、貴方だけで来たの?」

「白の森の医療魔法技術は世界一だ。明日にはあの目も元通りだろうよ。だがお前ごとき俺だけで十分だ」

「……」


 フルメルンの余裕ある態度に口を閉じて、天音は少し身構える。

 白の森の王族と考えれば、その戦闘力はチアと同等かそれ以上、最悪、あの魔女並の何かを持っていてもおかしくはない。


「下等生物には過ぎた代物だがな、俺は遊びにも手は抜かないタチだ」


 などと考えている間に、フルメルンが取り出したのは、銀と金の腕輪。

 細かな彫刻がびっしりと施されたそれが光ると生き物のように動いて巻き付き、変形して、両腕を肩まで守る防具になる。

 そして何故かその位置――明らかに数メートル離れたこの状況で、構えを取った。


「?」

「お前を、俺は一撃で落とす。せいぜい死なないようそこの出来損ないにでも祈ることだな!」


 金属が組み変わる音とともに、フルメルンが振りかぶったのは金色の金属に覆われた右腕。空を切る音がして、


「ああ、そういうこと」


 ふっ、と天音は身体をずらした。

 遅れて何かが掠め、下の雲海に僅かに切れ込みが生まれる。


「勘は良いようだな」

「不可視の剣。つまらない手品」

「手品かどうかは……断たれてから思い知れ!」


 叫び、2撃目、3撃目が空を切る。

 間一髪で身を翻しながら、まるで舞うように天音は攻撃を躱していた。


「マスター」

「少し待って」

「くっ、は……何だと?」

「別に貴方じゃないんだけど」


 ふぅ、と呆れたようにため息を一つついて、告げる。


「……まあいいや、出来損ないって誰のこと?」

「決まって……いる。そこの役に立たない天使だ。あの魔女に捨てられた時点でそういうことだろう?学のない下等生物はやはり知恵が足りないな」


 ――ビキ、と、その時空気が変わった。


「まぁ出来損ないと言うなら貴様ら似た者同士だがな。あの棄てられた妹が薄汚い黒の森で何をするかと思えば、貴様のような精霊使いを集めて白の森の恥晒しに勝つ。貴様らはそれで満足なんだろう?

 少しばかりこちらに損害を出してやればそれで満足して、いかに自分たちが出来損ないかを自覚せずに逆らい続ける。バカバカしい、勝者が見逃してやるから生を謳歌できる恩も知らず、よくそこまで思い上がれるものだな」


 ――実はこの時、触れてはいけない琴線に片っ端から触れてはいたが、フルメルンは、油断だけはしてはいなかった。


(不可視の剣を避けるか……若い下等生物にしては修練を積んでいる。あの魔女のような精霊を従えて悦に入る類いかと思いきや、なかなかどうして殊勝ではないか)


 王族という立場に甘んずることなく、日々の研鑽を欠かさなかったフルメルンは、久々の実力者の登場に心が熱くなるのを感じていた。

 既に放った攻撃は十を超えるが、天音はそれをギリギリのところで躱し続けている。


「ねぇ」


 と、そこへしばらく黙っていた天音が、小さく言った。


「貴方の言い分だと、私達は貴方に見逃されているから生きていられるの?」


 髪で隠れて見辛かったが、その声はよく聞こえた。だからフルメルンは、


「物わかりが良いな、出来損ないの妹も、その集落も、部下も、全て強者の慈悲で生きている。それを理解しているか?」

「なるほどね」

「?」


 意外な返答に少し戸惑ったが、言葉とともに動きを止めた天音に、フルメルンは躊躇いなく不可視の剣を伸ばす。


 ――魔力によって巨大化と透明化を可能にした無敵の武器。その名は『永劫』。


 どんな魔物でもその危機を知ることなく正面から一振りで斬り殺せるこの武器を、フルメルンは心底気に入っていたし、その研鑽は怠らなかった。技を磨き、魔力を練り込めば練り込む程、よりスマートに獲物は死んでいった。


(その首、貰った……っ!)


 動きを止めたのは油断か諦めか、そんなことはどうでも良く、次の瞬間には敵の首と胴が離れる光景を夢想して、フルメルンは魔力を込め、剣を伸ばした。

 そしてその切っ先は赤い炎と片手に阻まれ、


「は?」


 下から蹴り上げられたことによって、見るも無惨に……と言っても不可視だが、砕けた。


「……ん?」


 意味がわからなかった。

 今目の前の下等生物がしたのは、片手で剣を止めて、足で剣を蹴り……砕いた?


「よく分かった」


 次の瞬間、その声は前から聞こえて、左から来た衝撃はフルメルンの身体を右へふっ飛ばす。


「なっ……あああああ!?」


 自動的にもう一つの腕輪の防具、『不滅』は、自動的にその攻撃を防御して、その威力までは殺せずにフルメルンの身体は雲海の表面を飛ばされる。


「本当によくわかった」


 また衝撃。

 今度は真上に飛ばされて、重力がその加速を止めてくれる。


「が……は……ひっ!」

「貴方はにはわからせる」


 今度は顔面だった。

 中心点をずらした打撃は回転を生んで、プロペラのようにフルメルンの身体が回転し、さらに背に衝撃。

 まるでボールでも蹴るかのように放たれた一撃は、正しくボールのように成人したエルフを山なりに飛ばす。


(ま、まさ、か……!)


 ダメージは、盾が殺している。

 だが威力は死なず、桁外れの速度で自分は、このまま延々『弄ばれる』。そう気づいた瞬間、フルメルンは飛行魔法を止めた。

 下等生物が何をしたかは知らないが、薬草でドーピングした自分が負けるわけが……という思考の最中に、また一撃。


(う、上だと!?)


 しかし飛ばされた方角は上。唯一、下等生物が自分を見失わない方角だった。


「ひっ、ま、待て、まさか――」

「待たない」


 月光に6枚の羽がきらめいて、右ストレートが顔面に突き刺さる。

 盾がどうにかダメージを抑えるものの、飛ばされる自分がこの暴虐に抗うすべはもうない。しかもいつか盾に限界が来れば……


「い、嫌だ、わ、分かった!見逃してやる、あの魔女から助けてやる!だ、だからもう……」

「やめない」


 またふっ飛ばされる。

 追いつかれる。


「な、何が望みだ!?なんだってくれてやる、富か、地位か?なら……」

「違う」


 またふっ飛ばされる。

 追いつかれる。


「わ、悪かった、謝る!済まなかった、二度と」

「うるさい」


 またふっ飛ばされる。

 追いつかれる。


「や、やめ、なに、何が望みだ!こんなことをして父上が……」

「……」


 またふっ飛ばされる。

 追いつかれる。


「ごめんなさい!やめて!お願いします、やめて!」

「やめない」


 またふっ飛ばされる。

 追いつかれる。


「すいませんでした!ごめんなさい!調子にっ、調子に乗ってました!」


 またふっ飛ばされる。

 追いつかれる。


「何でもします!お望みならなんでも差し上げます!だからやめてぇ!殺さないで!」

「あ」


 それはちょっとしたミスだった。

 今までの暴言を全部謝るまで黙っているつもりだったが、ついうっかり手近な足場の葉に落としてしまう。


「お願いします、お願いします……」

「……」


 逃げるでもなく、立ち向かうでもなく、フルメルンが選んだのは土下座だった。そして実際、ここで自分がやりすぎるのは後々良くない。

 客観的にはともかく主観的には天音はそれを理解していたので、


「じゃあ、今日は見逃す代わりに……恥をかいてもらう。下等生物に負けて、頭を下げて……そこから、グリムと戦えばいい」

「は、恥……?」

「覚悟して」


 闇夜に影を帯びた瞳が、震えるエルフを捉える。そしてその手がエルフの手に伸びて……!


「な、なにを、いや、いやああああああああ!」


 ――そして、朝日が世界を照らす頃。


「ん、……朝か」

「降りないと危険」


 雲龍に備えて、二人が目を覚ます。


「おはよう」

「天音殿、起きてるなら……ん?」

「どうしたのそれ」

「……拾った」

「拾っ……た?まぁいい、とにかく急ごう」


 天音の手には、朝日に照らされた腕輪が燦然と煌めいていた。

 しかしそんな些細なことを気にする場合でもなく、三人は雲海へと身を隠す。


 ――それだけで、夜は終わりを告げた。

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