第123話 雲海の竜の住処
「とりあえず無事みたいで何よりだ。アンタに何かあったら本当に俺たちはアンタの里に顔向けができないところだった。とにかくここを離れよう」
「気にしないで。そこまで背負い込むことはない……第一、さらわれたのは私」
霧のような靄が立ち込める木々の上で、宗右衛門が深く頭を下げて天音に言った。
下からは悲鳴や爆音が聞こえたが、天音、宗右衛門、ホウヨウの三人はそれを尻目に木々の枝を渡り、音を抑えつつ走る。
木々の枝と言ってもそれらは道路のように太く、木によってはコケやツタも繁茂して、滑ることのない立派な足場になっている。
そこをマラソン程度の速度で駆け抜けるうちに地表と変わらない感覚を覚えかけるが、しばらくすると枝と枝の交差する場所が現れ、現在の高さを実感し、また走るうちに錯覚しかけるというのを繰り返した。
そしてどれだけ走ったのか、下の喧騒が聞こえなくなったころ、三人は巨木と枝の影に身を隠して、足を休めた。
「それでもあいつをアンタの村に来させたのは俺たちの不覚だ」
「でもさらわれたのは……」
「だからそれは俺たちのせいだろう。本当に済まない、許してほしい」
「それは気にしてないって言ってるのに何で謝るの」
「それでも男のけじめとしてだな、こればかりは譲れん」
「悪くもないことを許せって言われても……」
「悪くないということが考え違いなんだ。だからそれは俺たちが……」
そして宗右衛門はというと、ここへたどり着くまで、ずっとこの調子だった。
合流できたというのに話の進まない様子にどうしたものかと天音が悩んでいると、つんつん、と肘をつつかれ、ホウヨウが耳打ちする。
「無駄。こうなると聞かない」
「そうなの?」
「頑固。侍だから」
何となく違う気もしたが、とにかく話が進まないので納得することにした。
「分かった。気にしないで」
「ああ、そう努める。次こそは不覚を取らない」
「……」
決意を固める宗右衛門に少し呆れつつ、三人はまた歩き始めた。
あいかわらず白い靄のせいで遠くの方は見えないが、それは逆に彼らが身を隠すのに好都合だった。
そしてどうやらこの靄はこの木から出ているようで、よくよく見れば、木々の幹に空いた小さな隙間から白い水の粒子が噴き出している。
「どうやらこの木は靄を吐くようだな……こんな木があるのか……滑らないように気を付けてくれ」
「当然」
「……」
音すら聞こえそうなほど勢いよく水の粒子を吐く木を見て、天音は思った。
――この『水』は、どこから来ているのか?
果てもわからない広大な森は、平野程度の広さはある。その広さでこの巨木がこれほど水を吸い上げていれば、よほど潤沢な地下水でもない限り土地に影響があってもおかしくない。
しかしここへ来るまでに天音が見た限り、地表は特におかしなところのない普通の土地で、そうであれば、この木々と靄を維持する水はどこから来ているのか、ということになる。
そしてその答えは、手に付いた水を舐めることで簡単に判明した。
「……塩水。そっか、この木、海水を吸い上げてる。塩分をろ過してるのか、海水ほどにはしょっぱくないけど」
「ん? そうなのか? 言われてみればこの靄、潮の香りがするな」
「青臭い木々の匂いに混ざってて分からなかった」
「気にしてなかった」
「であれば、薄めれば塩分と水分の節約になるな。なるほど暮らしやすいわけだ」
今更だが、塩分と水分は生命活動の要だ。
それがこうしてそこらじゅうの木々から噴き出している以上、この森の暮らしやすさは見た目以上なのかもしれない。
「あったぞ」
言われて、天音が正面を見てみると、朽ち果てた木の扉があった。
フタを外すようにそれを開けて、中に入ると、そこは小屋程度の空間と、太陽石の置かれた台がある。
ホウヨウが杖を振るとそれが仄かに光って、誰が言うこともなく三人は小さな切り株の椅子に腰を下ろした。
「ここは?」
「わからん。この森に忍び込んだ時、いくつか見つけた小屋だ」
「便利」
言われて、天音は周りを見回す。
『探偵』としての洞察力が、その小屋の正体を見抜くのに、そう時間はかからなかった。
「……ここ、たぶん狩りのための小屋」
「そうなのか?」
「たぶん。だから光が漏れないようになってるし、寝床と砥石と、矢じりがたくさんある。大きさから考えて、おそらくは一人用」
言われて宗右衛門とホウヨウが見回すと、確かに小さな窓と入り口の扉は朽ち果てた布と板で塞げるようになっていて、部屋の端には矢の先端らしきものが小さな壺に入っており、近くに工具も見える。
「そうなると、獲物はあの龍か」
「たぶんそう」
「無謀」
さっき合流する直前に降ってきた龍。
以前見た雷龍よりは若干小型だったものの、あれがどうやらこの森にすむ龍……雲、あるいは靄、霧の中の龍なので……
「あれは……水龍?」
「それは川の龍だろう。雲の龍でどうだ」
「賛成」
というわけで仮称が決まり、自分たちが下のエルフだけでなく、雲龍からも襲われかねないことを再確認し、とりあえず入り口と窓は光が漏れないように塞いだ。
「ようやく腹ごしらえができるな……食事はとれたか?」
「ごめんなさい、何も……」
「無問題。食べて」
「ありがとう……」
天音は差し出された干し肉をゆっくりと噛みしめて、三人は塩辛さと肉のうまみを味わう。
「水もあるが飲みすぎるなよ。どこかから盗めれば一番いいが」
言われ、差し出されたのは現代的な水筒。
この木と石と布の空間にプラスチックとステンレスのそれだけが、かなり異質に違和感を放っていた。
「あ、それ……」
「グリム……殿から預かった。天音殿に渡してくれと」
「殿呼び」
「も、もうこの際いいだろう……これほど色々とあって対等に呼ぶ気がせん」
「同意。でも私は天音と友達」
「ああもちろんだ、俺が勝手にこう呼ぶだけだ」
「よろしくね、天音」
「うん」
と言ったところで、改めて話を戻す。
受け取った水筒から一口飲んで、
「それで、どうして私たちの場所が分かったの?」
と尋ねた。
「ああ、あの日、天音殿が攫われてからのことだが……敵は撤退したものの、正義殿も気を失っていてな、その治療中にせきな殿に声をかけられたんだ」
「先生から?」
「彼女が師匠なのか? その割には若く見え……い、いやなんでもない、今から行けば間に合うからと言われ、その場で商会から食べ物の手配をしてもらって、街道の馬宿を経由してから来たんだ」
「馬宿?」
「知らないのか? 急ぎの旅の時に馬やキョルを乗り換えるところだが。泊まったことがないのか?」
「……飛んでいける範囲でしか、旅してなかったから」
「そうか。そしてそこからホウヨウの魔法でこうしてたどり着いた。通信石も預かっていたからな、途中までは指示通り来ただけだ」
「それでも、どうして私の場所が分かったの? ここまで来た方法もタイミングもわかったけど、どう見てもこんなに広大な……」
「鳥」
「え?」
「貴女達が飛ばしてる鳥を追った」
「あっ」
どうして気づかなかったんだろう、と天音は自嘲した。
お互いに鳥を飛ばしあっているのだから、当然そこへ鳥は飛来する。
確かに理論上、それを見つけることが出来れば、自動的に魔女の、つまりは自分の場所もわかるということだ。
「大体の場所は掴めたが見失ったのと、この広さでな、どうしようかと思っていたら、例の『声』が聞こえて、慌てて耳を塞いだんだ。うろついていた龍も何匹か墜落していったし、今しかないと思ったんだ」
「待って、あの雲龍って何匹もいるの?」
「普通に飛んでた。今はなぜかいないけど」
であれば、あの嫌な予感は当たっていたらしかった。
あの声が何なのかも含めてよくわからなかったが、結果的に助かっているならそれ以上のことは考えない。
「それで、収穫はあったか?」
「あ、そうそれ! やっぱりって言われるかもしれないけど、向こうにチアさんとグリムさんを生かすつもりなんてなくて……」
「……そうなのか。謀は世の常だが……しかしそんなことで士気が上がるなら、この森はやはり相当病んでいるな。むしろ統治者として威容のもとに迎えてこその王者だろうに」
「同意。暗君」
「……」
被差別民と負けた将を吊るし上げるという話は、前時代の人間とは言え、この二人にも到底受け入れられる倫理観ではなかったらしい。
「なんにせよ無事こうして拠点もある。しばらくここで時間を稼いで、通信石が効く範囲までグリム殿たちが来るのを待とう」
「賛成」
「ええ、賛成」
と言ったところで、コンコン、とノックの音。
「!」
弾かれたように武器を構えた三人の中で、ふと天音が気づく。
「ごめんなさい。私の仲間」
「仲間?」
そう言って天音がそっと扉を開けると、
「マ、マスタぁ……目が覚めたらだれもいなくて、驚かさないでください……」
扉の外に、天使が立っていた。
「これ、私の……相棒。天使。名前は……スペースって呼んで」
「せ、精霊か!」
「綺麗……」
急いで招き入れて、改めて経緯の説明とあいさつをする。
ともあれこうして、彼らの潜伏生活は始まりを告げた。




