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人間失格と言うなかれ


 将来の死に行く様が、段々とはっきりしてくると人生はもはやカウントダウンでしかなくなり、全ての事は、現実感の無い余興に過ぎなくなり、その時の流れだけがゆったりと着実に色味を帯びて人生に花を添えていく。死に行く自分へのパレードが孤独に開催されているのだ。


 思えば、誰一人として愛してこなかった人生で、その薄氷の上の橇から眺めたような海中の景色が此の世であり、その見渡す限りの水平線の上を当てもなく意志もなく漕いでいた。海中の景色が日に照らされて煌めく様をその薄皮の上から一緒に為って泳ぎながら、決して海底の棲みかには辿り着かなかった。

 

 こんな馬鹿らしい文章が自殺する者という人間性に込められている訳もなく、私は橇を漕ぎ続けるだろう。只、まだ蜃気楼のように立っていた知っている者からどんどんと通りすぎていくだろうこの先の人生で、間違いなく私は、橇から身を投げ出したくなる程に人生に飽くだろう。自分という存在に心の底から興味を無くすだろう、此れから先の未来に何ら光りさえかざさないだろう。陰り行く部屋で、時間だけを持て余して流砂のように吹き抜けていく虚しさを噛み締めるだろう。只、どんなボロボロの服を着ていようと、どんに汚く飯を食うようになっていようと、どんなに荒んだ態度で生きていようが、なにかが自分の中に存在している限り、私は生きていける。もし、心の底から脱け殻になっているのだったら、私は行きながら死ぬことすらする前に死んでいるのだろうし、其処にもう私は存在していない、其れは記憶を保有したデータであり、人の皮を被った物に過ぎなく、別人という意味で、まったく違う存在だ。

 

 こんな、文章をつらつらと書いていると、私はまったく死ぬ気が起きない。其れほどに馬鹿らしい存在なのだ。もし私が自殺するときは、とんでもなく軽いノリであり、其なりに軽い存在に自らの人生を自らの意思で押し進めた時であろう。馬鹿らしい程に軽いのだ。

 何故、此方側に皆が進んで歩もうとしないのか、分からないくらいに軽いのだ。手離す事は、私にとって物凄く簡単な事だ。最初の少しの勇気や衝動に身を委ねてしまえば簡単な事だ。其れでも手放したくないのは、生きる事というより、自分への興味だ。この先に何が残るのだろう、自分はまだ何を持っているのだろう、何を欲するのだろう、今度は何を諦めるのだろう、この世の中はどう変わっていくのだろう、あの人はどんな風に年を取るのだろう、自らの目に其れらの事は、どう変化して写るのだろう、自分はどう受け止めていくのだろう、もし本当に自分が此の先、絶対に変化しないって、絶対に希望を持てないって、絶対に笑わないって言い切れるんだったら、本当に心底揺るぎなくそう思うんなら、きっと死ねるし、私の人生は、ゴールなんだと思う。只、間違いなく其処までの崇高なプライドの1つや決断力を持ち合わせていないので、生きる事が物理的ないし、精神的に不可能になった時がゴールなんだと思う。精神的に不可能になるというのは、私の場合は、間違いなく自らを自ら恥じらっての死ではなく、回りの者が私に向ける羞恥や哀れみや同情や軽蔑といった類いや、其れも極限まで回避する方法を模索するだろう、その回避が一切出来ないような身体的状況や、精神的に不可能な状態に陥って仕舞えば、死が私に手を伸ばすかもしれない。不謹慎な程遠く、盲目的に視野が狭いのだ。昨日や今日やほんの何時間前の真実も今に成れば、まやかしであり幻であり、真実を見通せない者に死を手繰り寄せる事は出来ない。生きる方が私にとっては容易く、死ぬ価値を人生に見いだす事が出来ずじまいにきたのだから、存在する意味等ないのだ、只、存在する意味が無いからといって死にたくなるのは、存在する意味が在った者で、最初から存在する意味の無い者にとっては、余り意味が無い。自らを存在する意味が無いと思うことは。

 其れでも、変化が私にとって生きる意味で、子供がすくすくと育つように、樹木も土の中から芽を出してすくすくと大きく育っていく。脳みその管のように、血管のように大地に根を張りその何倍もの幹を空に向かって伸ばしていく。其れは、決して当たり前ではなく適した環境があってこその事であり、その環境に適応したり恵まれたりしたものが人間の恣意的な采配の中で運良く伐採から逃れた木が私達の目に写っているに過ぎない。

 手付かずの森や山だったとしても決してどんな木も育つという訳ではないだろう。どんな芽も育つ訳ではなく、かといって全てが一様でも無い筈だ。


 だから、私はこの枯れた土壌でどんな哀れな姿に私が変化してどんなへんてこで腐ったような醜い木が成り立つのか気になるのだ。

 自分が此れから選んでいく、或いは選ばざる終えなかった選択枝の先で、自らの行き着く先がどんな人間で、どんな人達と似たような部類に入り、親近感を抱くのか、そういった事が気になるのだ。その選択がそうせざる終えなかったにしろ、只楽で馬鹿で無責任な物と思われるにしろ、自らが価値取れる物は、誰かが差し伸べた物ではなく、自らの人間性に沿ったもので、私は絶対的に堕落者であり落伍者なのである。行き着いて、遠く遠くの方で広い視野で、目の前の土と彼方の土を見比べたいのだ、そうやって人生を終えたいと言えば格好が良いかもしれないが、あらゆる価値観を振り払って逃げて逃げて逃げまくりたい。生きる事にやむなしに努力をし、親類縁者等知ったことかと行き着く先で、価値観に殺されていった自分は果して存在したのか、只価値観が何も無い身体に乗っかって重苦しかったのか、自らの人間性の細い芽を押し潰していたのかをそういった事を追い求めて、其れが幻想だったんであれば、立ち戻れない処からその事に気付いて、後悔を背負い生きる。其れにすら憧れや希望を感じる。何故なら、本当の行き着く先は、きっと虚無なのかもしれないのだから。本当に何もない、何も心の拠り所や風のない砂漠の一粒の砂のように枯れた音だけが聞こえる所に佇んでいるだけなのかもしれないから。


 

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