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あずさ弓  作者: 黒飛 翼
第一章 真っ白な少女
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真っ白な少女

車窓に映る景色がスクリーン映像のように流れていく。

スクリーンの映像は山や田んぼばかりが続いて、変わり映えしない。唯一空だけが茜色から金色に、そして漆黒へ移り変わっていく。


見ていて面白いものでもないが、最近買ったばかりで操作に慣れないスマホを触る気にもなれず、電車内の退屈な時間を潰すために眺めるしかなかった。


「まもなく〜、古川町。古川町に到着いたします──」


完全に日が沈んでからしばらく経って、ようやく到着を知らせるアナウンスが流れる。


淡々とした音声を耳にしながら、俺はグッと体を伸ばした。


やがて電車が止まると、プシューと音を立ててドアが開いた。バッグを肩に掛けて、ホームへ降り立つ。


古川駅はおよそ駅とは呼べないようなひどく老朽化した駅であった。


まず、足場のコンクリートはところどころがひび割れている。ホームの中央に設置されたベンチは、座ればたちまち崩れてしまいそうで人の体重を支えられるとは思えない。前に見たときも思ったが、相変わらず汚い駅だった。駅員がいないのは無人駅というやつだろう。


そんな事を考えながら、改札を通る。よほど設備が古いのか、切符を入れてから改札口が開くまでに十秒はかかった。


この駅はこれで大丈夫なのか? あと数年もしないうちに改札が機能しなくなりそうなんだが。廃駅になるのも近そうだ。なんて失礼な感想を思い浮かべながら駅を出る。


駅を出た正面の道は、下り坂の一本道になっていた。左右は林に囲まれていて、風に揺られた木々が不気味な音を奏でている。周りに人がいないうえに、電灯が少なく、かすかな月明かりで周囲が照らされているという状況も不気味さに拍車をかけている。俺は大丈夫だが、怖がりな人だったら萎縮して動けなくなりそうな雰囲気だ。


俺は電車の中で詰まっていた息を解き放つように深呼吸すると、ゆっくりと歩き出した。


駅からの道は舗装されているとはいえ、所詮山道であるため、歩きにくい。


その音が聞こえたのは、歩を進めてすぐのことだった。


──ザッ、ザッ!


左右の木々の奥、そのどちらかから、木々を踏みしめるような音が聞こえる。


なんの音だ?


足を止め、辺りを見回す。一瞬、何か動物がいるのかと思った。だが、音がした方向に寄ってみたことで、考えを改める。


掻き分けられた痕跡のある茂みの奥に、とあるものを見つけて、俺は目を見開いた。


「……階段?」


小さく呟く。落ち葉に隠されていたが、木々の隙間の奥にあったのは階段だった。それを見て真っ先に思ったのは。


──まさか、誰か山に入ってるのか?という疑問だった。


まさか、日も暮れたというのに山に入る人間がいたのだろうか。


そんなやつがいるとは思えない。だがそう考えなければ、さっきの足音と、明らかに人間の手によって作られた入り口に納得がいかない。


とはいえ、この山に入っていったやつは、何を目的に山の中に入ったのだろう。


もしかしたら、この階段の先には特別な何かがあるのだろうか。一度そう思ったら、溢れ出る好奇心は止められなかった。


後で思い返せば、この時引き返すこともできた。いや、旅の疲れもあるのだから、むしろ次の日にまた出直した方がよっぽど利口な判断だった。しかし、新天地に来たことで気分も浮いていたのだろう。


俺は導かれるように山の中へ踏み入った。


もし今を逃したらこの道は明日には消えてしまうかもしれない。なんて馬鹿なことを考えながら、奥へ奥へ進んでいく。


山の中は当然整備されておらず、木々も生え散らかっていて、油断していると頬をバッサリと切られてしまいそうだ。


街灯など設置されているはずもなく、いちいち周囲を手探りで進まなければならないのがもどかしかった。 やがて階段を抜けると、今度は真っ直ぐに道が続いていた。


その道は階段のように道標がなかったが、木々がトンネルを作っているおかげで、迷う心配はなかった。


そして、トンネルを抜けた先は不思議な世界に繋がっていた──わけもなく、開けた空間があるだけだった。


ただ、奥に見慣れないものがある。あれは……バルコニーだろうか。


俺の目線の先には、崖から飛び出すように作られた舞台があった。


そして同時に、その中央で手すりに身を預ける誰かの後ろ姿が見える。

やはり、さっきの音の正体は人間だったのだ。


そう思って、すぐに俺は首を捻った。


あれは……人間なのか? 踏み出そうとした一歩を止めて、俺はその場で立ち尽くした。


「……誰?」


足音に気づいたのだろう。 件の人物(?)はこちらを向いて、つぶやくように訊ねてきた。


低すぎず高すぎもしないやや鼻にかかった声だった。


そいつの明らかになった顔を見て、俺は反射的にのけぞった。


バルコニーに佇んでいた誰かは、一言でまとめてしまえば少女だった。だが、普通の少女ではない。全身がやけに真っ白なのだ。


肌はもちろんのことだが、髪の毛や眉毛まで全てが雪のように白い。


とはいえ、それだけならまだ違和感は感じつつも、これほど驚くことはなかっただろう。


俺が後ずさるほど驚いた理由は、真っ白な全身で唯一、瞳だけが紅に染まっていたからだ。


紅の瞳がまっすぐに俺の全身を射抜く。


少女の姿は月光で妖しくきらめいている。


まるで人ならざるナニカに見つめられている気分だった。


「ちょっと。黙ってないでなんか言ったら?」


放心していると、詰問するような声が飛んでくる。


「あ、ああ。すまん」


謝りながら、俺は少女へ近づいた。


「俺は別に怪しい者じゃない。駅から歩いてたら、偶然ここを見つけたんだ」


「偶然?まさか迷子になったの?」


「いや。歩いてたら階段を見つけたから、登ってみたらここに辿り着いた」


「へー。もう日も暮れてるのに、随分物好きなのね」


「かもな」


少女の皮肉に対して、何も返す言葉がなかった。彼女の言う通り、わざわざ夜に山に入るなんて酔狂なことだ。


「ところで、あんたって人間なのか?」


言ってから、しまった。と思い直す。これではあまりにも失礼すぎるではないか。本当は日本人なのか、と聞くつもりだった。しかし気持ちが逸るあまり、最初に抱いた印象に釣られてしまった。


はあ?と不快感をあらわにした声とともに睨まれる。


「どういう意味よ」


少女は眉間にシワを寄せていった。


「あ、いや。別に悪い意味で聞いたんじゃなくて――」


俺は慌てて訂正した。


「髪の毛とか肌の色とか、透き通ってるみたいでめちゃくちゃキレイだからさ、さっき雪女みたいだなって思って──」


上ずった声で、必死に言い訳をする。最初は全く手応えを感じなかったが、とりあえず褒めとけの精神で色々な言葉を並べたのが幸いしたのだろうか。


「雪女ってなにそれ」


やがて少女はプッと吹き出すと、「失礼なやつ」と、呆れたように言った。


彼女が笑ってくれたことに俺はそっと安堵する。


「人間に決まってるでしょ。あと、外国人でもないからね。正真正銘の日本人よ」


気を取り直すように深呼吸をして、少女は質問に答えた。


ついでに補足を加えたということは、もう何度も聞かれてきたことなんだろう。


「まあ、もうそういうの聞かれ慣れたしいいけど。それよりさ。あんた、旅行で来たの? ……その割にはずいぶん軽そうな荷物だけど」


呆れたようにため息を漏らすと、少女は今度は俺が肩にかけているバッグに視線を移した。


「あー、これな」


俺が持っているのは普段使いするようなバッグで、着替えなどを入れるようなそれではない。彼女の言う通り、俺は旅行で来たわけではなかった。


「俺は旅行じゃなくて、今日からここに住むんだよ」


「え、住むの?」


住む、と言った瞬間、少女は目を丸くして驚いた。


そうだ。と俺は頷いた。


彼女の言いたいことはなんとなくわかる。


こんな何もない辺境の地に、いったい何しに来たんだ。と思っているのだろう。


古川町はドがつくような田舎で、周辺を山に囲まれてるせいで交通の便も悪い。


豊かな自然と温泉を目当てに旅行に来る客は多いそうだが、わざわざ住むような場所ではない。俺もそう思う。


ただ利便性だけで話すなら、俺が以前まで住んでいたところのほうがよっぽど住みやすい。俺が下宿を決意した理由は別にあるのだ。


「叔母さんが夜桜って旅館を経営してるからさ。そこに下宿させてもらうんだよ」


俺はバルコニーから見下ろせる町の一部を指さした。


「夜桜? へえ、あんなすごいところに泊まるんだ。高級旅館でしょ?」


少女が感心したように呟く。


「そうみたいだな」


彼女のいうとおり、夜桜は旅行客が多いこの町で最も有名な温泉旅館で、宿泊料も気軽に出せるようなものではない。


それでも女将さんが、老朽化して客室として開放していない離れの部屋であれば、特別価格で住まわせてもいい。と言ってくれたのだ。


「でも、どうしてわざわざこの町に住むの? もしかして将来旅館で働きたいとか?」


頬杖をつきながら、少女は訊ねてくる。


その質問に、俺は何て答えるべきか迷った。


とりあえず、修行のために来たわけではないのは確かなのだが。本当の理由は絶対に言いたくない。


「まぁ、色々あってな……」 数秒迷った末に、結局曖昧に誤魔化した。


そんな俺の逡巡を察してくれたのか、少女は「ふーん」と唸るだけで深くは聞いてこなかった。


それから彼女は何事もなかったように前を向いて、「いい場所でしょ。ここ?」と聞いてきた。


つられて俺も景色を眺める。


眼下には、うす黒いキャンパスに輝く塗料を幾重も垂らしたような圧巻の景色が広がっている。月明かりが水田の水に反射し、民家の光が絶妙なコントラストを生み出していた。


絶景とはいかないが、確かに悪くない場所だと思った。


「一人になりたい時によく来るの。ここ、あたしの秘密の場所」少女が呟いた。


視界の端に彼女の横顔が映る。 不機嫌そうな表情で自然の絵画を見下ろしていた。


その様子とさっきの一言からして、彼女は一人になりたくてここへ来たのだろうと思う。 つまり、俺は感傷に浸っていたところを邪魔してしまったというわけか。


「なんか、邪魔して悪かったな」


別に俺に非はないのだが、なんとなく謝っておく。


すると少女は気怠げに息を吐いた。


「別にいいわよ。あたしの所有地ってわけでもないし」


言葉とは裏腹に、表情や口調はその真逆の気配を醸し出していた。


そんな様子を見せられたら、これ以上ここにとどまる気も失せてしまう。


早めに退散しよう。そう思った矢先。


「あんた、これからもここに来ることってある?」


ふと少女が訊ねてきた。


「ないな」 その質問に、俺は間髪入れずかぶりを振った。


俺は別に景色マニアじゃないし、こんな場所で感傷に浸るようなセンチメンタリストでもない。


なにより、先客に嫌な顔をされるとわかっているのに行きたいとは思わない。


「そう。いい場所なのに、もったいない」


そんな俺の気持ちもつゆ知らず、少女はそんなふうにいった。


いや、もしかしたらわかってていったのだろうか。 だとしたら随分性格が捻じ曲がっていることで。 そんなふうに思いながら、俺はそっと手すりから離れた。


「帰るの?」


「ああ。あんまり遅くなると叔母さんに迷惑かけちまうからな」


少女の言葉に答えてから、俺はバルコニーに背を向けた。


すると背後から「ねえ」と声が飛んでくる。


なんだ。と振りむくと、少女がこちらをじっと見つめていた。


「あんたが来る来ないは勝手だけどさ、できればこの場所のことは伏せておいてほしい。あまり色んな人に知られてほしくないからさ」


「わかってるよ。ここで見たことは全部忘れるよ」


「いや、別に忘れなくてもいいんだけどさ……」


背後から独り言のような声が聞こえてくる。


それには答えず、俺は背中越しに手を振りながら、今度こそバルコニーを去った。

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