一方その頃、ビルの日常
一方その頃。
雪が降り積もるリンディンでビルは書類の山と格闘する日々を送っていた。
石畳の道が縦横無尽に張り巡らされ、その道に沿うようにレンガ作りの家々が並び……極度の人口集中によって人でごった返し、汚れ、じっとりとした空気が覆う街の一角に構えたレンガ作りの2階建て、最先端の工法を取り入れた上品な作りの事務所の一室。
……木製の本棚と書類棚に囲まれたそこにはビルしかおらず、事務机も一つしか置かれていない。
キャロラディッシュの所有する領地の規模を思えば、もう何人か……4・5人の人間でもって事務処理にあたるべきなのだが、キャロラディッシュが信頼しているのはあくまでビルのみであり、その信頼に応える為にビルは、一人きりで全ての事務作業と向かい合っていたのだ。
他の業務……来客対応や書類の郵送、ビルの個人的な事務処理などを行ってもらう為の、何人かの事務員を雇ってはいたが……それでもこの部屋で仕事をするのはビルだけであり……各領地が春を迎えて、様々なことが動き出すまでに、なんとかそれらの事務処理を終わらせようとビルは必死に……懸命に、握りしめたペンを走らせていた。
そんなビルの事務所の周囲……東西南北の方向にはそれぞれ石造りの塔が建てられている。
北の塔、南の塔、東の塔、西の塔。
近所の人々が一体誰が何のためにそんな塔を建てたのかと疑問に思うそれらを所有しているのは……誰あろうビルであった。
様々な出来事が重なり大領地といって良い程の領地を得ることになったキャロラディッシュ。
国内には彼が建てた病院、学校、博物館や孤児院などが無数にあり……その財力、権力が如何ほどのものなのかは国内外に知れ渡っている。
そんなキャロラディッシュを狙うもの、憎むものは少なくなく……そんな連中が真っ先に狙うのはリンディンに住まうビルであった。
直接害そうとする者、毒物を使用する者、女で籠絡しようとする者、金貨の山で釣ろうとする者などなど……その数は数え切れない程だ。
そうした者達を見張り、牽制し、いざという時になった際に、ビルを守る為の施設……それが東西南北の塔だったのだ。
4階建ての建物と同等程度の高さのそれには、望遠鏡を始めとした監視の為の装備は勿論のこと……剣や槍や弩、大砲なども設置されていて……かなりの規模の敵を相手に戦い続けることを想定してか、かなりの糧食までが保管されている。
それ程の装備があれば必然、それらを扱う人員が必要な訳で……各塔にはそれぞれ20名程の人員が配置されていた。
大量の兵器と自らの命を預けるそれらの人員は、当然信頼出来る者達でなければならず……各塔の人員全てが、ビルが自ら選びだした、なんらかの形でキャロラディッシュの世話になっている者達となっている。
孤児院の出身者、病院で命を救われた者、領民として生まれ様々な支援を受けてきた者、キャロラディッシュ名義の奨学金で大学を出た者、不当な借金をキャロラディッシュの基金に肩代わりしてもらった者……キャロラディッシュの親戚筋の者。
それだけの人員を揃え、それだけの設備を整えれば、当然目立ちもするし、国をはじめとした各種に目もつけられる訳だが……それもまたビルの狙いであった。
キャロラディッシュが狙われるよりも自分が狙われた方が良い。
キャロラディッシュの下に至る前にここで始末してしまえば良い。
そんな思惑で建てられることになった塔の上では、今日も配置されていた人員達が目を光らせている……はずであった。
「旦那、失礼しやすぜ」
ドアをノックすること無くそんな一声を上げながら、一人の男が事務室に入り込んでくる。
くすんだ金髪、だらしない無精髭、汚れが染み付いた麻服、革ズボン。
そんな服装をした上で、随分と立派な作りの剣を腰に下げているその男は……ビルが雇った人員の一人、北の塔を統括しているブラッドという名の男であった。
キャロラディッシュが経営している孤児院を出身し、その後従軍し……数年後に大陸から帰還し、以後はビルの下で雇われている。
「……どうした? 何かあったのか?」
机の上の書類に視線を落としたまま、ペンを走らせたままビルがそう返すと、ブラッドは肩をすくめてから、言葉を返す。
「俺がここまでやって来たんですから、それなりの緊急事態に、何かあったに決まってるじゃねぇですか。
……ここ最近、ここいらをうろついていた何処の誰かかも分からない不審者連中ですがね、今朝からそのコートの下に物騒なもんを隠し持つようになってるんですよ。
形から推測するに剣か魔術師の杖か……いずれにせよ、そんなもんを用意するくらいですから、今日明日には何らかの動きを起こすつもりのようですな。
……こちらから先じて制圧してもよろしいですかい?」
「……その連中は敷地内に入り込んでいるのか?」
「そりゃぁ勿論です。
何しろこの辺りは、建物や公園、空き地は勿論のこと、道路や井戸までがキャロラディッシュ様名義となってますからね、敷地内に入り込まないことにはここら辺をうろつけやしませんって」
「ならば貴族の敷地内に不法侵入した不届き者ということで制圧しろ。
殺しても……まぁ、構わないが出来るだけ殺さないようにしてくれると何処の誰なのかがはっきりとするし、後々の面倒事が減る……頼んだぞ」
「へい、その通りに」
そんな会話を終えてブラッドが部屋から出ていき……階段を降り、1階へと向かい、事務所から出ていったのを受けて、そこで初めてビルが顔を上げる。
顔を上げて椅子に体を預けて「ふう」と小さいため息を吐き出して……そうしてから立ち上がり……ブラッドが入ってきたのとはまた別の、部屋の横側についている扉へと向かったビルは、その扉をあけ、その先にある階段を上がり……そこから事務所の屋上へと向かう。
するとそこには大きな屋根を構える小屋があり……くるみや栗といった大きな木の実が山のように入ったエサ箱と、両手で抱える程の大きな水飲み箱のあるそこへと足を進めたビルは……小屋の中で、その羽毛を膨らませて暖をとっている常識外に大きなコマドリ、ロビンの下へと向かい、その側にしゃがみこみ声をかける。
それは愚痴であり、繰り言であり……ビルは時たま、そうやってその腹の奥にたまったものを吐き出していた。
キャロラディッシュに信頼されていることは嬉しく、多くの仕事を任されていることも嬉しく、その給金のおかげで望外の贅沢な暮らしを出来ていることは大変な名誉なのだが……それはそれとして、大変な仕事がゆえに腹の奥底にたまるものがあるのだろう。
ロビンとしてはキャロラディッシュの魔術によって知恵を与えられた状態であっても、その言葉の意味の大半が理解できず……正直な所、意味のわからない呪文のような何かを聞いている気分だったのだが、それでも目の前の『友人』が自らを頼ってそうしてくれることは嬉しいことであり、誇らしいことであり……訳が分からないままに、
「チュリー!」
と、声を上げて友人を慰める。
するとビルは小さな笑みを浮かべて……笑みを浮かべたまま更に、愚痴を吐き出し続けるのだった。
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