議論
ミツバチの為の巣箱を設置してから数日が経ち、その間キャロラディッシュは毎日のように巣箱の様子を確かめていた。
件のミツバチ達は何処かへと移動し、ならば巣箱にいるかと思えばその気配はなく……全ては徒労だったかと諦めの感情がキャロラディッシュの心を支配し始めて……そうしてある日の早朝。
キャロラディッシュは珍しくも早朝から騒いでいる猫達の声で目覚めることになる。
「まったく……こんな早朝から一体何を……」
目をこすりながら起き上がり、寝ぼけ半分でベッドから立ち上がり……そうして廊下に出て、廊下の窓を開け放ち、声のする方を眺めてみると、庭に設置した巣箱を遠巻きに囲んだ猫達が、地に伏せ尻尾をゆらゆらと揺らしながら、じぃっと巣箱を睨んでいる姿が視界に入り込む。
まさか……!
その光景を見てキャロラディッシュは、胸の奥から巻き起こるすぐにでも庭に向かいたい気持ちをぐっと抑え込んで、まずは着替えを済ませ、鏡を前に簡単に身支度を整えて……そうしてから足早に庭へと向かう。
屋敷から出て庭へと踏み込んだ瞬間、キャロラディッシュは確信を得る。
ブンブンと羽音を鳴らしながら飛び交うミツバチ達の姿がそこかしこにあり……彼女らの巣が近くにあろうことは明白で……思わずため息がその口から漏れる。
地面に伏せてじぃっと巣箱を睨み、巣箱の入り口から飛び立っていくミツバチ達のことを観察している猫達の側へと近付いたキャロラディッシュは、その場に膝を突いてしゃがみ込み、猫達に近い視線で巣箱の入り口の奥を覗き込む。
入り口は狭く、奥は暗く、そこに何があるのかを目で見て取ることは出来なかったが、魔力であればそれは容易で……そこに作りかけの巣があることを確認したキャロラディッシュは、猫達の背をそっと撫でて、小さな声で呟く。
「……折角巣を作り始めてくれたのだ、彼女らを驚かしてしまわんように、当分は巣箱に近付かん方が良いだろう。
近付かずに遠くから見守り、彼女らが困った時にだけ手助けをしてやって……そうやって紳士的に接しておれば、秋頃にはいくらかの美味しいハチミツを分けてもらえることだろう。
ハチミツ焼きにハチミツケーキ、パンケーキにかけるのも良いだろう。
……だから今はそっとしておくとしよう」
その呟きを受けて耳と尻尾をピーンと力強く立てた猫達は、地に伏せたままずりずりと両手両足を滑らせながら後退し……静かに、騒がずにその場を後にする。
それに続く形でその場を後にしたキャロラディッシュは、屋敷へと戻り……自室に戻り、改めて身支度を整えて朝食の準備を待つ。
屋敷の二階から、キャロラディッシュが開け放った廊下の窓から、ソフィアやマリィを始めとした面々が、その様子を眺めていたことなど知る由も無いキャロラディッシュは、それから何事も無かったような顔をして食堂へと向かい……何事も無かったような顔のまま、朝食を済ませるのだった。
朝食を終えて、巣箱を驚かせないようなルートでの散歩を終えて……そうしてキャロラディッシュが図書室の本を読むための空間……机と椅子の並べられた一画で、ソフィアとマリィとその他の面々を前に魔術に関する講義を行っていると、それが一段落したのを見てソフィアが手を上げ質問を投げかけてくる。
「あの、キャロット様……キャロット様はミツバチのことがお好きなようですが、猫達やアルバートみたいに、ミツバチ達にも知恵を与えたりはしないのですか?」
その疑問を受けて「なるほど」とそう呟き、頷いたキャロラディッシュは……顎髭に手を当てて少しの間悩み……そうしてから質問に答えていく。
「以前実験として、何種かの昆虫に知恵を与えてみようと実験をしてみたのだが……どうにも上手くいかなくてな……。
確かに成功したはずなのに、ある程度の知恵を与えたはずなのに、行動が変わることはなく、言葉を発することもなく……昆虫は昆虫のまま、そのままの存在で有り続けた。
昆虫に対する理解が足りんからそうなるのか、そもそも魔術が成功していないのかは……なんとも言えん。
……言葉が通じず、こちらの忠告に耳を貸さず……魔術による変化が某かの問題を起こす可能性もあったので、その昆虫達はすぐさま処分することになってしまった……。
どうやら昆虫という存在は儂らとは全く違う脳の仕組みというか、思考をしているようでな……そこら辺のことをはっきりと解明しないことには上手くいかんのかもしれんな」
特にアリやミツバチといった、独特の群れを……社会とも言える完成された集団を作り出す虫達に関しては、どうやってその社会を構築しているのか、維持しているのか、どんな思考をしているのか……どうしてそこまで高度なことが出来るのか、分かっていないことが多い。
自らの心の力を……夢の世界に根ざす大樹を根源とする魔術で、自分の知らないこと、未知のことに干渉することはとても難しく、ましてや知恵を与えるなどという高度な魔術がそう簡単に上手く行くはずがなかったのだ。
それでも実験をしてみたいという欲求に逆らえずやってしまった、挙げ句の果てに失敗してしまった。
このことはキャロラディッシュにとって小さくない後悔であったのだが……それを受け止めた教え子達は、未知の世界が自分達のすぐ側に広がっていたことに心躍らせ、目を輝かせ……自分達なりに色々考えてみて、こうではないかああではないかと議論を交わし始める。
あるいは自分にもそういった仲間が……学友が居たのなら違った結果になったのかもしれないと、そんなことを思いながらキャロラディッシュはソフィアとマリィの議論を静かに見守る。
余計な口は出さず、議論がおかしな方向に行くか、明らかに間違った知識が混ざり込んだ場合にだけ軌道修正をしてやって、二人の前へ前へと進めるように助けてやる。
ソフィアとマリィはそんなキャロラディッシュの助け舟を素直に受け取り、キャロラディッシュの失敗をしっかりと考慮に入れた上で更に議論を深めていく。
そうした愛弟子達の姿を眺めたキャロラディッシュは、こうやって後に繋がるのであれば、自らのおかした情けない失敗も無駄では無かったのかもしれないと、そんなことを思うのだった。
お読み頂きありがとうございました。




