フェリークス
港町フェリークス。島国であるこの国の玄関口の一つ。
大陸からほど近い位置にあることから人と物の行き来が盛んなその港町は、その重要性を思えば個人が所有出来るようなものではないのだが……代々キャロラディッシュ家の所有地であったことと、キャロラディッシュが余計な欲をかくことなく、問題を起こすことなく管理していたことから、そのままキャロラディッシュに預けられていた。
他の貴族にしても役人にしても女王にしても、莫大な富を生み出すこの地を手中に収めたなら、余計な欲に駆られてしまうことは明白で……そうした欲のせいで港の価値を低下させてしまうよりは良いだろうとの判断があったようだ。
キャロラディッシュ当人としては、そこそこの稼ぎを安定して出している優良領地程度にしか思っておらず、いっそ誰かの管理になるなら余計な手間が減ってありがたいとまで思っていたのだが……政治の場に顔を出さず、興味を示さず、情報を集めず、まさか国中の誰もがこの地を欲しているなどとは思いもよらず、貧乏くじを押し付けられたような気分でやたらと遠方にあるこの地の管理を続けていた。
ビルはこの港が使えないままだと国内経済がどうのと大げさなことを言っていたが、自分なんかが管理する港にそれ程の価値があるものか。
そんなことを思いながらもキャロラディッシュは、貴族として領主としての義務を果たすべく、嫌々に仕方なしにこの地へと足を運んだのだった。
馬車が目的地に到着したのか、ゆっくりと停車する。
それを受けてソフィア達が一段と嬉しそうな声を上げる中、キャロラディッシュは大きなため息を吐き出しながら立ち上がり……嫌々の重い足取りでもってゆっくりと馬車から降りる。
すると一人の男が姿勢を正し、ぐいと顎を上げながらキャロラディッシュの前に進み出てくる。
日焼けした肌、短く刈り込まれた茶髪、筋骨隆々といって良い身体の四十男。
たったの一人でキャロラディッシュを出迎えたその男は、おそらくは漁師でフェリークスの代表なのだろう……キャロラディッシュを出迎えるべく微塵も似合わない、サイズ違いのスーツを着込み、そのスーツにビリリとの悲鳴を上げさせながらその筋肉を躍動させている。
その顔を見て……見たままキャロラディッシュが沈黙していると、焦れた男が更に顎をぐいと上げながら大きな声を上げる。
「ようこそいらっしゃいま……した!
善良公キャロラディッシュ様!! 俺はビートって名のここらの代表です!
騒がしいのが苦手とのことなので、俺一人での歓迎となりますが、ご容赦くだせぇ!
で、あー……その、歓迎とかはいらねぇとのことで、特に式典とかの用意はしてねぇんですが、宿と美味い飯の用意は完璧にしておきました。
それでー……まぁ、あれです、出来るだけ早くあの化け物に、海で暴れて行き交う船を襲うあの野郎に対処してくださるとありがてぇです」
使い慣れていないらしい単語を懸命に使い、そう訴えてくる男……ビートに対し、キャロラディッシュはいくらかの好感を持ってこくりと頷く。
一人で歓迎したことが好ましい、余計な歓迎などをしないことが好ましい。
率直に要望を伝えて来たのも全く悪くなく……懸命に礼儀を守ろうとしている態度も悪くない。
実際に礼儀を守れているかではなく、その心持ちが重要で……ビートが礼儀などに縁遠い漁師だろうことを思えば、礼儀を守れというほうが酷というものだ。
であればとキャロラディッシュは、ビートのその想いに応えるためにと海の方を睨み、足を一歩踏み出す。
馬車が停車したのはフェリークスの入り口であり、そこから大通りがなだらかに、海に向かって真っ直ぐに伸びている。
大通りの周辺には石造りの家々が並び……その先には大きな港があり、潮騒を奏でる海があり……その海の中に蠢く白色の身体を持つ巨大な何かの姿がある。
海から遠いこの地点に馬車を停めたのは、その何かを警戒しての安全を考慮してのことなのだろう……馬車の御者や、騎乗した護衛達や、馬車から降りてきたソフィアやマリィ、アルバートにヘンリー、スーが目を丸くして驚いている中……キャロラディッシュは更に一歩前へと進み出て、手にしていた杖をゆるりと振るう。
そうやって魔術を発動させて……まずは海の中で暴れ続けている白い怪物の姿を確かめようと、魔力でもって周囲の光を歪めて、前方に光の円を作り出し……拡大鏡の要領でそこに化け物の姿を、拡大した姿を写し込む。
「……まるでイカのように見えるが……。
……魔力は特に感じず……うん? 重ね世界との繋がりも見えてこんな。
……重ね世界の住人では無いのか? いやしかし、これ程に巨大なイカがこちらの世界に居るなどと、そんな記録は……」
作り出した円を覗き込み、白い怪物の姿をしげしげと眺めながらそんなことを呟くキャロラディッシュ。
そんなキャロラディッシュの元にシーがすぅっと飛んできて……そこで初めてシーの存在に気付いたビートが大きく口を開けて驚愕し……大きく開けすぎたせいで顎の関節を外してしまっている中、苦い顔をしたシーが声を上げる。
「あれ、オイラと同じだよ。
オイラが食らったのと同じ呪術であの姿にさせられたんだよ。……そしてそれが怖くて、悲しくって、ああやって暴れているんだと思うよ。
あれじゃぁもう、海の世界の中でイカとして生きていくことは出来ないから……」
「……いくら呪術だとはいえ、魔力を持たぬイカごときをああまで変貌させるなど、ちょっとやそっとのことではないぞ?
お主は多くの魔力を持つ、魔力そのものといっても過言ではない存在であるからしてまだ納得がいくが、たかがイカをあそこまで……」
「そこはほら、アンタも人のこと言えないじゃん?
……どっかの犬と猫にも似たようなことをしている訳だし? アンタが出来るなら他の誰かが出来たっておかしくないだろうさ。
アンタは善意でもって、その誰かは悪意でもってそうしたってだけの話さ」
シーにそう言われてイカを観察し……その言葉が事実であるとの確信を得たキャロラディッシュはぎしりと歯噛みする。
そんな悪辣な連中と一緒にするな、という怒りではなく、自分だけに出来る、自分だけの魔術だったはずのそれが、誰かに使われてしまったこと、誰かに模倣されてしまったことに怒り歯噛みする。
自分以外の人間にあの魔術が使えてたまるものか、自分以外の人間にあの魔術が思いつけてたまるものか。
生涯を捧げての探求があってこその成果を、何処の誰とも知らぬ連中に模倣されてしまうなど……キャロラディッシュにとって屈辱以外の何者でもなかったのだ。
その誰かが先に思いついた魔術であり、キャロラディッシュの方が模倣であるという可能性もあるはずなのだが、自信に満ち溢れた自我の塊であるキャロラディッシュの頭がそんな可能性を考慮するはずもなく……ただただその模倣者に対しての怒りを爆発させる。
そうして手にした杖を大きく振り上げたキャロラディッシュは、せめて模倣者の企みを頓挫させることで溜飲を下げてやろうと、魔力をこれでもかと込めての魔術を発動させるのだった。
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