領民達
ラヒィトと呼ばれるその地の領主は、大層な変わり者であった。
何故ならば領主となったその日以来一度も、たったの一度も自らの領地に足を運んでいなかったのだから、その変わり者っぷりは歴史にも類を見ない程のものであった。
領主が別の土地に家を持ちそこで暮らすこと……それ自体は珍しいことではなかったが、何十年も領主で在り続けながらたったの一度も足を運ばないというのは前代未聞のことであった。
祝い事があっても、災害があっても、何があっても姿を見せぬ領主などと言われると、ろくでもない領主のように思えてしまって、領民達から嫌われていそうなものだったが、領民達はその領主のことを篤く信頼していて、驚くほどに好いて愛してさえいた。
それもそのはず、足を運んでないというだけで、領主としての仕事は真っ当に……いや、理想的過ぎて、三流のおとぎ話なのかと思ってしまう程に、見事にこなしていたのだ。
領主に就任してすぐに行われたのが学校の設立、病院の設立、貧者への救済改革であった。
それらの費用は全て領主が持ち、維持費も当然のように領主が負担。
子供を学校に行かせると昼食と午後の紅茶と、それに合う菓子まで振る舞って貰えるために、大人の誰もがこぞって子供達を学校に送り出し……そうしながら大人であるはずの自分達もぜひともその学校という名の楽園に行きたいものだ、とまで言い出す始末。
病院に関しても必要以上の設備と人員を揃えて、貧者救済の為の予算も十分過ぎる程に潤沢。
それ程までに手厚くされてしまうと、領外の怠け共が、それらの領主からの贈り物を……施しといって良い程の施物の数々を甘受してやろうとやってきそうなものだったが、ラヒィトの田舎っぷりが、産業の無さがそうした事態を防いでいた。
仮にやって来たとしても割の良い仕事などは存在せず、施しに与ろうとしても潤沢過ぎる人員達がしっかりとした審査を行い、就労の為の……貧しさから脱却するための訓練を半ば強制的に科してくる。
それは怠け者共にとってはとても辛いもので、最終的には逃げ出し、領外へと出ていくという訳だ。
そんな発展とは程遠いラヒィトの状況を憂いて領主は、更なる多種多様な投資を行い、田舎だからこその様々な施設を設立した。
歴史的建造物の保存委員会。
園芸学校、農業学校、酪農学校、女性学校。
植物育種研究所。
考古魔術研究所。
重ね世界研究所。
そこまでの施設が出来たならそれなりの発展をしそうなものだったが……交通の便の悪さ、立地の悪さ、利権を甘受しようとする者への徹底した排除姿勢などが影響し、田舎は田舎のまま、ラヒィトらしいままで在り続けた。
その結果は領主にとっては不本意な、全くの想定外の事態だったのだが、領民達はそうした緩やかな……文化的、芸術的、科学的な発展と、それを受けて豊かになっていく心を歓迎し、慌ただしい世界情勢を他所に、ゆったりとした日々を過ごしていた。
そんなある日のこと。
数十年の間、姿を見せることのなかった領主が、独身であり続けたかの領主が、ついに跡継ぎを作り、その紹介の為にやって来ると聞いて、領民達はちょっとした狂乱状態に陥っていた。
まさか、かの領主様がこの田舎までやってくるだなんて思ってもいなかった。
やってくるにしても、収穫祭の時期とかに来てくれたら良いのに、なんだってまたこんな時期に……。
挙句の果てに跡継ぎを……次代の領主まで連れて来るだなんて、一体領主様は私達にどうしろと言うのだろうか。
一体どう歓迎したら良いのか、これまでのことを一体どう感謝したら良いのか……。
領地に住まう人々の……代表者達のほとんどはその領主の下で生を受けた者達で……生まれてからこれまでの人生を支えてくれたその人に、一体どんな顔をして会ったら良いのか……その答えを誰一人として知らなかったのだ。
領主の代理人からの報せには、過大な対応、歓迎は不要、顔見せ程度に留めること、とあるが、本当にそれで良いのだろうか?
領主の寄付によって建造された、領内最大の大講堂での会議は、何の進展の無いままに無駄に紛糾し……そうして結局、領主がやってくるその日まで紛糾し続けてしまい、答えを出せないままその時を迎えてしまう。
最初にやってきたのは数人の護衛と思われる者達だった。
随分と立派な、高級品だと思われる乗馬服に身を包み、立派な馬に跨り、剣や槍、ハルバードや杖といった武器をそれぞれの方法で携帯し。
厳しい視線で領民達を見やり、周囲を見回り、何か危険なことが無いかと徹底した確認を行う。
そうしながらも威圧的な空気は出さず、領民達への無言の配慮をする辺りは流石かの領主の護衛なだけはあると思わせてくれた。
そうやって確認を終えた護衛達が合図を出すと、更に数人の護衛達に囲われた……今までに見たこともないような立派な馬車がゆるゆると車輪を回してやってくる。
ゆったりと優雅に、焦ることなく少しずつ。
ラヒィト最大であり中心にあるこの町の、街道と町の境目にある広場に……集まった領民達でごった返す広場に、馬車がゆっくりと停車する。
そして馬車の扉が開かれて、何者かの声がして……何者かが馬車の後方、領民達からは護衛と馬車の陰となって見えないそこから降車する。
それを受けて先程まで無闇に会議を紛糾させていた代表者達は、ずいと前に進み出て、これだけは先に決めておこうと、会議の最中に考え出した、歓迎の言葉を一斉に口にする。
『人々の父! 健やかさの友! 貧しい人々の救い手! 芸術と文化と学問の羊飼い!
善良なる公爵、キャロラディッシュ公を歓迎します!!』
馬車に繋がれた馬が驚き、耳をピンと立てる程の大声で放たれたその言葉を、きょとんとした顔で……こんなことを言われてしまって一体どうしたら良いのでしょうと言いたげな顔で受け止めたのは、なんとも可愛らしく着飾った赤毛の、くりんとした赤い瞳を持つ、一人の少女であった。
そしてその少女のきょとんとした表情を見つめた領民達は、釣られて自分達もきょとんした、なんとも間抜けな表情となってしまうのだった。
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