悪徳王
二十歳のハルモア・キャロラディッシュは、人見知りで人付き合いが苦手で臆病で、異性は勿論のこと同性との会話も難しいという、そういう男であった。
彼が饒舌になるのは両親と話している時か、自分の好きなこと……学問や魔術についてを語っている時だけで「魔術について教えて欲しい」と一言問いかけたなら、朝から晩まで、日が落ちてから日が昇るまで、延々と一人で語り続けられるという、そういう男であった。
そんな性分であったが為に、とうに結婚していてもおかしくない年齢だというのに婚約どころか、異性とのダンスすら未経験という有様で……そのことを心優しい両親はとても深く、その心底から心配していた。
心配のし過ぎで両親が胃を痛める程に奥手だったハルモアだったが、その優しい性根と努力を惜しまない性分と、努力で得た知識を惜しまず人々に与える性格であった為に、周囲の同性からは嫌われておらず……むしろ多くの者に好かれ、頼りにされる存在でもあった。
そういった縁から得た友人はかなりの数で……その中には即位したばかりの若き国王と、この国を支える門閥貴族達の姿があった。
出会ったばかりの頃の国王と門閥貴族達にとってハルモアは、その知識を得るために利用するだけ利用して、あとは適当にあしらい、聞こえの良い言葉でもって使い捨てるだけの存在であった……のだが、貴族にしては珍しい、一切の悪辣さの無い、謀略策略という言葉に縁遠いその在り方から、側に置く友人としてなんとも心地好く、都合が良いと重宝されることとなったのだ。
国王達はそんな風にハルモアを重宝するついでにその有様を眺め、見下すことで程良い満足感を得ており……そのことが、そんな態度が、あの事件を引き起こしてしまったのだろう。
「ある日のこと。
馬糞にも劣る元貴族の一人がこう言ったそうよ。
『ハルモアが女と上手く話せないのは、自信が無いせいだ。だから自信を持てるように、一度成功体験をさせてやるべきではないだろうか』……と。
適当な娼婦を見繕い、貴族の令嬢に仕立てあげて、ハルモアに惚れているふりをさせて、一夜の体験をさせてやる……。
……なんとも愚かしいことに、クソジジイと門閥貴族の誰もが、その企みに笑いながら賛成してしまったそうよ」
若き女王エリスがそこで一旦言葉を切り、机の上のティーカップへと手を伸ばす中、話を聞いていたエプロンドレスの女性はその首を横に傾げる。
確かに酷い話だ、そんなことをされたのなら怒って当然の話だ。
しかしその程度のことで、何もかもを……周囲との縁のほとんどを断ち切ってしまうものだろうか、と。
その様子を見て小さなため息を吐き出したエリスは、ティーカップを置いてゆっくりと口を開く。
「ハルモアの両親は結婚当初からお互いを深く愛し合っていたのだけど……運悪く子宝に恵まれない日々が続き、ハルモアは授かったのは三十を過ぎてからのことだったそうよ。
それから二十年が経って五十歳……いつ亡くなってもおかしくない年齢となっていた。
だというのにハルモアは未婚のまま……両親にとっての最後の願いは、臆病で傷つきやすい我が子を支えてくれる良い伴侶が現れてくれること。
……そして現れたわ、国王が推薦する程の良家の令嬢であり、ハルモアを深く愛してくれる女性が。
両親の喜び様は本当に凄まじいもので……そのあまりの凄まじさにクソジジイ達はすぐにでも告げるべきだった真実を告げることが出来ず……そして娼婦は、その状況を利用することを思いついてしまった」
エリスのその言葉からその結末をなんとなしに想像してしまったエプロンドレスの女性は……それ以上の話を聞きたくないと、そんなことを思うが、エリスは構わずに言葉を続ける。
「結果。
ハルモアの両親は多くの財産を娼婦に騙し取られた。
財産を手にした娼婦は大陸に高飛びし、その後の消息は不明。
……ま、多くの財産といっても、キャロラディッシュ家にしてみれば端金だったから、その点は問題ではなかったの。
では何が問題だったのか……両親にとっては息子が深く傷つけられたことが問題だった、国王と門閥貴族達が……息子の友人達がそれを仕組んだことが問題だった。
最愛の息子が絶望の中に沈んでいるというのに、唯一の味方である自分達の命の灯が消えかけていることが問題だった。
……そして両親はハルモアのそれよりも深く暗い絶望の中で命を落とした」
「ああ……」
と、エプロンドレス姿の女性が、暗く重い息を吐き出す。
悲劇の終幕に、最悪の結末に胸を痛めるが……エリスの言葉は終わることなく続いてしまう。
「ハルモアの両親はハルモアを生んだだけあって、世界有数の魔術師だった。
……死の淵に深い絶望に包まれた魔術師が死後どうなるのかはあなたも知っていることでしょう。
未練を断ち切れず、母なる大地に魂を還すことが出来ず、幽鬼と成り果ててしまう。
……ハルモアの両親程の魔術師がレイスとなってしまえば、主犯であるクソジジイ共や娼婦は勿論のこと、多くの罪なき人々がその呪いでもって命を落としてしまう。
深い絶望に沈んでいたハルモアは、それでも両親の魂にそんなことはさせられないと立ち上がり、レイス達と戦う道を選び……そして死闘の果にレイスを、両親の魂を打ち砕いた。
その戦いで発生した魔力の波を……数日経ってようやくリンディンへと届いた波を感じ取って屋敷へと駆けつけた魔術協会の面々が目にしたのは……腐敗しかけた二つの遺体と、その側で昏睡する涙と血に濡れたハルモアだった」
予想もしていなかったまさかの追撃に、女性がたまらずよろめく中、エリスは淡々とした態度で言葉を続ける。
「数カ月後、どうにか回復したハルモアは、クソジジイとこの国に対しての絶縁を宣言した。
クソジジイと門閥貴族達と、その企みを知っていながら止めなかった他の貴族と、助けに来なかった魔術協会以外の組織を、国軍を……この国を絶対に許さない……と。
完璧な準備を済ませての完全な不意打ちでもってそうされたクソジジイ共に打つ手はなかった。
……それまでの数カ月間の間に心からの謝罪をしていれば話は違ったのでしょうけど、会おうともしていなかったのだから、当然の結果でしょうね。
挙句の果てに、なんとも厚顔無恥なことに、クソジジイはハルモアに好きにさせてやるかわりにと一つの条件を突きつけた。
『一度限りの命令権』……クソジジイはこの命令権でもって全てを許してくれと、折を見てそう命令するつもりだったようなのだけど……流石に周囲が馬鹿なことをするなと許さなかった。
それからクソジジイは酒と女に溺れるようになり、国政から距離を取ることになった、という訳よ」
そうして先々代の王は人々にこう呼ばれるようになった。
『外道の中の外道、人の心を知らず、友情に裏切りでもって応える最悪の王、ジョーン悪徳王』
その言葉は、今でも彼の墓碑に刻み込まれている。
削っても削っても、何度も何度も削り消しても、削られ過ぎて薄く小さくなった墓碑を作り直しても、五十年を経ても尚、誰かの手によって刻み込まれてしまう為に。
お読み頂きありがとうございました。
少し重く暗い話となってしまいましたが、次回からはいつも通りのお話となります
それとキャロラディッシュ本人は、もう怒っていないらしいとの補足もしておきます。




