全てのきっかけは……
「きゃ、キャロット様、今の牛さんは一体!?」
「お、大きくて強そう……!」
キャロラディッシュが作り出した鏡から、侵入者達の様子を見ていたソフィアとマリィからそんな声が上がり……キャロラディッシュは首を傾げてから、ゆっくりと口を開く。
「一体も何も彼らは牧場の……。
……ああ、そうか、お前達はまだ猫達が働く牧場にしか行ったことがなかったのか。
彼らは屋敷から少し離れた場所にある牧場で働いている者達でな、主に牛たちの世話をしてくれておるのだ。
……儂としては知恵を与えた牛に、牛の世話をさせるなど、そんな悪趣味なことはしたくなかったのだが、何より本人達が強く望んだのでな、好きにさせておる。
彼らは牛であるがゆえに繊細で怖がりな牛の気持ちをよく理解し、牛にとっての最高の世話をしてくれる、優秀な牧夫なのだよ」
キャロラディッシュがそう説明を続ける中、鏡の中の牛牧夫が動きを見せる。
気絶した男のベルトを汚いものをつまむかのような態度でつまみ、持ち上げ、そのまま外へと、キャロラディッシュの土地の外へと運んでいく。
『あー、やだやだ、ばっちぃばっちぃ。
後でこの辺り一体と、手を洗い流さないとなぁ』
太く力強く響く声でそう言った牛牧夫は、結界が張られていた土地の境界へと足を進めて、その向こう側へと男を放り投げる。
そこに先程のロビン達が降り立ってきて、その足や嘴で捕まえている……武器を奪われ鎧を引き剥がされ、嘴で適度に突かれ見るも無残な姿となった騎士達を解放し、積み上げていく。
『チュリー!』
『え? 何? こいつらが連れて来た馬が牧場に居るって?
おーおー、馬のお世話も一度してみたかったから、ありがたいお土産として貰っておくとしようかー』
ロビン達の言っていることを理解しているのか、そんな言葉を口にした牛牧夫は、鏡の向こうからキャロラディッシュ達の方へと視線を向けて、大きな声を上げてくる。
『キャロット様ー!
見てらっしゃるんでしょー!
オレはここらの掃除した後に馬達の世話をしますんで、その間に結界の張り直し、お願いしますねー!!』
そう言って牛牧夫は、掃除の道具を取りに行こうとしているのか、何処かへと歩き去っていく。
牛牧夫のその言葉を受けてキャロラディッシュは、作り出した鏡を消し去り、ゆっくりと杖を振り上げて結界の張り直し作業をし始める。
「……とまぁ、このように、儂の屋敷周辺には色々な仕掛けと、色々な者達が住んでおるのでな、警備については心配する必要はあるまいよ」
作業を進めながらのキャロラディッシュのその言葉に、ソフィア達はそういえば、そんな話をしていたなと、そんなことを思い……小さなため息を吐き出す。
衝撃的と言うべきか、夢のような光景と言うべきか。
……少しの間考えてみても、どう表現したら良いのか分からない光景を見て、興奮するやら混乱するやらのソフィア達は、それぞれが思ったこと、感じたことをゆっくりと、それぞれのペースでもって飲み込み、消化していく。
そうして少しの時が過ぎて、落ち着きを取り戻したマリィが、恐る恐るといった様子でキャロラディッシュに声をかける。
「あ、あの、キャロット様、ご、ご無礼を承知でお聞きしたいことがあります」
「うん……? なんだ? 遠慮などする必要はない、気になったことはなんでも聞くが良い」
「あの……その、ここまでの結界と言いますか、警備と言いますか、環境を整えてまで、何故お一人での暮らしをしているの……ですか?
なにか理由があってのこと……なのですよね……?」
その質問にキャロラディッシュは、きょとんとした表情になる。
ソフィアかマリィがいずれそういった質問をすることは予想していた。
予想した上で、覚悟もしていたことでもあり……マリィの質問の意図を理解したその瞬間は、いよいよこの時が来たかと内心で身構えてしまっていた……のだが、なんとも意外なことに、あれだけの怒りが、あの件について思い出す度に湧き上がってきていた怒りが、全く、僅かも、たったの一欠片も沸いてこなかったのだ。
ソフィアとマリィの前で怒り狂うわけにはいかないと、構えを取り備えていたキャロラディッシュは、自らのそうした心情が理解出来ず、何故怒りが沸いてこないのかが理解出来ず……そうしてきょとんとした表情となっていたのだ。
そんな表情のまま、しばしの間硬直していたキャロラディッシュは、ゆっくりと顎髭を撫でて、すっかりと慣れたその感触に触れることで、平静さを、いつもの心を取り戻す。
そうしてコホンと咳払いをしたキャロラディッシュは、居住まいを正して二人に向き合い、真摯な目で、態度でもって質問に答える。
「あー……そうだな。
その件についてはお前達が相手であれば話してやっても構わん……のだが何しろ事が事なのでな、なんとも暗くて重い、心底つまらん話になってしまうのだ。
……それと、子供に聞かせるには適さない話でもあってな……数年して、お前達がもう少し大人に、レディになったならその時に話してやろうと思う。
……そういう訳なのでな、とりあえずは……そうせざるを得ない程の、何かがあったのだと理解をしておけば良いだろう」
その回答にソフィアとマリィは「分かりました」とそれぞれにそう言って、キャロラディッシュに負けない真摯な態度でもってしっかりと頷き、納得するのだった。
――――リンディン、宮殿 執務室
威厳と豪華さを備えた宮殿の一室とは思えないほどに狭く、質素で落ち着いたその部屋で、一人の女性がこれまた質素な机を前に手にしたペンを懸命に走らせている。
緩やかな波を打つ金髪、涼やかな蒼い瞳。
若く生命力に溢れた血色の良い肌に、スラリとしたスタイル。
白く質素なドレスを身にまとったその女性は、走らせていたペンでピリオドを打つなり、深いため息を吐き出す。
「この手紙も……また無視されてしまうんでしょうねぇ」
女性がため息の後にそんな言葉を吐き出すと、側に控えていたエプロンドレス姿の女性が、きょとんとした表情になりながら言葉を返す。
「なんだってそんな人に何通も何通もお手紙を?
私の両親だったら、陛下からお手紙を頂いたと狂喜乱舞して、近所中に自慢をして、お祭り騒ぎをした挙げ句に、すぐにでも返事をしようと代筆屋さんを雇っちゃうレベルですよ」
「……しょうがないのよ。
先々代のクソジジイが短慮のままにやらかして、腰が引けた先代が何の手も打たず、そうする間に膨れ上がってしまった大きな爆弾。
それが彼、ハルモア・キャロラディッシュ公爵なのだから……私の代でなんとか、どうにかしておかないと」
「……でもその方、もう良い年なんですよね?
ならもう亡くなってしまえば、はい、それで解決! ってことになりませんか?」
「そうなってくれたらどんなにありがたいことか。
……ハルモアが狙ってやったことではないとはいえ、彼の資産と名声と功績は今やこの国の全てをすっぽりと覆ってしまっているの。
このまま……彼が私達を許さないまま亡くなってしまったら、彼を慕う者達がどんな手に打って出るのやら……。
彼の遺産についてもそうよ、何の整理もしないまま生まれたばかりの子供に譲るなんてことをされてしまったら、どんな混乱が巻き起こるやら分かってものではない。
ハルモアが雇っているあのビルって男……その危険性を承知した上で、問題点を意図的に放置しているのだから、本当に手に負えない。
……ハルモアが、自分の恩人が亡くなった後にこの国がどうなろうが知ったことではない。
むしろさっさと滅んでくれたなら、どんなに胸がすく思いだろうかと、そんな声が聞こえてくるかのようね……」
「えっ……そ、それって本当ですか?
本当にそんなことになっちゃうんですか?
っていうか、そんな風に恨まれるだなんて、先々代の陛下は一体どんな馬鹿なことをやらかしたんですか!?」
その問いに対し大きなため息を吐き出した女性……ペンを走らせていた方の、エリスという名前の女性は、ゆっくりと重々しく、先々代が自らの祖父がどんなことをやらかしたのか、その事情を語り始めるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回は過去編となります。




