1-6 非常事態
半分冗談だった非常事態が起こってしまった話。
取り敢えず、今日は特に予定もないって言うんで、そのまま俺は部屋でごろごろしているしかない。
幸い、全宇宙共通語のTV番組をやっていたから、付けっぱなしで久し振りのトレーニングに精を出す。
腕立て、腹筋、背筋……と、ここまでやって、やっぱり体が重いなぁって実感した。
ふと見ると、船に有るはずの身の回りの物が、きちんと整理されてテーブルの上に置いてある。
「何だか至れり尽くせり、だな」
本当に、もっとこう、融通の利かない……排他的な場所だと思っていたんだけど。
バスルームを覗いてみると、バスタオルや歯ブラシまでちゃんと置いてあって、マジでホテルみたいだ。結構、快適かも。……なんてね。
汗を流した後、期待を込めて冷蔵庫を開けると―――期待通りにビールが入っている。念入りにも、いつも俺が飲んでる銘柄だ。
徹底してるなぁ。これで、食事が初日に食った昼飯ぐらいメチャ旨だと、言うこと無いんだけどな~。
あの時のメシは本ッ当ーに旨かったもんなぁ。
食堂のメニューも決して不味くは無いけれど、最初に食っちまったのがアレだと、どうしても比べてしまう。ツクミさんによると、この本星でも指折りの料理自慢が作ったんだって言ってたっけ。
で、オマケに俺を救助してくれた恩人でも有るらしい。
是非会って、直接御礼を言いたいけど、ここにいる間に会えるとは限らないらしい。
残念だけど。
ザ――――。
不快な音で目が覚めた。どうやら、いつの間にか居眠っていたようだ。
TV放送も既に終わっているらしく、普段は見ない砂嵐が画面を横切っている。
「……いっけね」
握ったままだったリモコンで電源を切って、ちゃんと寝る体勢に入ろうとした時、虫の知らせとでも言うのか、無性に胸騒ぎがした。
「???」
直後、ズシンと建物全体が縦に揺れる。
地震? いや、そんな筈はない。この星は人工惑星だって聞いた事がある。
地震なんてまず、あり得ない!
ウ――――――――。
警戒音? まさか、カクヤ君が言ってた「警報」ってコレの事か?
勘弁してくれよ、折角電磁嵐から助かったのに、こんなトコで死んだら洒落になんねーって!
慌てて身なりを整えて、ドアに耳を寄せてみる。
遠くで銃撃戦をやっているようだ。乾いた音が断続的に続いている。
しかし、だんだん音が聞こえなくなる。戦場が遠ざかっているのか、それとも―――。
そこへ、突然クリアな人の声が聞こえた。
「馬鹿か、お前達はッ!! 彼ら相手にそんな武器など役に立たない!
何度言わせれば気が済むんだ!!!」
怒号、と言うよりはどこか悲哀に満ちた声だと思った。
「死にたくなければ、さっさと下がれ!!!」
そんな声の後に、俺の部屋の前を走り去る、数人の足音。そして、声―――。
「ケッ、バケモノの相手はバケモノにしか務まらねぇさッ」
「里に居るんなら、とっとと出て来いってんだよな」
……やな感じだ。
俺は、その下っ端をして『バケモノ』と称される声の主が気になった、んだけど……くそぅ。このドア、やっぱりビクともしねぇ。どっかにのぞき穴とかないのかな?
あ、あった。来客確認用の様な、レンズが入った穴だ。
「どうして……出てくるんだ……。
外に出て来てしまったら、オレはお前達を“処理”しなくちゃならないのに」
悲しそうな声だと思った。
それにしても、どうしてこんなにはっきり聞こえるんだろう?
距離もあるし、分厚い壁も隔てているのに。
相変わらず、声の主は視界に入ってこないけれど、何か別の物が見える。
―――何だろう?
目を凝らしてみると、その物体が形容しがたい「怪物」というのが正直な感想だ。
ぶよぶよとした肉の塊に、人間の足や腕の形状をしたものがデタラメに生えている。しかも、所々に顔らしき物まで見える。けれど、その口のような場所から滴る半透明な黄色い液体は、床に触れると白煙を上げている。
いや、待てよ―――俺は、似た奴を知ってるじゃないか。
でも……随分離れてるってのに、何故こんな所にアレと似た奴が―――。
だが、思い返そうとすると、鈍い痛みと共に急激に霞がかかったように遠くなる。
何なんだ?! 今までこんな事無かったのに……!?
激しく違和感を感じるが、聞こえてきた”声”に思考を遮られる。
アソコハ キライダ クラクテ ツメタクテ
ワタシ ダッテ アタタカイ オヒサマノ シタデ アソビタイノ
それは、音を伴った声じゃなかった。頭の中に直接響いてくる。
「その気持ちは……解る。
解るけど……外に出たお前達は、人を喰らわなければ生きては行けない。
オレは、外の人達をお前達に喰わせる訳には行かない」
アナタニハ ワカラナイ
ワタシ タチノ キモチ ナンカ……アナタハ「そと」ニ イルンダモノ
ワタシ タチト オンナジ クセニ ナカマヲ コロシテ バカリイル
ウラギリ モノノ アナタニ ナンカ ワタシ タチノ キモチハ ワカラナイワ
「……………」
『無理問答だな。何処まで行っても平行線だ。いつもながら、話すだけ無駄だぞ?』
別な声がした。壮年の男の声だ。もう一人居るのか。
「―――そうだな。いつも通り、か……」
悲しくて、寂しい声。
ずきん。
胸が、痛い……?!
な、何なんだ?
何で急にこんな痛み出すんだ?
どくんどくんどくん。鼓動が、いやに大きく聞こえる。
せつない?
締め付けられるような、痛みはまだ治まらない。
「こんなこと、いつまで続けるんだろうな?」
ソウヤッテ ワタシモ コロスノネ
「……ああ。今までと同じように。そして、これからもずっと」
アナタモ ナニカ ウシナエバ イインダ
タイセツナ ナニカヲ
「―――何?」
ナゼ「いま」カ ワカル?
アナタノ「だいじなもの」ガ ココニ アル カラヨ
怪物が、こっちを見た……気がした。―――俺、の事なのか?
「……ちゃーんっ!」
聞き覚えのある、少年の声がした。
「まさか、カクヤッ!?」
走ってくる足音。
「はぁ、はぁ、にい、ちゃん……」
息を切らせながら少年が喋る。その声は確かにカクヤ君の声だ。
「馬鹿、お前……何故避難していないんだ!!」
「ダ、ダメ……だよ……この、先の部屋に、まだ、ライトさんが……」
「!!」
クスクスクス ホゥラ「だいじなもの」デショウ?
ソウ アナタモ ウシナウト イイノヨ!!
怪物から、鞭のような触手が伸びた。
「カクヤっ!!」
その触手に巻き付かれ、宙づりにされたカクヤ君が瞬間視界をよぎる。
コンナカベ コワシテ アゲル!
また別の触手が、こちらに向かってくる!
とっさにドアから離れたものの、衝撃で吹っ飛ばされた。あの分厚かった壁がたったの一撃で粉砕される。
「……痛っ!」
体が半分、壁やドアだった瓦礫に埋まっている。
アナタヲ イタメ ツケルニハ アナタノ マワリノ モノ……
トクニ 「だいじなもの」ヲ コワス ホウガ
コウカテキ ダッテ オシエテ モラッタノ
ホントウ ダッタ ヨウネ!
何処かにぶつけたのか、瓦礫でやられたのか、目の前はピントが狂ったカメラ越しのようにぼんやりしている。
その、霞んだ視界の半分を怪物のシルエットが遮る。
「……やめろ……オレを、怒らせるな―――」
ようやく見えた「彼」は、ぼやけと逆光になっているお陰で顔がよく見えない。
オコレバァ? コワク ナンカ ナイワヨ
コッチ ニハ「ひとじち」ガ アル…?!
「怪物」が、この時初めて怯えらしい反応を見せる。
「……お前が、悪いんだ。
オレの『大事なもの』を、壊そうとするから」
途切れ途切れに聞こえる「彼」の声は、絞り出すかのように苦しげで……そして、泣いているようだった。
突如、「彼」の発する気が爆発的に大きくなった。濃密な気が、ユラユラとコロナのように立ち上っているのが見える。
綺麗だと、思った。
やっぱり何故か、胸が痛かった。
俺の意識は、そこで途切れた―――。