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9月4日水曜日 まだ当たり前の日常しか知らなかった時

 9月4日。


 一人の少年がいた。

 態度にはあえて出さないけど将来への不安や劣等感など思春期らしい悩みがあって、さらにそれの解消法を欲しがる普通の少年だ。

 そんな彼は今、苛立っていた。


「あ―――クソ、赤信号か」と横断歩道の前で立ち止まっていた。

 彼は中学一年生の男子である。

 名はヒノ・コレスケ。漢字にすると之丞。


 登校する途中で、赤信号に引っかかっていた。

 急いでいるのに、目の前で青い光が赤い光に変貌したのだ。

 なので、今はやる気持ちを抑えて青の光を待っている。

 信号無視しようか迷っている。


 彼はガシガシと寝ぐせのついた硬い髪を掻き、鋭い眼光を信号に向け、脚で地面を踏みつけ、まともにしていれば少女と見まがう程端正で美しいと言える顔を歪め、台無しにしてまで、全身でいら立ちを表現していた。


「ここの信号クソ長いんだよ……」


 ここは周りに人があまりいない通りなので、わりかし大きめの声で堂々と独り言をしながらスマホを取り出す。

 しかしまぁ独り言をべらべら往来で喋る姿は不気味である。


 ヒノはスマホで時間を見る。


「嘘だろ?もう全力ダッシュでも間に合わうか怪しいな」


 不愉快な現実を認識する。

 学校に遅刻することはほぼ確定だ。

 彼はより強く頭を掻く。

 その時スマホに何かメールの着信があることに気づいた。何か大事なことかと思って確認する。


 内容は『あなた老人が倒れています救助実行しますか?しないですよ?その人にこちら』という文面によくわからないリンクがついたものだった。


「……ってこれいかがわしいメールくせえ」


 拙いクソみたいな日本語とどうでもいい内容。

 詐欺だろ、と思ってメールを削除した。

「……老人が倒れてたら助けるのは当たり前だろ」と嘲笑しながら。


 そして青信号になったのを見てスマホをしまい込んで

「ああぁぁぁぁぁ‼‼‼‼‼」


 丁度やってきて転んだ老婆の悲鳴を聞いた。

 そちらに視線を向ける、必死で立ち上がろうとするが足をくじいたようで困難みたいである。


「うっ……なんでこんな時にそんな奴出てくんだ」

 なんで人通りの少ないここに”今日”やってくるのだ、とヒノは文句を言いたくなった。

 この信号を逃せば確実に遅刻、とんでもなく性格の悪いクラスメートである生徒会長”田中”に激怒される。

 ヒノは老婆を無視して学校に向かおうとしたが、心がそれを引っ張って止める。


『助けるのは当たり前だろ』という自分の言葉が、ヒノを許さない。


「う……ぎぎ……クソ……」

 自分で言ったことを無視というのは彼の意地っ張りな性質では耐えがたいものであった。

 そうしたら誰かに馬鹿にされるような気がした。

 しかし遅刻は嫌だし、そもそも助ける義理などないのだと無理にでも学校へ彼は進もうとして……老婆の方にいつの間にか足を向けていた。


 べつに老婆を助けたいわけではない、老婆を助けるような人間でありたいと思っただけだ。


 ―――――――――――――――――――――――――――――

「ここでいいッすか?」

 ヒノは老婆を背負って、近くにある病院の受付まで運んだ。

 彼女はこの病院で行われる定期健診に行く途中で転んでしまったらしい。

 そして、動けなくなったというわけである。


「ええ、ありがとうねぇ」

 老婆は頭をヒノに何度も下げた。

「じゃあ俺はそろそろ」


 ヒノはとっととこの場から今すぐ立ち去って学校に向かいたかった。

 どれだけ頼んでも、時間は待たないのだから。


「ああ、お礼に、お菓子をあげるわ」しかし老婆が話を止めない。逃してくれない。

「あの……」人と会話することがあまりない彼は、上手く老婆をさばけない。

「クッキーと、ちょこれいとのどっちがいいかしら?」

「俺そろそろ学校に……」

「そうだ、いい案を思いついたわ、両方あげるわ」

「ど、どうも……」

 そしてヒノは菓子を二つ受け取った。


「ところで……」老婆がまた何か言いそうになった、その話をされる前にとんずらこいた。


 早く登校したかった。


 当然それから何も起きることなく無事平穏にヒノは学校についた。

 結構遅れてしまったので、少し教室に入るのを躊躇ったが……それでも行くしかないのであった。


 意を決して戸を開けて教室に入ると。

 丁度世界史の授業が終わった直後であり、先生が教室から出ていくところだった。

 彼はゆるいのでヒノの遅刻を怒らずむしろ笑った。


 だけど代わりに、生徒会長である田中くんがわざわざ歩いてやってきて、早口でねちねちと言ってくる。

「ヒノ、二時間目が終わってから来るとはどういうことだ?学校に遅れる連絡もしなかったよな、お前がいない理由を皆に聞いた分、朝のホームルームに遅れが生じたんだ、そのせいでクラスメイト全員が時間を無駄にした、そのことの謝罪は?どうしたなぜ何も言わない、いったいどうしたんだ?遅刻するような低能なうえ謝罪もできない愚図なのかお前は」

 このねちねちはとてつもない高速セリフである、ヒノが反論や謝罪で返す暇はなんてなかった。


 しかし、それでも事情を説明するため「それは!」と口を怒り気味に開けば


「ヒノ!だいたいお前は―――弱いし――――いつもいつも―――‼‼」その瞬間にねちねちが来る。

 いつもこんな風にかなり面倒な相手だ、だからヒノは出会ってからずっと田中君が嫌いだ。

 殴り飛ばしたいとまで思っている。


 もっとも、そういう暴力行為にブレーキがかかるタイプなのでそれをやることは無いが。


 そうこうしていると

「ま~ま~、田中君そんなにいきなりまくしたてたら誰だって中々言い返しにくいと思うよ」

 ヒノと田中の喧嘩に不敵な笑みを浮かべ割り込んでくる少女がいた。

 その少女は髪はちぢれていて前髪が目にかかるほど長い、ハッキリ言って不気味だ、どこか近寄りがたい。


 死相が出ているという言葉が彼女のためにあるのではと思わせるような存在が微笑したまま喋る。


「それに遅刻したのだってしょうがない事情があるのかもしれないし」

「そ、それもそうだな……、ヒノ!なんなんだ事情は!?」


 田中君はその何か歪な少女に突然介入されてひるみ、ヒノをにらみながら問い詰める。


「なんか、年食ったお婆さん助けてた」

「……そのために遅刻して皆に迷惑をかけていいのか?」

 じろじろと睨んでくる田中君の視線が嫌でヒノは目を逸らしながら「……ごめん」と答えた。

「目を合わせろッ!」

 そのせいで田中君は激怒した。

「はいはい、それ以上うだついても意味ないよ」

 と少女が田中君を手で静止する。


 渋々田中君は退散した。


「ありがとう、えー――っと」ヒノは助けてくれた礼をしようとしたが少女の名前を知らなかった。

 見覚えはあるのだけれど。

 ヒノはクラスメートほとんどの名前を覚えていないのだ。


「私はアンズ、下の名前がアンズだからアンズって読んで、さん付はいらない」

「え?でも」

 アンズと言う名前らしい少女はにやにやとしながらヒノの肩に手をおく。

「呼び捨てって人間的でしょう?」ときらりと怪しく目を光らせ言った。


 意味不明だ、そうヒノは思った。

 そして

「私はあなたを何て呼べばいい?」

 彼女はチラチラどこかを見ながら聞いた。

「……どこ見てるんだ?」

 ヒノもアンズに質問した。


「私は監視されてないか常にチェックしてるんだ、実は命狙われるようなことしてるからさ」

「あっ」

 ヒノは危険を感じた。”異常な妄想”らしきことを垂れ流すアンズに対して。

「……俺はヒノ、呼び方は自由でいい、それでいい」

 そう強く答えることで、無理やり会話を終わらせてヒノはその場を離れた。


 なんだか雰囲気的に、違和感のある会話の切り方になったが、仕方ない。

 そうして、ヒノは逃げるように席について少し気になっていたことを考える、アンズと前にもどこかで話していた気がする。

 まぁきっとどうでもいい場面の出来事だと思って、とりあえずさっき貰った菓子を食べる。そこそこ美味くて喜んだ。

「ヒノ―――!学校に菓子の持ち込みは禁止だ―――!」

 田中君がシュバッてきてヒノはイラってきた。


 こうして、大して事件も無くヒノの今日は始まった。

 だから彼はまだ気づけなかった。

 自分が既に、大事件の当事者になっていることに。

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