54、二月九日、午前九時ジャスト。
エレベーターは網目状の格子窓しかない簡易のもので、しかも「地下十七階より下には通じていない」旨、但し書きがされていた。
ベネシュは地下十七階のボタンを連打しながら、精一杯の高速で降りるエレベーターの中で足踏みし、ひっきりなしに通り過ぎていく各階の出口の仕切りのその下方を、じれったそうに覗きこんでいる。
十七階まで、あと三フロア。
* * *
叩きつけられたジャグスは、その拍子に左肩を脱臼した。
こらえる間も無くラルジャンが近づいてくる。
「完全に姿が消せるわけじゃないな」血まみれの銀の男は喉から血を吹きながら、いたって冷静に語りかけた。「消えたように見えるだけだ。目が慣れてしまえば通用しない。チャチな手品だな」
「悪かったね、次は修行を積んでくるぜ」左肩は外れ、左脚も負傷し、あばらも何本か折れている。ジャグスは自分の死を意識したが、それを読み取ったかのようにラルジャンが告げた。
「次はない。おまえはここで死ぬ」
ラルジャンの頭部に設置された機銃のうち、細かく動いているのが二基だけであることはもうジャグスにもわかっている。意識が朦朧としているのか、ラルジャンの反応速度が鈍っていることも見て取れる。
奴の気をそらして奴の背後に回り込むには…
ジャグスは話を長引かせようとして言った。
「あんた、人間でなくなれば、楽に人が殺せると言ったな」
「その話はもう済んだぞ。時間を稼いでなんの得がある」
「俺たちは二人とも死にかけてる。死ぬ間際の生き物には真実が見えると思わねぇか」
「真実?」
「あんたのいう通り、俺たちを造った奴らの目的はくだらねぇ。それが人間の文化ってやつなんだろう。だが上っ面の文化なんてものを超えて生きとし生けるものの姿を見せつけられると、命についてのものの見方が変わるもんだぜ。殺しあうことの意味も変わる。あんたはそんな瞬間に出くわしたいとは思わねぇか?」
「あきらめろ。そんなめでたい瞬間は存在しない。日頃、文化の皮をかぶってナントカ政治運動のリーダーをしている奴も、政治のせの字も知らずにある日テロで殺される奴も、最後の瞬間に知る真実は死だけだ」
「そいつはあんたの信念か? それとも願望か?」
「希望だな。敢えて言うなら」
「あんたとは正反対の意味で『希望』という言葉を使った奴を知ってるぜ。いまは俺なりにそいつの言った意味がわかる」
そのとき、ラルジャンの動いている二基の機銃の根元から回路ショートの火花が上がったのをジャグスは見逃さなかった。
最後の言葉を言うが早いか、緑のカメレオンは銀の男に飛びかかり、全体重をかけて喉首を殴りつけると、倒れこむ相手に馬乗りになって、二基のうち一基の機銃をつかんで力を込めた。
その機銃をへし折ると、残った一基に撃たれる前に後ずさりしてジャグスは言った。
「国家も政治も大人も子どもも、家族や友達も、愛も友情も関係ねぇ。生きてることそれ自体の意味が、いまの俺にはわかる気がする」
ラルジャンは立ち上がると、額の上に取り付けられた最後の機銃に手で触れてから言った。最後のひとつはまだ生きている。
「俺は一度死んで、生まれ変わった。そのとき知った。この世のありとあらゆる文化とやらいうものは、やがて来る死から気をそらすための目くらましに過ぎない。おまえも死んでみれば俺の悟りが真実だとわかるさ」
「殺れるもんなら、殺ってみな」
ジャグスの挑発に乗ったラルジャンは右腕で強烈なストレートを放ったが、ジャグスはそれを間一髪でよけると、逆にその腕をつかんで、あらん限りの勢いを込めて壁に振った。
一基残った光子銃が撃たれたが、当たったのは床から伸びているケーブル数本に対してだけだった。ラルジャンは壁に投げ出されて激突し、すかさず攻撃に転じようと振り向いたが…
ジャグスの姿は見当たらなくなっていた。




