46、二月九日。 独白。
私は寒さに凍えている。凍てつく寒さは私のすべてをやがて凍りつかせるやもしれぬ。だが、私の命、私の中をどくどくと流れる液体、水道。私の中を循環する気流、ガス管。電気、通信、様々なライフライン。私の中に張り巡らされた気管や血脈、そのすべてが凍えて縮みあがりつつも、激しく活発に脈動している。私の中をうごめくものども、無数に溢れかえる人、人、人…彼らも寒さのために震えながら、しかし激しく動き、生きている。ああ、だが「生きている」とは、つまり一体なんのことか。体内に無数の寄生者を宿し、血流を持ち、息をし、鼓動する心臓部を持ち、そして考えることができるのが生命の条件なら、しかり、まさしく私は生きている。私は自ら神経系を伸ばし、血の管を伸ばし、いまも成長を続けている。遠い遠い遥かな昔、私に意識が芽生えた頃、ここには街の姿などなく、私は海に面した荒れ果てた野に過ぎなかった。うごめく者どもの暮らしは単純明快そのもので、誰も生きることへの自己懐疑など持たなかった。あの木の実を数えていた幼子は十五になる前に病にかかり、あっけなく此の世を去った。永遠とは何か。記憶とは何か。あの子は果たして息絶える瞬間、その答を知ったろうか? 私がそれに気づいたとき、私の身体はすでに生命としての私自身を宿していた。あの幼子はかたちある木の実の数を数え続けることが可能なら、ひとは誰もが永遠の存在へと近づけることを知ったのだ。あの幼子と祖母のいた穏やかな土地はやがて欲にかられた漁師が忌まわしい所業を為す呪われた村となり、呪詛の言葉に縛られながら人、人、人で溢れかえり、街路に明かりの灯る活気ある生活圏へと姿を変えた。楽師、文士、売春婦に小役人、俳優に舞台監督。そして酒場の主人たち。彼ら彼女らは私の中でひとりひとりが命を燃やし、あっという間に息絶えていった。馬車は車に取って代わられ、伝令は電話の普及により廃止され、うごめく者どもは私の中で自らを開発していくすべを覚えた。さよう、私という身体の中で、人々はせせこましく生き、やがて死ぬ。どこかで誰かが生まれては、どこかで誰かが死を迎える。私の中には無数のうごめくものどもがいる。しかし、それはそもそも人の体が四十兆の細菌をその身内に宿していることと何ほどの違いがあろう? しかり、私は生きている。うごめくものどもを身中に宿しつつ生きている。愚かなる人間どもよ、ときにはこの永遠に続く記憶の連鎖のことを知るがいい。私は私自身に意識が芽生えるその遥か以前から存在を予言され、その通りに存在するようになり、そしてたとえ私としての街が息絶え風化しようとも、永遠の記憶としてこの宇宙に在り続けることになるのだ。生きているとはつまりいったいなんのことか。人々が文化と名付けて奉る美辞麗句はこの私を解き明かせるか。あいにく、生命の不思議はどんな凡百の表現も受けつけぬ。愚かなるものどもよ、遥かなる時の彼方からやがて来る終焉のことを考えよ。終焉の先に続く記憶の連鎖を考えよ。十五の次の遥かなる数を思うがいい。私は無限。私は命そのもの。私のまたの名は都市と言う。
私は寒さに凍えている。凍えながら、あの忌まわしい緑の爬虫綱有鱗目が受精卵として採取されてのちのことを思い出している。二十五万二千八十四体の冷凍された受精卵が丁寧に選別され、あのものは六体のうちの一体として生を受けた。卵からピンクのぬらぬらした肌を持つあの不気味な赤子が這い出てきたとき、見守る誰もが歓喜の声をあげたことを私は確かに憶えている。あのグレイハウンドは祝福された命ではないと言ったが、果たしてそれは本当だろうか? まだ目も開かず、手足すらはっきりとはかたちにならずにシャーレの上でぴくぴくと動いていたあの生き物は、成長遺伝子の操作により、数日経たぬうちに緑の鱗を持つようになった。私はあのものがきいきいと母を求めて枯れた声をあげていたのを憶えている。初めて目があいたとき、あのものの目に映ったのは温度管理された実験室のステンレスの壁であったろう。初めて自分の足で歩いたとき、行く手はガラスの仕切りで阻まれたろう。あの緑の生き物は初めから生きたロボットになるよう設計され、育てられた。だがそんなことがなにほどの問題か。生まれ出ずる命はみな生きようとする意志を持っている。あの緑のものは並外れて生きようとする意志を強く持ち、殺戮者としての己を受け入れ、すべて考えることを停止して生き続けることを選んだ。そしていま、私の存在をも知るに至った。ああ、それこそ私の望みではなかったか。私の友、私の意図の受け取り手、私という存在への偏見なき理解者となれ。命の不思議に在り来りの飾り立てた愛などいらぬ。意識。生きている己に触れる自己意識。私のような巨大な命は、飛びあぐねる一匹の小蝿にすら命の自覚・反応があることを知っている(ぷーん)。愚かなる緑色のカメレオン。爬虫綱有鱗目。私の存在をおまえならどう思う? 私は無限。私は永遠。私という存在は命そのもの。私のまたの名は都市と言う。
私は寒さに凍えている。凍えながら私は思い出している。あの幼子が木の実を数えて夜を過ごす遥か以前、まだ人の住処ができる遥か以前、その荒れ野には山から降りてきた二頭の狼がやって来た。その年の冬はとりわけ寒く、彼ら狼の餌となる生き物は山から姿を消していた。北から現れた片方の狼は雌で、子どもを三匹連れていた。親子はやっとの思いで見つけた山鼠を殺し、分けあって食べようとしていたのだが、南から現れたもう一頭の雄の狼はその食料を奪う気だった。食べ物を守り、子どもを守ろうとする雌狼は、突然あらわれた雄狼と闘った。両者はにらみ合いから吠え声をあげ、互いに飛びかかり、お互いの喉首に食らいつき、倒れ込んでもつれ合い、牙を立てて相手を嚙み殺そうとした。激しい唸りと蹴り合いとが決着したとき、雌狼は片目を潰され、片脚を食いちぎられて倒れたまま起きあがれず、雄のなすがままに転がされた。雌の子どもらは逃げる間も無く三匹とも殺された。だが何が酷い? 山鼠は雄狼の食料となった。三匹の雌狼の子どもらもまた、食料となった。永遠も無限も知らぬ愚か者どもに告ぐ。あの木の実を数えようとした幼子と、こうして相争った狼どもと、何が違う。命はときに容赦なく私たちに迫ってくる。生あるものはときに最も邪悪である。命の輝きに無用な解釈などいらぬ。今からあの爬虫綱有鱗目と機械化された暗殺者とは命を削ってさらに争うことになるだろう。それはあの狼どもの争いと何が違う? 私はただ、生きているもの同士の避けられぬ戦いを見守るだけである。ああ、人よ、私の中をうごめくことこそ暮らしの幸せと信じて疑わぬものどもよ、十五の次の遥かなる数をいま思え。私は無限。私は永遠。私はこの社会の、この世界の記憶そのもの。私はまたの名を都市という。文化という白々しい虚名のもとに、まだ闘いたければ続けたまえ。




