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蜥蜴狩り  作者: 惹玖恍佑
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4、二月九日、午前五時十二分。 港区中央通り移民保安省付近。 ベネシュ警部。

藤澤に、もうパトカーから担当指揮者到着の報告をしていいぞと告げると「どちらへ連絡するのでしょうか?」と間抜けな答えが返ってきた。そうか、この男には何も知らされていないはずだな。ベネシュはアルファベットとカタカナと数字の組み合わせを告げた。「覚えられるか?」

「大丈夫です。わかりました」巡査部長はもはや真っ白になっているパトカーの中へ乗り込んだ。


奴が来る。


ベネシュは、さっきから二度も第七課へじかに連絡し、自分は反対である旨を進言していた。


しかし上層部が判断したのだ。


奴が来る。


内閣や首相は、この判断に加わっているのだろうかとベネシュは思った。あるいは第七課の独断かもしれない。あそこにはそれだけの非常時特権が与えられている。


ベネシュが十九歳でこの国へ来たとき、新しい移民法は職業選択の自由をうたうばかりでなく、三年に渡る国語習得のサポートまで認めていた。職業安定所は優先的に正規の仕事を紹介してくれ、それには保険料免除の雇用保険までついていた。


それらがすべて廃止になる。


憶測の好きなタブロイド紙などは、そもそも移民省自体がなくなるのではないかとまで書いていた。


川俣長官の暗殺は、移民法改正に反対する勢力の仕向けたものか?


勢力?


少なくともベネシュが知る限り、そんな勢力は存在しない。議員立法として移民法の改正案が与党から示されたとき、むろんリベラル派は猛反発し、街頭にはいまも連日デモが溢れているが、それらが「勢力」と言えるほどには力を持っていないことをベネシュは知っていた。


移民法、か…。


世界で最も弱者に優しい移民法。


それがなくなる。


ベネシュは我が身を振り返った。アジア地域を転々としてきた彼がこの国で警察官になれたのは「勧誘」によるものだった。


移民・難民を合わせた数が、総人口の十八パーセント以上に近づこうとするこの国で、求められていたのはまさに、アジアや中東各国の内情を詳しく知る要員である。それはベネシュがやって来た頃も今も変わらない。


ベネシュには語学の独特の才があり、この国へ到着した頃、彼はすでに中国語を含む五ヶ国語をマスターしていた。そのことも、増え続ける移民対策に頭を悩ませていた政府の目にとまった。警察で働かないかね? 賃金も待遇も保証しよう。最初の引き合いは「警察官に」というものではなかった。特に尋問や聴取の際には、各国語の俗語までよく理解した通訳が必要になる。ヨーロッパ生まれで中東からの移住者に詳しく、さらにはアジア地域の言語にも堪能なベネシュは、初め、逮捕・拘禁した被疑者への通訳として雇われた。しかし、ほどなく現場の警官たちは、彼の体格に目をつけるようになっていった。各国を旅しながらあちこちで重労働を経験してきたベネシュの身体は、服の上からでも逞しいのがよく分かる。何かスポーツをしていたか? ベネシュは聞かれたことだけに答えた。ええ、昔は陸上競技を。ヨーロッパ人の屈強な男がただ、通訳だけをやっている。噂は警察部内に広まり、やがて公安のスカウトがやってきた。


増え続ける移民による犯罪は警察の慢性的な人手不足をもたらしており、それは公安とて同じことである。正規の雇用と昇進を約束しよう、警察官にならないか?


やれやれ…ひとり、国を出て六年。


ようやっと家族にまとまった金が仕送りできる。


ベネシュには迷いはなかった。


* * *


「警部」

「どうした?」

「連絡完了しました。このあと、自分はどうすればよいでしょうか?」藤澤が聞いた。

「万が一、俺がここを離れるようなら、俺と第七課への連絡をバイパスしろ。権限を俺の責任で、きみに与える」

「了解しました」藤澤は内心の不安と興奮を悟られまいとして、努めて無表情を装った。


「それからな」

「はい」

「念のため、ほかの警官たちを遠ざけろ。第五部から特別捜査官が来る。あまり大勢に見られては困るんだ」

「捜査官…ですか?」

「ああ、正規の警察官ではないがな」

「警部が御存知の方でしょうか?」

「よく知っている。前に一度、仕事をしたことがある」

「私がお迎えするのですか」

「奴に敬語は使うな。その必要はない」あいつに敬語が理解できるのか? ベネシュは知りたくもなかった。


「奴」が派遣されるということは、被疑者を抹殺するということである。逮捕も裁判もなしに。


「お名前はなんという方でしょうか?」

「だから敬語は使うな。…正式な名前はない」

「え?」

「おまえに第一級の機密事項接触権限を与える。許諾書と誓約書にはあとでサインしてもらう。正式な名前はないが、第五部の連中は実験体ニ十八号とか、ジャグスとか呼んでいるようだ」

「ジャグス?」


そのとき、唐突に真っ白な雪の中から白いミニバンが近づいてくるのが見えた。スノータイヤを履いているようだが、それでも雪に足を取られている。警察のマークは付けていない。


来るのが早すぎるな。どこかで待機していたか。


ベネシュは否応なく「あのとき」の初めての「謁見」を思い出していた。


藤澤があわてて近づいていく。


バンの背面のドアがひらいた。

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