24、二月九日、午前七時二十二分。 地下ケーブル坑内。 ジャグス。
相手と会話を交わしながら、水蒸気と神経ガスの混合気体の煙の中を、ジャグスは破損をまぬがれたケーブルの一本につかまり、するすると音もなく進んでいく。
話しながら近づけば、普通は相手が声の移動に気づくものだが、ジャグスには超人的な能力として、接近しながら適度に自分の声の音量を絞る機能が備わっていた。狙い通り、ラルジャンと名乗る相手はジャグスの接近に気づかなかった。
奴はもう、ルガーの射程の範囲にいる。
煙が晴れかかるなか、ジャグスは長い尾だけでケーブルからぶら下がり、両手を自由にすると、半身を反らして靄の中の薄影に向かって狙いを定めた。
「捕まる気がないなら、なぜ逃げない?」
ジャグスが聞くとラルジャンは言った。
静かな自信に満ちた声だった。
「逃げるほかにも手はあるさ」
お互いのあいだをさえぎる白煙が、いま、完全に晴れつつある。
「貴様がただの警官なら、相手にはしないんだがな」
ラルジャンは、拳を握りしめた。
両の手のどこにも、武器は持っていなかった。
【公文書四:音声による交信記録c:極秘のこと】
注:●印は捜査官による発言
●「ただの警官でないなら…なんだ?」
「そっちこそ、三秒以内に立ち去らなければ、俺と勝負する羽目になるってことだ」
●「それは、それは…」
「光栄ですな」ジャグスはルガーの照準をぴたりと右眼に当てながら、ふと、イタズラ心が湧き上がるのを抑えることができなかった。また「心」か、俺にとっては重荷だな。
己に対する皮肉もまた心の作用だと意識せずに、次の瞬間、ジャグスは自分でも予期しなかった行動に出ていた。
第五部はのちにこのとき、この緑のミュータントに仕掛けられた意識のリミッターが外れかかっていた兆候を確認している。彼らはその理由を懸命に探したのだが、皆目、見当もつかなかった。カメレオンは口を大きくあけると、一瞬晴れた靄の中、浮かび上がった相手の右脚を狙って長い舌を飛ばしたのだ。
舌はものの見事に右脚を捉え、絡みつき、ラルジャンと名乗った相手はバランスを崩して後ろへ倒れた。どうだい!
ざまぁみろ! してやった!
それはこの爬虫綱有鱗目の生き物の「心」の動きと言えたろうか?
ケーブルから飛び降りると、ジャグスはルガーを構えたまま標的に近づいた。「悪かったな、タフガイ。こんな終わり方は満足じゃねぇだろうがな。立てよ、おまえを逮捕する…」
最後の言葉は呑み込まれた。
汚水の中から立ち上がったラルジャンは、左腕以外の身体をすべて銀色の特殊鋼に包んでおり、前を向くと同時に、頭部に備えた十基の光子銃を、近づいてくる緑の生き物に向けて一斉に掃射した。




