2、二月九日。午前一時五十分。 港区。 ベネシュ警部。
深夜に最低気温マイナス九度を記録したその晩、ドミニク・ベネシュ警部は、所属する警察庁公安第七課テロ対策第二部から非常用回線を通じた緊急連絡を受け、自分の腹の上でぐっすり眠っていた七歳の息子・涼太を揺り起こさねばならなかった。そうしなければ、ベッドから起き上がることができなかった。
「どうしたの…呼び出し?」幼い息子が聞いた。
「ああ。すまんな」ベネシュは四十八歳。毎日トレーニングを欠かさないので、年齢のわりには機敏なほうだと自他ともに認めている。息子の運動会では、親子参加のリレーで一等を取ったこともある。
「なにか作ろうか?」涼太が眠そうに目をこすりながら立ち上がる。ベネシュはもうパジャマを脱いでいた。
「おまえは寝てなさい。きょうも学校がある」
「学校はないよ」
「なんだって?」
「学校は休みだよ。きのうの天気予報、観てないの? きょうは大雪になるんだよ」
そう言えば、テレビの夜のニュースで、お天気キャスターがそんなことを言っていた。やれやれ。
「大雪の日の夜中に呼び出しを受け、おまえの作るゆで卵だけで、行かなくちゃならんてわけか…」
「ゆで卵以外にも作れるよ。知らないの? ママに包丁の使い方も教わってるよ」
「そいつは新たな問題だな。今度会ったら、ママに注意しておかなきゃならん」
「なにが問題なのさ?」
「おまえの手は包丁を握るには小さすぎる。刃物を振り回すのは、もっと大きくなってからでいい」
「知らないの? 使い方を知らないひとだけが危ない持ち方をするんだ。早くから覚えておけば役に立つことばかりだって、ママは言ってたよ」
涼太の母親、つまりベネシュの別れた妻は調理師の免許を持ち、料理教室をひらいている。そう言えばあいつとの四年間、料理だけは不満を持ったことがなかったな…「いずれにせよ、今は小さなコックさんの腕を確かめてる暇がない。台所にきのうの残りがなかったか?」
「あのポトフ?」
それは、ベネシュがどうにかこうにか作れる数少ないレパートリーのひとつだった。ひと月ぶりの涼太との親子水入らずをどうもてなすか、ベネシュは事前にあれこれ考えていたが、結局のところ仕事は彼に何の準備をする余裕も与えてくれず、昔から妻に言われていた通りのバタバタとした日常に、息子を巻き込むことしかできなかった。ブイヨンを入れて煮込むだけのポトフより何か涼太の喜びそうな肉料理かフライでも作れたら! だが幼い息子は嬉しくてたまらないといった顔で出されたポトフに正対し「おいしい!」を連発した。自分の料理が自慢できるものではないことを知っている父親としては、その大げさな喜び方は胸に刺さるものだった。今また、自分が料理を作るなどと急に言い出して…。この子は俺の喜ぶ顔が見たいのだ。
涼太はまだ眠気の残る頭を振って、ベッドから転げ落ちると「冷蔵庫にあるパックのごはんが使えるから、三十分くれたら、カレーにするよ。人参もまだあったはずだから」着替えも取らずに立ち上がった。
「三十分なんて待てるか。寝不足になってもいいなら十分で作れ」
「それじゃカレー粉を入れるだけしか出来ないや」
ベネシュがにやりと笑って息子の頭を軽く撫でる。「本当の料理上手なら、カレー粉の入れ方次第で旨いカレーがちゃんと作れる。ママなら出来るぞ。無理なのか?」
「言ったね。やってやるさ」幼い息子はパジャマのまま走り出して、寝室を飛び出した。
「十分じゃまだ遅い。五分で作れ」ベネシュは台所に向かって怒鳴り、窓をあけて雪の降り具合を覗き込み(畜生め)、壁に掛けてあったハンガーをとり、シャツをはおり、ネクタイがないことに舌打ちして(えい、畜生め)、涼太のあとを追いかけた。カレー粉を刻むためには包丁を使わなきゃならんじゃないか。見てやらないと。
* * *
もとの妻とは交際していたときから言い争いが絶えなかったが、ベネシュはそれが結婚の障害になるとは考えてもいなかった。プロポーズの前日にも派手な口喧嘩を演じており、今となってはいったい何が原因の口論だったか、それすら憶えていないのだが、よくよく熟考した挙句ーー熟考したと自分では思っていたーーどんなに激しく「対立」しようと、自分が帰るべき場所を確保してくれる女は彼女だけだと、そう信じて婚約指輪を差し出した。おそらくは、それが彼女と付き合いはじめて以後、最初で最後のロマンティックな瞬間だった。
十四歳で親元を離れ、各国を転々としたのち、この島国に経済難民として移住したとき、少なくともベネシュの心には希望の種に近いものが植わっていた。
生まれ故郷の荒廃ぶりは思い出すのも嫌だった。
財政と金融政策の失敗…銀行破綻…軍によるクーデター、…外国からの武装勢力の侵入…国民同士の疑心暗鬼と教派の違いによる差別・被差別…解決の目処が立たないストが続き、裏町の街路では殴り合いが日常茶飯事になり、目つきのよくない麻薬の売人やポン引きが住宅地をうろつくようになった。うんざりだった。強盗と殺人の件数が誰にもわかるほど増えていった。「この国にはもう未来がないな…」父親がとうとうそう言いだすよりずっと前から、ベネシュは、自分が故国を出ていく日が来ることを知っていた。
なぜなら金を稼ぐ必要があったから。
故国には仕事がなかった。
子どもの学費を払えなくなる家庭が続出し、それはすぐに毎日の食費すら維持できないことに繋がった。ハムや卵が二十倍の値段になり、教師たちは待遇改善を叫んでストを打った。「ギャングになりたければ地下鉄の駅をうろつくだけでスカウトされる。人っ子ひとりいない場所で孤独を味わいたければ、学校かスーパーマーケットへ行け」という冗談が流行った。だがそれはベネシュに言わせるなら冗談でもなんでもなく、誰もが窮状に対する打開策を何も持っていないことのみじめな追認としか思えない軽口だった。
ベネシュは三兄弟の長男に生まれたので、父親が次第に酒に溺れはじめると、自分が家計を支えるしかないと自覚するようにはなったのだが、いかんせん、当時のヨーロッパはどこも不況で、そうでなくとも未成年でまだ年端もいかないドミニクを雇ってくれる職場などなかった。
彼はやむなく違法な渡航業者を頼ってーー正規の旅行代理店より安かったから。多くの若者が同じことをしていたーーまず、中国へ行き、港の倉庫で働いた。半年足らずで警察に目をつけられたため出国し、次は東南アジアへ渡り、今度は中国にいたとき見よう見まねで覚えた運転の技術を生かしてトラック・ドライバーになった。年上の運転手仲間は言葉に不案内な彼を温かく迎え入れてくれ、ベネシュは、少ない賃金と引き換えに人のぬくもりを手にしているのだと自分に言い聞かせて仕事に励んだ。
故国への仕送りは、職場に自動運転のトラックが大量導入されるまで続いた。運転手たちは皆、解雇された。組合もなく、誰も文句を言うことはできなかった。
行き場がなくなり困っていたとき、耳に入ったのが、この豊かな島国で移民法が全面改正されたというニュースだった。