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蜥蜴狩り  作者: 惹玖恍佑
13/67

13、千二十三日前。 某所。 ジャグス。

君は恐怖を感じたことはないのか?


クリータスはそう聞いた。ジャグスははっきり憶えている。殺す相手に憐れみは感じなくとも、自分が殺されるとなれば怖さを感じることはないかね。


そのとき、ジャグスとクリータスは、仲間のジョー・シンディの死体を前に、お互いの立場について語り合っていた。


インパラと人間との「掛け合わせ」として生み出されたジョー・シンディは最終試験の訓練に不合格となり、狙撃手に頭を射抜かれて死んだ。立派な角を持つ形のいい頭は、いま、天を仰ぎ見たままカッと見開かれた両眼と眉間にあいた弾痕を中心に、次第に血の気がひいている。


ドーム型のその施設では、一秒間に二百発以上が打ち出される自動式のもりをよけながら障害物の中を移動し、標的を仕留める訓練がくり返された。温度、湿度はそのつど調節されて不快の極限に達するよう設定され、加えてアンドロイドの狙撃手が絶え間なくどこかに隠れて撃ってくる。すべてをかいくぐりながら最終目標としては、逃げる標的を殺すのである。全部で三十種いた実験体はみな「候補」と呼ばれ、爬虫類出身と哺乳類出身と両生類出身の三グループが合同で施設に送られた。連日連夜、休憩も許されぬ中、全員が文句のひとつも言わずに体力の限界を試す試練を受け続けていた。


ジャグスはたったいま「殺処分」されたばかりのジョーの死体をざっと検分すると、クリータスのほうへ振り向いた。候補の一体が不合格として殺されたので、いま、一時的に自動式の銛も、アンドロイドたちの攻撃も停止している。


「こいつも駄目だったか。これで哺乳類出身の候補はあんただけになったな」緑のカメレオンはルガーの弾倉を装填しなおすとクリータスにそう言った。クリータスはしばらく黙っていたが、やがてひと言「いずれ、私もいなくなる」とだけつぶやいた。その首には綺麗に毛並みをブラッシングしたグレイハウンドの頭が載っていた。


「哺乳類出身の候補はどうやらこの仕事に向かないらしい。みんな生きた殺戮機械として働くには、意識が優しすぎるのだ。おそらく課長は、もうそのことを分かっているよ」クリータスの声が震えているのにジャグスは気づいた。「不思議だな。ジョーもそうだったが、あんたら哺乳類には情緒の制御が効いてねぇ」


ジョー・シンディは、生きていたときには哺乳類出身の実験体の中でも特に身体能力に優れて、反応速度の早い優秀な候補だった。第五部が生物学上の実験により、人間以上の能力を持つ暗殺者を創ろうと考えたとき、とりわけ哺乳類の能力を持つものに期待をかけて数多く誕生させたことには、それなりの理由があった。


哺乳類の行動パターンは、もともと人間に近い。


人間に近ければ、敵の人間の行動を予測しやすい。


それにだいたい、人間が暮らす地球上のあらゆる生存可能区域は、ほとんどが分類上哺乳類に属する生き物にとって快適に暮らせるように出来ている。その中のどこかに排除すべき異分子が存在し、かつ普通の人間ではその者を見つけ出せないとなった場合、哺乳類系の「超人」なら容易にその隠れ家を探り出せる。犯罪の発生しやすい地域、犯人の逃走ルート、そして隠れ場所…そうした諸々を割り出して、さらには隠れている者を駆除したいとなれば、人間の思考に近い意識を持つ哺乳類系の混雑種ハイブリッドが役に立つことだろう。


だが、そのような事前のプランは、実際に哺乳類出身の候補たちを稼働させてみると、もろくも崩れた。哺乳類たちは標的を殺すことに次第に抵抗を覚えるようになってしまった。草食系、肉食系を問わず哺乳類は標的を殺せと命じられても「なぜ?」という疑問を解消しなければ動けなかった。


訓練のための標的には終身刑務所から送り込まれた死刑囚が使われていた。候補たちの追跡を逃げおおせれば無罪放免という口約束で。


ジャグスは彼らのすべてをことごとく無情なやり方で抹殺したが、ジョー・シンディやクリータスは少し違った。


殺すには殺すが、ためらうようになってしまった。


殺したあとは悩むようになってしまった。政府が彼らに「委託」したい任務の中には、必ずしも正義の裁きとは呼べないものも、ときたまある。第七課の目的はロボットよりも柔軟な行動をとり、しかし命令は単純にこなしてくれる「生きた殺戮機械」の製造である。だが、なんの個別的理由もなく標的を殺すことは、なぜか哺乳類には難しい相談だった。ラボは彼らに関する限り、情緒の制御に失敗した。


「君がうらやましいよ。冷血という言葉は君にとっては褒め言葉だ」クリータスは押し殺した声でジャグスに言った。皮肉ではなかった。犬と人間のハイブリッドであるクリータスは悲しげに低く唸った。


「俺はこいつにもあんたにも同情できない」ジャグスは仰向けに固まりつつあるジョー・シンディの顔を軽く蹴りつけながらそう言った。「申し訳ねぇ。同情する気持ちが湧いてこねぇ」

グレイハウンドは舌をペロリと動かすと笑って言った。自然な笑い声だった。「その『申し訳ない』というのも、君にとってはかたちばかりの挨拶でしかないだろう? わかっている。君が私やジョーに同情などするわけもない。実際、君が徹底して冷徹になれるのは、我々が課された任務に関する限り、素晴らしい特質だ」

「それはあんた流の冗談か、クリータス。あんた、自分を生み落とした人間どもを恨んでるのか?」

「誰を恨むということはない。だが自分の運命を呪いたくなるね。我々は祝福されるために生まれてきた命ではない」

この当時のジャグスの脳は、まだ成長が不十分の状態だった。知性はあっても情緒の発達が今よりさらに遅れていた。笑うことの真似事すらできなかった。


いいかね、洒落や冗談に対しては「面白い」と感じたら笑いたまえ。クリータスは「笑い」とは何か、上手く笑うにはどうしたらいいかをジャグスに毎日、伝授した。成長するジャグスの脳は教えを急速に取り込んで発達を続けていた。


もはや単なる物体と化したジョー・シンディの身体を前に、ジャグスは覚えたばかりのやり方でキキキと笑ってみせようとした。

「祝福される命か、そいつは文学的修辞の過ぎる考えだぜ、クリータス。この世のすべての命が本当に祝福されて生まれてくるのか、確かめられる奴はいねえ」

「君は呆れるほどの悲観論者だな。そんな根本すらも疑うのか」

「悲観してるのとは違うぜ。俺はナマの真実ってやつを知ってるだけだ。命には祝福も憎悪も関係ねぇさ」

「そうかな? 君はある面ではまだ成長過程にある子どものような存在だ。知っていると思っているだけかもしらんよ」


ドームにサイレンが鳴り始めた。役立たずの死体となったインパラのハイブリッドを片付けろという合図だった。クリータスは辺りを見渡しながら言った。「あまり時間がない。この死体を処理するために保安員がやって来る。訓練が再開される前に、君にひとつ聞いておきたい」

「うん?」

「祝福も憎悪も関係ないとしたら、君は命というものを何だと思うね?」


サイレンがジョー・シンディを片付けろと非情な唸り声をあげている。


ジャグスは少し考えた。思ってもみない質問だった。


「…猶予、かな」


緑のカメレオンは喉を掻きながら答えてみせた。


「何と言ったね?」

「猶予だよ」二体は大声になっていた。まだサイレンが鳴っている。


「俺たちだけじゃねぇ。生き物は人間どもからゴキブリに至るまで、なんのために生まれたかを知らされず、何のために死んでいくのかを理解も納得もできねぇうちに死骸になる。ある意味では生き物みんな、平等じゃねぇか。俺たちも人間も言葉を使って考えるが、どんなに考えても命てのは、つまりは正解の出せない時限式のクイズみてぇなもんだと思うぜ。チクタク、チクタク、時計だけが進んで、やがてタイムオーバーだ。答えが出ねぇままに俺たちは消えていく。そこにあんたはどんな解釈を重ねる気だ?」

「君はいつもながら雄弁だよ、ジャグス」グレイハウンドは賛嘆の眼差しを投げたが、それもまた、嘘ではなかった。

「君の情緒がたとえどれほど未発達だろうとも、その知性のおかげで私と君には友情が成立する」

「あいにくだがクリータス、俺はあんたの言うその『友情』ってやつも、何のことだか分からない」

クリータスはまた笑った。乾いた笑いだった。「それはどこまで本当なのかな。現在の君には人間的な感情が欠けているとの報告を聞いて、第五部の連中も、われわれ実験体仲間も、それを自然なことだと受けとめている。あるいは君には本当に論理以前の、知力とは別の情緒的な思考はないのかもしれん。だがね」


そこまでだった。


二体とも感度のいい耳を持っているので、保安員たちが近づいてくるのが分かった。


「時間がないな。まぁいい。ジャグス、君にもいずれ、感情とは何なのかを知るときがやって来る」

「そいつは予言か? 願望か?」

「希望だよ。敢えて言うならね。君はいま、可笑しみとは何なのかを知りつつある。それは他者への関心だ」

「ふん」

「君にいま欠けているのは己に対する関心だ。やがて君はそれを知る」

保安員たちがやって来た。

「己の身を守りたい、そう思うとしたら、それはいったいなぜだと思うね」

「本能だ。それ以外に何がある?」

「あるのだよ。これまでに君は恐怖を感じたことがあるのか?」


そこまでだった。保安員たちはジョーの死体を片付けると、二体の私語を注意して立ち去った。


二百発の銛が降ってきた。


その翌日、ジャグスはクリータスが中断した話をもう二度と聞けなくなったことを知った。その日、早朝の訓練を受けていたクリータスは、自分の意志に従い、標的を殺すことを拒否したために殺処分されたのだった。


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