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蜥蜴狩り  作者: 惹玖恍佑
10/67

10、二月九日、午前五時四十八分。 中央通り公園広場内ケーブル坑。 ジャグス。

「聞こえるか、トカゲ」ベネシュは指揮車からマイクに向かってぶっきらぼうに話しかけた。


「感度良好だ」ジャグスが応じる。頭を下向きにして、垂直に縦坑のはしごを降りていく。一歩一歩、両の後足でバランスをとり、ステンレスのはしごの横木にしっかりと手をかけて下を覗きこみながら。しかし、まだ底は見えない。この緑の爬虫綱有鱗目が下へ下へと移動するたび、長く優美な尾がするすると舐めるようにはしごに絡みつき、止まってはぴたりとはしごに密着しながら身体の動きに連動してまたするりと動く。その尾の動きは大きな蛇のようだった。長い尾が動くたび、背中が盛り上がり、黒革のコートがきしきしと音を立てる。首に巻いたシリコンのベルトの中央に送受信機が光っている。「二十メートルほど降りた。そっちから俺が見えるか?」

「いや、そろそろおまえの姿は確認できなくなりつつある。だが坑内へ入れば坑道には一応、常夜灯くらいあるはずだ」

「灯りはそれだけか。ご親切なこった」

「トカゲの視力では対処できんか?」

「そうでもない。だがな…」

「うん?」

「ひとつ言っておきたいんだが…」

「なんだ」

「あんた、俺と出会ったときからずっと『トカゲ、トカゲ』と言ってるな」

「それがどうした」

「俺はトカゲじゃないんだぜ」

「巡査部長」ベネシュはジャグスの抗議を無視して藤澤を呼んだ。


若い巡査部長はいまだに黒革のコートを着込んだ緑の怪物が縦坑をくだっているとは信じられずにいた。


ベネシュが戸惑ったままのこの若い警官に尋ねる。「もう少しあのトカゲの周囲の音を聞きたい。奴のマイクが集音できるように感度を調整したいが、ここで出来るか?」

「は。しかし犯人はまだ坑内に留まっているでしょうか?」藤澤が絞り出せた言葉はそれだけだった。本当は別のことを聞きたかった。ベネシュは彼の心中を見透かしたかのように、また微笑んだ。

「少なくとも出てきたところは誰も見ていない。見つけるチャンスはある」

このひとは俺がいま質問したら、何か答えてくれるだろうか? 藤澤はさっきからひとつの考えに囚われていた。暗殺犯はその手口からして、おそらくヒューマノイドである。そして、こちらが送り込んだのはあの緑の化け物。二人が面と向かうなら…いや、果たして人間ではないものたちを「二人」と呼べるのか。いずれにせよ、もう間もなく逃げるものと追うものは対峙する。我慢できずに彼はベネシュに短く尋ねた。

「見つけたら何が始まるので?」

「トカゲは奴に攻撃を仕掛ける。それだけだ」


そして期待通りなら相手を殺すが、相手の力が上回っていればこちらが死ぬ。


それだけだった。


ベネシュはこの単純な結論に嫌悪以上のものを感じる自分自身の立場を測りかねていた。俺は警察官である。いま、この瞬間も。そして警察官として殺し合いの指揮を執っている。正しいことをしているのか。


道義的解釈をめぐって揺れる自分の心にあの緑の生き物への微妙な「懸念」が浮かぶことも、ベネシュを思い悩ませていた。


相棒。


奴は俺の相棒なのか?


「いま、三十メートルを過ぎたかな」スピーカーからジャグスの声がした。「コンクリの床にたどり着いたぜ。この床にまたひとつ、下へ向かう入り口がある」カメレオンの声はマイクを通しても明瞭だった。「さらに地下へ通じてる。こいつも降りるのか?」

「地図にも書いてある。それが本道へ通じる縦坑の第二の扉だ。構わずあけて入れ」

「いや、もうあいてる。今度は力任せにあけた跡もねえ」

「奴が中へ入った証拠だ。写真を撮っておけたらよかったが」

「残念かい。なにごとも計画てのは計画だおれに終わるもんさ。事前に考えたことの一割も実行できれば、その指揮官は有能ってことになる。あんたは有能かな。へへへ」

「無駄口はいい。中へ入れ」


* * *


ラルジャンの人工聴覚に誰かが話しているかすかな囁き声が聞こえた。複数ではない、ひとりだ。


もうじき彼のいる坑道には水が溢れてくる。


どうする? 水を避けて横穴に入るか。


だが、たった一人で彼を追ってくるとは何者だろう? 警官か? S.W.A.Tか? 軍人か?


ラルジャンは興味を抑えきれなかった。


* * *


「ああ…」スピーカーを通してか細いうなり声が聞こえ、ベネシュはすぐに応答した。「どうした。何かあったか?」

「本道が近いな。ぼんやりだが、灯りが見える」緑のカメレオンは降りながらつぶやきを返す。その声に感情はこもっていなかった。

「本道と言ったな。降りきると、ちょうど移民省の下を横断する大きな坑道に出るはずだ」

「わかった。さらに降りる」

どの隙間をどう通り抜けてくるのか、縦坑にはまだ雪がちらちらと入り込んでいた。

ジャグスはよく回る目であたりをくるくる見回しながら地上に向かって話しかけた。

「そういえば、ひとつ、思い出したんだがね」

「なんだ」

「あんた、鷹狩りって知ってるかい?」

「タカガリ? なんだそれは?」

「知らねぇのかい。この国の古い風習だぜ」

「ジャップどもの歴史なんぞ知らん。俺は移民だ」

「おやおや…いまのひと言はなんだい。この国で生まれた奴らを下に見たことは無いんじゃねぇのか? あんたにも差別意識があるっ

てこったな」

「軽い悪態だ。無意識のうちに出る愚痴にいちいち反応してくるな」

スピーカーからキキキと笑う声がする。

「無意識のうちに出る考えは、つまり日頃から感じている思いの表れさ。あんたも差別意識と無縁じゃねぇってことになる」

ベネシュは目を閉じて深く息をした。またしても、家で待つ涼太の顔が頭に浮かんだ。顔つきからして外国人風の涼太は一度ならず学校でいじめにあっていた。ジャップども。ベネシュの苛立ちは妻子がこの国の人間である、まさにそのことゆえに負うことになった精神的労苦への呪詛がかたちとなって現れたものである。黙っているとジャグスがまた言った。「どうしたい? 黙っちまったな。あんたにも差別意識がある。そういうことだな」この実験室が生んだ化け物に人間らしい情緒が本当にあろうと無かろうと、少なくともひとの神経を逆撫でするすべには慣れているらしい。

「そんな批判めいた人間観察をどこで覚えた」

「あのラボで日がな閉じ込められていると、退屈でね。本を読むしかやることがねえ」

「本を読んで人間批判を学んだか。タカガリとやらも、本を読んで覚えたのか?」

「そういうこと。あんたが知らないとは意外だね。この国へ来てもう何十年にもなるだろう?」

「俺のことも調べたのか」

「怒りなさんな。ただ、それだけ流暢にこの土地の言葉を話せるとなればな…こっちへ移住してから十年や二十年じゃあるまい。しかも移民のくせに警部ときた。警察は移民を信用しねぇ。あんたが昇進するには五年や十年じゃ済まなかったろうと思ってね」スピーカーからまたキキキと笑う声がする。ベネシュはその笑い声をさえぎった。

「俺のことはもういい。要するにタカガリとはなんだ?」

「あんたはスラブ系と見たが、違うかい?」

「正確には違う。俺のことはもういいと言ったろう」

「なに、ヨーロッパ生まれのあんたなら、英語で Falconry とか Hawking とか言えば伝わるかと思うがな」

「Hawking?」

「つまりは世界中で親しまれてきた風習さ」

ジャグスの目には、もうはっきりと下方に灯る小さな明かりが見えていた。

「飼い慣らした鷹を使って獲物を捕らえる狩りのことだ。それに倣えば、こいつは『蜥蜴狩り』とでも言うのかな?」


藤澤がそばで聞いている。ジャグスの次の言葉を耳にしたのは藤澤とベネシュ、二人だけだった。

「俺はトカゲじゃないけども」


ベネシュは出来るだけ感情をあらわさぬよう、静かに応えた。「やはり貴様、皮肉屋だな」


「下に着いた」

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