1撃:迂闊(うかつ)
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――ストレスケア感応品『ナードレット』
「皆さん、いい夢、見られておりますか?
えっ?見た夢なんて覚えていないですって?それどころか、疲れ過ぎてうかうか夢も見られない?そもそも、寝る暇もないですって?
あらあら……
そんな忙しい貴方に朗報です!
素敵な“夢”を見る事の出来るアイテムのご紹介です。
それがこのメンタルヘルスケアガジェット『ナードレット』。
このナードレットは、ミスカトニック大学脳神経心理工学理論生理学ト・メガ・セリオン教授が研究発明したあのテウルギアを唯一継ぐ代物なのです。
しかも、ヘッドセットや特殊なインターフェースは一切不要で、このナードレット1つを額に嵌めるだけで、貴方の好きな夢体験を堪能出来ます。
サーバを介したインターネット等一切不要。勿論、電話線も電波も不要。
脳波の生み出す固有意識を電気的にブーストさせてパーソナルイメージを強化、相互共生拡張複合現実の実現を可能とした、夢のようなアイテムです。
ご承知の通りあのテウルギアはかつて医療器具として公的に認知されておりましたが、残念な事に神経系への深刻なダメージを生んでしまう恐れがあり、今では世界的にその使用の一切禁じられております。
しかし、それは強制的な外的プログラムに不随するメンタルヘルスアプリケーションのインストールによる思想改竄こそが元凶であり、脳波ブーストそのものを否定するものではない、と昨今の脳工学分野では支配的な意見になっております。
このナードレットは、外部から何等かのプログラムを導入する必要は全くなく、使用者個人の想い、即ち、記憶・情報・知識・想像力を原動力とし、使用者本人の自発的な創造、つまり、夢を紡ぎ上げ、それを体験させてくれる安心・安全なアイテムなのです。
その効能は、心理学的見地からメンタルヘルスにおける万能薬的医療機器として広く支持され、疲労回復や精神安定は勿論、更にはゲーム的な使い方からコミュニケーションツールとしての利用迄、兎に角、何にでも利用出来る優れ物です。
1つだけご注意戴きたいのは、本商品はお住まいの地域や所属する団体他、その利用を禁止している場合も御座います。
本商品そのものは全く以て安心・安全なのですが、凡そあのテウルギアにおけます過去の事象に起因する誤解、勘違いに御座います。
本商品の改造や無許可のサードパーティーによる付属品等は禁止とさせて戴き、アルコールや薬物との併用禁止の上、1日当たりのご利用制限時間最大60分を厳守なされます限りにおいて、何等かの健康被害を齎す事はなく、寧ろ、リラックス効果やヒーリング効果、ストレス解消により、仕事や学業の能率アップや集中力の向上が望めます。
でも、お高いんでしょ?ですって??
いいえ、今なら税込価格たったの29,800圓天。
しかも、専用ナードモデムをご利用戴けます場合、10,000圓天引き。
また、お手元に不要なパソコンやモニタ、スマホをお持ちの方は、そちらの引き取りをセットにして更に5,000圓天引き。
更にッ!更に、更にっ!
無料のナードアカウントを新規作成なされた皆様には、更に5,000圓天引き。
全ての割引サービスをご利用の方は、なんと、たったの9,800圓天でこのナードレットを手にする事が出来ます。
勿論、送料無料。
このチャンスを機に、是非、ステキなナード生活を楽しんでみませんか?」
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――とうとう…
ポチッてしまった――
ナードレットの事は、勿論、知っていた。
ただ、こいつの広告は、いつも怪しげなサイトのバナー広告でしか見た事がなかった。
背景色“黒”のアングラサイトや違法アップロード動画をリンクしたエロサイト、著作権違法のコンテンツサイト、小遣い稼ぎ系動画サイト他、大体、こいつの広告は、そんなサイトに載っていた。
当然、そんな怪しいモノに手を出す筈もなく、SNSで空しく拡散されているステマ臭のきついテキストも、軽やかに無視して来た。
今迄は、だ。
しかし――
――しかし、とうとう、心が折れてしまった。
高卒の俺は、どれだけ働いても月30万圓天に遠く及ばないバイトに勤しむ。
薄給にも関わらず、そのバイトリーダーとして他のバイトの面倒を見た上で指導し、まとめなければならない。
口ばかりの正社員とヤル気のないバイト達の間で板挟み、時給対象外のサービス残業で時間を奪われ、他人の失敗の尻拭いをしては、客の我が儘に晒されている。
割に合わないのは無論、分かっているさ。
もっと上手い立ち回り方だって、やろうと思えば出来る筈さ。
だが、俺が敬愛している亡くなった爺さんが常日頃云っていた言葉『若い時の苦労は買ってでもしろ』をずっと信じ、守っている。
人は一人じゃ生きてはいけない、だからこそ、他人を助けろ、そうすればやがて自分を助けてくれる他人も必ず現れる…爺さんはこうも云っていた。
自分の為にこそ、他人の為になれ、それが爺さんの教えだ。
勿論、それだけじゃない。
格好付けでしかない事は俺自身だって分かってはいるんだが、個人的に正義感や責任感を大事にしている。
そりゃ損な役回りだ。
厄介事を引き受けなきゃいけないし、我慢も必要だ。
だが、爺さんはそんな俺を褒めてくれた、自慢の孫だと。
不器用だが、真っ直ぐに生きて行けば、必ず目標に辿り着ける、って。
真っ直ぐに、一直線に、馬鹿正直に、思い切り、それが俺のモットーなんだ。
そんな俺が少し、疲れていた。
バイト先での面倒事に、苦悩していた。
朦朧とする。
俺のしている事は果たして、正しい、のだろうか?
今の俺は、正義、なのだろうか?
そんな、ふとした瞬間、目に飛び込んで来たナードレット。
オカルトへの不信感や違和感、胡散臭さ、きな臭さ、そこはかとない危機感云々…ナードレットへの疑念が刹那ではあったが、喪失した。
今、届いたそれを開け、装着しようとしている。
正しさへの疑念、正義への疑惑、それがそもそもの誘惑だと、その時の俺は気付かなかった。