プロローグ「正義は勝つ」
「漸く遭えたな、隸王!御前を斃す爲、俺は來た……行くぞッ!」
噎せ返る程馨る惡辣な瘴氣の渦、其の眼差し。常軌を逸した背筋に惡寒、正気を保つのは正に至難。
邪惡なる暴君の放つ業を受ける事は即ち、死。故に、非戦闘員は全て避難。
救いを乞う人々の聲無き懇願を受け取り希望への橋渡し。故に、奴を批難。
俺達の果敢さを前にし、奴も感じ取っている筈、滅びの予感。
僞りの王冠を打ち壞し、皆の待つあの町へ帰還。
さあ、いざ行かん!
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「アイン!治癒を頼む」
「いいですとも!」
神性魔術特有の柔らかな光が包み、みるみる傷が癒える。
剣を握る腕が再び力を取り戻す。
額を伝う血を拭い、決意する。
――まだ、イケる…
正直、ここ迄奴が圧倒的な力を持っているとは思ってもいなかった。
いや、予想は、予想はしていたんだ。
不死軍団と呼ばれる亡者の兵を組織する隸王の力は、魔王と呼ぶに相応しい。
単なる僭主として権謀術数を駆るだけではない事も、暴君らしい膂力だけではない事も、勿論、分かっていた。
併し、何て事だ。
複数の属性の魔術に加え、白兵戦に迄長けている。おまけに、その身体に宿る特異性、異常性。
最早、人ですらない。
偏に、化物の類。
その骸骨宛らの風体は、見掛け以上の化物。
絶望的、だ。
尤も、それは一昔前の俺だったら、の話。
今の俺であれば、決して勝てない敵、と迄は云えない。
手の届かない神域の存在、と呼ぶ迄には値しない、その筈、だ。
中距離では俺に勝ち目はない。
奴の魔術の間合は遠距離どころの話ではない。
古代言語ならではの複雑な呪文は、詠唱時間が極端に短い。
中距離でさえ、奴の魔術は怒濤の速度で打ち出される。
既にアインとラナの防護系魔術は打ち砕かれている。
謂わば、俺は無防備に等しい。
もう、接近戦以外、取るべき戦術はない。
左右に体を振り、フェイントを入れつつ、前に踏み出す。
隸王の濁った瞳から打ち出される邪視光を斜に構えた廣刄で受け流し、奴の胸元に突き入る。
軸足爪先にありったけの力を込める。
距離は2メートル。
俺の踏み込みであれば近間。
意識を集中、剣と体の意識を一体化するんだ。
鬭技<劍氣體>。
距離が近付く、より正確に、精密に、緻密に。
150センチメートル、100セン、500ミリメートル、300ミリ、200ミリ、150、100、50…
集中力が高まるにつれ、ミリ単位で敵を捕捉。
捉える。
――今、だ!
突き入れた剣を左脇から横一閃に薙ぐ。
横薙ぎに振るう腕の角度に体重を乗せる為、右小指で柄を握り込み右肘を畳み、僅かに、そう、4°程諸刃を下向きにし、剥き出した隸王の肋を斬る、いや、砕くんだ。
無論、外しても背後の脊椎を砕く二段構えの剣撃。
不気味に淀んだ隸王の眼光が瞬く。
――はっ!?
隸王は微かに左肩を落とす。
左肩甲骨と鎖骨、胸骨の連動に触発され、右肋骨が僅かに浮き上がる。
剣の軌道から目標の肋が上向きに移動し、ずれる。
しまった――
体重を乗せようと刃に角度を付けた為、切っ先の軌道距離も短くなる。
S字に反った胸椎は背中側に大きく湾曲し、切っ先が奴の脊椎に迄届かない。
その距離、2ミリ。
僅か、2ミリ、だ。
併し、今はその僅かが、遙か彼方、遠い、届かない。
――くそっ!
考え過ぎた。
テクニカルに走り過ぎた。
化物相手にロジカル過ぎた。
来る!
反撃、が。
致命的な反撃、が!
くそぅ…――
――ヒュッヒュン!
不意に、一筋の弓矢。
空気を切り裂く音に刹那遅れ、隸王の頭蓋骨が揺れるのを見る。
後方に居たカーマの放った矢が奴の頭蓋を捉え、揺らす。
対スケルトン用の鏃雁股は威力こそ弱いものの、奴の視線を逸らすには十分。
続け様にトゥックウォッカの投擲した流星錘が隸王の両足に絡み付き、自由を奪う。
好機――
仲間のくれた一時の好機、これを逃す訳にはいかない。
躱された横薙ぎで右後方に投げ出されていた剣を手首を利かせ、左肩を内に入れ、体を横向きにし前後に開き、軸足に溜めを作り、右腕を大きく振りかぶる。
鬭技<碎毆斬>!
高々と頭上、弧を描き、唸りを上げて刃が隸王を襲う。
――ゴキャッ!ゴキュ、ゴキキュッ!!
隸王の左頭蓋に廣刄がめり込み、鈍く軋み、どろりとした暗灰色の液体が噴き出す。
その不快な汁こそ、生命を、人を、罪無き人々から奪った命の精髓。
コイツが奪った無垢なる命の欠片。
今、それを手放しつつある。
刃から柄を握る手に、確かな手応えが伝わってくる。
命の波動、いや、ソイツを支える不死のエネルギー源の崩壊の序曲、が。
もう少し――
――いま一歩。
そう、あと一撃。
たった、あと一撃で、決着する。
正義の、正義が、正義は、勝つ!
「い、ま、だ、っ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――本名、入間猛。眞名をグロウ。其れが俺の名
職業は戰鬭士系劍士の超越職“刄霸士”。
ああ、無論、靈鄕錄での話、現實での職業はしがないフリーター、さ。
だが、今はそんな些末な事、どうでもいい。
そうさ、惡しき不死の壓制者“隸王”ウグルゴウン・リーンスダインホッツビィを前に、そんな余裕はない。
ヤツを倒す為に、俺は、いや、俺達は必死にここまでやってきた。
今日、正義は示される――
見ていてくれ、みんな!
――いくぞっ!