夜明
ヒカワ君は膝を抱えたまま、ぽつりぽつりと話はじめた。
「俺には、好きな人がいたんだ。小さくて、元気で、友達思いで。好きな所をあげるときりがないんだけど、そいつには好きな子が他にいて、俺はあいつが嬉々として彼女の話をするのを聞くしかなかった・・・俺が好きになったのは、俺と同じ性別の、女の子が好きな友達だったから」
私は彼の口から零れる静かな嘆きに、黙って耳を傾けていた。
ヒカワ君は続けて語る。
「学校にさ、大きな楠木があったんだ。そこに座るとあいつが放課後に練習してるテニスコートが見えて、俺は暇さえあればそこであいつの練習を見てたんだ。最初はすっごい下手くそでさ、でも、あいつ人一倍努力してたんだよ。誰よりもはやく来て、帰りはぎりぎりまで練習して、それで上達していって、学年が上がる頃にはマネージャーと付き合いはじめてさ。その女の子も可愛いんだよ」
話をしている内に、ヒカワ君の声が掠れていくのがわかった。無理に話さなくてもいい。私はヒカワ君の苦しんでいるところなんて、見たくない。
それでも、これは聞き手の私を媒介して彼が語っている、彼の心の闇だ。私が苦しんでいるヒカワ君を見たくないためだけに、止めるものではない。
「ずっと見てたさ・・・ああ。ずっと」
遠くを臨む彼の両眼には、何が映っているのだろう。この言葉を最後に、ヒカワ君は何も言わずにただ満天の星を眺めた。
「好きな人には、何も言えなかったの?」
「言えなかった。俺は自分の気持ちを伝えるよりも、ゲイだってそいつに嫌われることの方が怖かった。だったらさ、友達でいいって思ってたんだけど、結構キツくてな。こうなったわけ」
びっしりと、まるで呪いのように縫い込まれた糸を指さして、ヒカワ君は自虐的に笑った。それが気に入らなくて、気づけば私は彼の腕をつかんでいた。
「気に入らない」
「・・・俺が、男が好きだってことが?」
「違う。お前が笑ってるのが、気に入らない。もしかして死ぬ前もそうやって笑ってたの?」
一旦冷静になれよ、テルヌマ。頭の片隅の自分が言う。だが開いた口は止まらなかった。
「苦しいときは苦しいって言っていいんだ! 素直に泣いていいんだ! 本心を隠して笑うなよ!! 何がおかしいんだよ!? わけわかんね-・・・」
ヒカワ君の両肩を掴みながら、私は声を荒げた。静かなヒカワ君の、透明な声が振ってくる。
「・・・ねえ、どうして、テルヌマが泣いてるの?」
痛いんだよ。馬鹿。じゃなきゃ泣くもんか。こいつのことだ。誰にも言えず、誰にも言わず、誰にも気づかれず、1人でいたのだろう。
たくさんの友人がいても、すがれる友は1人もいなかった。仮にいたとしても、助けを呼ぶことはできなかったのかもしれない。
それなのに、笑っているこいつが、気に入らなかった。1人暗闇と寒さの中で死んだ心を、笑い話みたいに話して欲しくなかった。
「泣け。ヒカワ。私しか見ていない。だから、泣けよ。無理に笑うなよ」
ありったけの力で、私はヒカワ君を抱きしめた。そうしたって、ヒカワ君のトラウマは消えてくれはしない。わかっている。わかっていても、私はそうする。
そうすることでしか、彼の心に触れることができなかった。
非力さに、涙が出てくる。彼はゆっくりと私の背に手をまわした。
「・・・苦しかった」
耳元で、ヒカワ君の声が聞こえた。それから、嗚咽が聞こえた。
砂丘の夜が、明けていく。
光に包まれながら、私達は2人で、しばらくそのまま涙を流していた。