傷跡
「最初は、ちょっとしたことだった。女の子の話を聞かないで1人でいたことが気に食わなかったみたい。あそこだと『誰かと話をしない人』は排斥の対象だったんだよね。ちいさな噂話がだんだん大きくなって、聞こえるか聞こえないかの場所で悪口をいいはじめた」
それは、白いシーツに零した血が広がっていくのにも似ていた。白いシーツがもう清純な白に戻れないように、クラスの中での私は日に日に肩身が狭くなっていった。
「私が相手にしなかったのも悪かったのかもしれないけど、虐めはだんだん酷くなってってさ。学校ではいつもイヤホンをつけてた。そうすれば、雑音が聞こえなかったから」
「・・・ハンドガンに繋いであるイヤホンは、そのせい?」
ヒカワ君の声が暗闇に溶ける。私は「多分ね」と努めて軽い声音で言った。
「正直さ、虐められる事自体は平気だったんだ。どうでもよかったから。学校はそんなもんだって割り切ってたしね。それよりも辛かったのは、友達が差し出してくれた手だった」
「・・・なんで?」
「比べちゃったっんだよ。友達と、私を。その子、誰にでも優しくてさ、周りにも友達がいて、そんな子が私を助けようとするんだ。辛かったよ。自分がどれだけ学校で不幸かをあぶり出されてるみたいでさ。でも、それって私の気持ちだし、あの子が悪い訳じゃないじゃん。何も言えなかったよね。それで、息苦しくなってさ」
屋上から飛び立った。その結果は、墜落という2文字で終わってしまったけれど。
「テルヌマは、その子を恨んでる?」
私は首を横に振り、眼鏡を外した。赤いフレームが、暗闇で黒く見える。
「恨んでたら、トラウマにはならなかったと思う。あーあ! もし嫌いになれてたら、もっと楽だったんだろうな!」
涙を腕で拭いながら、明るい声で空に言葉を飛ばす。嫌いになるなんて、できなかった。彼女は私を苦しめている対象であると同時に、友達として慕っている唯一の相手でもあった。
「だから撃てなかったんだよ。トラウマを撃つのは、まるでナツキを殺すみたいでさ。だったら取り込まれてもいいかなって。あの時はそう思ったんだ」
でも、きっとそれは違うのだろう。あれは私が作り上げたナツキだ。だから、殺すことにためらいを持つ必要もない。私が殺さなければいけないのは、あの世界でナツキと自分の境遇を比べて絶望した、私自身なんだ。
「次はやるよ。あれはナツキじゃない。あれは、私の心だから。それに、ヒカワ君もいるからね」
「俺?」
「うん。あれ? お前言ってたよね? 協力プレイだって」
「・・・言ったか? ・・・言ったな。言いました」
「はい。じゃあよろしくね。大鎌、頼りにしてるから」
不安で潰れそうなことを悟られないように、ヒカワ君に笑ってみせる。星空の下、フードから見えた口元は、ほんのわずかに上がっていた。
「じゃあ、協力プレイなら俺の話も聞いてもらいますか。でも、1つ約束して欲しい」
「何?」
ヒカワ君はフードを脱ぐと、身体をこちらに向け、まっすぐに私を見た。
「これから俺が何を口走っても、今までと同じように接して欲しい」
私は眼鏡をかけなおし、力強く頷いた。