夜の帳
鎌を杖のように地面に突き刺して、ヒカワ君は立っていた。苦しいのか、息は荒く、前髪の奥に潜む黒い目は大きく開かれていた。
「ヒカワ君」
ヒカワ君は、怯えていた。トラウマの消えた方角を見つめたまま、彼は動かない。どうすればいいのだろう? 私は、彼の心を引き戻す方法を知らない。
どうしていいのかわからなかった私は、ヒカワ君の白い頬に手を当て、無理矢理彼の瞳を私に向けさせた。
「テルヌマ・・・?」
彼の口が、抜け殻のような声を出す。よかった。ヒカワ君が戻ってきてくれた。
「そうだよ。おかえり、ヒカワ君」
ヒカワ君の白い頬から流れる熱い滴が、私の手を伝う。彼から溢れる涙の訳を、私は知らない。私のトラウマが私だけのものであるように、ヒカワ君のトラウマは、ヒカワ君にしかわからない。私には、彼の涙を拭うことしかできなかった。
「オカアサン ナイテルノ? カナシイノ?」
「カナシイ?」
「・・・」
いつの間にか、あの3人の子どもたちがこちらに来ていた。1番目の子どもが、私のスカートの裾を掴みながら、こちらを見上げている。
「オカアサン ナカナイデ ボクタチ イイコニ スルカラ」
どうやら、チワワの着ぐるみを着た1番の子は、ある程度言葉を話せるようだ。私はなるべくあの空洞の目を見ないようにしながら、小さな男の子の頭を撫でた。
「イイナー」
「・・・」
・・・無いはずの視線に耐えきれず、残りの2人も同じようにして撫でた。プードルの着ぐるみを着た3番目が嬉しそうにしている頃には、砂丘の太陽はもうすっかり沈んでしまっていた。
満天の星の下、火も起さずに砂漠に座り込む。生きている身体なら低体温にでもなっていただろうが、この身体は寒さは感じれど、体温が下がることはなかった。今まで空腹も感じない、汗を搔いても身体が乾くこともない。砂丘でまるで何の不都合もないように過ごせるのが、死んでしまったなによりの証拠なのかもしれない。
隣に座るヒカワ君は、あれ以来言葉を発することなく、フードを深く被り蹲っていた。星空以外の明りがないから、目を離せばヒカワ君が闇に溶けて消えてしまうようで、私は落ち着かなかった。
3人の子どもたちは私に寄り添い、すうすうと寝息を立てている。この子どもたちは眠気を感じることができるのだろうか。覚醒して眠気など感じない身体が、少し悲しかった。
「ヒカワ君、起きてる? ほら、見て、星が綺麗だよ」
「・・・うん」
長い沈黙の後、ヒカワ君は頷いたが、そのフードを脱いで顔をあげようとはしなかった。
トラウマと対峙すること。それは自分の影と向かい合うことなのだろう。自分の暗闇は、自分でしか照らすことができない。それはアレに襲われた時によくわかった。
でも、助け合うことはできるはずだ。あの時ヒカワ君が私を助けてくれたように。互いのトラウマを倒すことができなくても、その心に寄り添うことは、きっと不可能じゃない。
だから――――
「私さ、学校で虐められてたんだよね」
私は私の傷跡を、自分でこじ開けた。