トラウマの砂丘
立ち入り禁止の屋上は、思ったよりも空が近かった。
耳元のイヤホンからは、流行のボーカロイド曲が流れている。
虚ろな意識の中、太陽に手を伸ばす。
空想の翼では空は飛べない。わかっていたはずなのに。
視界が落ちる。身体が落ちる。脳が震える。
それきりだった。
ほんとうに、私はそれきりだったのだ。
呼吸すら苦しいほどの暑さの中、私の意識は覚醒した。
「・・・あっつ」
空が青い。雲なんてこの世に存在していないとでも言うように、一面を青が覆っている。身体を焼き尽くすかのような白い光が、ただ煌々と私を照らしていた。
とりあえず、起き上がる。ここはどこなのか、私はなぜここにいるのか。知らなければならない。だって私には、学校の屋上から飛び降りた記憶から後がないのだから。
地表は、どこまでも砂丘であった。遠くには何も見えない。人もいない。広がる素朴な景観は、世界史の資料で見た砂漠を彷彿とさせたが、ここに生命の気配は感じない。太陽も、空も、どこか作り物のような気がしてならなかった。
歩く。ひたすらに歩く。いつの間にか白いブラウスには砂ぼこりが張り付いていた。
「ここどこなんだよ・・・」
嘆きながら、地面に膝を折る。スマホもない、音楽プレイヤーも電源がつかない。なんで私がこんな不幸な目にあっているのか。この世に神様がいるのなら教えて欲しかった。
「そうですね。では、お答えしましょう」
空から声がする。見上げると、自分が浮いていた。
・・・わけがわからないかもしれない。だが、私もわけがわからない。もう1人の自分が、空にいるのだ。気味が悪いにもほどがある。
もう1人の自分は無機質な眼を向けると、私の声で淡々と話した。
「ここはトラウマを持って死んだ死者が、自分と向き合う為にくる砂丘『トラウマの砂丘』あなたはここで、あなたのトラウマと対峙しなければなりません」
「トラ、ウマ?」
嫌な記憶の蓋が開きかけ、慌てて押さえ込んだ。自分が死んだのは、自分が1番よくわかっている。でも、なんでこんな目に合わなければならないのか。死んだら全て、終わりではなかったのか?
もう1人の私は、自分の耳をちょいちょいと指さした。
「ですが、トラウマを1人で克服するのは難しいことです。最終的には自分の手でしかトラウマは克服できませんが、助けを得ることはできるのです。例えば、そのイヤホンとハンドガンは、あなたの心の武器です」
耳を触る。そこには、イヤホンピースが入っていて、コードが胸から腰のホルターまで伸びていた。
イヤホンだ。だが、繋がれた先は音楽プレイヤーではない。イヤホンのコードはオートマチック式のハンドガンの、銃弾が入る部分に繋がれていた。
どうして私は、今までこんな物を持って歩いていたことに気づかなかったのだろう?
「そこには、弾丸が6つ入っています。打てば間違いなく何かを消滅させますが、弾丸は同時にここでのあなたの命だと思ってください。全弾打てばあなたはこの世界から消滅します」
「消滅・・・?」
「死んでいますから。これ以上の死はありません。ただ消えるだけです。では、よきエピローグを」
空の私が背を向ける。私は慌てて呼び止めた。
「ま、待って!」
「何か?」
「意味がわからないんだけど、もし、トラウマと向き合えなかったらどうなるの?」
空の私には、まるで鷲のような羽が生えていた。彼女はそれを太陽にはためかせながら、去り際に突き放すような口調で言い残した。
「・・・あなたのトラウマに取り込まれ、絶望の中消滅するでしょうね」
彼女の羽が、砂漠に落ち、蒸発するようにして消える。
私は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。