ヒトにまぎれたぬき。
モノを化かすのは得意なんだ、それくらいしか取り柄がないからさ。でもそれを悪用するつもりなんてこれっぽっちもない。それなのに、いつだって人は自分勝手だった。
僕が人前に出るためには"化ける"しかない。それはとても簡単なことだけど心のなかでは複雑だ。
僕らが本来の姿で人前に出てしまったら、彼らは自分たちの都合で僕らを森へと追いやる。悪さをしに来たと、ここはお前たちの縄張りではないと。先に手を出してきたのは人だというのに、なんと身勝手な奴らだ。
「おじちゃん、これちょーだい」
「はいよー」
ちゃりんと音をたてながら銀に光る硬貨は僕の手からおじちゃんの手へと落ちていく。このお金だってちゃんと"人"として稼いだものだ。そして代わりに物を手にいれる。きちんと人の理のなかで生活しているのだ。
耳も尻尾も人の目につかないように隠して、元来の自分を殺していると仲間に罵倒されようとも、僕はこうして生きている。人が悪いわけではないし、僕らが悪いわけでもない。ただ、相手の事を知らなすぎるのだ。
「これ、おまけにやるよ」
にかっと歯を見せ笑うおじちゃんは、僕を人の子だと信じて疑わない。こうやって時々おまけをくれるおじちゃんだけど、僕は知ってるんだ。僕らの事を毛嫌いしているって。
いつだったか、僕が買うものを悩んでいたときにおじちゃんはこう言った。
「坊主、これなんかどうだ?裏山のタヌキがいっぱいつれるぞ」
それは僕らの天敵とも言える、人が作った罠だった。そしてこのとき僕は人が自分の力を示すために面白半分にタヌキを狩っていることを知った。そして、見せしめのように干上がった仲間の死体を山に捨てに来ることのわけも。
「これから寒くなるからタヌキどもが畑を荒らしに来るだろう?そこをひっつかまえて干し肉にするのさ。家においとけば非常食になるし、腐ったら山に捨てればいい。なに、もとあったとこに返すだけだ」
おじちゃんはガハハと口を大きく開けて笑っていたけれど、聞いている僕の背中は汗でびしょ濡れだった。
人と僕らは共存できると思っていたのに、そう思っていたのは僕だけだったんだと痛感した。けれど、僕は人里に降りることをやめなかった。ここでやめていればどんなによかったか、そのときの僕に教えてやりたい。
日が進むに連れて、人は僕を仲間だと認識し始めた。給料はよくないけれど仕事は順調だったし、仕事上がりには遊びに誘われた。そして人里に家を持つようになったある日、事件は起きた。
自分自身ですら人であると錯覚していた僕は、いつものように仕事場へ出掛けた。ガタガタと立て付けの悪い玄関を閉め、細い裏道から大通りに差し掛かったときだった。子供がタヌキを痛め付けていたのは。
いじめられた亀を助けたら、竜宮城にいける。なら、タヌキを助けたら?そんなのは愚問だ。偽善者呼ばわりをされて陰口を叩かれるに決まっている。特に、タヌキ嫌いなここの村ではそれは酷いものになるだろう。
長年人をやってきた僕にはそれが容易に理解できてはずなのに、体は頭とは違って子供の手を捻りあげていた。
「やめろ!」
大きな声をあげたのはいつぶりだっただろう。少なくとも人に紛れて生活をしはじめてからは怒声をあげるなんてことはなかった。温厚だと評判だった僕が怒鳴り付けるなんてことが珍しいのか周囲にいた人間はじっと僕に視線を送り、それにいたたまれなくなった僕は目の前の子供に視線を落とした。子供の顔には僕の予想通り、困惑の表情が浮かんでいた。なにせここでは大人が率先してタヌキを狩っているのだ。そして子供にタヌキの狩り方を教えるのも大人たちだった。そんな大人の一員みたいな僕が、タヌキの味方をしたのだ。何が起こっているのか子供の頭では処理しきれないだろう。かくいう僕の頭も、タヌキなのだが。
人に紛れて生活をしてきた以上、今さらタヌキを救うことなんてできない。でも、せめて痛みなく殺すことはできるのだ。
「大きな声をだしてごめんね、ビックリさせてしまったかな。でも、踏んだり蹴ったりしては肉は不味くなってしまう。さあ、喉笛をついてすぐに殺しておやり」
いじめられているタヌキはわかっているのだろう、僕がタヌキだということを。そして理解できないのだろう、なぜタヌキである僕が、同じタヌキを殺そうとしているのかを。きっとこんな姿を見られたら、昔の仲間に裏切り者と罵られるだろうなと思う。でも、仕方がないのだ。生きるためには人に紛れていくことが一番で、そのために少なからず何かが犠牲になるのだ。
「そっか!わかった、鉈をとってくるよ!」
子供はものわかりがよくて助かる。大人の言うことを素直に受け止めるし、何より疑問をもたない。今だってそうだ、僕の制止の声で動きを止めるし、僕の意見に逆らうことをしない。これが口からの出任せだってことくらいすぐにばれるだろう。タヌキのみかただと村八分にされてしまうかもしれない。
それでもやっぱりどうにかしたかったんだ。人になったと思っていても、根っこの部分はかわれていなかった。
僕がタヌキだとばらしたところで、僕も殺されてしまうのならいっそ、かつての仲間が苦しまずに死ぬ為の手助けをして、ぼくはのうのうといきつづけよう。
人に紛れ込んで、この先もずっと。