代償
それからだった。僕が彼女を召喚できるようになったのは。
彼女は現れるとすぐに僕を確認した。すっと僕に視線を投げ掛け、目が合うと微笑み、僕の頭に手を置き撫でてきた。そして、僕の震える手を、優しく包むように握った。そして、僕に言葉をこぼす。
「……良かった、ご無事で」
手を握ってくれるこの人は、僕のことを覚えている。
夢にまで現れる記憶があふれそうになる僕は、ただただ黙って、歯を食いしばり我慢していた。
あのときに重なる光景を前に、僕は震える。
「大丈夫ですよ、ここからは私がなんとかしますので」
僕は、涙を流しながら、大きく頷いているのだった。
急な発光、そして僕は彼女の背中で目が覚めるのだった。
「……良かった、ご無事で」
「あぁ、良かった、ご無事で」
「本当に良かった、ご無事で」
急な発光、そしてその度、僕は気を失うのだった。
「目が覚めましたか?」気が付くと、部屋のベットに横たわる僕に、彼女は、微笑んでいた。すぐ起き上がり僕は訪ねる。
「……やっつけた?」
「えぇ、また人が救われました」
そう笑顔を作った彼女は、少し目を伏せた。
「……ですから、もうそのくらいで、十分です」
「え?」僕は、彼女の顔をまじまじと見ていた。
「もう、あなたは十分頑張りました。これからは私とは関わらないで、人としての営みを大事にしてください。」
「それは、もう呼ぶなってこと?」突然の言葉に僕は混乱した。「どうして、そんなことをいうの?」
「いいえ、呼ぶなということではありません。私は、ただ……」
少し言葉を詰まらせ、一度呼吸を整えた後に、僕をしっかりと見つめた。
「私は、人ならざるものです。このように、人としての形はとどめておりますが、もともとはこの世に留まらざるべき存在。私がこの世に留まり続けるためには、代償が必要になります。」
「代償?」
「はい、代償です。」
彼女は、一切微笑みのない真剣な顔で僕を見ていた。
「代償……それは、私を使役する者のお命を頂くことです。この世に姿形をとどめる代わりに、今この瞬間にも、私はお命……寿命を頂いているのです。」
「寿命って、……どのくらい?」
「私がこの世に留まったのと同じだけの時間です。」
「それだけ、僕は長生きできなくなるってこと?」
「そうです。」そう言って、彼女は寂しそうに笑った。「私は決して、あなたを幸せにするための存在ではなく、幸せどころか不幸にしてしまう存在なのかもしれません」
そう言って、彼女はすっと僕から離れると、窓際に近づき窓を開けた。
「まって」届かないながらも、手を伸ばし僕は叫んでいた。「まだ行かないで!」
「私を引き止めないでください。あなたは進むべき道を見失っています。」
開けた窓から吹いた風が、彼女の髪をなびかせた。表情は見えない。
「どうして、そんなことをいうの?」
涙がこぼれた。その僕の言葉に返事が返ってくることは無かった。
彼女は星空に浮かぶ月を見上げたまま、何度か言葉を出そうとして、ため息を付き諦めたのか、こちらを振り向いて困ったように笑った。
「どうしてもっと器用に生きられないのでしょうか? あなたも、あなたのおじいさんも、……そして私も」
その言葉の終わりと同時に、浴衣姿の女性は、優しく吹き込んだ夏の風へと溶けるように淡く輝いて消えた。