第七話 雷電虎 二将を率いて賊を討たんとし 捷鞭将 智勇を揮いて軍を迎うの事
さて、四人はその日、シロンの好意で邸に泊めて貰う事になった。歓談の夜は誰にとっても楽しいものであったが、この話はこれまでとする。
明くる朝、シセイ達が目を覚ました時には、ケイは既に旅立った後だった。ケイにはシュヴァルツへの参入を勧めようと思っていたのだが、これでは致し方ない。さすれば、昨日名の挙がった雷電虎のショウ=エノを訪ねて、ペイルリヴァーへ向かうのが良いのではないか。
シセイはそうタッカーとベルノに持ち掛けた。勿論二人に異論はない。
三人は身支度を整えると、シロンに一晩のもてなしの礼と別れの挨拶を述べた。
「また近くまで来られる事がありましたら、いつでもお立ち寄り下さい」
シロンは親しみを込めた笑顔で三人を見送った。
「本当に、いつかまたお会いしたいですわ」
シセイは心からそう言った。上流階級と言うものに不信や嫌悪を感じずにいられないシセイやタッカーも、シロンの笑顔にはつい惹かれてしまう。もって生まれた人物の大きさと言うものか、シセイはそれを認めるに吝かではなかった。
そう言った素晴らしい人物と知り合えた事に対する或る種の清々しさを胸の内に感じながら、三人はチオユン家の門を立って行った。
シロン=チオユン。後に彼女の名は、破嵐龍の異名と共にヤパーナ全土に知れ渡る事となるのであるが、それはまだ先の話である。
それから数日後。三人は帝都より百里余り北にある街ペイルリヴァーに到着した。
ペイルリヴァーは、帝都から関北への交通の要衝であるグランパレスの北約三十里に位置し、関北西路--帝都よりフロントブリッジ、ニュータイドランドを経て西海岸沿いに北上し、本島最北端の街ブラオヴァルトに至る街道に面した街である。大きな街ではないが、街道沿いと言う立地条件から人の往来は多く、なかなか活気に溢れている。
この街にはもう一つ特徴があった。関中平野には珍しく、郡守が事実上世襲されている事である。前王朝の時代よりこの街を治めていた旧家があり、ヤパーナ王朝の世になっても変わる事なく、その当主が代々郡守に任命され続けているのである。ペイルリヴァーの郡守を指して「領主」とも呼ばれるのは、この故であった。
その名も高き雷電虎のショウ=エノは、その「領主」家に繋がる家柄だと言う。
「だったら、街の誰に訊いても知っているでしょうね?」
シセイは街中の通りを歩きながら、そう言った。さも気楽な調子である。
それを聞いて、タッカーが眉を顰める。
「ちょっとシセイ、訊くって何を?」
返答の予想は付いているが、尋ねずにはおれない。
「だから、そのショウ=エノって人の家がどこにあるのかを……」
「訊いてどうするのさ?」
「とにかく一度会ってみないと、どんな人か分からないじゃない」
「それでわざわざ自宅を訪ねようってわけ……?」
わざとらしく溜息を吐くタッカー。
「シセイって、ホントお人好しだねぇ……」
「あら、何よ?」
「考えてもみろよ。おいら達が何でショウ=エノに会いに行くんだ? 縁もゆかりもない人間がさ。第一、会って何を話すのさ? 下手なことでも喋ろうもんなら、たちまちとっつかまっちまうよ。いつもいつも、この前みたいにうまく行くわけないんだから」
努めて理性的にタッカーは諭した。流石に往来の真ん中で大声を張り上げて要らぬ注目を浴びるほど、彼は無分別ではない。
しかし、シセイには別の理があった。
「あら、それを言うならシロンみたいに、いつもいつも街中で偶然に会えるとは限らないわよ。まず、顔を繋ぐきっかけがないとどうしようもないじゃない。大体、地元の名士なんて人は、多くの客をもてなす事を誇りの一つにしているんだから、別に怪しまれるような事はないわよ」
「……むぅ」
返答に窮するタッカー。
正直、タッカーは些か驚いていた。何の気なしに出たものだと思っていたシセイの発言が、実は彼女の深い洞察--それも見事に的を射ている--に裏打ちされたものだったからだ。
しかし、彼の意地っ張りな少年の側面は、言い負かされたままで終わりたがらず、何とか抗弁の道を探ろうとする。
「それはそうだけど、でもねぇ……」
その時だった。
「ど、泥棒だーっ!!」
通りを駆け抜ける怒声に、人々の足が止まった。
誰もが思わず声のした方を見る。シセイ達も例外ではなかった。
通りの遥か向こうから、人波がさっと二つに分かれてくる。
その間を走って来る男が二人、一方が一方を追い掛けているようである。
逃げている男は右手に金袋、左手には刃物を煌めかせて、道行く人を押し退け突き飛ばして、こちらへ向かって来る。追い掛けている男はもう顎が上がっており、とても追い付けそうにない状況だった。
周囲の者も、男の凶悪な形相と左手の凶器を恐れてか、取り押さえようとする者は一人もいなかった。
--シセイがはっと気付いた時には、男はすぐ近くまで来ていた。タッカーとベルノはいち早く脇に避難していて、自分一人が道の真ん中に突っ立っている格好だ。
咄嗟の危機に対する反応が、シセイはまだまだ鈍かった。
逃げようと身を翻し掛けたところを突き飛ばされた。
地面に投げ出されるシセイ。
「キャッ!?」
「シセイ!!」
慌てて駆け寄るタッカーとベルノ。
「大丈夫!?」
「ええ……大丈夫よ……」
シセイは俯せの体勢から、心配そうに覗き込んでいるベルノの方に顔だけ向けて、にっこり微笑んでみせる。さらに半身を起こそうとして、彼女は右腕に痛みを覚えた。
「あ痛……」
思わず左手を右腕に添える。その指の間から、血が染み出してくる。
刃が掠っていたらしい。深い傷ではなさそうだが、流れ出る血が実際以上の痛みを感じさせる。
堪らず傷口から目を逸らしたシセイは、ふとその視界にあの泥棒の後ろ姿を捕らえた。
未だ止める者もなく、あたふたと逃げている。その男の向こう側に、ふらりと人影が現われた。
若い男だ。若者は向かって来る泥棒に正対する形で、両足を広げて磐石と立っている。あたかも待ち構えているようであった。
泥棒は強烈な敵意を感じ取ってか、刃物を振り被って若者に斬り掛かろうとする。
「危ない!!」
シセイが叫んだ。
だが次の場面では、かの泥棒は翻筋斗打って地面に叩き付けられていた。斬り付けて来た腕を受け止めての、若者の見事な一本背負いが決まったのだ。
さらに追い討ちとばかり腹に正拳の一撃。これで泥棒は大人しくなった。
一瞬の空白を置いて、周囲の野次馬から拍手と歓声が沸き起こる。
若者は顔に落ちて来た前髪を払うように首を振ると、白目を剥いている泥棒に一瞥をくれて吐き捨てた。
「俺の街で盗みを働くとは、いい度胸してやがる。捕盗府で懲らしめてやるから覚悟するんだな」
言いながら、泥棒の手から金袋と刃物を取り上げる。
「ショウ様ぁー……、ショウ様ぁー……!」
呼び掛ける声がする。見ると、先刻まで泥棒を追い掛けていた男が、すっかり息を切らしてよたよたと歩み寄って来る。
「おぉ、そらよ」
ショウと呼ばれたその若者は、金袋を持ち主に投げてよこした。
受け止めた男は、吹き出して来る汗を拭おうともせず、ただただ恐縮するばかりであった。
「本当に、何とお礼を申し上げたら良いのやら……」
「何、いいって事よ。それより、盗られた物が無事に戻って来て良かったな」
ショウの態度には、自身の手柄を誇るところが微塵もなく、あくまで恬然且つ鷹揚である。
「ありがとうございます……ありがとうございます!」
男は幾度も頭を下げ、厚く礼を述べて帰っていった。
入れ替わりに、二人の捕盗手がやって来た。ショウの姿を認めると、二人とも直立の姿勢で敬礼する。
ショウも軽く手礼で応えると、件の泥棒の方に顎を向けて言う。
「おぅ、不届き者はこいつだ。たっぷり絞ってやりな」
「ハッ!!」
捕盗手が泥棒を引っ立てて行くのを見送ってから、ショウは今度はシセイ達の方へ足を向けた。
シセイは傷の痛みも忘れて、ただ唖然としていた。いや、シセイだけではない。タッカーも、ベルノも同様であった。まさか、あれが雷電虎のショウ=エノ? 自分達の探していた人物に、これ程早く、しかもこんな形で出会おうとは! 運命と呼ぶには、余りにも出来過ぎのようにさえ思えていた。
そんな事情は露知らないショウ、地べたに横座りしているシセイに手を差し出して、
「大丈夫か?」
と問い掛ける。
対してシセイは、頷くのがやっとだった。
「見掛けない顔だな。旅行者か?」
「え……えぇ……」
「そうかい。そいつはとんだ事に巻き込まれちまったな」
シセイの手を引いて助け起こすショウ。
「俺はショウ=エノ。この街の戦士隊長を務めている。どうだい、取り敢えず俺の家に来ないか? 治療ぐらいなら出来るしな」
やはり、彼がショウ=エノだった。都合の良過ぎる展開に、却ってシセイ達はどう対応して良いのか判らない。
「何、俺が戦士隊長を務めるこの街で、盗人ずれが旅人を傷付けるような事件があったと聞こえては、雷電虎の名折れだ。詫びって訳でもねえが、せめてこれ位の事はさせてくれ」
ショウは、シセイ達の戸惑いを遠慮と勘違いしたらしく、にこやかにこう付け加えた。その笑顔、気性のさっぱりした人物なのだろう。シセイにはそう思えた。
「……えぇ、では済みませんけど、お言葉に甘えさせて戴きますわ」
ショウは小さく頷くと、先頭に立って歩き始めた。三人がそれに付いて行く。
「……ハハハ、うまく行っちまったよ……」
後ろでタッカーが気の抜けたように呟いた。
案内された邸は、武門の家柄を思わせる重厚さを十分に備えたものだった。余計な装飾は一切無く、重々しく客人の来訪を迎えている。家人--ショウの人となりに実に良く合っていた。
まず彼は召使に、シセイの腕の治療を頼んだ。彼女の腕の傷は本当に軽い切り傷だったので、ほんの数分で治療は終わった。
その後シセイは応接室と思しき一室に案内された。壁には刀剣や珍しい武具の類が飾られており、卓や椅子もやや趣向の凝ったものが置かれている。先に来ていたショウ、タッカー、ベルノはもう何やら話に興じている。
シセイも席に着き、まずは治療の礼を述べた。
「気にしなさんな。ここは武家だから、傷薬には事欠かないのさ」
ショウは冗談口を叩いて笑っている。つられて三人も笑い出す。
ここで、彼について少し語る事としよう。
ショウ=エノ。この二十二歳の御曹司は、武門の旧家たるエノ家の一人息子である。幼い頃から一通りの武術・兵学を仕込まれながら、独学で忍術までも体得したと言う、生まれながらの戦士であった。武術は全般に通じているが、中でも剣術は破邪颯流免許皆伝の腕前と言う。雷電虎のアダ名は、彼が電気を発する術--魔法ではなく、忍術の応用らしい--を会得している事から付いたものである。
十八の年にペイルリヴァーの戦士隊長に大抜擢されたが、周囲から嫉視反感を買う事がなかったと言うから、その力量は既に衆目の認めるものだったのだろう。事実、着任以降の武勇伝も十指に余り、今では領主ですら、こと兵戦に関する議は必ず彼の意見を仰ぐ、とまで言われているのだ。
だが、彼自身には胸に秘する野心があった。
「この街で幾ら名を揚げたところで、俺の背中にはエノ家の看板が見え隠れする。なろう事なら素っ裸の状態から、己の力量だけでヤパーナ全土に名を轟かせたい。そう言う大きな機会を俺は待っているのさ」
凡人の言ならば、大言壮語か逃げ口上としか聞こえないだろう。しかし彼は、自負心を裏付けるだけの能力を確かに保持していた。そして、“時”を味方に付ける事の重要性も知っていた。徒に功名心に逸る輩のよくするところではなかった。
この話を聞いて、シセイ達は思わず胸が高鳴るのを感じた。もしかしたら、ショウはこの日が来るのを待っていたんじゃないだろうか! 私達と同じく、魔軍と戦う宿星を持った戦士の一人ではないかしら? と思い込んだのも、無理からぬ話であった。
ここぞとばかりに、シセイが真の目的について切り出そうとしたその時。
ノックの音がした。
「誰だ?」
「私よ。お邪魔しても宜しいかしら?」
「エリィか。入って来な」
扉が開いて、一人の女性が姿を現した。長い黒髪を頭の後ろで結い上げ、黒い瞳に柔らかな光を宿した、若い女性である。飛び抜けた美人ではないが、見る者の目を惹き付けずにおかない何かを感じさせる。
「お客様がいると聞いていたけれど、御迷惑じゃなかったかしら?」
「おいおい、客人の前だからって、他人行儀にするなよ。……あぁ、紹介するよ。こちらはペイルリヴァーの郡守アイドゥール伯の娘さん、エリィだ。俺の幼馴染みでね。エリィ、こちらは関西から来られた方達で、シセイ=デュウ、タッカー=コート、ベルノ=オートゥキー」
「エリィ=レム=アイドゥールです。この街にようこそ」
エリィは優雅な物腰で一礼した。三人もそれぞれ礼を執る。
彼女はショウの隣に座を取った。その彼女を見て、ショウは不思議そうな顔をした。
「しかしエリィ、略服で俺の家に来るとは珍しいな。まさか客人に挨拶に来たのか?」
「違うわよ。今日はお父様の正式の使者として来たの」
「正式の使者? 何だそりゃ?」
「お父様の言葉を伝えるわ。『過日、貴官より申請の件について、帝都より回答有り。至急郡府へ出頭するように』以上よ」
「あぁ、あの話だな。やっと来たか……」
得心が行ったと言う表情で、ショウは席を立ち掛ける。
「そう言う事で急ぎ郡府へ行かねばならなくなった。おまけに、どうもこれから忙しくなりそうなんだ。本当なら、もう少し御逗留戴きたかったんだが、申し訳ない」
三人に対してショウは頭を下げた。慌ててシセイは手を振って、
「いえ、あたし達こそそんな大変な時にお邪魔しちゃって……本当に、有難うございました」
そう応えたものの、彼女は話を切り出す大機を逃した事を、心中とても残念がっていた。しかし今は諦めるしかなかった。
「ショウ……」
一方、エリィは不安そうな表情でショウを見つめている。
「ショウ、お父様に何を申し入れたの? 一体これから何があるの?」
ショウは即答せず、目を瞑って頭を掻いた。表情の選択に困っているらしい。が、やおら向き直って、
「本決まりになってから驚かせてやろうと思ってたんだが……俺な、御営軍の将官に任ぜられる事になりそうなんだ」
ほんの一瞬、エリィの目から感情が消えた。しかし、すぐに笑顔に切り替わる。
「そう、なんだ……じゃ、その決定の知らせなの?」
「それがな、親父さん……じゃない、アイドゥール伯の口添えで、中央の高官の推挙は戴いたんだが、任官の前に一つ実績を示せ、と軍は言ってきたらしい。で、俺に課せられる試験の内容が決まった、って話だろうよ」
まだるっこしい話だぜ、とショウは悪態を吐いてみせる。
「でも、ショウ……実は喜んでるんでしょ?」
「ああ、己を試すだけじゃなく、ショウ=エノの名を揚げる絶好の機会だしな……だが、全てはアイドゥール伯にお逢いしてからだ」
目線を交わすショウとエリィ。二人の間ではそれで十分だった。ショウは軽く頷いて、次に三人の客人に今一度挨拶する。
「お客人、縁があればまたお逢いしよう。どこかの空で雷電虎のショウ=エノの名を耳にする事があったら、いつでも訪ねて来て戴きたい」
武人らしくさっぱりした態度。邂逅も明白、別離もまた明白。そんなショウの人柄に好感と敬意を表わすように、三人は丁重に礼を述べて、エノ家を後にした。
「……ダメだったね」
「仕方ないわ、間が悪かったのよ……」
「ハァ……でも、惜しかったよなあ……」
三人とも、ショウ=エノを惜しむ事頻りであった。だがそうかと言って、無為でいる訳にもいかなかった。
「……で、これからどうする?」
「もうここに留まってる意義はないし、次の所へ行きましょう」
「……そうだね」
すなわち、三人はグランパレスから陸奥路--帝都からモントフォルムを経てオトンリジエールに至る、関北中央の山間を走る街道を北に取った。もう一人、名の聞こえた人物をその目で確かめる為に。
話をペイルリヴァーのショウ=エノに戻そう。
アイドゥール伯より彼に齎された課題の内容は、『指揮官として一軍を率い、地方の匪賊を討伐し、民を安んじる事』であった。根が武人の事、ショウに否やのあろう筈がない。
ついては、その任命を受けるべく、早急に都に上るようとも申し渡された。もとより、彼は明日にも発つつもりでいたので、取り立てて慌てる事もなかった。
その晩には、アイドゥール伯主催によるショウの壮行会が執り行われた。如何に分家の頼もしい跡取りとは言え、一武官の官軍入りに領主自らが盛会を催すなど、極めて異例の事であり、この一事からも、領主のショウに寄せる信頼と期待の度が窺い知れた。
その席上、主賓として目まぐるしく対応に追われているショウに、エリィは一言も話し掛けなかった。
やがて会も終わりに近付いた頃、漸く彼女はショウに相対した。
「ショウ……」
「ん?」
「たまには帰って来てね……みんなの事、忘れないでよ……」
そう言って彼女は笑った--笑おうとした。しかし目だけが彼女の意に逆らって、美しい光の珠を作り上げてしまった。
「エリィ……」
「元気でね、ショウ」
微かに涙混じりの声でそれだけ言うと、彼女は急ぎ足で去って行った。
残されたショウ、しかし追わなかった。彼とて木石ではない。彼女の気持ちは解り過ぎるほど解っている。全て解っている上での決断である。今更、引き戻せよう筈がなかった。例え、彼自身が誰よりも彼女の事を想っていたとしても……。
“済まんな、エリィ……”
心の中で彼は詫びた。彼が今、彼女にしてやれる唯一の事だった。
翌朝、ショウは帝都へと旅立つ。その背中を見送る人々の中に、エリィの姿はなかったのだが、この話はこれまでとする。
帝都に到着後、ショウは早々に統帥府を訪れ、賊討伐の任を正式に拝受した。これにより、彼は千余の兵を率いる主将となったのだが、副将として彼の指揮下に入る二名の若い武官にこの時引き合わされている。
一方は名をマイケル=ホワイトロックと言い、関中北西部のホースハード県に駐留する部隊に在籍している。一本気な性格で、学はないが、戦場では重さ五十斤の狼牙棍を得物に縦横無尽に暴れ回る。その戦歴は若さに似ず華々しく、自らも猪武者と呼ばれる事を誇っているような節があった。アダ名を“霹将軍”と言うのは、雷鳴のような怒鳴り声の故だとか。
もう一人はゼノワルド=ブリッジブックと名乗った。マイケル=ホワイトロックとは同期同年で、互いを「ミック」「ゼン」と呼び合うほどの親友である。彼も友に似たのか、勇猛果敢な性格で、自ら“大劈風刀”と名付けた重さ三十斤の溌風刀を片手に、真っ先に敵陣に斬り込んでゆく。その様から“破先鋒”とアダ名されている。
この両名、年は未だ二十歳に足らぬが、勇将たる片鱗は窺える。ショウの目から見ても、それは疑いようがなかった。
この他、督戦官としてダン=デュドネイ=ブホフなる文官が同行する事になっていた。
三将はすぐに出立の準備に取り掛かった。数日後には一軍の兵馬を押し連ねて、都門を出て陸奥路を北上する事となる。
目的地は関北、モントフォルム。敵は盗賊団の頭領、チャバ=ザ=ダーハ……。
関北とは、本来は関中八関の北三関--ノンブニール、ロンゲンティル、ブランフルーヴ--のさらに北部地方を指すが、現在では、くの字形をしているヤパーナ本島の北半島全体の総称としても用いられている。地形は山がちで、半島の中央部に背骨の如く南北に横たわる関北山脈を含め、大小五つの山塊が走っている。その山間の盆地や海岸沿いの平地を縫うように通る関北東路--帝都よりグリュックインゼル、パレスシャトーを経て東海岸沿いに北上し、ブラオヴァルトに至る街道、他に陸奥路、そして関北西路の三本の街道がこの地方の動脈となっている。
気候は寒冷で、特に冬の西海岸は嶺北に匹敵する豪雪に見舞われる。この西海岸は、これも嶺北と並んでヤパーナ有数の穀倉地帯である。一方、東海岸は南大洋に面している地の利もあって、漁業が盛んである。山間部の盆地では果実栽培、林業が主産業となっている。
このような土地柄だが、帝国中央政府の腐爛した弊風は、既にこの長閑な北辺をも覆い尽くしていた。権力を弄んで利を求める役人と、その御零れに与ろうとする亡者共。今の帝国のどこででも見受けられる構図である。
さすれば、この悪世相に反逆する星々が地に宿るのも、言わば当然の摂理ではあるまいか。
帝都の北方約九百里、関北南部の盆地にある街モントフォルム。その南東四十里弱にある、関北山脈の一峰ザオウ山を根城とするミナツバーラの義賊団。関北に点在する盗賊、義賊団の中でも最大の勢力を有するこの集団の頭領が、捷鞭将の異名を持つチャバ=ザ=ダーハである。
チャバ=ザ=ダーハは、モントフォルムの南にある集落ミナツバーラで神官の家の息子として生を受けた。故あって自ら家を出た後、関中の街フラットトゥームの戦士団に在籍していたが、官僚の腐敗振りを目の当たりにして、宮仕えが馬鹿らしくなった彼は職を辞し、故郷へ戻った。だが情勢は中央も地方も殆ど変わりはなく、濁流は清廉なる人物を根こそぎ押し流しつつあった。遂に意を決した彼は、近隣のあぶれ者達を集めて義賊団を結成した。
陽気で気前が良くて自信家、そのくせ儲け話に目がないと言う性格、そして鞭と棍ではヤパーナ一とも称される武芸の腕前が、手下達の彼に対する信頼を支え、且つ勢力拡大に大きく貢献した。また、彼のやり口は非常に徹底しており、なるべく殺生を戒め、豪商や官府は襲っても民衆には決して手を出さなかった。民を苛めるとあらば例え同業者でも容赦せずに叩きのめした。こんな訳で、地元庶民の人気はすこぶる高かった。
勿論官側も手を拱いている筈がなく、何度となく追手を差し向けたのだが、山寨の地の利を生かしたチャバの巧みな戦術の前にことごとく退けられていた。
そして遂に、遠く帝都より遠征して来た、ショウ=エノ率いる討伐軍を迎える事となる。
“帝都より軍勢来る”の報は、義賊団の張り巡らせた耳目によって、既に感知するところとなっていた。情報、それも正確な情報の活用こそが勝敗の帰趨を決する。江湖に飛び交う雑多な情報を収集、そして取捨選択する能力を持たない者は滅び行くしかない事を、チャバはよく心得ていた。
山寨の中央やや奥にある御堂--ここが首脳部の会議場らしい--には、十数人の男達が向かい合って二列に並んで、板の間に腰を下ろしている。
「官軍は総勢一千余、既にここから十日ほどの距離まで来てる。主将に雷電虎のショウ=エノ、副将に霹将軍のホワイトロックと破先鋒のブリッジブックが付いてるって話だ」
向かって右の列の奥から二番目の男が発言した。多分に少年めいた顔に、左の口元から牙の如く覗いた犬歯と、獣にでも引っ掻かれたかのような両頬の傷跡が特徴的である。名をカディ=キルストン、アダ名を“挿翼狼”と言う元盗賊で、義賊団では偵察、情報収集など山寨の耳目としての役割を受け持っている。
「雷電虎と言えば、関中でも名の聞こえた勇者。左右の副将も、勇猛な事じゃあ評判だ。お上も本腰入れて、俺達を退治しに来たって事か」
左列の一番奥--天を衝くが如く逆立った赤毛に碧眼、身に鱗鎧を纏った男が腕組みしながら唸った。元は頭領チャバと同じ戦士団に所属し、義賊団では行動隊長を務める彼はユーディクライム=シュレッダー、一名を“生鉄士”と言う。
「加えて兵力は我が方の三倍。となれば、ここまで引き摺り込む方が得策ではありますが……」
美玉のような白い肌に水色の瞳と水色の長い髪、中性的な雰囲気を備えたこの男は、“白面神人”の異名を持つアルカイック=ベルナール。かつてはチャバの祖父の下で勉強に励んでいた神官だったが、三年前にチャバを訪ねて義賊団に現われ、そのまま居着いてしまった。頭脳明晰な青年である。
「……どうします、チャバ?」
右列の一番奥に位置する山寨の名参謀は、眼鏡の奥から思惑ありげな視線を御堂の奥の壇上に投げ掛けた。そもそも彼は、「チャバを必ず連れて帰る」と言う誓約を立ててやって来たのであり、誓約を果たすまでは神殿に戻る事が出来ないのであった。故に、折に触れてはチャバに帰参を説得していた。勿論チャバは一顧だにしていないのだが。
壇上には、一人の男が片膝を立てて座っていた。無造作に伸ばした茶色の髪と端整な顔立ち、黒い革の上下に包まれた細身だが引き締まった身体。野生の狼を連想させる風貌を持っている。ただ、目尻の垂れ下がった両の目に愛嬌が、微かに歪めた口元に狡猾さが窺える。
彼こそがミナツバーラの義賊団の頭領、チャバ=ザ=ダーハ、またの名を捷鞭将と言うその人であった。
チャバは横目でアルカイックを見ながら、彼の提案に対して--彼の意ある所はわざと無視して--軽い口調で返答した。
「虎と猫を見間違えるような馬鹿は、したくないねえ」
彼は口の端を吊り上げて、虚無的に笑って見せる。この表情と返答から、付き合いの長い参謀は彼の真意を悟って、一瞬肩を竦めて見せた。
「確かに、野戦は敵の力量を正しく示す事でしょう。ショウ=エノがどれほどの男か見極めてから山寨に隠っても、遅くはありますまい」
我が意を得たり、とチャバは頷く。
「まずは討って出る。対応は敵さんの出方で決めよう」
評議は一決し、男達は一斉に立ち上がった。日ならず、山寨全体が慌しく揺動し出す。
翌日には、僅かな寨の守備兵を残して全軍が出陣した。
この情勢に驚き慌てる者が、義賊団の内に三人いた。
「……ねぇ、どうするの、シセイ?」
「どうするって言われても……どうする、タッカー?」
「どうしようもねぇよ……まさか、ショウを敵に回すなんてなぁ……」
言わずと知れたシセイ、タッカー、ベルノの三人である。
彼らは、ケイが“人物”と推すチャバ=ザ=ダーハをこの目で確かめようと、はるばるザオウ山までやって来た。寨門でケイの名を出したところ、彼らはいともあっさりチャバの元へ通された。ここで初めて対面が叶った訳だが、彼が噂通りの人物であると感じた三人は、旅の目的を包み隠さず話し、シュヴァルツの山賊団への加盟と助力を願った。が、チャバは魔王との決戦の件には些かの興味を示したが、シュヴァルツへの加入には否とも応とも答えなかった。他人の下風に付くのを嫌ったのか、それとも何かを待っているのか……。いずれにせよ、容易に言質を与えてくれそうもなかった。
そうこうしていた矢先に、ショウ=エノ来襲の報が届いたのである。
「……取りあえず、おとなしくしてようよ。どうせ、なるようにしかならないんだし……」
「そうね、でも……」
ショウが勝てば、チャバは極刑を免れない。ばかりか、自分達にも類難が及ぶ恐れがある。逆にチャバが勝てば、ショウは命まで奪われはしないだろうが、良くて官から追放、悪くすれば罪人にされる。かと言って、両者痛み分けと言う都合の良い決着があろう筈がない。
三人の思いは複雑だった。
数日を経ずして、両軍はモントフォルム南方三十里のドゥジュモントの地で対峙した。既に双方とも布陣を終え、睨み合いの体勢に入っていた。
ショウは陣内に建てた櫓より、遠く敵方を監視していた。敵は少数ながら、良く地形に沿って陣を巡らし、旗幟からは盛んな意気が見て取れた。
「たかが田舎の盗賊と思っていたが、兵法を心得た奴もいるもんだな。侮っては掛かれんぞ」
とは言え、敵より多勢を擁しながら空しく日を過ごしては、兵の士気にも関わるし、補給の心配もある。
一日、彼は意を決した。陣屋の守りにゼンを残し、ミックと三百余りの兵を率いて出陣した。自ら陣頭に立つその姿は、紺の鉢巻と同じく紺の戦装束、右肩にはエノ家の紋章が縫い取られている。黒鉄の手甲、脚甲は重厚な光を放ち、背には家伝の名刀“凱命”を背負う。赤毛の駿馬に跨った武者振り誠に堂々たり、勇将の片鱗を強烈に見せつけていた。
敵もこの動きに呼応した。さほども進まぬ内に、遥か前方より一手の軍勢が現われた。
先頭に騎乗の将がいる。馬上にあってもそれと判る長身の男だ。黒い革の上下で包まれた全身に、肩当てだけが赤く、異形の魔物の眼光を連想させる。右手に白木の丈二の棍、左腰には革鞭を携えている。跨る馬も大型の六脚馬、それも輝くばかりの青毛に六脚全てが黒いと言う、見るからに名駿である。
その魁偉な出で立ちの敵将に直面して、ショウは戦慄が体中を駆け巡るのを感じた。
“あれが噂のチャバ=ザ=ダーハか……”
後に続く兵も装備こそ雑多なものだが、緊張も油断もなく官兵の一挙一動を睨めつけている。場数を踏んでいる事に掛けては、義賊団にも十分に分がありそうだった。
「将軍、まずはおれが一当りして、敵の実力を測って来ましょう」
ミックがそう申し出て進み出ようとする。それを押し止めて、
「いや、俺が行く」
と、ショウ自ら単騎駒を進めた。
かの敵将も挑戦に応じる如く、一騎で陣前に立つ。
両雄が真っ向から相対した。
「そこにあるは、賊の首魁チャバ=ザ=ダーハか!」
ショウが大声で呼ばわる。
「貴様が関中の雷電虎か。遠路はるばる御苦労。捷鞭将のチャバ=ザ=ダーハ自ら挨拶に来てやったぞ」
対するチャバは、余裕綽々で受け応える。
その態度がまたショウの癇に触った。
「大口を叩くな! 庶民を苦しめ、御政道を騒がす鼠共が! 前非を悔いる気があるなら、今すぐ馬を下りてお縄に付け!!」
「威勢は良いな、青二才」
せせら笑うチャバ。
「腐れ役人の片棒担ぎでひん曲った性根を、このチャバ様が直々に矯め直してやろう。有難く思えよ!」
「貴様ァッ!!」
怒るまい事か、ショウ=エノ、烈風の如く馬を飛ばしてチャバに襲い掛かった。
迎えるチャバは悠然と、棍を構え直す。
背の大太刀を抜き放つショウ。
刀身が燦然と光を発す。
「ィヤーッ!!」
「セイッ!!」
二人の猛者の威を賭けた闘いの幕は、ここに切って落とされたのであった……。
こうして関中の勇と関北の雄が剣戟を交えた事が、共に勇名天下に轟かす嚆矢となるのであるが、果たしてこの激闘、如何なる決着が付く事と相成ろうか? それは次回で。