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水滸伝獣魔戦記  作者: 神 小龍
本編
5/42

第五話  梁上鼠 喧噪に手並を見せ 美髪精 己が星宿を知るの事

 さて、新しいシュヴァルツの山賊団の門出には、様々な仕事が待ち受けていた。

 まずシリウスが率いていた官軍兵については、帰りたい者は去らせ、望む者だけ残す事にした。メグロワの一件が大きく影響したのか、半数近くが残る事を希望した。これで、寨の兵力は旧来の山賊と併せて五百人近くにまで増加した。

 次に頭目の席次の決定。義を売る集団ではこれが重要視される。当然シリウスが首座に就き、それを補佐する人物は気心が知れている方が何かと良いだろうと言う判断からカメとヒロが第二、第三の席に座った。以下、第四席以降をシャオローン、ヨシオリ、デュクレイン、そしてロイが占めた。アリーナは敢えて頭目の席を取らず、常にデュクレインの側にいる事にした。

 そして戦闘で荒れた寨内の整備。守りも固めなくてはいけないが、それ以上に大事なのは五百人が生きていくのに必要な食料と物資である。これまでは略奪に頼っていたようだが、それでは所詮一時凌ぎに過ぎない。長期的な視野で見れば、方策は平和的に戴くか、自分で作るかに限られる。シリウスは後者に重きを置いた。倉庫くりかた、銭糧、鍛冶、織布、酪乳などの部署を定め、適材を適所に配置して生産態勢を整えた。幸い、五百人の中には種々の技能を持った者が少なくなかった。当面はともかく、軌道に乗って来れば、やがては自給自足も可能であろう。尤も彼は、

「そのうち官軍様が銭糧をたっぷり運んで下さるさ」

などと皮肉っぽく予言していたが。

 最後に意識改革。シリウスは細かい規律を設けたりはしなかったがただ二点、良民を殺める事と弱者から物を強奪する事だけは厳しく禁じ、破る者は極刑、と言い渡した。彼の性格は先の一件でよく知られているだけに、寨内の全員が肝に銘じて厳守した。

 さらに情報探知の為、近隣の都市に寨の耳目となる者達を派遣し、官軍の来襲に備えていた。

 果たせるかな、半月ほど後にその一人が大急ぎで注進して来た。

「官軍はお頭達の名前を官簿から抹消し、コーエンなる将軍に千五百の兵を預けて再び討伐軍を起こすそうですぜ!!」

 三倍の兵力と聞いて寨は騒然となったが、シリウス一人だけは悠然と構えていた。

「へぇ、あのコーエンがねぇ」

 第一報に対する彼の反応はそれだけだった。

「シリウス、知っているの?」

 ヨシオリの問い掛けは一座の反応を代表したものだった。

「士官学校の同期生だった。在学中一度も首席を譲らなかった秀才さ」

「理屈が全ての面白おもろない奴や。ヨシオリちゃんも三年前に会うた事ある筈やけどな」

 カメに言われてヨシオリは自分の記憶を手繰ってみたが、それらしい顔にも名前にも行き当たらなかった。彼女の性格ならそのような男など気にも掛けないだろう。

「そういう理屈倒れの奴なら、あしらいようもあるって訳ですな」

 今やすっかりシリウスに心服してしまったロイが窺うように上座を見た。

「まあ、そんなところだね。しかし、同じ勝つならなるべく派手に勝ちたいものだな」

 ここでシリウスは口調を引き締めた。

「策はもっと詳しい情報が送られてからだ。皆はいつでも出兵できるよう準備だけしておいてくれ」

 山寨は静かに、しかし着実に動き始めていた。


 それから十日後、千五百の官軍が都を進発した。

 その報を受けたシリウスは、デュクレインとアリーナを寨の守りに残して、他の面々と四百余の手下を率いて十里ほど離れた狭い平野に布陣した。寨を守り切って勝つ考えなど彼にはなかったのだ。

 翌日、両軍は接触した。

 官軍の前衛は賊軍を寡兵と侮って、嵩に掛かって攻撃を加えた。対するヒロとその配下二百名は、支え切れずと見せ掛けてじりじり後退し、敵の突出を誘う。誘いに乗った前衛は大きく前進し、いつしか中軍と連絡もままならぬほど遠く隔たってしまっていた。

 そこへいきなり左右から伏兵が起こった。数は少ないがその心理的効果は絶大である。さらに呼応して、偽りの退却を演じていたヒロも逆襲に転じた。三方から攻め立てられた官軍はたちまち乱れ、副将のガトゥーはヒロの半月刀フォールチョンに打ち倒されて捕らえられると言う醜態を晒して、脆くも壊走した。

 敵を奥深く誘い込み、伏兵と合わせて包囲してこれを撃つ。シリウス得意の“つり野伏のぶせ”戦法である。

 これが堪えたのか、コーエンは以後陣を固く守って一向に撃って出ようとしなかった。シリウスが奇策を好み、防御戦を得意とする事は彼もよく知っているのだ。

 ところが三日後、賊軍の一部が戦場を迂回して直接ウェストキャピタルを襲いに向かった、と言う情報が官軍に齎された。この討伐戦では都のほぼ全兵力を動員していたので、彼らの狼狽振りは尋常ではなかった。慌てて全軍に撤退命令が出される。

 その混乱を突いて、シリウスは総攻撃を掛けた。

 折しも撤退準備に追われていた官軍は反撃も出来ずに各所で打ちのめされ、散り散りになって敗走した。コーエンはヨシオリの二刀に、もう一人の副将ガゼイはシャオローンの槍に敗れ、それぞれ捕らわれの身となった。

 兵糧、馬匹、武具など大量の鹵獲品と多数の捕虜を土産に、シリウスは寨へ凱旋した。囮役だったカメの部隊も、敗走中の敵に止めの一撃を与えて意気揚々と引き返して来た。

 戦利品の大半は庫に納めたが、三将も含めて捕虜は皆解き放してやった。一つには温情を示し、もう一つは余裕と度量を知らしめる意図である。捕虜達の中には進んで寨に加わる者も少なくなかった。

 その晩、勝利の宴が全山を揺るがしたのは言うまでもない。


 この大勝利は予想外の効果も齎した。寡兵よく大兵を破ったシリウスの名声は弥が上にも高まり、腕に覚えのある者、世に入れられぬ者等が彼を慕って次々と入山を願い出て来たのである。が、それは後の話である。


 夜通し続いた宴から中一日置いて、シリウスは主立った者を集めて今後の方針を論じた。シャオローンの大いなる雄図については既に聞かされており、魔王現出の時には共に戦う事を誓い合っていた。ただの賊にあらず、地上を救う勇者たらんと言う思いは彼らの心を熱くしたようである。その時の為にも、多くの同士が必要である事は明白だった。

 シリウスは自ら提案した。

「差し当たって、僕とシャオローンでウェストキャピタルに行って、同士を捜し出してみようと思う」

「おい、幾ら何でもそら危なないか?」

 カメの不安は尤もだった。しかし、

「僕は昔から門破りの常習犯だった。なに、あんな見掛けだけ大仰な検問、楽々潜り抜けてみせるさ」

と自身たっぷりに言われては、誰もそれ以上反対し得なかった。

 翌朝早く、二人は装いを整えて寨を出た。その後ろ姿を見送って、

「入ったはええけど、中で騒ぎ起こして出て来られへんかった、ちゅう事はないやろな……」

とカメが独りちたので、傍で聞いていたヨシオリは思わず吹き出した。内心“まさかね……”とは思いつつ。


 シリウスの広言通り、二人は都に入る事が出来た。検問は存在したが、公文書さえ見せればろくに人相を確かめもせず通してしまうようなお粗末なものだった。

 ここで二人は別行動を取る事にした。士官学校のあった都の東側ではシリウスは名を知られ過ぎていたからである。

 さてシャオローンの方から話を進める。彼は都の東の人通りの多い繁華街を歩いていた。流石は関西かんせいの中枢都市、人の多さも類を見ない。酒店では酒杯を傾けつつ歓談する人が群を成し、商売人は威勢の良い声を張り上げ、香具師やしは大道で口上を述べ立てている。大都市によくある光景である。

 彼はふと一人の女性に目を止めた。青銀の髪を腰まで伸ばした小柄な女性である。びんは左右とも赤の髪止めで束ねており、さらに宝石で飾った金の額飾りと緑の瞳が印象的である。地味なマントを羽織っているが、その下には白の薄手の服と銀の帯が見えて、どうもちぐはぐである。

 彼は彼女の方に一歩近付いた。

 その時、彼女の足元に前から走って来た襤褸ぼろ身形みなりの少年がぶつかった。

「ア、ごめんね」

 雑踏の事とて、殆ど反射的に彼女は謝った。マントの裾が一瞬揺れた事にすら気付かなかったようである。

 少年は何も言わずに走り去って、狭い路地に姿を消した。

 その顛末を見ていたシャオローン、やおら踵を返して少年が入って行った路地に足を向けた。

 見ると、路地の中程で継ぎ接ぎだらけの上衣の背中がごそごそ蠢いている。

 彼は静かに近寄って行き、いきなりその右手を掴み上げた。

「イテテテッ!! 何すんだよっ!!」

 手足をじたばた動かして、少年は甲高い声で叫んだ。

「まだこんな事をやっているのか、タッカー」

 窘めるような声でシャオローンが言う。

 その途端、少年はピタ、と足掻くのを止めた。次いで、恐る恐る振り返る。

 相手を認めて、その表情が大きく崩れた。

「シャオローンの兄貴!?」

「相変わらずだな。元気だったか?」

 団栗眼どんぐりまなこを目一杯に開いて驚きと喜びを素直に表現する旧知の少年に、シャオローンは優しく笑い掛けた。

 少年の名はタッカー=コート。ウェストキャピタルから南西に六十余里離れた街マイホーの出身である。両親も身寄りもなく、一人で生きる為に掏摸すりや盗みで小金を稼いでいる。が、いつも大きい金儲けを夢見て止まない、なかなか憎めない少年である。年齢は十五歳だが盗賊シーフとしての腕は一級品で、自ら“梁上鼠りょうじょうそ”と言うアダ名を吹聴している。

 シャオローンとは、彼から財布を掏り取ろうとして失敗したのが切っ掛けと言う奇妙な縁で知り合ったのだ。

「金に困ったらいつでも私の所へ訪ねて来ればいい、と言っているだろう」

「自分の食う分ぐらい、自分で稼ぐよ」

 こましゃくれた返事に、シャオローンが苦笑する。

「だが、今取った財布は返して貰うぞ」

「チェッ、せっかく取ったのにな」

 不服そうな声を上げながら、タッカーは渋々財布を差し出した。

「悪いが、知り合いの物なのでね」

 片手で受け取り、彼に片目を瞑ってみせるシャオローン。そのまま背を向けて立ち去りかけて、背中越しに呼び掛けた。

「タッカー、付いて来い。食べる物もないんだろう」

 タッカーは一瞬、シャオローンの真意を計りかねて戸惑った。が、彼は信用が置けるし、第一背に腹は代えられない。すぐに彼の後ろに付き従った。

 元の大通りに戻って、シャオローンは先程の女性を探した。

 やはり青銀の髪はよく目立つ。すぐに見付かった。彼は人波を摺り抜けるようにして歩み寄り、後ろから声を掛けた。

「お嬢さん、財布を落としましたよ」

 青銀の髪の女性は一瞬立ち止まり、次に懐の内を探って、それから振り返って照れたように礼を述べた。

「アラ、やだ。ごめんなさい。どうもありがとう……」

 だが、シャオローンと目が合った瞬間、言葉を止めて二、三度瞬きした。

「……えっと、あの……」

「やっぱりシセイさんでしたか」

 名を呼ばれたその女性の見開かれた緑の瞳の奥で光が輝いた。青年の微笑みと声が記憶の中で甦えったらしい。

「シャオローン!? やだ、久し振りじゃないの! 元気だった?」

 一点の曇りもない笑顔から、よく通る明るく元気の良い声が返ってきた。つられるようにシャオローンも顔を綻ばせる。

 彼女は本名をシセイ=デュウと言い、ここウェストキャピタルのエストモント地区に住む、とある下級貴族付きの魔法使い(マジックユーザー)の末娘である。父に就いて魔法を習い、兄や姉には及ばぬもののなかなか優秀な魔法使いとして知られていた。

 シャオローンは昔、彼女とその家族に魔法の初歩を教わった事があり、彼女の事はよく知っていた。明るくて苦労知らず、それでいて直向ひたむきな面も持ち合わせていて、“吉祥女きっしょうにょ”と巷では呼ばれている事も。

「えぇ、シセイさんもお元気そうですね」

「あら、そう見えるかしら?」

 そこで彼女は初めて、シャオローンの後ろにいる少年に気付いて目を止めた。

「あれ? 先刻の……」

「私の知り合いです。名はタッカー=コート」

「おいらタッカー。よろしく」

 タッカーは早口で挨拶した。複雑な心境なのだろう。

「あたしはシセイ=デュウ。こちらこそよろしくね」

 そんな内情は露知らないシセイ、親し気に微笑み掛ける。

「ところでシャオローン、今日はどうしたの?」

「いつもの放浪癖ですよ。シセイさんこそ、どうしてます?」

「あたし? んーと……その……」

 言葉を探しているかのように彼女は戸惑っている。シャオローンは微かに疑念を抱いた。

 ちょっと考え込んでから、彼女は打ち明けた。

「実はね、家出してきたの」

「家出?」

 危うく叫びそうになった言葉を、シャオローンはすんでの所で飲み込んだ。

「それは穏やかではありませんね。どうしてまた?」

「聞いてくれる?」

「ええ」

 彼は快諾した。

「じゃ、ちょっと話せる場所へ行きましょう」

 三人は大通りを人の流れに乗って歩き出した。


 シャオローンが選んだ店は、由緒あるらしい酒楼だった。こう言う店の方が客の素性も知れている。値段は少々張るが、彼に払えない程ではない。

 卓に着き、注文を手早く済ませると、早速シセイから事情を訊いた。

「結婚?」

 彼女の兄姉は、主人である貴族に媚を売る父を嫌って家を出てしまっていた。彼女は残っていたが、今度は父が彼女に貴族家の息子との縁組を勧めて来た。彼女は拒否したが、周囲では話が勝手に押し進められていると聞き、遂に家を飛び出してきた、と言う事だった。

「まあ、あのぼんくら息子が相手では、無理もありませんね」

 シャオローンは彼女の家で魔法を教わっていた頃に、その相手の男を実際に見て知っていた。お世辞にも見栄えするとは言えない外見の中には、自尊心と特権意識しか詰まっていないような鼻持ちならない男だった。

 それよりも、シャオローンの心配は別な所にあった。

「しかしシセイさん、これからの当ては?」

「それが全然。あたしって、魔法の事以外は何にも知らなかったのね。この三日間で思い知らされたわ」

 この苦労知らずのお嬢様が三日も持っただけでも大したものだ、とは思っても口には出さない。

 ふとシャオローンは、いつの間にか店の中が美しい歌声で満たされている事に気付いた。

 歌い手を探して、店内を見回す。

 その視線はすぐに一点で止まった。シセイもタッカーもその方を見る。

 歌っていたのは、一人の愛らしい歌姫だった。赤みがかった瞳と、より赤の濃い短い髪をしている事から、ヤパーナ民族でない事が知れる。渡来人かハーフエルフだろう。薄く化粧をしているらしい顔は白く、唇には紅を注している。その唇から類希な美声が流れて来る。

 肩を露にし、体の線にぴったり沿わせた青い服に、白い布を左肩から腰へ重ね、さらに紫の長い布を両腕に絡めている。仕事柄大人びて見えるが、実のところはシセイよりも若い、まだ少女と呼べる年齢かも知れない。

 歌声が止み、一頻ひとしきり拍手が起こった後でタッカーが口に出した。

「アァ、あれが“啼鳥子ていちょうし”のアザミ=ウェンリーか」

「タッカー、知っているのか?」

「都一の歌姫だって、すげー噂だよ」

 あながち誇張でもないな、とシャオローンは思った。彼女の歌には人を引き付ける何かがあった。

 とは言え、聞き惚れてばかりもいられない。彼は話題を元に戻した。

「シセイさん、当てがないのなら私の仲間の所へ暫く身を寄せてはどうです? 勿論タッカーも」

「それは助かるわ。でもいいの? それにどこなの?」

「ここからグランコートに向かう街道沿いにある山の中です。ここならまず見付かる心配はありません」

「兄貴、その仲間ってひょっとして、シュヴァルツの山賊団じゃねーの?」

「山賊!?」

 シセイは目を丸くして叫んだ。

「シッ!!」

 シャオローンの制止が飛ぶ。シセイは思わず手で口を押さえ、ゆっくりと周りを見た。

 どうやら叫び声は誰の耳にも届かなかったらしい。

 緊張を緩め、それでも声は低く抑えて、彼は続けた。

「その通りです。私もいろいろありましてね……」

「何があったの、シャオローン?」

「それはいずれお話しします。ところでシセイさん?」

 彼は唇の両端を微妙に上げ、悪戯を企む少年のような表情を作ってみせる。

「山賊になるのと、ぼんくら息子と結婚するのと、どちらが宜しいですか?」

「決まってるじゃない。山賊の方がましだわ」

 即答だった。シャオローンは軽く声を立てて笑う。

「じゃあ決まりですね。タッカー、お前はどうする?」

「おいら……どうしようかなぁ……」

 もう一人の同伴者は余り乗り気でないようだった。彼は単独行動の方が好みらしい。

 ここで、意外な人物が彼らに決断を強いる事になる。

「よろしければ、一曲如何ですか?」

 先程の歌姫、アザミ=ウェンリーがいつの間にか卓の傍に来ていた。

「えぇ、お願いします」

 シャオローンは殆ど反射的に応じた。

 彼女は頷いて、切々と叙情歌を歌い出した。その透き通る声、迸る感情、聞く者の胸を打たずにはいなかった。いつしかシャオローン達も目を閉じて、神妙に聞き入っていた。

 哀切な余韻を残して歌が終わると、シャオローンは頭を上げて拍手と賛辞を送った。

「ありがとう。素晴らしい歌でした」

 そう言って、相場の倍額ほどの金貨を渡そうとした。

 受け取りつつ、アザミは彼にだけ聞こえるような声で囁いた。

「あなた方の先刻の話を聞いて、血相を変えて出て行ったお客様がいました。早く逃げて下さい」

 現実の危機感が彼の頭の中に芽生えた。取るべき行動は一つしかない。

「忝ない。この礼はいずれ」

「急いで!」

 アザミが立ち去ると、彼はすぐさま代金を卓の上に置いて立ち上がった。他の二人もそれに倣う。

 三人は落ち着いて、しかし内心は脱兎の如く店を飛び出した。


 その頃、シリウスの姿は都の西の大通りにあった。道行く人は多いが、観光名所の多い東とは違ってその顔触れは大半が地元民である。

 ここは彼にとって余り馴染み深い所ではない。しかし、下手に顔を知られている所に行って正体がばれてしまっては元も子もない。なるべく目立たないようにする必要があった。尤も、大いなる運命はそんな彼の心情を斟酌する事なく、悠然と流れていたのだが--。

「よぉ、エルフの別嬪べっぴんさん、俺達と一寸遊ばねェか?」

 野卑な声が彼の耳に届いた。

 チラ、と視線を動かす。

 右手にある小さな茶店の前に四、五人の男が輪を作っている。揃いも揃って粗野で下劣で品位がない。典型的な破落戸ごろつきである。

 その中央に蒼い髪の女性がいた。背丈だけなら男達に負けてはいない。その長身と尖った耳がエルフである事を物語っている。

「いい子にしてたら、たっぷり奢ってやるぜぇ」

「もっといい事を教えてやってもいいんだぜ」

 下品な掛け声にも彼女は反応しない。ただその紫の瞳に侮蔑の光を湛えるだけである。だが、シリウスは或る一点に目を奪われていた--彼女の左目の下に浮かぶ星型のアザに。

「へへ、そんなに怖い顔してちゃ、折角の美人が台無しだぜ」

 業を煮やして、一人の男が彼女に手を伸ばして来た。彼女はその手を払い除けると、返す平手で男の頬を打った。

 甲高い音が響いた。辺りの衆目が一斉に集まる。

 一瞬呆気にとられた男の顔が、見る間に憤怒の色に染まった。

「……下手に出てりゃ、このアマ!!」

 男は拳を振り上げた。

 その手が背後から何者かに掴まれた。

 同時に、抗い難い力で振り向かせられる。

 次の瞬間、男の鳩尾みぞおちに拳が突き刺さった。

 異様な叫び声と共に、男は体を二つに折って地面に転がった。

 そこに立っていたのは、もちろん金髪の若者--シリウス。

 破落戸共は激高した。

「何しやがる!?」

「すっ込んでな、青二才!!」

 シリウスは平然としている。喧嘩騒動の類なら学生時代は日常茶飯事だった。

「男四人が女性一人に暴力沙汰とは見過ごせないね。僕が相手をしてやる。掛かって来い!」

孺子こぞう、吠え面掻くなよ!!」

 三人が一度に飛び掛かった。

 先頭の男が殴り掛かってくる。

 シリウスは体を沈めてこれを躱した。そのまま男の右腕を取って引き降ろし、脛を払う。

 男は翻筋斗もんどり打って地面に叩き付けられた。

 立ち上がるのと一動作で、左肘を後方へ突き出す。

 肘が迫って来た次の男の顔面を直撃した。鼻梁びりょうから鮮血を滴らせて男は仰け反り倒れる。

 間髪を入れず、彼は右足を軸に回転しつつ腕を振り出した。

 第三の男の頬骨に裏拳が音を立ててめり込んだ。これも横っ飛びに吹っ飛んで行く。

 --三人伸すのに十秒と掛からなかった。

 事の発端となった女性も、いつしか人垣を作っていた野次馬達も、唖然とする他なかった。

 最初に倒された男が苦しそうに顔を上げた。もう一度彼の顔を見て、アッと驚く。

「……は、白狼将はくろうしょう……!?」

 声が驚愕と畏怖の念で震えていた。到底敵し得ない相手を敵に回していた事を今更ながら悟ったらしい。

「知っててまだやるかい?」

 この脅喝で十分だった。破落戸共はほうほうの態で逃げ去った。

しかし、シリウスは内心舌打ちを禁じ得なかった。思わぬ所で名を明かされてしまったので、うかとしていられなくなったからだ。彼が山賊の首魁として手配されている事は疑いの余地がない。すぐに役人に通報が飛ぶだろう。一刻も早く逃げ出す必要があった。

「助けて下さって、本当にありがとうございました」

 そこへ先のエルフの女性が丁寧に礼を述べて来た。間近で見ても美しい女性である。そして、恐らくは彼と同じ宿命を持っているだろう“同士”に違いなかった。

 だが、ゆっくり事情を話している時間はない。須臾の思考で、彼は積極策を選んだ。

「是非聞いて戴きたい話があります。一緒に来て戴けませんか?」

「エ?」

 前置きもなくいきなり切り出されては、彼女でなくとも驚く他ないだろう。しかし彼には彼女の反応を窺っている余裕はなかった。彼は即座に彼女の手を取ると、元来た方へ一目散に走り出した。

 残された見物人達は、呆然と二人を見送るだけだった……。


 シリウスやアザミが心配した通り、捕盗府ほとうふにはすぐに通報が入った。ここで賢明な捕盗官が直ちに門を閉じさせていたら、シリウス達は袋の鼠にならざるを得ず、カメの危惧は現実になっていたであろう。だが幸運な事に、報告が二箇所から同時に入った為に役所内で微妙に混乱を来たし、適切な処置を施すのが遅れた。この故に彼らは辛うじてウェストキャピタルを脱出できたのであった。が、これは後に判った話である。


 都の門を無事潜り出たシリウス達だが、追手を懸念して急ぐ足は緩めなかった。

 山寨の一歩手前の街ロングコリンを抜けたところで漸く安心できたのか、彼は足を止めて道端に腰を下ろした。一刻近くは走っていたのだから、さしもの彼も疲れは隠せない。

「……さあ、そろそろ話して戴きましょうか。一体、私に何の話があるのか……」

 荒かった息を静めると、無理矢理同行させられて来たエルフの女性は彼に詰問した。ここまで来る間にも何度も口にしたであろう事は想像に難くない。

「非礼は後で改めてお詫び致します。僕はシリウス=プラトニーナ。まず、貴女のお名を聞かせて下さい」

「キャロル=シェル=ザードよ。あなた、役人に追われているの?」

 彼は軽い苦笑いを浮かべて、西の山を指差した。

「あの山に篭る山賊の頭領ですからね、まあ当然でしょう」

 彼女--キャロルは山賊と聞いて僅かに身を硬くしたが、それを解くのにそう時間は掛からなかった。

「それで、その親分様が私に何の用がおありですの?」

 彼は全てをありのまま語った。近い将来始まるに違いない“魔王”の侵攻、それに対抗し得る同士を集めるべく山賊と言う形で有為な人材を探している事を。

 話が進むに従って、彼女の表情に半信半疑とも驚愕とも付かない色が濃く表われて来た。

「……その突拍子もない話を信じろ、と?」

「信じるか否かは貴女の判断に任せます」

 彼としてもこれ以上の事は言えなかった。言わずとも、真意は彼女に通じたと信じている。

 彼女は無言でどこか遠くを見ていた。彼女の内にだけ存在する場所を見ているような瞳をして--少なくともシリウスの目にはそう映った。蒼く長い髪が夕日を背に美しく揺れる。

「……私は幼い頃に両親を亡くし、村の長老の手で育てられました。その長老が二年前に亡くなる直前、私にこう言いました。お前は何れ、大いなる力を持った者を敵として戦う運命にある、と……」

「それは……!?」

「それが何なのかを知る為に、そしてその時の為に私は旅に出ました。……ヤパーナ中を点々と廻って二年、未だに答えは見付かりません。でも……」

 彼女はシリウスの方に顔を向けた。紫の瞳は優しく、それでいて強い輝きを放っている。

「今、私は自分の道標みちしるべを見付けた気がします……」

「では……」

「えぇ」

 立ち上がると、彼女は手を差し出した。

「私達の仲間の所へ、案内して下さい」

 その手を取って、彼も頷いた。


 シリウス達が山寨に戻った時には、既にシャオローン達も帰り着いていた。互いの無事を喜びつつ、新たな仲間を紹介し合う。

 シセイとタッカーについては改めて語るに及ぶまい。キャロル=シェル=ザード、通り名を“美髪精びはつせい”と言う彼女は実は一級の魔術士ウィザードで、その魔力はシセイ、アリーナを凌駕りょうがする程であった。

 さらにいま一人、カメが旧友を寨に招いていた。

 オビアット=イヒューイ。寨の南約八十里の山裾の町サンゴーの農民だが、農業に詳しいだけでなく、鋤鍬すきくわの類を振るう腕前もなかなかで、また風流の道にも些か心得があるので“粋郎君すいろうくん”と呼ばれていると言う。

 カメは山寨の農地を管理できる人物として彼を思い付くと、すぐさま馬を飛ばしてサンゴーへ赴き、こう持ち掛けた。

「広い畑が手に入ったんやけど、俺らよう解らへんさかい、手伝てつどうてくれへんか? 好きなだけトマト作らしたんで?」

 ヤパーナ一の野菜畑を作るのが夢、と言うオビアットは快く了解した。

 山へ辿り着いてから、それが山賊団の田畑だと知った彼が真っ青になった事は言うまでもない。家に帰りたいと懇願したが、

「好きなように使うてかめへんさかい、手伝うたって」

と言うカメの頼みを断りきれず、仕方なく寨に留まる事になったそうだ。

 道理で、皆の前に出たオビアットはおどおどしていた。希に見る美男子だが、大きな麦わら帽子に泥汚れが点々と付いている木綿の服と言う田舎臭い身形が彼の素朴な人柄を表わしていた。

「カメ、お前は詐欺師の才能があるな」

 悪友をそう評して苦笑したシリウスは、新たに加わった面々に席を与えた。ヨシオリの次にキャロル、デュクレインの次にシセイ、オビアット、タッカーの順に、そしてロイを小頭目の代表格として別格の席とした。

 こうして席次が定まると、次はお決まりの歓迎の酒宴が催される。先の戦勝の名残もあって、これまた山寨を上げての大宴会となった。

 一見世間の大道を外れたように見える男達の間に醸し出されている一種の和楽わらく--この雰囲気をキャロルも、シセイも、タッカーも、オビアットでさえ悪いものとは思わなかった。それどころか、これこそ自分達の望んでいた世界ではないかとさえ錯覚できた。その風に真っ先に染まったらしいタッカーは満座の前で手先の妙を活かした隠し芸を見せ、座を盛り上げた。続いてロイがアリーナを立たせてナイフ投げの妙技を披露すると、後は一連なりだった。ヒロは武芸の型を示し、ヨシオリは剣舞を舞って興を添え、シャオローンが得意の六弦琴ギターを奏でるとオビアットが即興の詩を唄い粋郎君の面目を躍如する、と言う具合で、山寨の夜は明ける事を知らぬかのようであった。

 しかし、朝が来れば各々は職分による務めを果すべく動き始める。これは山寨に一人の例外もない。シリウス達首脳部も、事態の推移に合わせて動くべき方向を考えねばならなかった。

「そろそろヤパーナ全土に目を向ける時だろう」

 シリウスの言わんとする所は、誰もが認めていた。

「都の官軍は、先日の大敗があるから寨に攻めて来る余力はないと見ていい。少なくとも、戦力を再編するまではね。この機会に、全国から有用な人物を誘い入れたい。逡巡していたら、手遅れにならないとも限らない」

「具体的にはどうします?」

「まず海道かいどう(ヤパーナ本島の南沿岸)から関中かんちゅう(帝都イーストキャピタルを中心とした大平野部)、嶺北れいほく(本島北沿岸の山岳部)から関北かんほく(本島北部)、西奥せいおく(本島西部)、大まかにこの三つの道筋をそれぞれ当たって貰うのが良いと思う。西畿せいき(本島中西部)は残る僕達が独自に情報を集める」

 首座たるシリウスは当然山寨を離れられない。補佐役のカメ、ヒロも同様である。この他にロイとオビアットも残留が確定していた。

「希望があったら言ってくれ。早い者勝ちだ」

「では、私が西に行きます」

 控え目に意思表示したのはキャロルだった。

「私の生まれ故郷は西奥ですし、道も大体知っていますから」

 これで一決した。シリウスは同行者を募ろうとしたが、キャロルは一人旅の方が慣れているから、と丁寧に謝絶した。

「では、私は北に向かいましょう」

 次に発言したのはシャオローン。これも否やはない。

「誰か彼に同行してくれる人は?」

 希望者は二人出た。ヨシオリとデュクレインである。これにはシャオローンが難色を示した。彼としては、残る東を行く事になるだろうシセイの護衛を二人のどちらかに頼みたかったのである。彼女の相棒がタッカー一人では、日常はともかくいざと言う時多少心許ない。

 シリウスは彼の気持ちを忖度そんたくしつつも、

「帝都への街道沿いは大体治安は良いから、滅多な事も起こらないだろう。折角一緒に旅をしたいって言ってくれているんだから、四人で行って来るといいよ、シャオローン」

「四人?」

 皆の怪訝けげんそうな顔は、すぐに--人によって多少の差異はあったものの--納得の表情になった。デュクレインが行くとなったらアリーナも付いて行く、と言うほぼ公然の事実に最初から気付いていたのはシリウスとロイだけだったらしい。

「となると、東へはシセイとタッカーに頼む事になるな。任せたぞ」

「おいらに任しといてくれれば、大丈夫だって」

 タッカーは胸を張ってみせる。危なっかしくはあるが、シセイ一人の方がもっと危なかろう。

「さて、この件はこれでいい。シャオローン達には明日にでも出発して貰うから、準備を整えて置いてくれ。ロイ、夕方に酒宴の用意を頼む。今日は彼らの送迎会だ。派手にやるぞ」

「ここ数日、飲んでばかりだな」

 ヒロが混ぜっ返す。

「飲めるような祝い事は多いに越した事はないさ。違うか?」

「それもそうだ」

 真顔で答えてヒロはシリウスと顔を見合わせ、同時に大笑した。つられて場の全員が笑い出す。

 次に会える時にはさらに多くの仲間とこのように笑い合いたい--と言うのは皆の細やかな希望であった……。


 一夜の宴が明けた翌朝、シャオローン達七人はシリウス達と簡単な別れを済ませて山を降りた。街道に出るとキャロルは西へ、その余の者は東へとそれぞれ旅立って行った。互いの無事と後の再会を祈りつつ--。

 こうして彼らが三方に旅立った事から、一大活劇は急展開を示し、延いてはヤパーナ全土に大いなる騒乱を巻き起こす事になるのであるが、果たして彼らの行く先に如何なる事件が起こるのか? それは次回で。

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