第四話 天翔龍 賊寨に入りて内より切り破り 白狼将 義に因りて旗を反すの事
山の早朝。
朝日が稜線を見事な朱に染め、小鳥達が夜明けを告げてさえずる。
雄大な自然は、日々変わらぬ営みを繰り返している。
だがその朝は、まだ冷たい空気を切って、山道を行く四人の姿があった。
今更言うにも及ぶまい。シャオローン、デュクレイン、アリーナ、そして新たに加わったヨシオリの一行である。
ヨシオリが同道すると決まったので、善は急げとばかりに夜明けと共に出立したのである。誰にも告げてはいない。ただヨシオリが仲間達に宛てて礼状を書き置いて来ただけである。
「本当に何も言わずに出てきて良かったのかい?」
シャオローンが訊ねる。
「うん。これでお別れじゃないもの。戦いが終わったらまた戻って来るんだし……それに、本当の事言うとあたし、ああいうの弱いんだ」
「そうか」
彼はそれ以上言わなかった。自分も覚えがある事である。
「……それに、ちゃんとみんなには置き土産をして行くし、ね」
「置き土産?」
「そう。あたしがいなくても困らないように、東の山をきれいに掃除しておくの」
シャオローンはデュクレインと顔を見合わせた。ヨシオリの言わんとしている事の意味が何となく想像できたらしい。
「それって……まさか、殴り込み?」
「そうとも言うかな?」
ヨシオリはけろりとしたものである。
「諺にも言うじゃない。立つ鳥後を濁さず、って」
「少し違う気もするがな……」
シャオローンは少し頭を抱えた。己の宿命に悩み、涙していた昨晩の少女が一夜にしてこの変わりようである。いや、彼女本来の、年相応の無邪気な元気を取り戻したと言うべきだろう。彼はそう思った。
「あたし一人でも大丈夫だから、兄さん達は先に行っててもいいわよ」
「つれない事は言わない。四人でやれば、それだけ早く片が付く。デュクレイン、アリーナ、どうだ?」
デュクレインは親指を立てて賛意を示し、アリーナも大きく頷いた。
シャオローンはヨシオリの方を向いて、片目を瞑ってみせる。
「決まりだな」
ヨシオリも笑顔で応えた。
「そうね、さっさと片付けちゃお!」
その日の昼には、彼らはもう一つ東の峰、ミオウ山にまで達していた。
「それにしても、呆気ないものだな」
本当に呆気なかった。襲撃から一刻と経たぬうちに犬鬼共は一匹残らず蹴散らされ、巣窟は焼き払われた。
「だから言ったでしょ。あたし一人でも大丈夫だって」
「全くだ。だが、あれだけ派手にやれば暫くは怪物共も寄り付くまい」
四人は話しながら、急かし気味に足を進める。
「ところでヨシオリ、今どこに向かっている?」
「このミオウ山を抜けると、タートルヒルに出るの。その方が、イルージュからゼルコーヴァを廻るよりウェストキャピタルに近いのよ」
「ウェストキャピタルに?」
「えぇ。是非兄さん達に会わせたい人がそこにいるの」
「誰だ?」
シャオローンが目を輝かせて訊く。
「彼の名はシリウス=プラトニーナ。今は官軍の将校になっている筈よ」
「官軍の将校? それはまた、どうしてヨシオリが知っているんだ?」
訝しむシャオローンにヨシオリが答えた。
「三年前になるかな……まだ彼が士官学校生だった頃に一度リヴァーウェストに来た事があるのよ。その時にいろいろと話もしたし、武術競べもしたわ。こと戦略に関してはかなりの博識で、しかも斧槍の名手よ」
「斧槍か……」
それまで聞き役に回っていたアリーナが、思い出したように声を上げた。
「その人ってもしかして、西都の若手将校、斧槍使いの“白狼将”じゃないの?」
「そうか! 白狼将のシリウス!」
「それよ!!」
自分の記憶を弄っていたシャオローン、今度はヨシオリの方を見て、
「これは驚いた。ヨシオリがそんな人物と知り合いだったとは……」
「兄さん、少しはあたしの事を見直した?」
彼女の顔はちょっと得意気だ。
「大いに。しかし、軍務に就いている人がおいそれと我々に力を貸してくれるだろうか……」
「あら、そこを説得するのが兄さんの腕の見せどころじゃない」
「そうね。期待してるわ」
「言ってくれるね」
こいつは先が思い遣られる、そう思いながらもまんざらでもないらしいシャオローン、顔は笑っていた。
「とにかく、日が暮れる前に山を抜ける事だ」
「そうね、こんな所で野宿は御免だわ」
四人はさらに足を早めて行った。
何とか夜になる前にタートルヒルに辿り着いた一行、そのまま宿を取って体を休めた。
翌日、ウェストキャピタルに入った。ウェストキャピタルは関西一の大都市であり、関西の行政を統括している重要な地である。街路は碁盤の目のように南北及び東西に整然と走り、北半分は官区、南半分は民区と分けられている。官区は帝国の公的機関が集中した所謂官公庁街で、民区は店や市、露店が並び人通りの絶えない繁華街である。
シャオローン達は西門から街に入った。シリウスが現役の官軍将校ならば昼間は将軍府にいる筈である。将軍府の建物は当然官区にある。まずそこを訪ねるのが妥当だろう。
道を人に尋ねながら教えられた通りに行くと、やがて質素だが頑丈そうな造りの建物が見えた。紛れもない将軍府である。
門の入り口で姓名と用件を告げる。
シリウスは今日は出仕していると言う。すぐに呼び出して貰う。
四人は本館の応接室に案内され、暫く待つように言われた。
そこは軍の建物である。応接室とは言っても余計な物は一切なく、申し訳程度に椅子と机が置いてあるだけである。
それほど待つ必要もなかった。ものの数分としないうちに扉を開けて入って来る人物がいた。
「お待たせしました」
入って来たのは若い士官だった。やや細身ながら均整の取れた体付きに、黒に銀をあしらった武官服を一分の隙もなく着こなしている。髪は見事な金髪、目に英知の光を湛え、眉に強い意志を漲らせている。又は眉目秀麗と言うべきか。
だが、何よりシャオローンを驚かせたのはその存在感である。正直、今まで出会った中でこれほど威厳ある人物は槍の師やホークの他に何人いた事だろう。
「シリウス=プラトニーナです」
ハッと我に返ったシャオローンより早く、ヨシオリが応えた。
「シリウス、お久し振り!」
途端にシリウスが相好を崩した。顔に親しみの情がありありと浮かんでいる。
「やっぱりヨシオリか? 懐かしいなぁ!」
心底再会を喜んでいる表情だ。シャオローンはすぐにこの人物に好感を持った。
「何年振りかな?」
「もう三年よ。でも、その話は後。こちらの人達を紹介するわ」
ヨシオリは振り返って、三人を手で指しつつ、
「まず、こちらがシャオローン=シェン。そして、デュクレイン=キルナヴェルとアリーナ=ディクト=ドレスデンよ」
「シャオローン=シェンです。初めまして」
代表して手を差し出す。
その手を握り返すシリウス。
「あなたがあの天翔龍ですか。噂はかねがね聞いていました」
「こちらこそ」
デュクレイン、アリーナとも同じく挨拶を交わす。そして、
「ここは話が出来るような所ではないので、僕の部屋へ御案内します。そこでゆっくり話をしましょう」
「お任せします」
彼に促されて四人は部屋を出た。
暫く廊下を歩いた後、彼は慣れた動作で突き当りの扉を開けた。
部屋の中で彼らを迎えたのは、シリウスと同じくらいの年齢の二人の武官であった。共に彼に向かって敬礼している。
一方の武官は丸っこい顔に縮れた黒い髪、目は小さく鼻は平たく、実直そうな外見の中にどこかしら稚気が窺われる。しかし、立派な体躯を包む黒の武官服と左腰に帯びた剣が確かに様になっており、若き戦士の武勇を誇示しているようだった。
もう一方の武官は、整った顔立ちに輝く金色の髪と言うシリウスに似た外見をしている。だが、彼と違って髪は適度ではあるが無造作に伸ばしており、どことなく野生的な趣がある。体格は同僚より細いが、袖口から覗く掌は華奢や繊細と言った印象からは程遠く、格闘術の厳しい修行--或いは実戦--を潜り抜けて来た者のそれであった。
「お客人だ。一時休息しよう。飲物の用意を」
シリウスがてきぱきと指示を出す。
しかし、その指示はすぐには実行されなかった。
素っ頓狂な叫び声がそれを遮ったのだ。
「あれ、カメちゃん!?」
一同の目が一斉に声の主--喜びと驚きの入り混じった表情をしているヨシオリの方を向いた。皆一様に吃驚した様子である--内シャオローン達三人の驚きは寧ろ唐突な、それでいて著しく緊張感を欠く呼び掛けに対するものであろう--が、一番目を丸くしていたのは縮れ毛の武官だった。
ここで次に口を開いたのはシリウスだった。
「……そうか、ヨシオリはカメとも面識があったんだったな」
やはり二人とも知っている彼が、納得するのも一番早かった。
「……へ? ヨシオリ?」
未だによく解ってないらしい、関西訛の縮れ毛の武官--カメ。
「もう忘れたの? リヴァーウェストのヨシオリ=タイラーよ」
「……リヴァーウェスト……あぁ!」
ここまで来て、彼の記憶は急速に覚醒を始めたようである。
「あのヨシオリちゃんか!? こら、見違えたわ」
苦笑しながら頭を掻く仕草にも照れが隠し切れていない。
「相変わらず物覚えの悪い奴だな、カメ」
シリウスが混ぜっ返す。
「シリウス、俺が物覚えがええと思とったんか?」
「全くだ。先刻言った事ももう忘れてる。僕は早く紅茶が飲みたいんだがな」
「解った解った、すぐ準備するて。ヒロ、ほな行こか」
彼等が衝立の奥に消えると、シリウスは四人に席を勧めた。そして自分も椅子に座ると、彼ら二人の事を紹介し始めた。
二人ともシリウスの副官である。カメと呼ばれている方は本名をグランディール=カメと言い、士官学校時代からの悪友同士だそうである。なるほど、先程の会話は単なる上司と部下のものでは少なくともない。律儀そうに見えて意外と剽軽者だが、馬術と武芸の腕は確かで、特に広刃刀と筆管鎗が得意である。家宝の鎧“亀甲黒鎖小札”を愛用しているので、“鉄甲亀”と言うアダ名を持っている男である。
もう一人はムスタシス=ラーディー=ヒロと言い、武者修行の為に大陸からやって来たと言う渡来人であるが、食うに困って仕方なく軍属になった男である。髪の色から“錦毛犬”とアダ名される彼は、地上では三節棍、馬上では半月刀を扱う猛者である。ひねくれ者だがそれに徹し切れていない男、と言うのが上官シリウスの評であった。
丁度そこまで話し終えた時、カメとヒロが七人分の紅茶を運んできた。一旦話を中断して、香ばしい香りと味を喫する事にする。
それは間違いなく一流の品だった。そもそも紅茶や珈琲などと言う物自体一般の民衆の手が届く品ではなかったが、その中でもさらに高級な種類の紅茶であろう事がシャオローン達にも容易に推測できた。
十分に喉の渇きを癒してから、シリウスは会話を再開した。今度は副官に客人を紹介する番である。これはヨシオリが受け持った。
彼女が言葉を進めて行くと、副官二人の目はだんだんと興奮の色彩を帯びてきた。関西で少しでも武芸に興味のある者ならば、天翔龍と飛刀夜叉の名は聞き覚えのない筈がない。特に自身鎗の心得のあるカメは、早速シャオローンと後日の手合わせを約束した程だった。
文字通りの「茶話会」は弥が上にも盛り上がった。シリウスの巧みな話術とそれに茶々を入れるカメの冗句に、シャオローン達は笑わされる事頻りだった。
しかしながら、花に嵐の例えでもあるまいが、楽しい時は常に不意の闖入者によって破られるものである。
扉をノックして入ってきた年少の武官が、シリウスに至急司令官の下へ出頭するように告げた。
シリウスは小さく舌打ちし、「ちょっと中座します」と断わって部屋を退出した。
須臾の間沈黙があったが、すぐさまカメが新たな話題--不在の上官の--を提供する。
「そう言うたら、あいつまだ自分の事何も話してへんなぁ」
意地の悪い笑顔でこう言われれば、興味をそそられて当然である。カメが好意と悪意を交えて語るところを、場の全員が愉快そうに聞いていた。
シリウスは下級貴族の出であるが、その資質は幼少から群を抜いていた。西都士官学校を次席で卒業し、さらに斧槍の名手として名を知られ、文武両道振りを内外に見せ付けていたが、彼は決して品行方正ではなかった。寧ろ素行に関しては問題児と言ってもいいぐらいで、学生時代にはカメやその他の連中と謀って寮を抜け出し、夜の繁華街で豪遊するなど日常茶飯事であったと言う。ただ、特筆すべき事に、これらの悪行が学校側にばれた事は一度としてなかったのである。この辺りに彼の策略家としての能力が窺える、とカメは笑って言った。
また彼は貴族としての特権意識を持たず、不必要に徒党や派閥を組まない事でも有名だった。白狼将と言うアダ名は、そんな彼の姿勢を揶揄する一面も有していると言う。尤も、彼自身はこのアダ名を甚く気に入っているそうだが……。
「……と、この辺にしとこか。噂してたら、本人が来よるで」
絶妙のタイミングで扉が開いた。姿を見せたのはやはり噂の当人--シリウスであった。
「どないした? 有難いお話でもあったんか?」
冗談めかして言うカメだが、彼も上官の不審な態度には気付いていた。シリウスは上機嫌とも不機嫌とも付かない複雑な表情をしている。
「……全く、有難い話だよ」
やり切れなさが声に出ていた。
「指令が出た。手勢を率いてルフトケーニッヒ山に巣くう山賊共を掃討せよ、とさ」
手に持つ紙を皆の前でちらつかせて言う。その意味を真っ先に理解したのはやはり二人の副官だった。
「シュヴァルツの山賊団か!?」
関西の大県ウェストキャピタルとグランコートの県境にあるルフトケーニッヒ山にシュヴァルツと名乗る山賊団が寨を構えたのは、もう一年も前の話である。通行する庶民を襲っては金品を強奪する悪質な賊徒を討伐すべく官軍は過去四度に渡って出兵したが、結果は芳しいどころの話ではなかった。地の理を知らない官軍は、寨に拠って守りを固める連中に対して無意味な攻撃を仕掛けては強かに打ちのめされ、撤退せざるを得なくなるのがこれまでの常であった。
「参謀本部は、たかだか山賊退治に大軍を出したとあっては帝国軍の威信に関わると思い込んでいるのさ」
「お膝元に山賊をのさばらせておいて、威信もへったくれもないと思うけどね」
ヒロが皮肉たっぷりの口調で追い討ちを掛ける。
「おまけに兵力の逐次投入が禁忌だってのは、士官学校の一年生だって知ってるぜ。戦術論の初歩の初歩だ」
「シリウス、今回俺等が指揮する軍勢は何人や?」
「五百人」
「……そら、あかんわ」
カメは匙を投げた。だが、シリウスの目は明らかに或る種の自信に満ちている。
「そうかな? 僕は十分だと思うんだが」
余りにさらっとした言い方だったので、誰もが聞き流しかけて危うく引き留められる。
「……シリウス、マジか?」
「カメ、僕を頭の固い無能者と一緒にするなよ」
若い将軍の身体の内側から、溢れるばかりの知謀と自負心が光を放っているようだった。
「これでも連中より兵力は多い。また頭領のロボスは小心で、嫉妬心と猜疑心だけがやたらと強い男らしい。加えて、何度も官軍を撃退している寨の守りを絶対のものと信じているだろう。付け入る隙は幾らでもあるさ」
「……なるほど、固定観念に捕らわれた老将には絶対無理な発想だな」
ヒロの台詞は辛辣そのものである。
「堅い殻に閉じ込もる敵は中に火を付けて燻り出してやるか、内外から挟み打ちにするのが常道だ。その方向で策を立てようと思う」
その時、シャオローンが口を開いた。
「差し出がましいようですが、その火付け役、私にやらせて戴けませんか?」
この意見は少なからぬ驚きをもって皆に迎えられた。大体、軍人は民間人が軍事行動に口を挟む事を極度に嫌い、情報操作や秘密主義を「任務遂行上必要な義務」と考えている節がある。シリウスであればこそ、シャオローン達の前でも平気で「軍事機密」を包み隠さず話しているのだ。しかし、これが作戦立案の分野にまで入り込まれては、彼らにしても良い感情は抱かないのではないだろうか。
だが、シャオローンには彼なりの計算があった。
「軍属の方よりも、立場的に奴らに近い私の方が容易に潜り込める筈。内に入って、内臓を切り破ってやりますよ」
シャオローンは重ねて具申する。
シリウスは短く考えた。その間に、事の成否と利害を絡めた多くの計算が彼の優れた頭脳の中でなされていたのは間違いない。そして導き出された結論は、シャオローンの意見と合致した。
「危険な役目ですが、ここはあなたに一任しましょう。一つ、大きな手柄を立てて下さい」
シリウスの言い様は軍人そのものだった。シャオローンは薄く笑いながら頷いた。
ここに、賊退治から始まる一連の悲喜劇の幕が開いたのである。
数日を経ずして、シャオローンとデュクレインの二人の姿はルフトケーニッヒ山に通じる街道にあった。
この危険極まりない任務の同行者に、シャオローンはデュクレインを選んだ。彼は無言で引き受けた。ヨシオリとアリーナも同道を望んだが、万が一を懸念するシャオローンは彼女達の希望を拒否し、シリウスと行動を共にするよう諭したのである。
二人の旅装も普段のものではなく、ごく有り触れた旅人の服装であった。正体を悟られぬように愛用の得物は持たず、朴刀一本を腰に提げているだけである。尤もデュクレインは、両手の袖口に鋼線刃を隠し持っているが。
平坦な街道が徐々に狭く、勾配がきつくなって山道の様相を呈してくる。そろそろウェストキャピタルとグランコートの県境、すなわち草寇の巣窟ルフトケーニッヒ山であろう。二人は知らず神経が張り詰めて来るのを感じていた。
右手の山肌には様々な樹木が生い茂り、伸ばした枝はさながら道を覆う傘にも例えられそうである。左は切り立った断崖になっており、落差こそさしてないが、その直下の岩はこれまで多くの無辜の民人の血を吸い続けて来た事だろう。
“待ち伏せに持って来いの地形だな”
他人事のように考えながらも、シャオローンはいつ襲い掛かって来てもおかしくない山賊の所在を掴むべく五感を研ぎ澄ましていた。不意打ちさえ喰らわなければたかが山賊に遅れを取るとは思えない、そう言う自信が彼にはあった。
頭上の木の葉がカサ、と音を立てた。
シャオローンがデュクレインに目で合図する。
予想は当たった。
騒がしい音と共に、六つの人影が彼らを取り囲むように降って来る。
刀を手に現れた男達は、一人の例外もなく人相が悪い。強迫感はあっても威厳は欠片もない。弱い相手を嬲って自分は強いと思い込んでいる連中は所詮こんなものであろうか。
「おいおどれら、命惜しいんやったら有り金全部置いてけ!! せやなかったら首刎ねたるで!!」
脅し文句までもが型通りである。シャオローンは苦笑しつつ、刀の柄に手を掛けた。
男達の殺気が爆発した。
「いてまえ!!」
六人が一斉に躍り掛かる。
シャオローンは唇の端を軽く上げた。ここまでは彼の予想通りに事が運んでいる。そして、結果も予想通りになった。
瞬時の間に、山賊共は呻き声を上げて地面を転げ回る存在になっていた。
「貴様等じゃ話にならん。頭を呼んで来い」
さらに毒気を含んだ台詞を投げ付ける。
六人は這這の体で山の方へ逃げ帰った。
その背中を見送って、シャオローンは一人呟く。
「さて、すんなり事が運ぶかな?」
結局もう一波乱あったものの、シャオローン達は寨に無事潜入を果たした。
次に彼等を出迎えたのはロボスの片腕のロイと言う男だった。この男、眼光は獲物を狙う鷹のように鋭く、眉間と頬の刀傷は豊富な戦歴を無言で語っており、背に差した両手剣も伊達には見えなかった。
ロイは両手剣を抜くと、頭に会いたくば俺を倒してみろ、と言い放った。
勝負に応じたシャオローン、槍ならばともかく刀では分が悪いと感じていたので、気が咎めつつも卑怯な策を弄した。
ロイが踏み込んで来るところへ足元の砂を蹴り上げたのだ。一瞬顔を背けたところへ一撃目を手首に、二撃目を首筋に打ち込んだ。堪らずロイは頽おれる。
当然の如く手下共は激高した。しかしシャオローンは敗者の自尊心を擽る一言を発した。
「卑怯な手だが、私も命は惜しいのでな」
これが気に入ったのか、ロイはあっさりと負けを認めて彼らをロボスに引き合わせた。のみならず口を極めて彼らの腕前を賞賛し、寨の一員に加える事を承諾させたのであった。
この時にシャオローンは西都の風聞であると偽って、またしても官軍が討伐隊を編成して押し寄せて来る、と密告した。ロボスは疑いながらも確認の為手下を西都に向かわせた。
数日後に帰って来た手下は、討伐隊は既に都を出発し一両日中には寨に到達するもの、と報告した。この一件でシャオローンとデュクレインはロボスから信用され、常に彼の側にいる事になる。
手下の報告によれば、兵力は五百人余りで指揮官はシリウス=プラトニーナとか言う士官学校を卒業したての若造だと言う。ロボスはいつものように寨を固めろ、とだけ命令したが、内心は相手を見下してすっかり油断していた。それこそがシリウスの、そしてシャオローンの思う壷だとも知らずに……。
山賊団に情報が流れた頃を見計らって、シリウスの軍勢はルフトケーニッヒ山を取り囲んだ。すぐさま兵を三方に分けて包囲態勢を取る。
本来なら兵力を分散させる事は、各個に撃破される危険を伴うものである。しかし彼は堅塞に拠る敵の反応を読み切った上で策略を立て、そしてそれは見事に図に当たった。
予想通り寨に引き篭ったまま一向に出て来ない賊徒に対し、官軍は昼間は鳴りを潜め、夜には銅鑼を叩き喊声を上げてさも夜襲をするように見せ掛け、賊徒を不安に陥れた。
シリウスは、三日もすれば敵も慣れて昼夜逆転の生活を送るようになるか、その前に居たたまれなくなって飛び出して来るかのどちらかだろうと考えていた。その辺の動静は、シャオローンが毎夜矢文で知らせて来るから不意を突かれる心配はない。
もし敵が出て来なければ、五日目の昼に寨を急襲する。その混乱に乗じて、シャオローン達は頭領ロボスを捕らえる、と言うのが事前に示し合わせた筋書きである。
ここまではその通りに事が運んでいた。よほど事態が急変しない限り、このまま終幕まで進む事だろう。
--そして、五日目が訪れた。
山賊共は官軍の攻勢にすっかり慣らされ、三日目頃から夜が明けると安心して寝てしまうようになっていた。
そこへ、官軍の本物の攻勢が掛けられた。
油断などと言うものではない。何が起こったか解らぬうちに斬られる者、寝惚けて敵味方を取り違える者、裏切りが出たと早合点して誰彼構わず叩き斬る者、その混乱たるや推して知るべし、である。
ロボスは山頂近くの堂--元は何らかの寺院であったのだろう--にいたが、直下の騒ぎに居ても立っても居られなくなり、大声で新任の側近を呼び続けた。
「ロン!! ディック!! 何をしておる!! 早く来て儂を助けよ!!」
後に二人して「もう少し捻れば良かったか」などと笑い合った偽名に反応して、シャオローンとデュクレインは既に命数尽きた賊の首魁の下に駆けつけた。今ここには当事者三人しかおらず、下界の争乱も趨勢は見えている。やる事は一つしかなかった。
シャオローンがロボスの右腕を抱え込んで椅子から立たせる。
同時に、デュクレインの手がロボスの眼前で一転した。
首に細いひやりとした感触がある。確認するまでもない。デュクレインの手から放たれた鋼線が喉笛に喰らい付かんとしているのだ。
ロボスが抗議の声を上げようとするより早く、刀を突き付けたシャオローンは冷たく宣告した。
「これまでだ。手下共にも降伏させよ」
この時になって漸く、ロボスは自分が大いなる罠に引っ掛かっていた事を悟った。しかし、追い詰められた心理がどう作用したのか、その肉体はいきなり無謀な行動に出た。
奇声を発して右腕を振り解くと、腰の刀を抜いてデュクレインに斬り掛かったのだ。
その手が振り下ろされる前にデュクレインは両手を引き絞る。鋼線刃は主人の期待を裏切る事なく、獲物の首筋を切り裂いた。
シャオローンの刀もまた、ロボスの脾腹に深々と突き刺さっていた。
血飛沫が飛んだ。
目を見開いたまま硬直したロボスは、やがて口から大量の血を吐き出しながら地に倒れ、天を睨まえたまま絶命した。
二人は大きく息を吐き出した。
「終わったな」
シャオローンの台詞には、最後にちょっと躓いたか、と言う自省の響きが混じっていた。しかし、この直後に吹き荒れる嵐に比べればこのような結末など実に些細な微風に過ぎないのであった。勿論、この時点の彼等には知る由もない……。
凄惨な同士討ちは既に終息していた。
攻め上って来る官軍に抗し切れないと見たロイは、部下に抵抗を止めさせて降伏した。彼は、ロボスの器量を「頭領の資格無し」と見て、早々に見限ったのである。
そこへシャオローンとデュクレインがロボスの首を提げてやって来た。官軍の兵が歓呼の声を上げる。
「御苦労様。よくやって下さいました」
シリウスが短く労いの言葉を掛けた。
漸く事の真相を知ったロイだが、それでも皮肉な笑みを浮かべるだけで何一つ口に出さなかった。
後は事後処理を済ませれば一件落着、となる筈だった。しかし、運命の波乱は魔煞の宿星を持つ者を容赦なく飲み込もうとしていた……。
それは、幕舎へ戻ったシリウスに、督戦官として同行していたメグロワと言う文官が「内密に」と断わって話を持ち掛けて来たのが切っ掛けだった。
この男、一言で言えば奸物だった。上官に媚び諂い、他者を讒言によって蹴落として、司令官の第一秘書と言う現在の地位を手に入れた筋金入りの佞人である。士官以下の階級の者の激しい憎悪の対象となるのも理の当然であった。
シリウスもこの腹黒い男を毛嫌いしていた。若いながら義心に篤い彼にとって、有能な人間を陥穽に陥れて自身の栄達を図るメグロワは仇敵にも等しい存在だった。
「将軍はかくの如き短期間で例を見ない戦功を立てられましたが、それに比しまして討ち取った賊の数がこうも少なくては、あらぬ疑惑を生じるやも知れません。将軍の御為にもならぬかと存じますが、如何なものでしょうかな?」
卑屈なまでに下手に出た物の言い方だった。本人はこれで、若者の虚栄心を煽っているつもりなのだ。
「前非を悔いて降った者達まで殺す事はなかろう。恩義を与え、国法をよく諭して、良民に帰してやれば良い」
「いやいや、あ奴らは所詮緑林の輩。一旦は許してもまたすぐに叛心を起こすに違いありません。後日の災いになるだけです」
「……では、どうしろと?」
メグロワは、シリウスの理性の地平を十分に越える腹案を吹き込んだのである。
「降伏した者共の首を残らず刎ねてしまいましょう。功績簿には刃向かう敵を殺したように、私が記しておきます」
シリウスの端正な眉がピク、と跳ねた。それ以上の変化は表情には現れない。しかし彼の内心では軽蔑と憤怒が渦を巻いており、感情を抑制するのに必死だった。
そこへ、無言を肯定と勝手に解釈したメグロワは、自らの命運を決定付ける一言を発した。
「そうすれば、将軍の功績は実に大なるものとなりましょう。その暁には、一つ私の献策もお忘れなく……」
その言葉が意識された瞬間、シリウスは爆発寸前だった自分の感性が急速に冷却されるのを感じた。それまで膨張を続けてきた雑多な感情が、或る一点に集束したようである。そして、これは彼とその周囲の多くの人間の未来を一変させてしまう事態を引き起こすだろう--メグロワも例外ではない。
彼はこれ以上はないくらい冷え切った口調で言った。
「貴殿の才覚に任せる」
メグロワはこの指示を自分に都合の良い意味に取った。いや、私利私欲を優先する価値観しか持ち得ない男にこの語に秘められた「警告」を察知せよ、と言う方が無理なのである。
したり顔で退出するメグロワを横目で見遣りながら、シリウスは心中で決意を固めた。現実の安定と自分の信念、天秤に掛ければどちらに傾くかは試すまでもなかった。
彼は幕舎を出た。決意を眉に秘め、宿命に身を委ねて--。
メグロワは意気揚々と諸軍の前に現れた。その顔一杯に浮かべた卑俗な笑みに、いつもの事ながらカメやヒロは背筋に悪寒が走るのを禁じ得なかった。
“また何か企んどるんやろ……”
一息整えてからメグロワは声高らかに言い渡した。
「賊共の首を残らず刎ねよ!!」
その命令が場の全員の耳に到達しようとした時。
いつの間にかメグロワの後ろにいたシリウスの剣が閃いた。
一条の光が佞人の首を横に薙ぐ。
寸時遅れて、卑しい笑いを貼り付けた顔が宙に舞った。
首は紅の尾を曳いて大地に墜ち、その胴体も血を噴き上げながら倒れた。
--全ては一瞬の出来事だった。しかし、居合わせた者達にはその何十倍もの時間が経過したような錯覚を起こさせるに十分な、目の当たりにしてさえ信じられない光景だった。
「この者は降伏した者を処刑して、偽りの功を貪ろうとした! よって指揮官の権限において処断した!! この処置に不満のある者は前に出よ!!」
右手に血刀を持ち、金髪を怒れる獅子の如く逆立てて迫るシリウスの剣幕に、敢えて逆らおうとする者はいなかった。
静寂が暫し辺りを支配した。
「……せやけどシリウス、メグロワは司令官のお気に入りやで。お前、ヤバないか?」
漸く自分を取り戻したらしいカメは、まず友人を気遣う。
「覚悟は出来ている。帝国の公正は信じたいけど……」
「言っちゃ悪いが、お上が公正ならこんな蛆虫共が幅を利かせられる訳がねえぜ」
シリウスの苦衷を遮ったのは誰あろう山賊の副頭ロイだった。一同は目を剥いたが、ロイは一切お構い無しで続ける。
「詰まるところ、今の帝国なんて上から下までこんなもんだ。あんたがいくら正しくても、見る人間が歪んでるんだ。通るものも通りゃしねぇさ」
官の禄を食んでいる身には耳に痛いが、首肯するしかない。
「俺達にしてもここで許して貰えて里に降りたところで、いずれ食い繋げなくなって盗賊に戻るのがオチだ。だからこそ食わせてくれる頭領が要るんだが、ロボスはとてもその器じゃなかった。だが、あんたは若いのになかなかの出来物だ」
「つまり、僕に頭領になれ、と言うのか?」
シリウスの台詞は彼の周囲の人間を驚愕せしめた。この数日で彼らは何度驚かされた事だろう。
「あんたさえ良ければ、俺は従う。こいつらも同じだ」
シリウスは考えるように微妙に唇を歪めたが、
「どうやら、こちらの方がよほど僕に似合いのようだな」
それが決定の言葉だった。
「カメ、ヒロ、お前達はどうする?」
つい今し方まで副官だった者達に彼は向き直った。
「解りきった事訊きないな、シリウス」
「僕は別に、なりたくて軍人になった訳じゃないしね」
二人とも即答だった。
シリウスはわざと呆れたような表情を作ってみせる。
今度は背後から、謝罪の声が聞こえた。
「シリウス、申し訳ない。私が余計な差し出口をしたばかりに、こんな事になってしまって……」
シャオローンの顔には自責の念が色濃かった。
「何を言う。あなたは僕を手助けしてくれたんだ。謝る事などない」
「そうよ、兄さんのせいじゃないわ」
ヨシオリも強く同意した。
「それより、もう暫くでいいからここに滞在して貰えないだろうか? 僕としては、このまま別れるのは心苦しいし、いつまた会える事になるか……」
シリウスの懇願を、シャオローンは無下に出来なかった。彼らが魔軍との全面対決に必要な戦士である事を感じたのだろう。「約束も残ってるで」と冗談混じりに付け加えたカメに「そうでしたね」と薄く笑いながら返して、
「私に出来る事でしたら、役に立たせて下さい。微力を尽くしましょう」
控えめに彼は意志を示した。
関西に名を轟かせた両雄は、今一度堅い握手を交わした。
その上に、ヨシオリが手を乗せた。二人を見てにっこり微笑む。シャオローンの決めた事に否やはないのだ。
続いてカメが、ヒロが、相変わらず無口なデュクレインが、アリーナが、次々と手を添えていく。最後に少し顔を顰めたロイがぶっきらぼうに手を置いた。
--ここに、後に関西を震撼させるシュヴァルツの山賊団が新たに動き始めたのである。
こうしてシリウスが山寨に覇を称えた事で、やがて西都を大いに騒がせ、宿星の輝きさらに増すと言う事になるのであるが、果たして彼の采配や如何に? それは次回で。