虎将騒動記(後編)
家を嗣ぐ、か。
思い返せば、俺がフレビオ坊ちゃんぐらいの歳の頃、何を考えていたっけなぁ。
間違いなく、あそこまで懸命に「家を嗣ぐ」事について考えてなかったな。
俺は一人息子だったから、エノ家を嗣ぐのは既成事実みたいなものだった――少なくとも俺はそう思っていた。
だから逆に、そんな予め用意された階段をホイホイ上がるような人生が嫌で、自分の独力で大きな事がやりたい、と思っていたんだよな。
そして、その結果が今の境遇――これだ。
家には迷惑掛けたと思う。本家のアイドゥール伯にもえらい骨折りをさせちまったし……そして、エリィ。
……今も待ってくれているのか?
本当は、俺の事などさっさと忘れて、もっと良い縁を探す方が親父さん達も安心するんじゃないのかな……
――えぇい、何を考えてやがる今日の俺は。自惚れるのも大概にしろってんだ。
しかし、もし俺が坊ちゃんみたいに「家を嗣ぐのが最大の試練」な環境にあったら、どうなっていただろう。
大人しく家名を嗣いでいただろうか、それともやはり大きな事がやりたくなって、外に飛び出していただろうか?
……そいつは、なってみなきゃ分からねえよな。
出来もしねえ事に頭悩ますより、先の事を考えなきゃあな。チャバなんかが聞いたらこう言うだろうよ。
「里心か? らしくねぇぞ」
全くだ。だが、たまには家を思い出すのも悪くねえな……。
それから数日後の夜の事だ。
ウトウ山にいきなりハル殿が訪ねてきた。驚いて来意を訪ねると、
「チャバ殿に呼び出されたのだが……?」
俺は何となく嫌な予感がした。
間もなくチャバもやって来て、俺のその予感が的中した事を知らされる。
フレビオ坊ちゃんが、バニストン一味にとっ捕まったと言うのだ。
その報せは従者エルフによって齎されたのだが、同時にタッカーからも詳細な情報が入ってきていた――フレビオの監視役として、チャバはカディとタッカーに名を偽らせて同行させていたそうだ。この男はこういう点で抜かりがない。
それで両名からの報告によれば、フレビオはヤズマー山に入る直前、麓の酒場で重大な情報を耳にした。バニストンに金銭や武器を流しているのが、ファイエル党のジョルダンだと言うのだ。その辺りの情報をより深く得ようとして、フレビオは捕らえられたのだと言う。
「……全く、とんだ獅子身中の虫だったな」
チャバが、この男には珍しく苦い顔をしている。ジョルダンはヨーダが三山の頭領だった頃のウトウ山の頭で、三山略取に際して素直に恭順の姿勢を見せたので本山付きの頭目に据えていたのだが、いつの間にか何やら蠢動していたらしい。
ふと、俺の脳裏に愛想の好い中年男の姿が浮かんだ。俺達が三山を制した時から、体制の入れ替え等にもジョルダンは積極的に協力してくれていた。あれらが全て擬態だったとは思いたくないが、結果としてはまんまと一杯食わされ掛かってたって訳か。
味方面して内に深く入り込んでやがる分、余計に始末が悪い。阿漕な遣り口に、こっちの怒りも倍加しようってもんだ。
ハル殿も金銭や物資の出入りに疑問を抱き、調査しようとしていた矢先だった。思わぬ形で発覚した事態に、しかし慌てる事なく泰然と、
「オーガイとファムに、ジョルダンを見張らせましょう。妙な動きがあればすぐ拘束できるように」
流石は頭領、判断が早い。しかし、俺達がこの事実を掴んだ事を、ジョルダンの奴もヤズマー山経由で知る可能性は高い。今頃逐電していると言う事はないだろうか。その懸念を口にしたが、
「それならそれで構いません。ジョルダンがいなくなれば、物資の流出もなくなりましょうから。要は、我等がこれ以上食い荒らされるのを防げれば良い」
なるほど、頭領の判断は大局的だ。やはり唯のお人ではない。
「では、ジョルダンの事は取り敢えずは頭領にお任せしましょう。二山の守りはミックとゼンにやらせます。坊ちゃんの救出は行きがかり上、俺とショウでやらねぇといかんでしょうな」
この野郎、勝手に人を共犯にするな。
「……しかし、ヤズマー山が大した事ねぇと言っても、一山に乗り込むにはもう一人二人、腕の立つ奴が欲しい。お客人の力を借りれませんかね?」
「おい、いくら何でもそいつは……」
てめえの尻拭いを仲間内ならまだしも、客人にまで手伝わせるのは筋が違うだろ。俺は止めようとしたが、
「いや、アントニオ殿も、いつまでも無為徒食でいるのは心苦しい、何か事あれば一臂助力せん、と常々仰有っている。お頼みすれば、快く引き受けて下さる事でしょう」
「では、俺が自分で行ってきます」
早速腰を浮かし掛けるチャバを、俺は睨み付けた。
筋の話は措いても、言う事とやる事が違うじゃねぇか。フレビオ坊ちゃんとエルフで落とせるようなヤズマー山(これは俺も同意する)なら、貴様と俺で十分だろう。何でわざわざアントニオ達の手まで借りる必要があるんだ?
真意が伝わったかどうか知らんが、奴は口の端だけで俺に笑い掛け、小声で言った。
「ま、悪いようにはしねえから」
また何か企んでやがるな。だがまぁいい、今は緊急の時だ。今回は乗ってやるさ。
俺はゼンに守備の指示を出すと、身支度に掛かった。
ヤズマー山は、ウトウ山の北方数十里の地にある。ここに至るには、北の尾根を越えて川沿いに走り、平地を北上するのが一番早い。時間が惜しい俺達は、迷わずこの道を選んだ。
急ぐ為にも、少人数での行動を要する。今ここにいるのは俺とチャバ、アントニオ、リム、そしてエルフだ。
ハル殿の予測通り、アントニオはチャバの依頼を快諾した。その場にいたリムも同道を申し出た。
「山賊と言っても、ピンからキリまであるもんだな。にしても、こんな非道な振る舞いは許しておけん」
「ホント、人攫いなんて最低だね。また助けるの手伝おうじゃない、アントニオ」
チャバの奴、話の肝心な所はぼかしやがったな。
だがアントニオ達は、北島でも山賊団の根城から攫われた女性――確かカールの妹さんだったか――を助け出している。経験者がいるのは心強い事だ。ましてそれがヤパーナ中に名を轟かす豪傑と来れば、な。
一方、エルフはフレビオが捕らえられた事を大雨の中を走って伝えてきた。その所為で、高熱を発し一時は危なかったが、本山から駆け付けたシセイの治癒魔法でどうにか回復した。まだ本調子には程遠いのだが、是が非でもこの手で主を救出せん、と俺達と共に来ている。忠義な事だ。
ともあれ、俺達はヤズマー山の領域に近付いた。
小規模ながら、入り口には山門を構えている。強行突破すべきか、それとも門を避けて隠密裏に潜入するか。
そこへカディがやって来た。現況を報告しに来てくれたらしいが、これを見てエルフがアッ、となる。
「カデキチ! どうしてこんな所へ?」
「あっ、お付きの兄ちゃん!」
そうだ、カディはタッカーと一緒に坊ちゃん達の動きを見張っていたんだ。ここはもう一芝居付き合うか。しかしカデキチって……お前等もうちょっとましな名前考え付かなかったのかよ。まさかタッカーは“タカヒコ”とか名乗ってたんじゃねえだろうな。
「あいつら、フレビオ様をえぇっと、なんて言ったっけ……そうだ、ファイエル党の回し者だって決め付けてた。でも、傷つけでもしたらファイエル党が仕返ししてくるんじゃないかってこわがってたから、フレビオ様はまだ無事だと思うよ」
「そいつはいい時間稼ぎになったな」
チャバが一息吐いたように言う。が、
「後は、坊ちゃんが短気を起こさなければ、な」
飄々とした口調が僅かに引き締まったのは、その危険性が十分あり得ると考えたからだろう。俺も同意見だ。
「ここからは時間との勝負だな」
「では、山門をぶち破るか?」
「いや、騒ぎ立てれば連中は坊ちゃんを人質にするぞ」
「じゃあ、潜入するか」
「そう言う事だ」
エルフがカディに問う。
「カデキチ、お前はこの山に捕まって、中をよく知ってると言ってたね。連中に気付かれずに侵入できる箇所はあるかい?」
「こっちだよ」
俺達はカディの案内で、山に分け入った。
そこは侵入者を防ぐ柵も古く且つ粗末で、おまけに人が通ったような気配も全くしない。
「どうも、ここは巡回すらしてないみたいだな」
やはり田舎山賊だな。守りの観点が完全に欠けている。
アントニオがその膂力で柵を壊して――軽々と引っこ抜いた、流石だね――、俺達は中に入り込んだ。
とは言え敵地である。俺達は最大限慎重に動いた。
だがほどなく、呼び子の鋭い音が夜の静寂を切り裂いた。
見付かったのか!?
俺達はその場に伏せ、息を殺した。
しかし、漏れ聞こえて来る人の流れは俺達にではなく、本堂へ向かっているようである。
俺はチャバと顔を見合わせた。
「……坊ちゃんか」
「とうとう切れたかな」
急ごう!!
一斉に駆け出す。
「何だ、おまえら!?」
俺達の存在に気付いた連中が騒ぎ出したが、委細構わず捩じ伏せた。
人波を払い除けつつ、人集りの方へ向かって進む。
その本堂の一室に。
坊ちゃんはいた。
剣を構え、賊を寄せ付けぬよう防ぎ、孤塁を守る感がある。
「フレビオ!」
エルフの叫び。
坊ちゃんと、賊共の視線が、こちらに集中する。
「御曹司、家中より助けに参りましたぞ! 今すぐにお救い申し上げん!」
チャバが放った一声は、いつもの伝法な口調はどこへやら、正規の軍人みたいに凛、と響いた。こう言うところは、流石に元官軍の片鱗が垣間見える。
しかしだ。確かにエルフはミルドセプト家所縁の人間だから、「家中からの助け」ってのはまるっきり嘘じゃないが、その言い様では俺達全員が「家中の者」に聞こえるぜ。何だってわざわざそんな事を?
だが、ヤズマーの連中は俺達以上に仰天していた。どうせやって来るならファイエル党、と決めて掛かっていたところへ名門武家が家を上げて? 殴り込みに来たもんだから、意表を突かれてまごついてるのか。
なら勿怪の幸いと言うもんだろう。俺も芝居に乗る事にした。
「家中の猛者共がここに勢揃いだ。山賊輩、正義の刃を受けてみよ!」
「ち、違う、こいつら……!」
おっと、連中にも俺達の顔を知ってる奴がいやがったか。余計な事喋るんじゃねぇよ、眠れ。
一太刀に斬る。
それを合図に、大乱戦が始まった。
アントニオが手近な奴を掴んではぶん投げる。リムは近付く者を鎗で打ち払う。そして俺は、
「むん!」
凱命の一閃毎に、一人ずつを倒していく。力の差があり過ぎて気の毒なくらいだが、やっぱり喧嘩は相手を見て売らなくちゃな。
何だか物足りねえなあ、オイ。
この間に、チャバとエルフがフレビオに合流した。エルフの剣も大したものだが、やはりフレビオ坊ちゃん、若いのに良い腕してるな。これでこっちは安心だ。改めてもう一暴れするか。
何の打ち合わせもなしにこんな芝居を打つ奴も打つ奴だが、それに乗る俺達も大した玉だと思うぜ、全く!
アントニオもリムもすっかり気分が乗っちまってる。
「そちらにおわすお方をどなたと心得る。おそれ多くもミルドセプト家嫡男、フレビオ様にあらせられるぞ!」
「本来なら、お前達のような下郎が直に接せられるようなお方ではない。御曹司の御前である、控えおろう!」
おいおい、あんたら、そりゃ乗り過ぎだぜ。
そうこうの内に、立ってるのは俺達六人の他に数えるだけとなっていた。大半は斬られる前に逃げ出したらしい。賢明と言えるが、結局頭領が頼りないと、集まる連中も多寡が知れるって事だな。あっけねえもんだぜ。
その中心に、頼りねえ頭領バニストンが青ざめた表情でいる。無理もねぇ、最後まで残っていた親衛隊らしき連中も、たった今俺達に一蹴されたもんな。
俺と、アントニオと、リムで包囲の輪を縮める。
ただ、最後の止めはフレビオ坊ちゃんにやらせる事に決めていた。
坊ちゃんがずい、と出る。
バニストンも今は覚悟を固めたらしい。思い切って斬り掛かる。しかし隙だらけも良いところだ。
フレビオの剣は難なく、バニストンの胴を抉った。
苦悶の表情で崩れ落ちるバニストン。だが、それもやがて動かなくなった。
「やった!」
坊ちゃんの雄叫びが勝鬨になった。
「フレビオ、やりましたね!!」
「エルフ!? どうしたかと思ってたよ!」
主従が堅く手を握り合う。良い場面だ。
まぁ何のかんのあったが、一つはけりが付いたな。
フレビオがこちらを見た。その眼差し、最初に会った時と随分変わったな。達成感や昂揚感や、色々ない交ぜになってるみたいだ。
「御助勢、感謝します」
ほぉ、風向きも大分変わってきたな。勿論、悪い気分じゃねぇがな。
チャバが二言三言坊ちゃんに語り掛けた。坊ちゃん、目を丸くして俺達を見ているな。あいつ何か言いやがったのか?
最後にチャバは坊ちゃんの頭にポン、と手を置いた。
「ま、頑張んな」
おや珍しい、この男が他人を素直に励ましてるぜ。今夜は雪か。
でもまぁ、俺も同じ思いさ。名家を嗣ぐってのは重たいもんでもあるが、お前さんならやれるさ。頑張れよ、フレビオ。
「じゃあな」
短い別れの言葉を残して、俺達は去った。
「なるようになるもんだねぇ」
山寨への帰路、呟いたチャバの調子は常の如くに戻っていた。
「なぁ、チャバ」
「何だ?」
「お前、あの坊ちゃんに何か吹き込んだか?」
フレビオの俺達を見る目が豹変してたんで、気になってチャバに訊いてみた。
「別に。ただ、あの大男が撲殺虎のアントニオ=ウルス、女戦士は鎗角麟のリム=リンだ、って言っただけだが」
答えは飄々と返ってきた。ははぁ、なるほど。
虎殺しのアントニオと言えば、その名はヤパーナ中に知れ渡っている。リム=リンの名も、イーストキャピタルに住んでいれば当然聞いているだろう。音に聞こえた猛者共の揃い踏みに、坊ちゃん感動しちまったって事か。
ここで一つ、意地悪いものが内心に浮かんだ。
「そう言うお前は、名乗らなかったのかよ?」
「名乗ってどうする? 俺は関北のしがねえ田舎山賊だぜ」
素気ない返事。柄にもなく照れてやがるのか、関北の捷鞭将が?
だが次に奴が口を開いた時、その口調は冷徹なものに一変していた。
「……一件落着の前に、もう一仕事やらなきゃな」
「あぁ」
寨内の裏切り者を処断しなければならない。迅速に、且つ波紋を起こさぬように。
「何か手伝えることはあるか、チャバ?」
アントニオが申し出たが、
「有難ぇが、内部の不始末は身内で片を付けさせて貰いたいんだ」
言葉は丁寧だが、内に有無を言わせない迫力を含んでいた。
「山寨に戻ったら、幕を開けるとしようぜ。すぐ終わる茶番劇のな」
「よぅ、ジョルダン」
毎度のように飄々と、チャバは声を掛けた。
「何です、二山のお頭方」
愛想の好い中年男が出迎える。まだ事態の急変は知られていないらしい。知ってて空とぼけているとしたら、大した役者だがな。
「面白い話を持ってきたぜ」
「何です?」
「ヤズマー山がぶっ潰されたそうだぜ」
ジョルダンの表情に、表向き変化は見えない。それは、変えないように意識していると言うより、一瞬消えた表情をどう取り繕おうかと逡巡しているように見えた。だが、俺達にはその一瞬で十分だった。
チャバは最後の鎌を掛けた。
「……残念だったな」
その瞬間、ジョルダンの顔が激変した。奇声を発し、隠し持っていたらしい得物で俺達に斬り掛かる。
チャバの右手が動いた。腰の鞭を掴むと一動作で払う。
ジョルダンの手から得物が飛んだ。
その時、既に俺は凱命を抜き打ちに斬り下げていた。
ジョルダンが静かに頽れる。膝を着き、どう、と床に横たわった。
本当、残念だぜ。変な事考えなきゃ、こんな結末は迎えなかったろうにな。だがこれが、てめえの野望に足下を掬われた男の末路だ。じっくり噛み締めて成仏するんだな。
動かないジョルダンに引導を渡しつつ、俺は凱命を鞘に戻した。
「これで本当に一件落着だな。御苦労さん」
労を労うチャバ。
だが待てよ。元はと言えば、こいつがあの坊ちゃんを焚き付けてヤズマー山へ行かせたから、話がややこしくなったんじゃねぇのか。他人事みたいに言える立場かよ。
しかしそのお陰で、ファイエル党が抱えていた厄介事二つが一挙に解決したのも事実だしな。しょうがねぇ、今回は「終わり良ければ全て良し」としといてやるか。
こうして、フレビオ坊ちゃん――正確には焚き付けたチャバ――に振り回された数日間は大団円を迎えた。後でゼンに文句を付けられたりもしたがな。
「えーっ、あいつ帰っちまったのか!? ちくしょう、次こそ負けねぇ自信があったのに! ……だいたいショウ、何で引き留めてくれなかったんだ!」
八つ当たりするんじゃねえよ。でもフレビオ坊ちゃん、人気じゃねぇか。
まぁ忙しく飛び回りもしたが、充実感ある日々だったな。
あのフレビオ坊ちゃん、家を嗣いだらどんな総領になるんだろうか。多分、一廉の漢になるのは間違いなかろう。その時にもう一度会ってみたいもんだ。チャバも妙に気に入ってたみたいだったしな。
見上げた秋の空は、どこまでも青く澄み渡っていた。




