虎将騒動記(前編)
イーストキャピタル県の西端、ヴォルケネーメン山以下三山にファイエル党は蟠踞する。
かつては別の山賊団が巣食っていたこの山々は、関北の捷鞭将チャバ=ザ=ダーハによってその主を替えられ、今はかの紅蓮王ハル=アンダルヘールが首座に就いて治めている。まあ、その三山奪取戦ではこの俺、雷電虎のショウ=エノもちったぁ働いたがな。
その時の混乱もやっと収拾し、山寨も少し静かになりかけた頃だったよ。あの坊ちゃんが一騒動を持ち込んできたのは
「お前がやられたってのか、ゼン?」
正直、俺は驚いた。
ゼンことゼノワルド=ブリッジブックはファイエル党第七位の頭領で、ウトウ山に拠る俺の片腕的存在だ。かつては官軍に在籍していたが、その頃から武の腕で鳴らしてきた男である。そうそう余人に後れを取るとは思えなかった。
「こんな屈辱は初めてだぜ、ちくしょう!」
目の前で、ゼンが吐き捨てるように言った。悔しさの余りか、俺と視線を合わそうともしない。歯噛みする音が聞こえてきそうだ。
「詳しく話してみろ」
俺はゼンに経緯を尋ねた。
ゼンの語るところによると、数刻前、彼は数人の手下を連れて山寨の周辺を徘徊していた。付近の状況把握とめぼしい獲物の物色を兼ねての日常の行動だ。
と、その前へ一人の若者が現われ、こう呼ばわった。
「お前達、ヴォルケネーメンの山賊か?」
その不遜で挑戦的な物言いに神経を逆撫でされたゼン。
「だったら何だ?」と言い返すと、
「丁度良い。お前達を退治しに来たんだ。頭は前に出て僕と勝負しろ」
若者はさも嬉しそうに腰の剣を抜いた。
こんな若僧に舐められて黙っていられるゼンではない。
「おい小僧、オレはファイエル党の好漢でウトウ山の副頭、破先鋒のゼンだ。喧嘩は人を見て売りやがれ!」
大劈風刀を閃かせ、一颯にと切り掛かった。
だが、若僧と呑んで掛かった相手の剣は予想外に俊敏だった。大劈風刀の重い一撃を受け流しつつ、切っ先鋭い剣を繰り出してくる。
二十合ほどの打ち合いの末、疲れて動きの鈍ったところへ胸元への一撃。これを避け切れず、均衡を崩して見事に尻餅を付いた。どう見てもゼンの完敗である。
しかし若者は、剣を鞘に収めてこう言い放った。
「お前は副頭か、なら山に戻って頭に伝えるんだ。一帯の山賊は、いずれこのフレビオ=ミルドセプトが纏めて退治する。命が惜しければ今の内にこの地を引き払え、とな」
屈辱ではあったが、勝てない喧嘩に固執して自滅するほど愚かではない、と言う事だろう。程々に捨て台詞を残して、ゼンは山寨へ帰って来たと言う。
「ふむぅ……」
一連の顛末を聞いた俺は、一つ引っ掛かっていた点を確認した。
「そいつは、“ミルドセプト”と名乗ったんだな?」
「あぁ、たしかフレビオ=ミルドセプトって言ってた」
なるほどな。その答で、俺はある程度納得が行った。
「だったらゼン、そいつはあながち屈辱と言えんかも知れんぞ」
「え? どういう意味だ?」
俺も噂で耳にしただけだが、ミルドセプト家と言えば関中でも有数の武門の家で、特に家を継ぐに当たっては、後継ぎに相当の武勲を要求するとも聞く。もしその若者が一族なら、年に似合わぬ腕前を持っていたとしても不思議ではない。
「……要は、間の悪い相手に当たっちまったって事だ」
「そうか……でも悔しいな」
こいつも己の腕に自信を持っているからな。負けた事が相当悔しいらしい。
「なに、そいつは俺達を残らず平らげると豪語したんだろう。なら、そのうち向こうから訪ねてくるだろうよ」
その言葉が終わるか終わらないかのうち、
「頭!」
注進があった。
「妙な野郎が、山門の前で頭を出せと呼ばわってます。どうしやすか?」
俺は思わずゼンと顔を見合わせた。
「そいつはどんな野郎だ?」
「年はガキみてぇですが、やけに堂々としてます。身なりも剣も相当のもんですぜ。ありゃあ、まちがいなく良家の坊ちゃんでしょうな」
聞くなり、ゼンがいきり立った。
「ショウ! もしあいつだったら、相手はオレにさせてくれ!」
だが俺は、そのミルドセプトの家名を名乗った若僧に少なからず興味を抱いた。ゼンの希望には直接可否を言わず、
「全てはそいつを直に見届けてからだ」
それだけ言い置いて、山門に降りていった。
山門の外には、二人の若者がいた。
一人は年の頃なら十五、六か。金髪に碧眼の整った顔立ち、紅顔の美少年と言っても良いだろう。青一色の衣服は装飾に乏しいが、その素材は上質である事は一目で判る。腰に帯びる剣も同様だ。
もう一人は少年より年長、俺と同年代かやや上ぐらいだろう。暗茶色の髪と瞳、全体に落ち着いた印象を与える。少年の斜め後ろに侍立しているが、その立ち姿に隙がない。立ち位置や身形から察するに、少年の従者か護衛の戦士ってとこか。
既に二人の周囲は、遠巻きに取り囲まれている。しかし二人共全く憶する様子がないのは、確かに不敵だった。
「お前か、俺に用があるってのは」
俺の一声に、少年は鋭く反応した。
「お前がここの山賊共の頭か?」
「だとしたら、どうする?」
すらり、と長剣を抜く少年。
「知れたこと。世間を騒がし、領民を苛める無頼の者共など、僕のこの剣で退治してやる。そこの副頭とか言う男にも、伝えておいた筈だがな」
聞くや、ゼンが噛み付いた。
「てめぇ、つけ上がるのもいい加減にしろよ! お前程度の腕でショウに勝てると思うな!」
「どうかな。お前達こそ僕を少年と見縊らない事だ。その事を、副頭はよく解っているだろうけど」
薄笑いする少年に、怒気で顔を朱に染めてゼンが向かおうとする。その腕を掴んだ。
かなり若いが、大した度胸だ。
不満気なゼンを目で押し止め、山門の外で少年と相対峙する。
「いいだろう、ご希望通り相手してやろう。だが、その大口を証明できなきゃ、償いは命でしてもらう事になるぜ」
「それはこちらの台詞だ!」
少年の剣が煌めいた。
刹那、剣は俺の凱命と搗ち合った。
甲高い金属音。予想外に重い衝撃が俺の腕に伝わってくる。
少年の剣は動きを止めない。続けざまに二撃、三撃と繰り出してくる。辛うじて凱命で受け、躱した。
その速さ、なるほどこれならゼンが負けたのも頷ける。
この若さでこれほどの腕前をよく身に付けたものだ。だが……。
十合ほど合わせて、俺は一つ確信した。
少年の剣は確かに速い。且つ正確だ。逆に言えば真っ正直な剣だ。基本にあくまで忠実、定法通りに斬り込んでくる。
こういう手合いが、実は一番与し易い。
打ち合いの中、俺はわざと隙を作ってみせた。
瞬時に少年の剣が伸びる。その目敏さは称賛すべきものだったが、これこそ俺の思う壷だった。
“まだ青いな”
次の瞬間、少年の剣が宙を舞った。弾かれて二丈余り後方に突き立つ。
信じられないものを見るような目で、己の右手を見る少年。まさか自分が衝いた隙が仕組まれたものだとは、そして打ち掛かる力を逆用されたとは夢にも思っていないだろう。まぁ、こんな年の少年が駆け引きに長じている筈もないが。
凱命の切っ先は、既に少年の喉首に向けられている。
「喧嘩する相手を間違えたな。でなきゃ、修行が足りなかったって事だ」
殊更に過去形を使ってみせると、流石に少年の表情が白く固まった。
このまま一歩踏み出せば、それだけで少年の死命を制せられる。勿論俺にはそこまでする気はなかったが。
だが――
「待てっ!!」
叫声と共に、凱命と少年の間に割り込む影があった。
あの従者だ。
だが、その動きは主に似て速かった。本気の凱命でも捉えられたかどうか。主従揃って全くよくやる。
「フレビオ様には指一本触れさせん!」
忠誠心を最大に発揮し、主を庇う。大した男だ。
ただの従者かと思っていたが、あの少年の守り役だとしたら、ひょっとして少年の剣の師かも知れねぇな。
ここは真剣に掛かるか。俺は構えを作った。
「いいだろう。今こそ破邪颯流の剣を見せてやろう!」
直後、従者の態勢が変化した。剣の殺気が、迷いの色を帯びてくる。
「破邪颯流……ショウ……、まさか……雷電虎?」
こちらこそ、ここでその名を耳にすると思わなかったが、意外さを押し隠して敢えて逆問する。
「だったら、どうする?」
数瞬の躊躇いの後、従者はゆっくりと剣を収めた。
「エルフ!?」
少年は叫んだが、従者は首を横に振った。
「フレビオ、これは我々が勝てる相手ではありません。相手はペイルリヴァーの雷電虎ですよ」
「ペイルリヴァーの雷電虎……お前が、そうなのか?」
フレビオ少年は瞠目して訊いてきた。
「そう呼ばれたこともあったな」
嘯いて見せた。
少年の目がますます丸くなる。とんだところで俺の名も知られていたもんだ。
「しかし、その雷電虎が何故……その……山賊の頭なんかに……?」
さも訊き難そうに訊いてくるのは、少年なりに敬意を表そうとしたのだろう。とにかく真っ直ぐで直向きな性質、俺はそう言う奴は嫌いじゃない。だが、過去の経緯を細々語る必要はない。
「ま、世の中いろいろあってな」
ここは話題を転じるか。
「フレビオとか言ったな。名から察するに、ミルドセプトの家の者だろう。お前こそ、何でこんな事をやっている?」
「それこそお前達の知った事じゃない」
屹、と少年は反駁した。どうもこの辺に曰くがありそうな気配だ。が、
「なるほど、確かに俺達の知った事じゃないな」
表面上は流す事にした。
「……だがな坊ちゃん、山賊退治がやりたいならこの辺は鬼門だぜ。たかが山賊、と舐めてかかると痛い目見るぞ。もう充分解ってると思うがな」
少年は顔を赤らめて、何も言わない。
「悪い事は言わねえから、帰んな。俺に勝てない奴が、ヴォルケネーメンやファルケンネストに行っても、残念ながら勝ち目はねえよ」
暫し立ち尽くしていたが、少年は顔を上げ、一瞬だけ俺を睨むと、ふっと踵を返した。
「エルフ、行くぞ!」
「フレビオ!」
従者のエルフもチラ、と俺の方を見ただけで、フレビオの後を追っていく。
取り敢えずは片が付いた、か。
「……でもショウ、あいつらこれであきらめるかな?」
ゼンの懸念も尤もだ。事の顛末は、ヴォルケネーメンとファルケンネストに知らせておいた方がいいだろう。
俺は報告書を二山に上げる事にした。
翌日、この一件についての情報を補足するつもりで、俺はファルケンネスト山を訪ねた。
そこで俺は、出来れば外れて欲しかった予想図を目の当たりにする。
「で、結局来ちまったんだな」
俺の目の前には、憮然とした表情のフレビオがいた。後ろにはこれまたエルフが立っている。
話を聞かなくても、これがどう言う事かはすぐ解る。
忠告にも関わらず、山賊退治に燃えるフレビオはファルケンネスト山に意気揚々と乗り込んだんだろう。少年の腕ではチャバに敵う訳がない、こてんぱんにされたらしい。奴が少年をどうあしらったかは具体的には分からんが、多分その鼻っ柱をぺしゃんこにしてのけたに違いない。
良い薬とも言えるが、少年もよりによって最悪の手札を引いた訳だな……気の毒に。
「だから言っただろう、今のお前じゃ勝てねぇって」
出された茶を啜りつつ、俺はそれだけは言ってやった。
少年は無言で歯を食いしばっている。やはり、何か訳ありと見える。
そろそろ口火を切るか。
「……お前、何でそこまで山賊退治に拘るんだ?」
もう話してくれても良いだろう。そう付け加えると、少年は暫く躊躇った後、語り始めた。
ミルドセプト家には「大功なくして継業なし」との家訓があるらしい。フレビオは嫡男だが、彼とても大きな武勲を立てなければ家を継げるか分からないのだ。
しかし今は乱世だ。平世に比べれば遥かに武勲は挙げ易い。中でも怪物退治や山賊退治は、腕に自信があれば一番手っ取り早い手段と言える。そして彼もそれを選んだ。
「……この辺りがかねてより匪賊の害を受けていた事は聞いていた。僕達の住むマクニールはここからそう遠くないから。でも噂に聞く範囲では、ヴォルケネーメンの賊で強いのは頭領のヘプター=ヨーダただ一人。それも僕達二人でなら十分相手になるだろうと踏んでたんだ。……それがとんだ計算違いだったよ。お前達みたいな狼がここにいたなんて」
「違うね。虎だよ、こいつは」
チャバの軽口には俺も含めて敢えて誰も反応しなかった。少し肩を聳やかしつつ、奴は続ける。
「そうだな、お前さんの計算違いの原因は、最新の情報を掴んでいなかった事だな」
「どういう意味だ?」
「ヨーダはとっくに俺達が追っ払っちまったよ。今のヴォルケネーメンの頭領はあのハル=アンダルヘールさ」
「紅蓮王!? 本当なのか?」
「本当さ。だから俺達もここにいる」
チャバの言を俺も補強した。流石はハル殿、名は関中一円に伝わっているらしい。
「ここはもう山賊の根城じゃない。陣容も、綱紀もな。お前さんは来る場所を間違えたのさ」
チャバの説明はえらく親切で、優し気な口調だった。現に、諭されたフレビオは一言も失っている。
だが、こいつがそんなに親切な訳がない。
「……しかし、お前さんもこのまま手ぶらじゃ帰れないよな? そこでだ、俺達にこれ以上構わないと言うなら、耳寄りな情報をお前さんにくれてやるが、どうだ?」
俺が止めるより早く、フレビオ坊ちゃんは飛び付いたようだった。目でチャバに先を促している。
「ここから北に一日ほど行けば、ヤズマー山って山がある」
「ヤズマー山?」
「おう。そこにも山賊団がいて、こっちは正真正銘、付近の良民を虐め泣かせてるって話だ。でだな……」
「つまり、そいつらを退治したらどうかってことか?」
「察しが良いねぇ。こういう不逞の輩をお前さんの手で退治てやれば……どうだい、家を継ぐのに十分な手柄になるんじゃないかい?」
――あぁ、言いやがった。
大体こいつが他人に親切ごかしに提案する時は、腹でロクでもねぇ事考えてる時と相場が決まっている。が、この坊ちゃんにそれを見抜けと言うのは無理な話だ。
チャバの提案は、若く自負心の強い坊ちゃんの心を擽るに十分な魅力を醸し出していた。
一方、従者のエルフは主人より流石に慎重だ。
「お前達の言う事が真実だと言う保証がどこにある?」
「そんなら、自分の目で確認して来な。所の民の声ほど正直なものはねぇぜ」
しかしやはり舌ではチャバの方が一枚も二枚も上手だ。これでは行くより他にない。そうでなくてもフレビオは半ば腰を浮かしている。
「頭領の名前は?」
「確かエリック=バニストンとか言ったかな? 所詮はケチな田舎山賊だぜ」
「よぅし、やってやる!」
フレビオ坊ちゃんは、エルフをお供に怪気炎を上げた。
「……おい」
俺は低く唸った。
「何だ?」
「貴様、巧く坊ちゃんを焚き付けやがったな」
相変わらず、チャバは人の悪い笑顔を浮かべたまま応えない。
「ヤズマー山のバニストンは小勢力だが、最近どうも対外的に不穏な動きがある。だが俺達は三山を掌握したばかりで、こちらから手を出すには些か準備不足だ。それであの坊ちゃんに掻き回させようって訳か」
「それだけなら良いんだがな」
何だ、まだ何か企んでるって言うのか?
だが、奴が掴んでいる情報は事態が容易ならざる事を俺に教えた。本山の金銭食糧や武器の数字が、帳面と実態で合わないと言うのだ。
ファイエル党の経理面はチャバが仕切っている。この人選、誰がどう考えても危ないと思うだろう。狼に羊の番をさせるようなもんじゃねえか。だが、チャバの下にはアルカイックがいる。あのしっかり者なら信頼できる。実際チャバの奴、面倒事は全部アルに押し付けてやがるからな。
尤も、今の山寨には俺も含めて、経理の才がある人材が殆どいない。それがこの無茶な人選の最大の原因だが。
そのアルが指摘している事実だ。よもや間違いはあるまい。
「――横流し、か」
自然と俺の声にも苦みが加わる。ファイエル党を内部から切り崩そうとする奴がいる、か。
「やだねぇ、悪どい奴が多くって」
誰も、貴様にだけは言われたくないだろうがな。
そしてここへ来て、ヤズマー山のバニストン――あのお山の大将がちょろちょろし出した。とても無関係とは思えない。
「しかし、そこで無関係の坊ちゃんを嗾けるのか?」
「渡りに船、と言う奴さ」
軽く言うチャバ。全く、この男は摺り替えと正当化の言葉なら幾らでも出しやがる。
「ま、バニストンの所はみんな小粒だ。坊ちゃん程の腕がありゃあ、追っ払うのは訳ねぇだろ。かくて坊ちゃんは武勲を、俺達は平穏を手に入れる。一石二鳥の名案じゃねぇか。なぁ、ショウ?」
「……」
これで“親切”とか“人助け”とか言うのだから、この男の厚顔振りには恐れ入る。間違ってもこいつの言葉だけは額面通りに受け取るまい。俺は改めて決意を固めた。
「貴様って奴は……」
この男と出会って以来、もう何度口にしたか判らない台詞を、俺はもう一度吐き出した。




