第二十五話 神雷火 前途を賊寨に追求し 海覇星 弟妹と水火に跳梁すの事
「……あんたら、本気か」
ヤンが唸るように言った。重い口調だった。
場所はシュヴァルツ山賊団の山寨の一室。シリウスとシャオローンが、ヤンに向かって自分達が行動の経緯と目的を語っていた。そう、全てはいつの日か地上に現われ出るであろう“魔王”と戦う為である事を――。ジャンとカーワンドも驚きの顔で聴いている。
「そんな話を信じろというのか」
だが。ヤンは考えた。シャオローンの人となりは深い付き合いで知っている。信じるに足る何かがなければ、決してこのような行動をする男ではない。またシリウスは士官学校の一級下で、噂は色々聞こえていたが、伊達や酔狂で反逆を起こすような軽薄さとは無縁の男のように思われた。その彼等が、己が人生を賭して挑もうとしている。それを絵空事と笑い飛ばす事は、ヤンには出来なかった。
何より、それが“絵空事”ではない、と自分は知っているのだ。
「信じられないのは無理もありません。ですから、御自身の目で我々を見て、それで判断して戴きたい」
虜囚である筈のヤン達に山寨内での自由を約すと、それに驚く彼等を後に、シリウス達は部屋を出た。
「あ痛っ……姉さん、もうちょっと優しくお願い……」
一同の集まる堂で、アオイがリンネの手当を受けている。神臂娘の飛蝗石はやはり強力で、アオイの額には血が滲み、瘤も出来ていた。
「傷跡、残んないといいけど……」
心配げに鏡を見るアオイ。リンネは内心の思いを率直に言葉に出した。
「アオイをこんな目に遭わせて、許せないね。神臂娘の奴を一発殴ってやらないと気がすまない」
「出来ればそれは御容赦願えませんか、リンネ殿」
いつの間にか戻って来たシャオローンだった。
「一騎討ちの場で貴女の一撃を喰らったら、如何に彼女でも只で済むとは思えない。彼女も左手を射られて必死だったのですから、戦場での事と大目に見て戴けませんか」
「誰も戦場で叩きのめすなんていってないよ。とっ捕まえてから一発ぶん殴るつもりさ」
これにはシャオローンも苦笑するしかなかった。
シリウス、ヨシオリも帰って来て、一同が揃ったところでシリウスが語る。
「今日は官軍の二将を捕らえ、他の四人も走らせた。十分な戦果と言って良いだろう。だが、官軍の兵力自体は殆ど減っていない。彼等の戦意を失わせるには、もう一撃が必要だろうな」
この認識には一同異議はない。
「神臂娘が負傷して、暫くは官軍に積極的な動きはないだろう。逆に動き出した時こそ勝負を掛ける時だ。従って官軍が大人しい間はこちらも回復に努めたいと思う。いつ動きがあるか判らないから、備えを怠らないよう」
そのような訳で、暫時は互いに相手の出方を窺い、鋭気を養う日々が続いた。
しかし、平穏な日はそう長くは続かない。
果たして数日を経ぬ裡に、イルリーヴルの水鏡公主リゥ=チィホアから驚くべき情報がもたらされた。
官軍が討伐軍の増援として、“赫炎龍”のジュール=ラグランを将とする一軍を近日中に派遣する、と。
「本当か!? いつだ!」
チィホアよりこの情報を預かって来たマクシミリアンは答えた。
「それは判らん。だがそう遠くはないだろうから、適切に対処されたし、とチィホアの言葉だ」
これだけでも相当高度な情報である。それをわざわざ伝えて来た水鏡公主の真意は、シリウスには察しが付いた。
「赫炎龍のラグラン……名将グーデリアンの直弟子か。これも大物だな」
「全く、僕達は高く評価されているんだな」
ヒロは皮肉で言ったのだが、官軍随一の将と名高いヤマト=ヨハン=グーデリアンが自ら鍛えた弟子達の中で、“氷凍虎”のディードリッヒ=シュレディンガーと並んで二雄と称されているラグランを出馬させるのだ。コーベの司令部が今回の討伐に懸ける意気込みの程が知れる。
「援軍が来ると知れば、敵の士気は上がるだろうな」
「しかし到着まで彼女は守備に徹するでしょう。彼女に陣を固められたら、容易には打ち破れますまい」
神臂娘を知る者、この場で天翔龍を措いて他にない。
シリウスは言い切った。
「確かに赫炎龍は強敵だ。しかし戦って勝つしかない」
それ以外に己が生き残る道はないのだから。
「その為には、出来る限り相手の情報が知りたい。彼等がどんな手で来るだろうか、シャオローン?」
「彼我の兵力差を考えれば、包囲或いは両撃を彼女は企図するでしょう。問題は兵の展開ですが……」
「多分、河だ」
部屋の外から声が響き渡った。
一同の視線が注がれる先に、現われたのはヤンだった。後ろにジャンとカーワンドも続く。
「ラグランは船戦に自信を持っている。河を使って一手を動かすんじゃないかと思うぜ」
「そして、山を東西から衝く……か」
シリウスがヤンの言葉を引き取った。
「ヤン……何故そんな事を我々に教えてくれる?」
「何故って、あんた達のやる事を見て、その上で自分で判断しろって言ったじゃないか。その判断の結果だ、これは」
ヤンは後頭部に手を当て、ニヤリと笑った。
「実を言うと、怪物共をぶっ殺せるなら、ってジャンが乗り気でな。カーワンドもこれで帰る当てがなくなったから、こっちに置いてほしいんだと」
後に聞いた話だが、ジャンはかつて恋人を食人鬼に殺されており、怪物に対して一方ならぬ敵意と憎悪を抱いていた。またカーワンドは喧嘩が原因で故郷を出奔したので、功成らぬ裡は帰れないと考えているらしい。
「そしておれは、シャオローン、あんたを信じた。おれ達はあんたともう一度一緒に戦いたいと思っていたが、それにはあんたを向こうに引っ張っていくより、マリアとカオスをこっちに引き込む方が早そうだ」
二人の目の間を、強烈な意志を込めた光が行き交う。
「援軍が来れば、マリアは決して退かない。となると、まずラグランを破らなくてはならない。だから奴についておれが知っている限りを教える。こいつはどうだ?」
かなり強引な三段論法を繰り出すヤンに、シャオローンは薄く笑って頷いた。
しかし、シリウスは思案顔を崩さない。
「ディーン将軍の協力はとても有難いが、だが我々には船がない。船戦の経験もない。それでラグランの水軍をどう抑えたら良いんだ?」
「それは、おれはある男――男達の力を借りたらどうかと思っている」
その言葉に、シリウスの目が輝く。ヤンは続けた。
「ゼルコーヴァに、水運業を営む富家がある。そこの三人兄妹は、いずれも水に関わって秀でた才を持っている。その三人の力を借りられれば、ラグランの軍にも対処できるはずだと俺は思う」
「ゼルコーヴァ、水運業、三兄妹……もしかしてそれ、フォレストの三兄妹か?」
同じくゼルコーヴァ出身のカメが声を上げた。
「そうだ。長兄は船だろうが筏だろうが、水の上を行く物ならば操れぬ物はない、“海覇星”のジリアス=トリー=フォレスト。次兄は切れ者で、水の魔法も使いこなすと言う“大浪星”のスペリオール=サン=フォレスト。そして末妹は槍と飛刀をよくし、水神の申し子と言えるほど泳ぎが得意な……」
「ユーレンシア=ミー=フォレスト、一名を“白水星”……だったな」
言葉を継いだのはシャオローンだった。
「……そうだ。あんたの紹介で、おれとカオスはあの三兄妹と知り合ったんだったよ」
「シャオローンは何故、その三兄妹を知っている?」
「旅の途中で宿を求めた、それが切っ掛けです。その時に三人に槍を少し教えましたが、確かに一番下のユーレンシアが一番筋が良かった、そう記憶しています」
シリウスの問いに、シャオローンは少し懐かし気に答えた。
「しかし、そんな人達が果たして僕達に力を貸してくれるのか?」
「自信はある。おれをゼルコーヴァに行かせてくれ」
シリウスはシャオローンを見、シャオローンは頷いて応じた。
「良いだろう。吉報を待ってる」
ヤンはシャオローンと共に山を下り、翌早朝、二人はゼルコーヴァに着いた。
岸と船の間で交わされる荷の上げ下ろし、はたまた商人同士の活発な遣り取りで賑わう河岸を摺り抜け、二人はとある店家を訪ねる。
店家の中は活気に溢れていた。客やら奉公人やらが忙しそうに行き交う中、ヤンとシャオローンはその人波の中に懐かしい顔を見出した。
若者である。海碧色の衣服を着たそこそこ長身で、癖のある黒髪に目が細く特徴に乏しい顔立ち、何やら命じていたが、二人の姿に気付くと驚いたような顔をして近付いて来る。
二人の目の前に来た時には、その表情は喜びに取って代わっていた。
「これはお久し振りです、ヤン将軍、それにシャオローン先生も」
彼がフォレスト家の若き惣領にして三兄妹の長兄、ジリアス=トリー=フォレストである。
「その節は世話になったな。近くに来たので寄ってみたのだが、みんな変わりないか?」
「はい。弟達は家におりますので、御案内いたします。将軍や先生が来られたと聞けば喜びましょう」
ジリアスは家人に何事か指示を与えて、すぐに二人を引き連れて店を出た。
彼は当年十八歳。長兄として亡父の遺した水運業を嗣いでいるが、彼の真の才は水上でこそ発揮される。凡そ水の上を行くものであれば、筏だろうが櫓船櫂船棹船だろうが、激流や大渦も乗り切るだけの技量を持つ。故に付いたアダ名が“海覇星”と言う。
ジリアスは邸に着くと、下人に客人をもてなす用意を命じ、弟達を呼びにやった。そうしてシャオローン等二人を応接間に通す。主客三人が席に腰を落ち着けると、一人の若者が入ってきた。
黒髪を短く揃えた、目鼻立ちの整った美男子で、細身で白い肌は一目で学究の人と思わせる。ジリアスと同じような、嵐青色の衣服に身を包んでいる。
客人の顔を一目見るなり、相好を崩した。
「これは将軍に先生、よくお越し下さいました」
彼は二弟のスペリオール=サン=フォレスト。こと水に関してなら、その性質から水軍戦術に至るまであらゆる知識に優れ、且つ水の魔法をも使い熟す“大浪星”の異名を持つ有能な弟である。今はその才能を経営面で発揮して、兄を守り立てていると言う。
「ユーはどうした?」
「アルト先生が来ている。まだ舞踊の稽古中だよ」
「そうか」
妹には稽古が終わったら来るように申し伝えて、スペリオールを加えた五人はそれぞれに久闊を除した。
暫くは昔話や一別以来の事を語り合っていた主客だったが、ふとジリアスが尋ねた。
「……そう言えば、ヤン将軍は確かシュヴァルツ山賊団の討伐に来られていたのでは? そちらの方はよろしいのですか?」
ヤンはシャオローンと視線を合わせた。ここらが頃合、と目が語っている。彼は切り出した。
「実はそのことで、君らの知恵を借りたいと思ってやってきたんだ」
「僕達の……ですか?」
思わず顔を見合わせるジリアスとスペリオール。
「僕達でお役に立つのなら、お話を伺わせて下さい」
「では……こういう話はスペリオールの方が得意だろうが、例えば夜間に船で川を渡る相手に対して、最も効果的に攻撃するとしたら?」
「火攻ですね」
スペリオールは即答した。
「夜陰に乗じるにしても、先導の船は目印を掲げるでしょう。そこへ目掛けて火矢を放ち、炎上させれば後続の状況も手に取るように判ります」
「やはりな」
「また、敵の進路や上陸地点が予め判るなら、鉄鎖や浮遊物で妨害して足止めしたり、こちらの手勢を隠しておいて射掛ける等の策も考えられます。特にルフトケーニッヒ山の辺りは川筋も多く、船勢を隠すのは難しくないでしょう」
「ふむ……こちらの手勢は少ないから、できるだけ敵を水上で叩きたいと思っていたところだ。良い話を聞かせてもらえてありがたい」
ここで、ジリアスが口を開いた。
「ところで、将軍……」
「先生!」
その言葉を遮るように、元気の良い少女の声が届く。
黒髪を左右で束ねた、小柄な少女が駆けて来た。兄達と色違いの暁紅色の服に、練絹のように白い肌を上気させ、円らな瞳は懐かしさと嬉しさに輝いて見える。
少女は客人の前で、ぴょこん、と頭を下げた。
「お久しぶりです!」
「相変わらず元気ですね、ユーレンシア。その後変わりありませんか?」
「ハイ!」
愛くるしい顔立ちを一層煌めかせて、少女は笑った。
彼女が三兄妹の末妹、ユーレンシア=ミー=フォレストである。稀代の水練達者で七日七晩水に潜って疲れを知らず、肌の白さと併せて“白水星”とアダ名されている。勝ち気でお転婆な少女で、槍をシャオローンに、飛閃刀をヤンに教わって、今ではどちらもかなりの域に達していると言う。
「舞踊を習っていると聞きましたが?」
「ええ。あたし、体を動かすのが好きだから。アルト先生も『筋がいい』ってほめてくれてます。ね、先生!」
ユーレンシアに遅れて現われたのは、すらりとしたエルフの女性であった。腰より下まである長い青い髪、緑の染布を巻き、薄青の長い上衣に黄色の布を帯に締めている。その海青色の瞳は、慈しむような光を湛えてユーレンシアに微笑み掛けていた。
「初めまして。アルト=ベルウィッドと申します」
客人に対しても礼を失する事なく、優美に腰を折って挨拶する。
聞けば彼女はゼルコーヴァの北の森に住むエルフ村の出で、以前は旅芸人として各地を巡業していたが、ジリアスに招かれてユーレンシアに踊りを教えるようになり、今では家族同様の付き合いになっているそうである。その軽妙で且つ優雅な舞い姿を讃えて、一名を“舞踊扇”とも言うのだとか。
彼女達を交えて一座六名となり、ユーレンシアが自分の近況やアルトとの日々を、シャオローン達に間断無く聞かせている。
それが小休止したところで、再びジリアスが発言した。
「ヤン将軍、先程の話ですが、確か討伐軍の兵力はシュヴァルツの賊の数倍と僕は聞いていました。それでも脅威となるほどの水軍を賊は有しているのですか? これまで寡聞にして聞いた事がなかったのですが」
ヤンがウッ、と詰まる。
「いえ、それまで山を包囲していた官軍が陣形を変えた、と言う話が耳に入ってきましたので、その事と何か関係があるのかと思ったのですが……」
ジリアスはふと浮かんだ疑問を直截的に口に出しただけのようだった。しかしこの場を取り繕うには、ヤンもシャオローンもその性余りに直情に過ぎた。
遂に意を決した。
「実はその事だが……」
と言い掛けて言葉を止め、ちらりとアルトを見た。気付いたアルトは目礼してその場を去ろうとする。それをユーレンシアが止めた。
「先生だったら、大丈夫よ」
ヤンは改めて口を開いた。
「実は、今のおれは官軍の将じゃない」
「えっ?」
「その前に、私の事も話した方が良いでしょう。私は今はシュヴァルツ山賊団に身を寄せているのです」
「で、さっきの“陣形を変えた”って話なんだが、その時におれはシャオローンに負けてとっ捕まった。今はおれもシュヴァルツに力を貸しているのさ」
ヤンとシャオローンはそれぞれにこれまでの経緯を語り伝える。
三兄妹もアルトも、暫し二の句が継げなかった。
「……そうですか、この間にそんな事が。それに、水鏡公主までがこの一件に絡んでいたとは……」
ジリアスは吐息した。隣町の名指導者の事を、彼が知らぬ筈もない。
「では、将軍が狙う相手と言うのは……」
「言うまでもない。官軍の増援、ラグランの水軍だ」
「それでは本当に反逆者になってしまいます!」
「賊に与した時点ですでに反逆罪さ。それに援軍を潰さん限り、マリアもカオスもおれ達の話を聞いてくれんだろうからな」
「カオス将軍にも、山賊の仲間入りをさせるおつもりですか?」
「言ったろ? おれはシャオローンを信じたんだ。なら、カオスにもマリアにも信じられるはずだ」
そこまで言い切られて、ジリアスには返す言葉もない。
今度はシャオローンが言を継いだ。
「どう言い繕っても、これは官に対する反逆でしかありません。貴重な助言を戴けただけで十分、貴方達をこれ以上関わらせて御迷惑を掛ける訳にはいきませんから」
そう言って、暇を告げようとする。その時、
「なんでそんな言い方するの、先生!」
ユーレンシアだった。怒ったような、拗ねたような口調でシャオローンに噛み付く。
「あたしには何が正しいかなんてわかんないけど、シャオローン先生とヤン先生がどんな人かは知ってる。なのに先生の方から“違う人”って壁を作られるなんて、そんなのイヤよ!」
「落ち着け、ユー」
長兄ジリアスが末妹を制する。
「ですが、僕達もこんな話を聞かされては落ち着いていられません。少し冷静に考える時間をいただきたい」
至極当然、とシャオローン達は頷いた。
泊まりになる事も考え、二人を客間に通した上で、三兄妹はアルトも交えてこれからを話し合った。
真っ先に主張したのは末妹ユーレンシアだった。
「先生がわざわざあたしたちの所に来て、手伝ってほしいって言ってるのよ。あたしは先生たちを助けたい!」
だが次兄スペリオールは慎重である。
「ユー、お前は感情で話をし過ぎる。僕だって先生達を尊敬している。でも、この話に乗るのは余りに危険が大きい。下手をすれば、家そのものを潰すかも知れないんだぞ」
「そんなことわかってる。でもあたし、先生に協力できないなんて言えないもん!」
「だから、それとこれとは話が別だ。分けて冷静に考えないと……」
堂々巡りになりつつある弟妹の論争にジリアスが割って入った。長兄のいつもの役割である。
「スペリオール、お前が心配しているのは、失敗した時に失うものが大き過ぎる、そこだろう?」
頷く二弟。
「つまり、その危険さえなければ、お前も先生に協力したいって事だな」
「それは……そうだけど」
「それじゃあ、つまりはばれない方法があればいいんだな?」
「兄さん!?」
ジリアスは照れたような笑いを浮かべた。
「僕も最初は、何て大それた事をって思ったけど、かと言ってこのまま先生達が負けて捕まるのを黙って見てるのも嫌だからね。僕達の存在が表沙汰にならない程度に協力して、先生達を勝たせようじゃないか」
「で、その“僕達の存在が表沙汰にならない”方法って言うのは?」
「それは、今から考えるんだよ」
「……誰が?」
「そりゃあ、兄弟中じゃお前が一番頭が良いんだから。よろしく頼むよ」
弟に向かって手を合わせるジリアス。
「兄さん!」
喜色満面のユーレンシアが長兄に飛び付く。
「――お話は纏まりましたか」
窓の外から声が掛かった。いつの間にやら窓外に男が立っている。
「どこにいるのかと思ったら……そんな所で話を聴いておられたのですか、マクシミリアン殿」
そこにいたのは、イルリーヴルのマクシミリアンだった。実は彼はフォレスト家に滞在した事があり、ジリアス達とも旧知の仲だったのだ。
「で、彼等に会ってみて、どうですか?」
マクシミリアンは興味深げな視線を向けた。それを受けるジリアス。
「貴男が“面白い客が来る”とわざわざ知らせに来るぐらいだから、何事かと思いましたが……頷けましたよ」
スペリオールもユーレンシアも納得げに首肯する。
「何より、ユーがシャオローン先生に懐いてますから」
「全く、兄さんはいつもユーに甘いんだから……」
お蔭で毎回僕が面倒事を押し付けられるんだ、と諦め半分のスペリオール。しかしその目の光は既に深い思索の色を湛えている。方針が定まった以上、持てる力の全てを用いて実現に向け邁進する。これまで幾度も、年に似合わぬ修羅場を三兄妹は一致団結して切り抜けてきたのである。
「本当に、あなた達は仲がお宜しいのですね」
ここまで聞き役に徹していたアルトがクス、と微笑んだ。
「あ、ええ、いや、その……アルト先生、どうか今日の事は他言無用でお願いします」
「解っております、ご心配なく」
ジリアスは安堵し、同時に懸念した。万が一の事を考えると、アルトにはこれ以上自分達兄妹と関わり合いにならない方が良いのではないか。
しかし彼女は笑って否定した。
「だって、ユーレンシアがあれほど一心に慕う方ですもの。悪い方とは思われませんわ。それにあなた達も、万一の危険があるのに協力しようとなさっている。私もあの方々を信じることにしますわ」
そう言って、何か思い出したように付け加えた。
「私、きっと髪の長い山賊に縁があるんですわ」
「エッ?」
「私には一人の友人がいます。彼女は西都で歌姫をしてますが、以前に店で“山賊”を助けた事がある、と言ってましたわ」
曰く、その日訪れた一見の客は髪の長い男性と、良家のお嬢様風の女性と、身形の良くない少年だったと言う。その取り合わせも奇妙だったが、会話の中に「山賊」云々と言う言葉が飛び出したのを聞き咎めた別の客が、捕盗府に通報に行った。それを知った歌姫は、件の三人にその事を密かに伝え、逃がしたと言う。
「彼女は、その三人はとても山賊に見えなかったし、何より店で騒ぎを起こされたくなかったから、って言ってました。私は人は見掛けに依らないから、と忠告したのですが、確かにあの方々も、私の思っているような山賊には見えませんものね」
微笑んで言うアルトだった。
三兄妹が決意を固め、特に二弟が知恵を絞って方策を練っていたその頃。
官軍の増援として、赫炎龍のジュール=ラグランが決戦地に到着した。
「来たわね」
マリアは覚悟を決めて出迎える。
「よう、マリア。神臂娘のお前が今回はえらくてこずってるそうじゃないか」
戦傷で左腕を吊っている彼女に、ラグランは第一声こう呼び掛けた。嫌味な響きは混じっていない。年齢は彼女より十ばかり上だが、この気さくな人柄が上下を問わぬ彼の人気の源だった。
しかし、到着したラグランにマリアは驚いた。彼は軍勢を引き連れておらず、単騎でやって来たのだ。
「ラグラン将軍……お一人でいらしたのですか?」
「ああ、軍勢か? ゼルコーヴァの街の手前に留めてある。わざわざ山賊輩に援軍の存在を教えてやることもないからな」
「なるほど。ではこちらへ」
マリアはラグランを幕舎に招くと、人払いを命じた。この場には彼女達の他、カオスしかいない。
彼女はまずラグランに訴えた。
「ラグラン将軍、貴官がここに派遣された意味はよく心得ています。小官は喜んで将軍の指揮下に入ります。故に召還の件、今暫くの御猶予を戴けませんでしょうか」
しかしそれを聞いて、彼は目を丸くしただけだった。
「召還? 何のことだ?」
今度は彼女が驚く番だった。
司令官の書状をラグランに示す。一読して、彼は唸った。
「……確かに司令官の親書だな。だが、俺はこんな話を聞いてはおらんぞ」
彼が受けた命令は「山賊団討伐軍の増援として当地に赴き、現地司令官の指示に従え」だった。辻褄の合わぬ話に三人は当惑したが、
「その親書の日付は、俺が命令を受ける前だ。最初は怒りで厳しいことを言われた司令官も、後には冷静さを取り戻されたのかも知れんな」
と、ラグランは自らを納得させる理屈を捻り出した。マリアもカオスも、完全には腑に落ちないながらも同調する。
「俺が受けたのは『お前の指示に従え』と言う命令だ。俺に指示すべき、しかも敵をよく知るお前がいなくなるのは困る。書状には『直ちに帰還すべし』と書いてあるが、こういう準備には時間がかかるものだし、山賊討伐の目的を達成して戻れば司令官の覚えも違うだろう」
そう言う表現で、彼はマリアの指揮下に入る事を言明した。
マリアは感謝し、深く頭を下げた。
「で早速だが、マリアはどんな策を考えているんだ?」
「敵は少数ながら堅砦に拠っています。これを討つには多方面から、それも敵の虚を突く形で当たりたい。その為には、貴官の軍をウェストキャピタル側に配置して、東西から挟み撃ちにするのが理想的ですが、陸地を移動したのではすぐに察知されてしまいましょう」
「ということは?」
「川です。ドゥムレ川の川幅なら、ゼルコーヴァから山の向こうまで軍兵を密かに運べる筈です」
「なるほど。俺ならその任に打ってつけだな」
ラグランは自信有り気に笑った。
「よし、ではその策で行くか。急いで船を調達しよう」
「敵将白狼将は守りに長けた智将です。くれぐれも御油断なきよう」
「わかっている。お前がこれほど苦戦するのだからな。だから、敵に隙を与えぬ速戦で決めればいい」
この時、マリアもラグランも「赫炎龍出馬」の情報が賊軍に知られ、更にヤンによって次の一手を推測されていようとは考えてもみなかった。
一夜、二十艘余りの船に数百の兵を乗せ、ラグランは陣を発って上流へ漕ぎ出した。
時はお誂え向き、新月の夜。先頭の船こそ目印の松明を掲げているが、他は粛々と真っ暗な川面を滑るように続いて行く。
地形は事前に調べてある。ドゥムレ川はウェストキャピタルとグランコートの県境付近で三つの川が合流して大河となっている。その三川の裡、最も北を流れるジューダス川に入り、ルフトケーニッヒ山の東側に出るのがこの作戦の狙いである。
星明かりも稀な闇夜、辺りはしんと静まり返り、船の舳先が分ける水音だけが響いている。ラグランは事の成功をほぼ確信し、上陸予定の岸辺に近付いた。と、その時――
岸より船に向けて、幾本もの光の筋が走った。
光は兵を何人か打ち倒し、甲板に突き立ってその正体を現わした。火矢だ。
「待ち伏せか!」
暗夜の不意打ちである。船上の兵は大いに慌てた。だがラグランは流石だった。
「すぐに船を岸に着けろ! 敵は少数だ、上陸して蹴散らせ!」
船団は一斉に舳先を岸に向けた。が、その動きが止まる。岸の一歩手前でどの船も身動きが取れなくなった。
「これは――」
松明に微かに照らされた川面は、壊れた船の残骸や木片に埋め尽くされていた。その蔭に隠れて黒光りする鉄鎖。明らかに人為的な妨害だ。
「読まれていた、と言うことか」
これではこの先どのような妨害があるのか、判ったものではない。ラグランは全船に回頭、退却を命じた。
その時、最後尾から派手な水音がした。
更にもう一回。
「どうした!?」
「後方の船が転覆した模様です!!」
「何だと!?」
二隻の船は腹を上にしたまま流れに漂い、他の船が下流に逃れるのに妨げとなっている。
「早くどかせ!!」
ラグランは焦りに囚われる。そこへ、上流から炎の塊が突っ込んできた。
ジューダス川の上流に、二艘の小舟が隠れていた。
共に、二人の人影が見える。一方はジリアスとスペリオールのフォレスト兄弟、もう一方はマクシミリアンとヨシオリ――水が苦手なシャオローンの名代として、加わっていた――の二人である。また、船の上には枯れ草や柴の類が山と積まれていた。
ややあって、下流にぽつんと明かりが現われた。あれがラグラン率いる官軍の船団だ。
「そろそろだな」
ジリアスが呟く。時を経ずして、岸より川へ無数の光が飛び立った。
「よし、行くぞ」
二艘の小舟は光が飛び交う下流へ向けて、ゆっくりと進み出した。その船足は、川の流れにも乗ってみるみる加速する。しかし辺りは一面の闇に包まれており、その動きは全く見えない。
下流の船団――既にその全容も判る所まで近付いたところで、枯れ草の山に火を点けた。たちまち船は炎に包まれる。
その火達磨となった船から彼等はそれぞれ水に飛び込んだ。今や炎の塊と化した小舟は、そのまま下流へ、立ち往生している官船の集団へと、ますます速度を上げて突っ込んで行った。
人影は下流の水中にもあった。星の光を遷したような白い肌が、黒い水を切って進む。
フォレスト兄弟の末妹ユーレンシアである。
彼女の水中を行く事まるで魚の如く、何の障りもなく易々と船団の後尾に取り付いた。
船団の動きが止まったと見るや、最後尾の一艘の舷に手を掛け、水を蹴って押し上げる。
回頭中の不安定な体勢に衝撃を食って、船は十数人の兵を放り出して呆気なく引っ繰り返った。
もう一隻、同じ運命を辿る。
丁度その時、炎の鎚となった二艘の小舟が官船に衝突した。舳先に植わった銛が船腹に食い込み、引き離そうにも離れない。
しかも、突如として江上は風吹き荒れ水面は逆巻き、船団は炎に炙られ波に弄ばれると言った有様。
更に波の下では、フォレスト三兄妹が水中を縦横に駆け回っていた。船を傾け舟底を破り、次々と官船を沈めていく。
遂に一隻の船影も川面に見えなくなった時、生じた時と同様唐突に風は止み、波も穏やかになる。
ややあって、川から五つの影が岸辺に現われた。
言うに及ぶまい、官兵を水火に翻弄したフォレスト三兄妹とヨシオリそしてマクシミリアンの五人である。
そして岸にはもう一人、夜風に長い髪を揺らしている女性がいた。
アルトだった。横笛を手に、五人を待っていた。
彼女の愛用する笛は“風の笛”と呼ばれ、その音色は聴く者に安らぎを与え、心を鎮めるものであるが、意を込めて吹けば力は逆用され、荒ぶる風を呼び起こす事となる。その力を解放したのである。
六人の影は、そのまま漆黒の闇の中に消えて行った。
一方、進発したラグランの水軍が襲撃を受けていると言う情報はマリアの元にも齎されていた。
「それで、軍はどうしました?」
「はっきりとは判りませんが、上陸に成功した模様はありません」
「ラグラン将軍は!?」
「まだ戻って来られません」
マリアはがっくりと床几に腰を下ろした。
「何たる事――」
彼女は意気を大いに消沈させていた。頼みの綱であるラグランの手勢を失い、どう事態を挽回すれば良いのか。側に控えるカオスも、掛ける声を見い出せなかった。
最早取るべき道は二つ。犠牲を厭わず、数で勝る兵力に物を言わせて真正面から乾坤一擲の大勝負を挑むか。傷口をこれ以上広げない裡に退却するか。
迷いを募らせるマリア。
その時である。
「イーグ将軍、大変です!」
門衛の兵が幕舎に飛び込み、彼女に告げた。
マリアは目を見開き、床几から立ち上がる。
こうして、幾度かの死闘の末に、やがて星宿の戦士達十数人が一時に上げて山へ上る事となるのであるが、その端緒は門衛がマリアに伝えた一報であった。それは果たして如何なるものであったのだろうか? それは次回で。




