第二十四話 女豹将 大いに戦場を震わし 天翔龍 密かに心友を待すの事
一行が西畿に辿り着いた時は既に夜だった。
人間の目ではもう地上の様子を確認する事は出来ない。
「そろそろ近付いている筈ですが……」
やがて、眼下の地上に明るい燈火が見えた。軽く高度を下げる。
大きな篝火のようだ。どうやら山上で燃えているらしい。
「シリウスが目印を付けてくれたのね」
更に、篝火の周囲を大きく取り囲むように燈火の群が点在するのが見える。あれはルフトケーニッヒ山を包囲する官軍の陣か。するとシュヴァルツ山賊団はまだ健在らしい。ヨシオリは安堵した。
鵬と翼龍は篝火の近傍に着地した。
すぐさまシャオローンもジョイも人間の姿を取り戻す。
そして六人はシリウスの待つ山寨の中心に急いだ。
「よく戻ってくれた!」
シリウスはシャオローンと固く握手を交わし、ヨシオリ達を労った。
ここでシャオローンは、シリウス達にリンネとアオイを紹介する。
「北に女豹あり、とは聞いていたが、貴女がそうでしたか」
女豹将の噂はシリウスの耳にも聞こえていたらしい。頼もしい援軍に驚きつつ喜んで、彼はリンネに手を差し出した。
しかし、彼女は安易にその手を握り返すような真似はしなかった。
「その手は何だい?」
「エッ?」
「あたしはシャオローンに義理があったから来たんだ。別にあんたの盃を受けるつもりで来たんじゃない。まずそこのところを、最初にはっきりしておいてほしいね」
リンネの思わぬ言葉に、シリウスは当惑したような表情でシャオローンを見た。だが、彼は口を開かない。
シリウスはハッ、と気付いた。
“女豹将は、僕の器量を試している”
ならば、自分で切り抜けるしかない。
「これは、貴女方の義に敬意を表しての事です。お気に召しませんか?」
「さぁね」
「では、僕が貴女の盃を受けても構いませんよ」
「……本気かい?」
「それは貴女次第です」
周囲の者は目を剥いた。
思い切った事を言う。シリウスは女豹将に対し、“器量次第では、頭領の座を渡しても良い”と挑戦状を叩き付けたのである。勿論それが判らぬリンネではない。
「なら、そいつを楽しみにせいぜい派手に暴れてやるよ。女豹将の腕の程、しっかりとその目に焼き付けな」
「期待しています」
離れ際に、リンネはシリウスにだけ聞こえるような小さな声で言った。
「言うじゃないか、気に入ったよ」
シリウスの口元が一瞬だけ綻んだが、すぐに引き締められた。
――翌朝。
「……それじゃ、皆が揃ったところで改めて現状を説明し、今後の方針を定めたい」
シリウスが地図を指しつつ説く。ルフトケーニッヒ山は官軍の五つの陣によってほぼ半円形に包囲されている。その後方にマリアの本陣と後備えが控えていた。
「僕の見るところ、最初に討つべきはこの陣だ」
そこは五つの陣の最も東側、唯一つウェストキャピタル県側に位置していた。他の陣とは、旨い具合にルフトケーニッヒ山とドゥムレ川で挟まれた隘路で分かたれており、この陣を潰せばウェストキャピタル側から軍勢を展開して、グランコート側へ押し出す事も、待ち構えて敵軍を迎え撃つ事も可能になる。
「この陣の主将は?」
シャオローンが尋ねた。
「確か、カーワンド=フルと言っていた。部下の兵がイルリーヴルで略奪を働いたので、町から一番離れたこの場所に布陣を命じられたと言う話だ」
シャオローンには聞き覚えのない名だったが、却って安心した。もし知った名を聞いていたら、その時は自分が寄手の指揮を取る事を彼は決心していた。
「その実力は?」
「神臂娘や他の二将ほどとは聞いていない」
「攻め易きを攻めるのが定石だからな」ヒロが言う。
「他に異論はないか?」
声は上がらなかった。
「よし。では反撃の一番手に、カーワンド=フルの陣を急襲する。誰か先手を希望する者は?」
「あたしが行こう」
リンネだ。
「挨拶代わりに一働きしてやるよ。高見の見物してな」
シリウスは頷いて承諾し、顔も知らぬ手下達を率いるのは大変だろうと、シャオローンを補佐役に据えた。更に、自らも一手を率いて後ろに詰めると宣言した。
反撃の体勢は整った。シュヴァルツ山賊団と討伐軍の攻防は新たな展開を迎える。
「将軍! 賊に動きがあります!」
報告を受けたカーワンド=フルは、直ちに自ら柵越しに確認した。
見れば、山賊の集団がこちらにじりじりと向かって来る。その数は此方の半数にも満たなかった。そんな少数で正面から掛かって来るとは、何か奇策を用いてくるのではないか……。
「何者だ!!」
賊軍は陣前一里余りで止まった。中央から黒の騎将が歩み出で、大声で呼ばわる。
「あたしはリンネ=レインカーン。シュヴァルツ山賊団に助太刀する者だ。大将は表へ出な! リンネ姉さんが相手してやるよ!」
「リンネ=レインカーン?」
カーワンドは左右の者に尋ねたが、知る者はなく誰も首を傾げた。だが、賊に荷担する者と聞いては捨て置く訳には行かない。軽々しく動く事は主将マリアより厳しく禁じられており、ここは耐える事も任務の裡、と最初は彼も敵の出方を警戒していたが、先の不祥事の挽回を期する気持ちはそれ以上に抑え難かった。本陣に向けて伝令を走らせたのが、彼の最後の冷静さが取らせた行動だった。彼は得物を手に、急進攻のアダ名の通り猛然と馬に跨り、陣前に出る。
「おれがこの陣の守将、急進攻のカーワンド=フルだ! 大した自信だが、本当におれの相手になれるのか!」
リンネは鼻先で笑って聞き流す。
「あんたこそ、女豹将の相手になれるのかい、青二才」
「言ったな!!」
カーワンドは怒りに任せて、リンネに突っ掛かった。右手に長剣、左手には丸盾に刃を取り付けた盾剣が煌めく。
長剣をリンネ目掛けて振り下ろした。
彼女はこれを八角棒で防ぐ。
下段からもう一撃。これも易々と受け止められる。
「そらっ!」
リンネの反撃。カーワンドは盾で受けた。が、その打撃の重さに驚いた。盾剣の極意――相手の攻撃を盾で受け流し、その隙に刃で小手を斬る――で勝負する筈が、余りの強さに受け流せない。
更に強烈な一撃。盾が浮いた。
「この!」
リンネの攻撃の隙を狙って、カーワンドが剣を出す。
鈍い音と共に、衝撃が右手に伝わった。
八角棒が剣を絡め、彼の右手から弾き飛ばしていた。
茫然とするカーワンド。何が起こったのか、彼にもすぐには判らなかった。その間に、
「ぐっ!?」
右の脇腹に鈍痛が生まれた。
長剣を弾いた八角棒は、風を巻く速さでとって返し、あからさまな隙となった彼の脇腹を叩いたのだ。
堪らず身を前に折るカーワンド。
八角棒がその顎を下から突き上げる。
カーワンドの姿は鞍から伸び上がり、地上に落ちた。
「将軍!?」
官軍に動揺が走る。それを見逃すリンネではない。
「それ、掛かれーっ!」
山賊達がわっと押し寄せる。一旦は防ぐ構えを見せた官軍も、賊軍が取り付いた所からあっさり崩れ出し、倍以上の勢を生かす余地なく敗走した。
後陣のシリウスは只、驚くばかりであった。
「……強い!」
個人の武芸として、これほど強烈且つ鮮やかな例は殆ど見た事がない。軍の指揮も機を見るに敏。また、今日率いたばかりの山賊達を、まるで手足の如く自在に動かしている。一癖も二癖もあるあの荒くれ共が、彼女の指図に喜び勇んで従っているのだ。
女豹将、噂以上の傑物だ――……
敗報は、即時に本陣に齎された。
「カーワンドの陣が破られた!?」
マリア達を襲った衝撃は尋常ではなかった。
これまで亀のように山寨に篭もって息を潜めていた山賊共が、遂に攻勢に転じて来たのか。
「それで、カーワンドは?」
ヤンが訊くも、伝令の報告は無念さに満ちていた。
「奮戦も虚しく、賊将に敗れて捕らわれました……」
「何と……!」
「ラスティーナは、どうしました?」
マリアが尋ねた。
ラスティーナはカーワンドの隣、山川が最も相迫る狭い平野に布陣していた。
「賊に二方向から攻められる危険を鑑み、陣を後方へ下げられました」
「賢明です」
今は包囲策に拘って各個撃破の危険に身を晒すよりも、一旦軍勢を集結させて敵の出方を見る方が良い。彼女はそう判断した。
「しかし、賊にまだそれほどの強将が残っていたとは……それともシリウス自ら出陣してきたのか?」
「いえ、フル将軍を打ち負かしたのは賊の女将です」
「女だと!?」
これにはヤンもカオスも驚倒した。
「しかし、その強さはとても徒者とは思えません。フル将軍に一騎討ちを挑むと、数合と合わさぬ内に将軍を馬から叩き落としてしまったのです」
「カーワンドを数合でか……それほどの女武者なら、名を聞いたことがありそうなものだが……?」
「何という名だ?」
「確か、リンネ=レインカーンと名乗っておりました。または女豹将とか……」
ヤンとカオスは互いの顔を見たが、お互いにその名が記憶にない事を確認し合うだけだった。
自然、マリアの方に目が向く。
「女豹将のリンネ=レインカーン……ファーノース島のシルキュール山を根城にする山賊団の女頭領。八角棒を縦横に使い、その腕はヤパーナでも十指に入ると言う女傑よ」
彼女の表情は堅く、険しかった。
「思いも寄らない強敵が現われたものね」
しかしヤンとカオスの驚きは一様ではなかった。賊将の正体も然る事ながら、その出身地が全くの予想外だったからだ。
「ファーノース島? 数千里の彼方じゃないか! 一体何だって、そんなところから助太刀が来るんだ、いや来れるんだ!?」
「討伐軍が動き出してから、まだ一月と経ってない。この短い間にそんな所から駆け付けて来られるとは、とても思えんのだが」
二人は半信半疑の体だ。
「ひょっとして、偽物を立ててるんじゃないか?」
「それはあり得ないわ」
言下に否定するマリア。
「偽物を立てるのは、その“実”よりも“名”が必要な時。だけど、白狼将が今必要としているのは、西畿で知られているかどうかも定かでない女豹将の“虚名”ではなく、真に我が軍を打ち破るほどの“実力”よ。現にカーワンドは呆気なく捕らえられた。あの女豹将がここにいるとは信じ難いけど、本物と考えるしかないでしょうね」
「確かに、その女将も棒を自在に使っていました」
その場に未だ控えていた使者も口を添えた。
「しかし、だとすると厄介だな」
ヤンは唸った。シリウスとは一度手合わせして、その実力の一端は既に、身に知らされている。その上更に、そのシリウスをも凌ぐやも知れないと言う女豹将を相手にせねばならんのか。だが……
「でもヤン、何か楽しくなってこないか?」
言われて、ハッと僚友の顔を見た。そこには、豪快な笑みが浮かんでいた。
確かに、北島の女豹将とやらの実力を聞いて、身体の内から沸き立つものがあるのを彼も感じていた。それは、より強い対手を求める、戦士の本能と言って良いものであろう。
「ああ……是非とも立ち合いたいものだ、女豹将と」
無論、その感情はマリアにも十二分に理解出来た。
「我々の任は、この地から山賊を一掃し、西畿を平穏ならしめる事。その遂行の為には彼等との勝負は避けられません。例え相手が誰であろうとも。――ヤン、カオス、貴方達の奮闘を期待します」
「では、次はおれ達が先陣だな」
二人は快笑して彼女を見る。
マリアはきっぱりと断じた。
「白狼将は今日の勢いを駆って、必ず正面決戦を挑んで来ます。恐らくは明日にでも動きがあるでしょう。その時が勝負です!」
一方、シリウスは再び一同を集めた。
「今日の戦はリンネ殿の見事な働きで、敵将の一人を捕らえた。これで敵の攻撃正面をゼルコーヴァ側に絞れるようになった訳だが、官軍は正面突破を図って来るか、それとも再度半包囲体勢を取るだろうか?」
彼の問い掛けに、一人が即答する。シャオローンだった。
「彼等はリンネ殿の存在を知った。腕に覚えある彼等の事、必ずリンネ殿との一騎討ちを所望するだろう。一度は正面決戦を挑んで来るに違いない」
「シャオローン、えらく詳しいが、官軍の将を知っているのか?」
「よく知っている。マリア、ヤン、カオス……彼等は共に語り合い、死生変わらざるの誓いを結んだ友だ」
驚きの視線がシャオローンに集中する。
「三人とも武芸は衆に秀で、心根は義を知り正邪を弁えた人物。なろう事ならこちらに引き込みたい、と思っているほどの傑士だ」
シリウスの目が、それを聞いて輝く。
「それは、説けば脈がある、と言う事なのか?」
「ある。……私は、そう信じています」
「ふむ……」
シリウスは深く考えた。世上の噂も高い強者達、それもシャオローンが強く推すほどの好漢であるなら、これは是非とも引き入れるべきであろうか、ならば……
「シャオローン、彼等を説き入れるのに何か術はあるのか?」
「下手に小細工を弄するより、我々の真実を有り体に語る方が良い。彼等にはそれを解する分別があります」
「ふむ。だが、あれほどの強者を一度に捕らえるのは至難の業だ。まず一人を説き入れ、それを突破口に残る二人を説かせると言う手はどうだろう?」
「それならば、最初はヤンを説くのが良いでしょう」
シャオローンは言った。マリアは忠実で責任感が強い。そう簡単に主将の立場を翻すとは思えない。またカオスは重厚である分口下手で、一度は説得し得ても彼等に再び説破されないとも限らない。
「では次の戦は、神雷火を捕らえる事を目的とする。その為には彼を引っ張り出さないといけないが……何かあるか、シャオローン?」
「次は必ず、ヤンとカオスが最前列に出て来るでしょう。急進攻を倒したリンネ殿の腕前を聞けば、勝てるのは自分達しかない、と意気込んで来るのは必定です。そこで……」
シャオローンは視線をリンネに向けた。
「リンネ殿にはカオスの相手をお願いします。最低限、彼の足止めをお願いしたい」
「最低限って事は、ぶち倒してもいいんだね?」
不敵に笑うリンネ。
「お任せします」
シャオローンも微かに笑って答える。そしてシリウスの方を見て、
「ヤンにはシリウス、貴男が挑めば彼は必ず応じて来ます。私が間道に伏せますので、頃合を見てそこまで彼を誘き寄せて下さい」
「なるほど、僕を餌に使う訳か」
言いながら、シリウスの顔はどことなく楽し気だ。
「私が最初から出ては、説得が難しくなりますから」
三人の前に山賊側として姿を現わせば、如何に彼等でも簡単にはこちらの言う事を聞き入れまい。一対一で対するべきだ、と彼は考えていた。
「それは良いだろう。だが、他の三将――水龍侯、風浪子、氷浪子や、場合によっては神臂娘も出て来る事が考えられる。それにはどう対処する?」
「三将にはこちらも三人で当たるべきです。ヨシオリ、デュクレイン、それにチャールが宜しいでしょう」
三人は各々頷き、異存のない事を示す。
「問題はマリアです。彼女が出て来れば一番の難敵となりますが……」
そのシャオローンの言葉を薙ぎ取るリンネ。
「神臂娘って、確か礫の名手だね。下手に近づかなくても、アオイの弓なら勝負になるんじゃないかい?」
これにはシャオローンも考え込んだ。
「確かに。ですが……」
「アオイ、相手はシャオローンの友達だ。できるだけ傷つけないように。やれるね?」
「やるわ、姉さん!」
彼が口を挟む余地もなく一決する。
「この布陣でどうだ、シャオローン?」
シリウスの問い掛けに、シャオローンは苦笑しつつ答えた。
「十分です」
シリウスが勢いよく立ち上がる。
「よし、決戦は明日だ。みんな、頼むぞ!」
翌日、両軍は諮ったように平地に押し出した。
官軍の先陣は、シャオローンの予想通りヤンとカオスが務めている。
それを見て、リンネが駒を進めた。
賊軍から女将一人が進み出るのを認めて、カオスが大声を上げる。
「そこにあるは、女豹将かぁっ!!」
返って来た答えはこうである。
「人に名を訊く時は、自分から名乗りな!!」
一瞬気を呑まれたカオスだったが、
「ならば聞け! オレは大開山のカオス=テンペラスだ。女豹将よ、正々堂々、雌雄を決しようではないか!!」
「堂々と名乗っての挑戦状、気に入った。このリンネ=レインカーンが直々に受けてやるよ」
二騎は駒を進め、戦場の中央で相対峙する。
カオスの手には金蘸斧。片やリンネは八角棒。共に愛用の得物を、馬上で改めて構え直す。
「行くぞーっ!!」
まずカオスが突っ掛けた。片手使いの金蘸斧をリンネ目掛けて真っ向振り下ろす。
リンネは馬を横に操り、斬撃を避けた。
返す斧で二の攻撃が来る。これも僅かな動きで躱す。
更に速度を増して襲い掛かる大斧。
ガッ、と鈍い衝撃音が響く。
「ぬっ!?」
強烈極まる斬撃を、彼女は八角棒で見事受け止めていた。それも斧の刃でなく柄を。刃は彼女の身体に触れるか触れないかの位置で止まっている。受け止め損ねれば六十二斤の大斧が彼女の身体に食い込み、砕き裂いていた事は疑いない。
こんな真似をやってのけるとは、腕も度胸も桁外れの女傑だ。カオスは知らず戦慄を覚えた。
リンネの口元が妖しく笑う。
「それだけかい、うどの大木!」
「ぬおっ!!」
激しく怒気を発し、カオスは斧を両手で握って渾身の力で打ち掛かる。
だがリンネの八角棒は斧を巧みに弾いて矛先を逸らし、掠らせさえもさせない。
数十合も打ち合ったろうか、いつしかカオスは気息奄々、流れ落ちる汗に身をしとどに濡らしていた。
全力の斬撃を躱される消耗だけではない、こちらの攻勢を掻い潜って繰り出される八角棒が、一撃毎に正確さを増して彼を襲い、じわじわと追い詰めていた。
「女豹将! 今度は神雷火のヤン=ヒル=ディーンが相手する!!」
ヤンは危うく見える僚友に代わるべく、矛を手に馬腹を蹴って飛び出した。
その時、山賊団の方からも一騎が現われた。
「待て、神雷火! 貴殿の相手は僕が承ろう!!」
これなん、斧槍を携えて罷り越したシリウスである。
賊の首魁の出馬とあっては黙って見過ごす訳には行かない。ヤンは馬首を巡らし、シリウスに挑み掛かった。
大矛が唸りを上げ、斧槍が風を巻く。
先の一騎討ちで、互いの腕前はよく承知している。慎重且つ大胆に、両者は持てる技量の限りを尽くして渡り合う。
三十合も打ち合った頃、先に崩れ掛けたのはシリウスだった。打ち手がじわじわと遅く、少なくなってくる。
更に数合を重ね、遂に彼は好敵手を捨て、山の方へ逃げ走った。
ヤンはこれを追った。女豹将の登場で、賊の戦力が確実に強化されている現状、この難敵を討てる好機などそうあるものではない。
「ヤン!」
マリアは罠の危険性を感じ、陣前に進み出た。
その馬の足元に、一本の矢が突き立つ。
ハッと顔を上げると、遥か敵陣より一騎、その姿は弓を携えた少女のように見える。だが数十丈の距離を射る強弓の者は、官軍にも滅多にいるものではない。
少女の声が風に乗って聞こえてくる。
「アタシはリンネ=レインカーンの義妹、神箭姫のアオイ=ラメール! 姉さん達の勝負の邪魔は、アタシがさせないわよ!」
この時、官軍からはカオスに助力せんとラスティーナ、ジャン、シュラの三将が打って出た。
これに対せんと飛び出して来る三騎は、薄紅色の少女、全身白尽くめの戦士、そして銀髪の美麗な女騎士。
ヨシオリは官軍の三将を眺め渡した。その中で瓜二つの顔立ちの二将が、左右の腰に剣を差している。
「あたしが右を相手する。チャールは左、デュクレインは真ん中の帽子の男をお願い!」
三人は並びを変える。この動きに三将も、彼女等が狙う相手を選び定めた事を知った。
新たな闘いが始まった。
一方、シリウスは巧みにヤンを引き摺り回しながら、山道を駆けていた。
これを逃すまいと追っていたヤンだが、地形に関する知識の差は如何ともし難く、広場になった所でその姿を遂に見失ってしまった。
「ちっ!」
舌打ちしつつ、ここはどこかと周りを注意深く窺う。
その時、背後に気配を感じた。
ハッと振り返る。
そこに知った顔を認め、その目が驚きに見開かれた。
「あんた……シャオローンか?」
「久し振りだな、ヤン」
懐かし気に笑みを浮かべるシャオローン。
しかし、ヤンの方はとても素直にこの邂逅を受け入れる気になれなかった。そこにいるのは確かに旧知の友だが、何故彼がこの場に現われたのか。
懐旧より警戒が先に立つ。最も聞きたくない答えを内心で必死に排除しつつ、結局彼は友に問い掛けた。
「何でこんな所にいるんだ?」
「お前に話したい事があって、ここで待っていたんだ。シリウスにお前をここまで連れて来て貰ってな」
では、白狼将の逃げはやはり見せ掛けだったのか。
「……あんた、山賊になったのか」
「山賊、と呼べるのかな。今はシリウスの下にいる、それは確かだ」
「そうか、あんたがか。……墜ちたな、天翔龍」
ヤンは何かを振り払うかのように二、三度頭を振ると、大矛を真っ直ぐシャオローンに向けた。
「それなら仕方ない。せめてもの友情の証に、おれの手で捕らえてやる、シャオローン」
「話したい事がある、と言ったろうに」
「問答無用! 行くぞっ!!」
ヤンは猛然とシャオローンに打ち掛かった。
互いの実力はよく心得ている。ヤンはもとよりシャオローンを討ち取るつもりなど毛頭ないが、かと言って手加減して当たれる相手でもない。紛れもない全力で立ち向かっていた。それはシャオローンも同じである。
激しい打ち合いの末、堪え切れずシャオローンが馬首を返した。
「待てっ!!」
無論ヤンはこれを追う。
急追に急追を重ね、馬を並べるところまで追った。そして再度打ち掛かろうとした、その時。
「むんっ!!」
シャオローンが前動作なしで槍を繰り出した。
ヤンは反応して手綱を引き絞った。が、僅かに遅れた。
槍先が手綱を違わず突き、ぷっつりと切った。
「うわっ!?」
馬が駆け出し、体勢を崩したヤンは鞍の上からどう、と落ちた。
しかし流石は神雷火、すぐに立ち上がり矛を構え直す。
シャオローンも馬を下り、両者は地上で再び槍と矛を戦わせた。そのまま十数合渡り合う。
ヤンの大矛が伸びる。シャオローンが槍で受け止めた。
穂先が矛の叉に食い込む。
次の瞬間、槍が大矛を絡め飛ばした。
矛は二丈余りも空を飛び、大地に落下した。
ヤンは呆然と、己の右手と、彼方の矛を見遣っていたが、やがてその場にどっかりと腰を下ろした。
「好きにしろ。こうなったら、じたばたしねえよ」
シャオローンはここで初めて構えを解く。
「では、私と一緒に来てくれ。我々の真の目的を話したい。自分の耳で聞き、自分の目で見て、その上で我々が正か邪か、お前自身が判断すれば良い。――これで宜しいか、シリウス」
「勿論。是非そう願いたい」
いつ現われたのか。シリウスが馬を曳きつつ、ヤンの大矛を拾っている。
「シャオローンは貴男方を人物と高く評価している。だから是非、僕達の話を聞いて欲しいと思う。貴男にとって、それだけの意義がある話だから」
シリウスはヤンを立たせ、矛と馬を彼に返した。
「な……」
絶句するヤン。慌ててシャオローンの方を振り返ったが、彼も納得したように頷くだけである。
シリウスはさっと馬に跨り、先に歩き出した。シャオローンも同じようにその隣を行く。
ヤンは迷った。彼等が背を向けている今なら、この場から逃げ出す事も出来る。或いは、付いて行く振りをして、隙を見て背後から賊の首魁を討つ事も可能だ。帝国の軍人ならそうすべきなのだ。
だが一旦は負けを認めながら、そのような振る舞いに及ぶのは余りに卑怯未練、彼の武人としての誇りがそれを許さなかった。それに、あのシャオローンが自分に話したいと言う“真の目的”とやらに対する興味もあった。
彼は大矛を了事環(鞍に武具を掛ける為の環)に掛け、二人の後にゆっくりと付いて行った。
その頃、主戦場での闘いも決着を迎えようとしていた。
ヨシオリが相手に選んだのは風浪子のジャン――自分と同じ二刀を使うところからの選択だった。
両者の間を四本の剣光が行き来する。
ジャンの動きはヨシオリに勝るとも劣らないものだった。彼女は知らなかったが、彼の「風裂二剣流」はその攻撃の速さと連携に特徴がある。加えて彼女は馬上での闘いはそれほど得意ではない。
「面倒!」
埒が明かないと見るや、彼女は馬を下りた。二刀を翳してジャンに向かって行く。
彼もそれに倣って受けて立った。
地上での激闘。剣と刀の相打つ音が絶え間なく続く。
だが、地上ではヨシオリの動きが勝った。彼女の刀は次第にジャンの剣を追い詰めていく。
そして遂に、無名子の一撃が彼の小手を捉えた。
痛撃に剣を取り落とすジャン。
「とぅっ!」
その隙を衝いて、彼女はジャンに飛び掛かった。残る一本の剣を払い、足を掛けて彼を大地に押し倒すとそのまま馬乗りになり、首筋に無名子の刃を押し当てる。
一瞬の裡に組み伏せられたジャン。しかし降伏の言葉は吐かない。歯を食い縛り、ヨシオリを睨み付けた。
彼女は無名子をそのまま、左手で大刀を握り直し、その柄で彼の頭を力一杯殴る。
一声呻いて、ジャンはくたりと動かなくなった。
ヨシオリは漸く大きな一息を吐き、そして叫んだ。
「取ったわ!!」
その横で、チャールはジャンの弟、氷浪子のシュラと闘っていた。
彼女は左手に氷の曲月刀“凄皇”を扱う、“聖飛将”の名も勇ましい女騎士。片や、シュラも兄と同じく「風裂二剣流」の剣を使う戦士である。
しかし、そのシュラの剣は明らかに鈍かった。元々彼の剣技は兄に及ばないものであったが、しかしその動作の一つ一つに、何か躊躇いがあるようであった。
いや、事実、彼は躊躇っていた。剣を振るう度に、心が揺れ動く。
“美しい……”
命を懸けて打ち合いながら、彼の心にはそんな思いが満ちていた。
“このような美しい人が、何故こんな戦場に――?”
二剣の連携には知らず掣肘が掛かり、彼女の一刀に対するのがやっとの様であった。そこに、兄の敗北を告げるヨシオリの叫びが飛び込んで来た。
「兄さん!?」
シュラは完全にそちらに気を取られた。その隙をチャールは逃さない。
「やぁっ!」
渾身の力を込めて振るった一刀は、不意を突かれて慌てたシュラの剣を難無く弾き飛ばした。
一剣を失ったシュラは、何とか兄を救出したいと思うも現状では望みなく、已むを得ず逃げ走った。
一方、デュクレインは水龍侯ラスティーナと対峙する。
片や全身を白で統一した端正な戦士、片や鍔広帽子に装飾を施した衣装も煌やかな伊達男。両者の間に見えぬ火花が散る。
「感覚は悪くないが、洗練の域には程遠いな。それでは僕の相手にはなれないよ」
ラスティーナの指摘に対し、デュクレインは端的に一言で答えた。
「……気障野郎」
当然ラスティーナの耳にも届いている。彼は肩を竦めて、苦笑の表情で首を左右に振ってみせた。
「……やれやれ、趣も弁えないとは」
これ以上の口舌は無意味と、デュクレインは魔剣フォイエルンを抜いてラスティーナに突き掛かった。対するラスティーナも刺突剣の鞘を払って応戦する。
互いの剣と剣が、虚空に火花を散らす。
剣技においては、ラスティーナに一日の長があった。矢継ぎ早且つ的確な突きが、デュクレインの防御を崩し、掻い潜り、次第に彼を追い詰める。
そして、刺突剣の一閃がデュクレインの眼前で閃いた。
「!?」
気付いた時には、彼の顔から遮光鏡が飛んでいた。跳ね上げられ、彼の馬の足元に落ちる。
「ふうん、なかなか渋い面構えじゃないか」
と、ラスティーナ。しかし彼は、殆ど閉じたようなデュクレインの両目に一瞬興味を奪われた。
その刹那、デュクレインの左手が高速で翻る。
ラスティーナの身体が警報を発した。ハッと首を竦める。
次の瞬間、鍔広の帽子が宙に飛んだ。
重さを感じさせないゆっくりとした速度で落下し、音もなくふわりと大地に着く。
ラスティーナは驚きの目でデュクレインを見た。彼の左手にはいつしか小さな刃が握られている。
「鋼線刃か……」
得物の正体を知ったラスティーナは逡巡した。鋼線刃と刺突剣では間合いが違い過ぎる。まして、相手が練達の使い手である事は、今の動きでも判る。
その時、彼はジャンが敗れて捕らえられ、またシュラも敗走した事を知った。長引けば、三方から取り囲まれかねない。彼の行動は早かった。
「次の機会は、剣での尋常な勝負を所望したいな」
捨て台詞を残し、その場から立ち去った。去り際に、馬上から剣で帽子を拾い上げて行く余裕を見せて。
デュクレインはそれを見届けると、徐に鋼線刃を足元に放った。
鋼線刃は遮光鏡の弦に絡み付くと、主人の動作に応じて、遮光鏡を引き連れて彼の手元に収まる。
遮光鏡を掛け直し、デュクレインは恬然たる態で陣へと戻っていった。
マリアとアオイの対決は一瞬で決着が付いた。
アオイの弓に対し、マリアはせめて礫の届く距離に入らねば勝負にならない。愛剣“星尖剣”を抜き、馬を全速力で駆ってアオイに向かう。
他方、アオイもマリアが礫の名手であると知っている。マリアに対し左へ逃げるように馬を走らせながら、馬上で矢を番えて満を持す。
マリアの左手が腰に伸び、小袋から礫を掴み出す。
その瞬間、アオイが放った。
一直線に飛来する矢を、マリアは予期していたように剣で払い、叩き落とす。
だが、直後にもう一本の矢があった。
咄嗟に左手を盾にする。その手に矢が突き立った。
「やったわ!」
得意の連速射が見事に決まって、アオイは喜色を一杯にする。しかし相手はコーベが誇る神臂娘、油断してはいけなかった。
マリアは鞍上に踏み止まり馬の脚色も緩めない。そのまま剣を小脇に挟み、礫を左から右に持ち替え、最小動作で投げる――全てが瞬く間の出来事だった。
礫がまともにアオイの額を捉えた。
「キャッ!?」
大きな衝撃に、堪らず落馬するアオイ。
これを見てリンネはカオスとの勝負を打ち切り、妹分の元に駆け付けて救い出した。カオスもまた、マリアを庇って陣に引き返す。
これを潮に、双方が繰り広げた激闘は幕引きとなり、両軍は互いの陣へと帰って行った。
こうして、山賊団は官軍の三将を捕らえ、戦いはいよいよ最高潮、水陸を縦横する最大の激戦を迎えるのであるが、その帰する所は果たして如何相成りましょうか? それは次回で。




