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水滸伝獣魔戦記  作者: 神 小龍
本編
2/42

第二話  闘鷹 天翔龍と親しみ 飛刀夜叉 街道に武を競うの事

 故郷を離れたシャオローン、旅の初日は飢えては食い、渇いては飲みつつ歩を進め、日が暮れると北の街ゼルコーヴァに宿を取った。ここには語るべき事件もない。

 シャオローン=シェン。オークランド出身の二十二歳の若者。身の丈七尺六寸、堂々、と言うには少し細身の体付きだが、手練の戦士である事はその動作の端々から窺える。髪は黒、長めに伸ばし、僅かに吊り気味の目の瞳もまた黒で、明らかなヤパーナ民族である。

 身には薄土色のマントを纏い、頭には白の兜布--中に鉄板を縫い込んだ鉢巻、手には白布を巻き、足には脛当グレーブと一体になった長靴ブーツを履き、右手に九尺の朱塗りの柄に緋房の付いた直槍スピア--彼が呼ぶところの”紅龍槍こうりゅうそう”--を携えている。一見したところでは冒険者だか傭兵マーセナリィだか判らない格好だ。

 今、彼は北を目指して旅をしている。根拠は特にない。微かに未来が予見でき天翔龍てんしょうりゅうとアダ名される彼だが、あくまで予見できるだけであり、決して自分の意志で未来が見通せる訳ではないのだ。彼は唯、己の勘に従って道を定めているだけであった。

 尤も、ゼルコーヴァは彼のいたオークランドとは比較にならないほど発展した街であり、当然人も多い。またさらに北東に行けば西の都ウェストキャピタルがある。人中に隠れた同士を探すのであれば足を向けて然るべき地であった。

 明くる日、宿を出たシャオローンはゼルコーヴァの街中を散策した。差し当って必要な物を仕入れるのと、仲間を探す為である。しかし、ヤパーナ全土に散らばっているだろう百数人の同士である。おいそれと見付かるものではない。

 三日間探し回って一人も見付からなかった。

 四日目の朝、別の街へ行こうと宿を発ち掛けたシャオローンへ、

「おや、もう御出立でっか」

関西かんせい(ヤパーナ西部)訛で話し掛けてきたのは宿屋の主人。

「あぁ、また旅の空さ。親父、ここは良い宿だったよ」

「ヘェおおきに。お立ち寄りの際は、また泊まっておくれやす」

 根っからの商売人と見える。自分の店を褒められて嬉しくなかろう筈がない。

「ところで変な事お訊きしますけど、お客さん冒険者でんな?」

「そうだが?」

「ここから北東に、都に向かう街道を五里ばかり行った所に、この辺随一の大旦那ちゅうお人のお屋敷がございます。お暇やったら、話の種に寄り道しはったらどないでっか?」

「それはどう言う由緒の方で?」

「えっと、ちと口が憚られまんねんけど、前の王朝の正しい血筋ちゅうお人です。義に篤く、情け深く、金銭を疎んじ客を愛し、例え縁も所縁もない風来坊でも訪ねて行けば一宿一飯の世話をしてくれる、一言で言って侠漢でんがな。その上、知恵は書物万巻に優り、三尖両刃さんせんりょうじんの刀を持てばこれまた自在に使うちゅう、知勇兼備て言葉はあのお人の為にあるんとちゃうかいな、なんて私ら思うとるんですわ」

 さても長い旦那様自慢もあったものである。しかしシャオローンは聞くうちにふとその人物の風聞を思い出した。

「あぁ! では、あの“闘鷹とうよう”ともアダ名されるホーク=ファイ=リート殿の事ですか?」

「そうです。その人です。お客さんも御存知でっか?」

「勿論。イーストキャピタルのハル=アンダルヘール殿、トダのアマルガン=ロウ殿と並び称されるヤパーナ中の三傑のお一人ではないか。私も機会があれば是非お会いしてみたい人と常々思っていたのだが、これまではその折もなかった。しかし、これも一つの機運、不躾だが一度お訪ねしてみよう」

「それがよろしおま。実のところ、私ら宿の者は皆旦那様から、一廉の人物が来たら屋敷へ行くよう勧めろ、と日頃からよう言われてますんで、行きはったらええ思いまっせ」

 世の中、何がどう転ぶか解ったものではない。この一奇縁が何を齎すのか、それは後にこそ知られる事である。


 さて、教えられた通りの道を辿って行くと、やがて目の前に大きな構えの門が見えて来た。屋敷の周りは河に囲まれ、両岸には垂柳の林が緑を誇り、緑に混じって塀の白壁が見える。豪奢でなく優雅、主の気品が十二分に窺われる造りであった。

 シャオローンが広い木橋を渡って門の内を覗いてみると、庭仕事をしていたらしい下男風の男が出て来た。

「何の用ですかい?」

「私、オークランドのシャオローン=シェンと申す風来坊です。御主人様の噂を聞いて当地に参った者、何卒御主人様にお取り次ぎ戴きたいのですが」

 シャオローンは辞を低くして言った。

「では、暫くお待ち下さい」

 下男は屋敷の方へ取って返した。

 庭園もまた見事なものであった。四季の花、草木が紅や緑を彩り、金鱗の鯉が悠然と泳ぐ大池、庭石の配置の妙といい、風流の道には大して賢くないシャオローンにもその絶妙な調和の程が感じ取れ、時を忘れるかのようであった。

「お出迎えもせず、失礼を致しました」

 声を掛けられて、彼はハッと我に返った。慌てて拝礼を執る。

 その主人なる人物はと言うと、身の丈七尺七寸余、均整の取れた体付きの壮士で、龍眉鳳目、丹唇白歯、誠にもって高貴な気風を漂わせている。年の頃は二十四、五とも見えるが、辺りを払う威風は年齢以上のものを持っていた。服装もきらびやかでなく、黒と銀を基調とした簡素ながら重厚なもので、それがさらに威厳を増して感じさせているようにも、またこの人の人となりを表わしているようにも思えた。

 この人物こそが、知勇兼備の大官人と讃えられるホーク=ファイ=リート、アダ名を闘鷹と言うその人であった。

「御高名はよく伺っておりました。何とかお目に掛かりたく思いまして、無礼を承知で訪ね参った者にございます」

「さては関西に名の通った天翔龍のシャオローン殿ですか。こちらこそお名は夙に聞いておりましたぞ」

「私如きがお耳にあったとは、恐縮に耐えません」

「折角の機会ですから、心行くまで御逗留下さい」

 噂通りの侠客大尽である。シャオローンは益々尊敬の念を深めた。

 そうして、伴われて屋敷に上がった事は言うまでもない。


 ホークの案内で廊を歩いていたシャオローンは、ふとそこから見える光景に足を止めた。武芸者と思しき傲岸そうな一武士が棒を片手に下男や旅人に格闘術の指導をしているようであった。武芸は我が道なので、シャオローンは武士が口上を述べつつ右に左に棒を操るのをじっと見ていた。そのうち、武士の方も気付いたようである。

「これは御主人。その方は一体どなたで?」

 口調に探るような響きがあった。

「精が出ますな、ゴート先生。この人は旅の道すがらお立ち寄り下さったお客人ですよ。また晩に御紹介致します」

「いやいや、それには及びません。漢の挨拶はこれに決まっております」

と手にした棒をシャオローンに向け、

「只の旅人にしては立派な朱槍。名のある人とお見受け致す。一つ手合わせをお願いしたい」

気勢を高く上げ、こう言ったものである。このゴートと言う男、棒についてはかなりの腕を持っているようである。その分大きな口も叩くが、まだ言う程の腕を披露した事がなかったので、丁度良い折とシャオローンに目を付けたものだった。

「いいでしょう。お受けします」

 言うなり、廊の手すりを軽々と飛び越えて庭に立つシャオローン。彼は、自分より格下の相手に威張り散らす輩が何と言っても嫌いだった。最初から相手を見下したようなゴートの居丈高な態度にいい加減腹を立てていたところだったので、決闘の申し込みも渡りに船とばかり簡単に応じたのだ。

 ホークはこの展開に一人北嫂笑んでいた。下男の一人に金の入った袋を用意させ、

「これほどの名勝負が賞品なしと言うのは味気ない。勝った方にはこれを路銀に差し上げましょう」

 さらに場が沸いた。

 ゴートは棒を眼前に斜に構え、シャオローンは槍の石突を対手に向ける。

 一瞬の間を置いて、二人は同時に踏み込んだ。

 戞然、棒と槍が相打つ。

 と思うや否、地には悶絶してへたばったゴートの姿があった。

 何がどうなったのか誰にも解らなかった。

「手当をお願いします。肩の骨が砕けたようです」

 シャオローンの声に、我に返った下男達が慌ててゴートを邸内に運び入れる。

 この一件より、ホークが彼を褒める事頻りであった。

「いやお見事! 当代切っての槍使いとは聞いていましたが、これほどのお腕前とは思いませんでした。やはり噂は伊達には伝わらぬものですな」

 これには流石のシャオローンも気恥ずかしさを覚えたのか、謙遜して言った。

「いえ、御過賞です。素人相手に少しばかり行き過ぎた真似をしました」

 謙遜している割には言う事が辛辣であるが、これは彼の本音だった。彼はゴートの手並をじっと見ていて、それが実戦経験のない見せ物の棒術である事を戦う前から既に見抜いていたのである。加えて、これは後に判ったのだがゴートは東の都、帝都イーストキャピタルの出身で、シャオローンの事を全く知らなかった。

 勝負は最初から決していたようなものであった。

「さぁ、これはお受け取り下さい。あちらの亭に酒の用意が出来ていますので、早く行きましょう」

「では」

 シャオローンは袋を受け取り、ホークに付いて亭に向かった。これより夜まで、二人は悪政への義憤から武勇伝まで文字通り胸襟を開いて語り合ったが、この話はそれまでとする。

 ちなみにかのゴートとか言う男は、よほど恥じ入ったものか手当を受けてすぐに逃げ去るように邸を飛び出してしまったそうである。


 その夜の事である。シャオローンは誰かに呼ばれたような気がして目を覚ました。

 辺りを見回してみるが、勿論誰もいない。

 つい先刻まで主人のホークと共に大いに飲み食い且つ談笑し、挙句に寝所に案内されるやすぐに横になって寝入ってしまったのである。まさか客の寝所に忍び込む者などいないだろう。

“気のせいか……”

 シャオローンは知らず感じていた緊張を解いて、再び眠ろうとした。

 その時である。地の底より伝わって来るような咆哮とも鬼哭ともつかぬ禍々しい響きが辺りを震わせたのは。

 人間の耳には恐ろしい吠え声にしか聞こえないだろう。しかし、彼にはその声がはっきりと聞き取れた。

 瞬時に彼は跳ね起きた。その目は暗闇に不気味な赤い光を放っていた。そう、あの翼竜ワイバーンのような……。

〈我が名を呼ぶは誰か……〉

 彼の口から出た呟きもまた、先程の魔の響きそのものであった。

 応えは返って来た。それは彼の頭の中に直接語り掛けて来るものであった。

《やはりお主であったか、シャオローン……》

 その声を聞いて、彼の顔に僅かに驚きの表情が浮かんだ。

《……これは、ホーク参謀閣下……?》

《おぉ、やっと気付いたようだな》

《こ、これはとんだ御無礼を……》

《そう強張るな。この地にあっては参謀も竜騎兵隊長もないわ。ましてや、お主と我は共に魔煞まさつの宿星を持つ同士ではないか》

 声の主は笑っているようであった。

 ホーク・ザ・ゲイル。元魔軍の空戦参謀。その姿はロックかとも思えるほど巨大な鷹である。百八の魔獣は勿論、魔軍の中でも一、二を争う知謀を持つ策士であり、且つ“旋風ゲイル”とアダ名される勇者でもある。シャオローンら空戦師団の面々にとっては、同じく空戦参謀である銀龍シルバードラゴンシン・ハイウェルと共に、非常な尊敬の対象となっていたのだった。

《しかし、閣下は今どこにおられるので?》

《閣下はよせ……シャオローン、先程までお主と相対していたではないか》

《何と!? では、やはり……》

《何だ、知っておったのか》

《いえ、以前よりここの主人の噂を聞き、もしやと思っておりました。折あらば訪ねるつもりで……》

《相変わらず先読みの鋭い男よ》

 ここでホークの口調が引き締まったものになった。

《……で、お主がこの地にやって来たと言う事は、すなわち“時”が近付いておるのだな……?》

《はい》

《そして、一度撒き散らされた百八の魔星が再び集う事となる……だがシャオローン、残念ながら我はまだこの地を動く事は出来ぬ》

《何故?》

《この男の人間界における宿業がまだ尽きておらぬのだ。だが案ずるな。いずれはお主達の元に向かう運命にある、と星の運行が告げておる。その時まで、暫しの猶予をくれ》

《解りました。さすればその時に……》

《お主は明日、この地を発って西に向かうが良い。西の天に勇星が集まっておる。察するに、我らの同士か或いはお主の助けになる者がおるに違いない。……そう、イルージュやリヴァーウェストと呼ばれる地だな》

《御助言忝のうございます》

《よいかシャオローン、くれぐれも自愛せよ……そして、いずれまた相見えよう》

《ハッ!》

 声は消えた。

 シャオローンはそのまま目を閉じ、横になった。穏やかな寝息が辺りに聞こえる。

 周囲を覆っていた魔界の気は既になかった。


 翌朝、すっかり旅装を整えたシャオローンはホークに暇を告げた。

「そうですか。もうお行きなされますか」

 ホークは自身、門まで見送りに出た。

「昨晩は大層にお持て成し戴き、ありがとうございました」

「また機会あらば、いつでもお出で下さい」

 恩を謝すシャオローンに対して、ホークはあくまで大尽風であった。

「して、これからどちらへ?」

「西の方へ行こうと思います」

「ほう、西へ……」

 ホークが僅かに目を細める。

「では、道中くれぐれもお気を付け下さい」

「重ね重ねの御配慮、シャオローン長く忘れません。しからば、これにて」

 今一度礼を交わして、シャオローンはリート邸を後にした。このホークは後にシャオローンらと共に現帝国の腐敗政府に対して反旗を翻す百八傑の一人となるのだが、それはまだ先の話である。


 さて、そのシャオローンが街道を西へ指して歩き、やがてイルージュの街へ入ろうと言う時であった。

 不意に、彼は徒ならぬ気を感じて後ろへ飛び退った。

 と、直前まで彼がいた地面に短刀ダガーが二本刺さっている。

 さらにもう一本。

「誰だ!?」

 体勢を立て直して誰何する。

 その声に応ずるかの如く、右前の林より一人の戦士が姿を現わした。

 身の丈七尺四寸ばかり、髪は白銀、濃い遮光鏡サングラスを掛けている。胸当て・肩当て・マントと白で統一された衣装が驚くほど映えている。年の頃はシャオローンより三つ四つ若いか。どう見ても二十歳は越えていない。得物は手にしていないが、触れなば斬らんと言うような鋭気が体全体から感じられる。

「腕に覚えがあるならば勝負を所望する。自信がなければ去れ」

 その戦士は口を開いた。淡々とした口調が却って威風堂々とした武者振りを感じさせる。

 シャオローンも負けじと怒鳴り返す。

「何の故あって道を阻むか!? 返答次第では只では済まさんぞ!!」

 返答は剣呑な形で返って来た。

 戦士がいきなり右手を大きく前へ振り出す。

 何かを投げた! 直感的にそう悟ったシャオローンは身体を軽く右に沈めた。

 だが、一陣の風が彼の側を吹き抜けて行ったと同時に、左頬に赤い線が走った。

「!?」

 彼は驚いた。予想外の速さと切れ味である。

“何を投げている……? それとも魔法か……”

 戦士は右手を引き戻して再び構えを取った。遮光鏡の奥の瞳が、呆然としているシャオローンに向かって挑戦的な光を投げ付ける。

 間髪を入れず腕を繰り出す。

 シャオローンは地に手を付いて転がり避ける。

 その立ち上がり際、彼の目は宙を飛ぶ何かを捉えた。

 反射的に身を躱す。

 その横を“何か”は掠めて行った。

 髪が一房宙に舞う。

“魔法ではない……この武器はもしや……”

 切れ落ちた髪を見つめる内に、シャオローンの中に或る記憶が浮かんだ。かつて、槍の師ワン=シェインに教えられた事がある。

“ならば、確かめてみるか”

 シャオローンは初めて槍を構えた。

 が、戦士に臆する気配は全くない。次に左手を真っ直ぐに振り下ろした。

 すかさずシャオローンが槍を横に払う。

 金属と木のぶつかる音がした。

 グッ、と何かが引っ掛かったような感触と共に槍は止まった。

 口金の部分には細い鉄線が巻き付いており、その端には長さ四寸程の細い刀が付いている。もう一方の端は戦士の左手まで空中を続いている。

「なるほど、鋼線刃ストリングブレードか……」

 鋼線刃とは非常に細い鋼線の先に小さな刃を付けた投擲武器の一種で、高速で飛ぶ鋼線自体にかなりの切断力があるので短刀や投矢ダートに比べて殺傷能力が高いのが特徴である。鋼線刃の使い手と相対した者には、先端の刃は見切れても続く鋼線の存在に気付かずに切られる者も多く、手練ともなると鞭の如く自由自在に扱うと言う。

 いずれにせよ、普通の人間がすぐ扱える武器ではない。

「これをここまで使いこなせるとは、並の腕前ではないな」

 シャオローンは槍を一振りして鋼線を外した。鋼線刃はまるで生きているかのようにスッと戦士の左手に収まる。

“久し振りに、手応えのある相手に会えたな……ゾクゾクする”

 シャオローンは、遅蒔きながら全身の血が熱く滾って来るのを感じた。より強い相手と出会う事を喜び、己が持てる全てを叩き付けられる敵と戦う事に快感を覚える。それは、彼ら優れた戦士の本能に近い習性であった。

 彼の身体の内に燃え上がった炎に呼応したのか、戦士の方も敵意をさらに冷たく漲らせていた。

 二人の間で、戦意が見えざる火竜と氷竜となって互いを飲み込まんと盛んに躍動している。

 最高潮に達したその時。

 渾身の力を込めて戦士が鋼線刃を放つ。

 その刃がシャオローンに届くと見えた瞬間、

「ハッ!!」

 目にも止まらぬ速さで彼は槍を繰り出した。全身を発条にした猛獣が獲物に飛び掛かるべく縛めを解き放った時のように。

 その穂先は寸分違わず鋼線刃の切っ先を捉えた。

 一直線にぶつかった両者はその勢いで一瞬空中に静止した。

 そして、鋼線刃が酷くゆっくりと、まるで重さがなくなったかのように落ちて行く。緊張が極限まで張り詰めたこの空間では時間の流れさえ遅くなっているかのようである。

 チン、と乾いた音を立てて刃は地上に着いた。

 その音を合図に緊張が解ける。

 戦士は驚愕の色を隠してはいなかった。鋼線刃を引き戻す事さえ忘れている。

覇皇はおう流槍術奥義、点針突槍てんしんとっそう!」

 シャオローンが言う。

 点針突槍。すなわち、向かって来る物体の先端部に槍先を合わせる技である。高速で動く物体を見切るには驚異的な視力・集中力・技量が要求され、数ある覇皇流奥義の中でも難度の高い究極の防御法である。

 覇皇流と聞いて、戦士の顔色が変わった。

「もう一度試してみるか?」

 戦士はシャオローンの挑発に乗った。もう一度鋼線刃を投げる。

 しかし、シャオローンの槍と鉢合せて落ちてしまう。

 次に左手。

 これも落とされる。

「!!」

 戦士は鋼線刃を捨て、腰の剣を抜いてシャオローンに飛び掛かった。

 シャオローンは慌てず迎え討つ。

 十数合渡り合って勝負が着いた。シャオローンの槍が戦士の剣を跳ね飛ばしたのだ。

 あっ、と身を引く戦士の喉元に槍が突き付けられる。

「いい剣捌きだが、間合いに入れなかったようだな」

 それだけ言って、シャオローンは槍を引いた。

 戦士の顔に疑念の色が走った。何故止めを刺さないのか?

「殺すには惜しい腕だ」

 シャオローンはいつもの微笑で付け加えた。幾分安堵の響きも交じっていたその台詞につられて、戦士も笑ったようである。遮光鏡の奥に隠れた目はよく判らないが、表情に先程までの殺気はない。

「流石は天翔龍のシャオローン=シェン」

「私を知っているのか?」

 非礼を謝罪するように、戦士は深々と頭を下げた。卑屈さなど微塵も感じられない立派な態度である。

「まずは頭を上げてくれ。試みに私も訊きたいが、貴殿は“飛刀夜叉ひとうやしゃ(夜叉は大神を守護する鬼神の一人)”のデュクレイン=キルナヴェルではないか?」

 戦士は一瞬訝しげに眉を動かした。

「イルージュの武芸者、鋼線刃の使い手と噂に聞いていたのでね。風聞通り大した腕前だったよ」

 シャオローンは笑いながら右手を差し出した。

 戦士--デュクレインは視線をシャオローンの目から逸さずにその手を握り返した。

「会えて良かった。この邂逅を祝いたいが、どこか良い場所を知らないか?」

「家の近くに良い店がある」

「じゃ、話はそこでだな」

 シャオローンが促し、デュクレインは無言で頷いた。

 二人は連れ立って細い脇道に入って行く。どうやら、好敵手同士秘術を尽くして渡り合い、後に親交を深めるものらしい。上っ面だけでは解り合う事など出来ないのであろう。


 デュクレインの案内で辿り着いたのはさほど大きくない集落であった。イルージュでヘ・オーグと呼ばれる集落である。しかし、ここには街で感じる事の出来ない或る種の活気があった。シャオローンは故郷オークランドに似た雰囲気を楽しんでいた。

「ここがデュクレインの故郷か……」

 良い場所だ、とシャオローンは思った。空蒼く、山近く、花の咲かざるはなく、鳥の鳴かざるはなし、と言うところか。

 ふと近くに視線を戻すと、デュクレインが親指で前を指して合図している。

「そうだな。案内を頼む」

 二人が歩き出し掛けたその時、

「デュクレイン!」

横合いから声が掛かった。甲高い声だ。

 振り向くと、一人の女性がこちらへやって来るのが見える。やや亜麻色がかった白銀の髪に茶色の瞳、紺のマントには銀糸の縫い取りが見て取れる。落ち着いて見えるが、多分年齢はデュクレインとそう変わらないだろう。一目で魔術師系の人間である事が判る。

「アリーナ」

「アリーナじゃないわよ。また山賊紛いの真似をしてたの?」

 このアリーナと言う女性、見かけによらずなかなか手厳しい。これも修行だ、と嘯くデュクレインに、

「修行はいいけど、誰彼構わず勝負して、怪我人を作っては私の所へ連れて来るって言うのは止めにして欲しいわ」

 そう言って、アリーナは初めてシャオローンの方に向き直った。

「あなたもいきなり襲われたのでしょう? この人、こうやって腕を磨いているんです。悪く思わないで下さいね」

 彼女は右手をシャオローンの左頬に伸ばし、目を閉じて小さく何か呪文を唱えた。

 右手が淡い光を放ち始める。

 シャオローンは左頬に痺れるような、それでいて暖かい感触を覚えた。

 すぐに左頬の傷は消えた。

「他にお怪我はありませんか?」

 アリーナの声で我に返ったシャオローン、慌てたように返事をする。

「い、いや、私は別に……」

「今日は君の所に連れて来たのではない」

 デュクレインが口を挟んだ。バク爺さんの店に行くところだから、暇だったら一緒に来るといい、と付け加える。

「あら、無口なあなたにしては珍しいわね。どう言う風の吹き回しかしら?」

 からかうように訊かれたデュクレインは、無愛想にボソッと答える。

「彼は俺より強い」

「エェッ? あなたより?」

 アリーナは驚いたようだった。デュクレインは彼女の反応を無視してもう一度同行を促す。

「え、ええ、今は手は空いてるけど……」

 それだけ聞くとデュクレインは軽く頷いて先に歩いて行った。シャオローンもそのまま付いて行く。

「あ、ちょっと、待ってよ!」

 二人の後をアリーナは慌てて追い掛けた。

“バク爺さんの店”と呼ばれるその店はすぐ近くだった。田舎によく有り勝ちな小ぢんまりとした店だったが、酒の味には定評があるらしく、昼間だと言うのに店の中には多くの客が盃を片手に談笑していた。

 三人は入口に近い卓に着いた。デュクレインは主人である初老の男--恐らくこの人物がバク爺さんなのだろう--と顔馴染みらしく、すぐに酒と肉が運ばれる。

 まずは乾杯して一口飲む。良い酒である。

 美味い酒は人を饒舌にする。三人の会話--正確には会話は専らシャオローンとアリーナの間でのみ行なわれていたのだが--もすぐに弾み始めた。

 ここでアリーナは、目の前の人物が天翔龍のシャオローン=シェンである事を知った。驚きもし、納得もした。

 このアリーナと言う女性、本名はアリーナ=ディクト=ドレスデンと言い、見立て通り一級の魔道士である。十八歳と言う年齢からは信じられないような魔法を使いこなし、デュクレインと組んでヘ・オーグを怪物から何度となく救っており、“小玄女しょうげんにょ(玄女は九天を照らす女神)”とまで呼ばれている。

 一方のデュクレイン。極端に無口なこの男も、飛刀夜叉の名に違わぬ武勇伝を持っている。一通りの武芸をそつなくこなし、特に鋼線刃の扱いに優れ、かつては鋼線刃だけで小鬼ゴブリンの群れを蹴散らした事もあると言う。また彼は日光に対して目が弱く、濃い遮光鏡の下の瞳は日中殆ど閉じているそうだ。反面、暗闇や洞窟の中でさえ物を見る事が出来るほどに夜目が利くとか。

 そんな事を談じ合っている内に、ふとデュクレインがシャオローンに何故このような所へ来たのか、と尋ねた。

 デュクレインの疑問は確かに的を得ていた。こんな小さな集落にまで怪物共が出没する時世に、天翔龍のシャオローンともあろう者が、物見遊山でヤパーナを彷徨き回っているとは思い難いだろう。

「そこまで見抜いているなら是非話を聞いて貰いたい」

 デュクレインの聡明さを見たシャオローンは「この男は使える!」と判断し、全てを語った。怪物共の活発化の背景には彼らを支配する“魔王”の地上への現出がありその日は近付いている事、そして魔王と戦う事の出来る勇者を探して旅立ったところである事……。

「……今、飛刀夜叉のデュクレインがどれほどの人物か、この目で見させて貰った。そして、共に戦える人物であると確信した! どうか私に力を貸して戴きたい」

 デュクレインはアリーナと顔を見合わせた。シャオローンはまだ熱っぽく話している。

「勿論敵の力は強大、無事に帰れる保証はない。だが、魔王を討たねば我々が滅ぼされる。ならば、座して死を待つよりは無謀な戦いでも挑む方がまだ未来はある筈……!!」

 シャオローンの台詞はそこで途切れた。デュクレインが片手を上げて制したのだ。

 彼は一語一語区切るように言った。

「それは俺の宿命でもあるらしい」

「宿命!? まさか、デュクレイン……!」

 デュクレインは答えず、徐に左袖を捲り上げる。

 その上腕に浮かぶ星形のアザを認めて、シャオローンはアッ、と声を上げた。魔煞の宿命を持つ魔獣が人間の体を借りて転生すると、その体のどこかに星形のアザが浮かぶと言う。シャオローンも右肩の後ろにアザがあるのだ。

 するとデュクレインは……!

 シャオローンの目が赤く光った。周囲の気が魔性のものに変わる。いや、魔性の気はシャオローンだけではなく、デュクレインも発していた。感覚が鋭敏な者ならその異様な気を感じ取れただろうが、幸いと言おうか店の客は皆強かに飲んでおり、周りなど気にしてはいなかった。

《やはりシャオローンか、久しいな……》

 波動が頭に伝わって来るのをシャオローンは感じた。無論その声に覚えがある。

《おぉ、ミネルヴァ、お主であったか……》

 ミネルヴァ。元魔軍の直衛軍独立遊撃隊副官を務めていた影龍シャドウドラゴンである。体の周りが常に黒い闇に包まれているので、その本体は不明である。ドラゴン族の中で唯一魔界出身の種族だが、正義を愛し何よりも嘘を嫌う。重力系の暗黒魔法を使いこなす強者である。

《遂に“時”が来たか……》

《うむ、共に来てくれるか……?》

《御念までもない。我が宿命に従うのみ》

《おぉ、ならば急ぎ発とう……》

 そこでシャオローンはアリーナに目を遣った。彼女は先程までと変わらぬ様子で二人をじっと見ている。一般に、魔法使い(マジックユーザー)は魔界の波動に敏感なものである。それが何故平然としていられるのか……シャオローンは不審に思った。

 それを察してか、ミネルヴァが説明した。

《懸念には及ばぬ。彼女もまた魔界の者だ》

《ほぅ……?》

《お初にお目に掛かります、シャオローン様。ラナンシーのディルクシアでございます》

 シャオローンの頭にミネルヴァとは違う意識が流れ込んで来る。

 ラナンシーは精霊エレメンタル族の一種である。人間の男性の愛を探し求め、もし男が拒めば彼女達は奴隷の様に傅き、男が受け入れれば彼女達はその男を“恋人”とし、その命を吸い取って生きてゆく。恋人が死ぬと、その魂を内なる世界に閉じ込めてまた別の男の愛を探す。人間の男性の存在なしでは物質界、すなわち地界には留まれないのだ。

《ディルクシアとやら、今の話を聴いていたろうが、そなたはどうする気だ?》

《私には関わりのない事……しかし、この娘は付いて行きましょう》

 他人事のようにディルクシアは素っ気無く言った。精霊族は大体が物質界に無関心だ。ラナンシーもこの世界自体には興味はない。

《ならばいいだろう……》

 シャオローンの声は笑っていた。

《三人旅と行こうではないか》

《うむ》

《はい》

 魔性の気が唐突に消えた。

 シャオローン、デュクレイン、アリーナも人間の状態に戻ったようである。

「では……」

 シャオローンが切り出した。魔物であった時の会話も全て覚えている。

「早速だが、準備を整えよう」

「行き先は?」

 デュクレインが尋ねる。

「まだ決めていない。当てがあるのか?」

 彼は首肯して、イルージュの北の街リヴァーウェストへ行くのがいい、と提案した。

「どうしてだ?」

「これから話す」


 こうしてデュクレインが一人の戦士について語った事から、可憐な少女をして戦場に赴かせ、双刀を振るう勇者に敵味方とも大いに戦慄す、と言う事になるのであるが、果たしてデュクレインは如何なる人物について話したのか? それは次回で。

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