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水滸伝獣魔戦記  作者: 神 小龍
本編
19/42

第十九話  神箭姫 窮して入神技を見せ 羅刹嬢 敢えて好敵手を逃すの事

 まさしく短角鬼たんかくきのゴルドウッドは、リンネに向かって残る左目で笑ってみせた。

「いや、苦労しましたぞ。本島から是非とも姉さんに会わせたい御仁を連れて来ましてな。山に行きましたら、姉さんはアッバースに行ったと聞きましたんで、ここへ来たのですがな」

 アッバースに着いたゴルドウッドは、アントニオの居場所を聞き込み、この酒店を探し当てた。今日は貸し切りだ、と店の主人はゴルドウッド達を拒んだが、彼は店内にいたカールから言葉巧みに事情を聞き出し、密会の場に入る事を許されたのである。

 リンネは呆れたように肩をすくめる。元盗賊の商人に役人の御曹司おんぞうしが口で敵う筈もなく、手玉に取られたのもむべなるかな。

 アントニオも、この見知らぬ男がリンネの旧知らしいと判って、幾分警戒を緩めたが、

「話を聞いて、どうされる?」

 詰問の口調は重く、厳しいものがあった。しかしゴルドウッドは気後きおくれする風もなく、

「良い思案があれば、お貸ししましょう。勿論、わしは商人じゃから無代ただで、と言う訳には行きませんがな」

 アントニオが視線をリンネに向ける。

 彼女は微かに頷く事で、ゴルドウッドの信用を担保した。

「妹を無事に助けられるなら、対価を惜しむものではありません」

 カールもまた力強く言い切る。アントニオに否やのあろう筈がなかった。

「では、商談成立じゃな。儂の同行者達も、こんな卑劣な悪事は見過ごしてはおけぬといきどおっておる。良い戦力になるじゃろう」

「あんたもまた、酔狂なのを連れて来たね。いい加減につらを拝ませてくれないかい?」

 ゴルドウッドが合図を送ると、戸口から三人の男女が入ってきた。言うまでもなくリム、ライラ、そしてシャオローンである。三人はそれぞれ、一座に対して名乗りを上げた。

「ほう、あんたは関西かんせいの人か」

 アントニオが意外そうに声を掛けたのは、シャオローンが名乗った時だった。だが、シャオローンの次の言葉は彼にとってもっと意外な、驚愕を伴うものだった。

「フローラは元気ですよ」

 弾かれたようにアントニオは椅子から立ち上がった。

「あんた、フローラを知っているのか!?」

「アントニオ殿、覚えておられないかも知れないが四年前、貴方がアッバースに送られる時、見送りの列の中に私もおりました」

 言われてアントニオは、自分の記憶をまさぐった。遠隔の流刑地へ送られるあの日、自分の見送りに集まってくれた近隣の者達。迷惑を掛けたにも関わらず、罪が軽くなるよう奔走してくれた義の兄。そして、涙に濡れた瞳を片時たりとも彼から離そうとせず、じっと見続けていた少女フローラ――その傍らで、彼女を支えるように立っていた、髪の長い若者がいた……。

「あんたがあの時の……そうだ、フローラが以前に助けてもらった事があると言っていた、オークランドのシャオローン=シェン……それがあんただったのか」

 シャオローンは首肯しゅこうした。数年前、彼が道に迷った少女フローラを保護し、無事に目的地まで送り届けた話は、いずれ語る機会もあるだろう。

 過ぎた日を懐かしむような目の光、それも須臾しゅゆの事で、アントニオは再び表情を引き締める。

「それで、力を貸してくれると言うのか?」

「義を見てせざるは勇なきなり、と言いますからね」

 かくして、その場は八人の強者が額を集めて知恵を出し合う場となった。

 まずゴルドウッドが意見する。

苦役場くえきじょうの近傍には、万一に備えて一軍団が駐留している筈。ノルトゼーンの軍団は使えんのか?」

 カールの答えは、何とも歯切れの悪いものだった。

「お恥ずかしい話ですが、ノルトゼーンの軍団長ハリモフには良からぬ噂があります。ジーゲンとつながりがあるらしい、と……」

 リンネは肩を竦める。その顔はさもありなん、と語っていた。

「外からが期待できなけりゃ、奴らの中に入るしかないね」

「中に入って、その後はどうするんだ?」

「それは、そこから考えるさ」

 恐ろしく行き当たりばったりだが、情報に乏しい現状では他に方法がないのも事実だった。

「でも姉さん……」

 そこにアオイが口を挟んだ。

「姉さんは簡単に入れると思うし、アタシや、この三人の人たちも、顔は知られていないから問題ないと思うの。だけど、アントニオさんは大丈夫かしら?」

「おれが?」

「……そうか」

 言われて思い返すリンネ。視線が旧知の巨漢を貫く。

撲殺虎はくさつこの名は、こっちの世界じゃあんたが考えている以上に広まっている。義に強い噂とともに、ね。確かに、そのまま行っても連中が信用してくれる保証はないね」

 黙して考え込むアントニオ。

「おれが中に入り込むには、連中を信用させる餌が必要か……」

 一同が思案の内に入る。その時、

「その餌の役、僕ではどうですか?」

「カール!?」

 座が喫驚した。しかし、言い出した当人は沈着、且つ真剣だった。

「自分で言うのも何ですが、僕を土産にすれば、アントニオ殿は確実に信用されると思います」

「確かに、あの蛇野郎は単純な男だからね、それが一番手っ取り早いだろうよ」

「リンネ! しかし……」

 色をすアントニオを、リンネは制止した。

「どのみち、悶着もんちゃくなしで妹さんを助け出すなんてできっこない。となるとアントニオ、あんたの力は絶対必要だ。第一あんた、自分だけが参加できない、なんて承知できる?」

「できるか!」

 アントニオは憤然と断言する。

「じゃあ、決まりだね。アントニオは、カールを手土産に奴らの下に加わる、という算段だ。他に手がないからね、我慢してもらうよ」

 わざわざ釘を差されたのは、自分はよほど仏頂面ぶっちょうづらをしているらしい。そう思いながら、アントニオは眉一つ動かさずに頷いた。

「他はみんな、あたしの配下と言うことになってもらう。……大丈夫だね?」

 リンネの微妙な含みに、リムは反応した。

「腕を疑うなら、この場で証明してもいいよ」

 鋭い眼光が、両者の間を行き交う。

 リンネが片頬だけで笑った。

「……その自信、気に入った。当てにさせてもらうよ」

「もちろん」

 リムも目元を緩ませる。

「じゃあ、早速仕込みにかかろうかい!」


 メッセンタオ山は、アッバースの街から西に約百二十里の地にある。ここに勢威を張っているのが、蟠山蛇ばんざんだのネロス=ジーゲンだった。とんがり頭に薄い毛髪、ぎょろっとした目、顔も体も手も足も細長い作りで、全身から一個の爬虫類はちゅうるいの雰囲気を漂わせる男である。

 或る日、意外な来訪者が彼の元を訪れた。

「リンネ? あの女豹将にょひょうしょうがか!?」

 意外ではあったが、その名前は彼の興味を大いに刺激した。今では島中に名を轟かせる旧知の女将じょしょうに、己の勢威を見せびらかしたい思いが頭をもたげてくる。

 すぐさま会見となった。

「久し振りだね、ネロス」

 以前より美しさと猛々しさをいや増した同郷の女傑に恐れ入りつつも、ジーゲンは殊更ことさらっくり返って見せる。

「ずいぶんとお見限りだったじゃないか、リンネ。女豹将の威勢の良さは、こっちにまで聞こえてきてるがな」

「あたしははるか昔に故郷を飛び出した身だからね、いまさらこっちには未練も義理もないけどさ」

 リンネはここで声を低めた。

「……あんたが何やらでかいことを企んでる、って聞いたんでね。一枚噛ましてもらおうかと思ってきたのさ」

 ジーゲンの目が一際大きく見開かれる。

「……その話、どこで聞き付けたんだ?」

「あたしの所の飛耳長目ひじちょうもくは優秀なのさ。それに、裏の話は足が速いからね」

「そこまで知られてるんじゃあ、仕方ねぇな」

 ジーゲンは、アッバース苦役場の長官の娘をかどわかした手口から、彼女を質に苦役場の囚人達を解放し、自分の配下に招き入れて勢力拡大を計る構想まで、得意気に吹聴ふいちょうした。

「よくそんな大掛かりな計画を考えたねぇ」

 リンネは大袈裟おおげさに感心してみせる。それだけでジーゲンはさらに舞い上がった。

「いや、ここだけの話ちょっと前にここに来たオストヌイって奴が、この策を耳打ちしたのさ。考えてみりゃ、アッバースにいる連中は他で暴れ回ってた荒くればかりだ。こいつらが戦力になるってこと、何で今まで気が付かなかったんだろうなぁ」

 豪快に笑い飛ばすジーゲン。だが、リンネは予想外の計算違いに内心で舌打ちしたい気分だった。自分の知る範囲では、奴は――金でも酒でも女でも――己の欲望に正直な男だった。楽に手玉に取れると踏んでいたのだが、侮り難い知者が付いているらしい……。

「おぅ、来たな」

 ジーゲンの背後より、一人の男が歩み寄って来る。光沢のない金髪を無造作に伸ばし、血色に乏しい白い顔と痩身そうしんが不健康そうな印象を与える。

「“革世師(かくせいし)”のヨセフ=オストヌイだ」

 男はぶっきらぼうに名乗った。

「もう少し愛想よくしろよ、美人の前ぐらいはよぉ」

 軽口を叩いて、ジーゲンはリンネを紹介する。彼の目が奇妙な色にきらめいた。

「女豹将……何故この山に?」

「ネロスが大きな仕事をやる、と聞いてね。まんざら知らない仲じゃないし、分け前にあやかりたいと思ったのさ」

 彼女は平然と答えて、ジーゲンにしなを作って見せる。彼も胸を叩いて請け負う。

「彼女の腕はおれが保証する。女豹将の名は伊達じゃないぜ」

「……」

 オストヌイは無言のまま、視線をリンネの後ろに送った。数人の男女が、固まって立っている。

「彼等は、貴女の仲間か」

「あぁ、うちの山でもとびきりの連中さ。いつでも役に立たせるよ」

「待て、あの男は……」

 オストヌイの目は、一群の中でも一際ひときわ巨躯の男を注視していた。

「あぁネロス、あんたにお土産を持って来たんだ」

 リンネが合図すると、巨漢は縄に縛られた若者を引き立ててくる。

「リンネ、そいつは……カール=シュトイヤーか!?」

「驚いたかい? このアントニオは、ずっとこの機会を窺っていたのさ。で、今回の事件に乗じて首尾良く長官の息子を捕まえて、脱走してきたってわけ」

「こいつはいいや! 子供を二人とも人質に取られりゃ、あの石頭の長官も考え直すだろう。いや、条件をいっそう吊り上げてやってもいいな」

 手を打って喜ぶジーゲン。

「それにしても、撲殺虎のアントニオ=ウルスは一心鉄のごとき義人と聞いていたが、なかなかどうして悪どい手も使うじゃねぇか」

 言った側は誉めているつもりなのだが、言われたアントニオは奥歯を噛み締め、拳をきつく握り締めた。リンネが目で制止しなければ、またテレーゼの救出と言う目的がなければ、彼はジーゲンに殴り掛かっていたに違いない。

「まぁいい、これで今回の興行は成功間違いなしだ! 前祝いとリンネ達の新加入を祝って、今日は大いに飲もうじゃねぇか!」

「そう言うと思って、酒はたんまり運ばせてあるよ」

 リンネはゴルドウッドに多量の酒を用意させていた。これも油断を誘う小道具である。

「気が利くねぇ、リンネ。おぅ、そいつは妹と同じ部屋にぶち込んでおけ! 大事な人質だからな、妹と同じく、傷は付けねぇようにしろよ!」

 まずは成功、と誰もが確信したその時。

「待て、ジーゲン」

 無機的な声が、場の熱狂に冷水を浴びせた。

「何だ、オストヌイ」

 気をがれたジーゲンは、むしろ不機嫌そうに声の主の名を呼んだ。しかしオストヌイは冷静に言う。

「人質は一人、それも扱い易い女子の方が良い。男はこの場で斬首して、見せしめにするのが良かろう」

「何!?」

「貴公の言う通り、アントニオは義人と評判だ。私はどうも、彼の変節をにわかには信じかねる。ここで彼に首を斬らせれば、真偽ははっきりする」

「ちょっとあんた、あたしの言葉が信用できないって言うのかい?」

 リンネの台詞は、殆ど恫喝どうかつの域にまで達していた。しかしオストヌイは平然としている。

「信用しないとは言っていない。ただ、人質は一人で十分だし、敵の血を見れば山寨さんさいの士気も上がる。打って付けではないか?」

「それもそうだな。無駄な食い扶持は少ないに越したことはねぇ。山に入るための投名状だと思って、そいつの首をスパッとねてもらおうか、アントニオさんよ」

 ジーゲンが促すと、賛同の口笛や流血沙汰を期待する野次が周囲から投げ掛けられる。

 アントニオはリンネの方を見た。二人とも顔にこそ出さないが、内心では狼狽ろうばい焦燥しょうそうが渦を巻いている。それは他の一同も同じであった。

 彼はカールをその場にひざまづかせ、抜き身の刀をゆっくりと提げた。口を真一文字に結び、仁王立ちに構える。

 カールの表情には、観念に似たものが浮かんでいた。或いは、妹を救う為に己の命を捨てる覚悟が出来ていたのかも知れない。

 おもむろに刀を頭上に振りかざす。

 ジーゲン以下、山賊共は振り下ろされた刃が血の花を咲かせるのを、今か今かと待ち構えている。

 アントニオの額から頬に、汗が一筋伝う。

 リンネも、アオイも、リムもライラも、シャオローンも、事ここに至って止める術がない口惜しさに身をきしらせていた。

 山賊共の野次や怒号、それらと共に血を欲する狂気と興奮が最高潮に達しようとした、その時――、

「か、頭ぁ! 大変だぁっ!!」

 堂屋の外から一人、けつまろびつ飛び込んで来た。

「何だ、シャルード!」

 折角の見せ場に水を差されて、気分を害したらしいジーゲンは手下に怒声をぶつけた。が、

「か、官軍が! 官軍が攻め上って来る!!」

「何ぃっ!?」

 場の全員が驚倒きょうとうする――ただ一人の例外もなく。

「バカ言ってんじゃねぇ! 軍団はハリモフの奴が押さえてるはずだ! 他に誰が、おれ達を討伐しに来るって言うんだ!?」

 怒鳴るジーゲン。

 その耳に、喊声かんせいと剣戟の音が風に乗って飛び込んで来た。心なしか、音は段々と近付いて来るようである。

 官軍が来た、と言うのは間違いではなさそうだった。

「そうか、これが奴らの返事か……そう言うことなら、もう遠慮はいらねぇな」

 こめかみの辺りで、青筋がひくついていた。

「シャルード、娘を連れてこい! ブーマー、この若僧をたたっ斬れ! こいつの首を突き出して、官軍の弱兵どもにおれ達の恐ろしさを見せつけてやるんだ!!」

「オゥ!!」

 浅黒い肌の大男が名乗りを上げた。大股でカールに歩み寄り、無造作に刀を振り上げる。

「恨むんなら、てめえのオヤジを恨むんだな!」

 剣光が鉛直に走った。カールは思わず目を瞑る。

「グァッ!?」

 短い叫びを上げて、ブーマーが後ろへ倒れる。どうと落ち、そのまま動かなくなった。

 ――アントニオの刀が、ブーマーを唐竹割りに斬り倒していた。

 リンネが動いた。そして一同も。

 カールを真ん中に置いてかばい、外に向けて円陣を作る。

「リンネ! これはどういうことだ!?」

 ジーゲンの顔色に、さらに朱が加わる。

「こんなに早く動くはずじゃあなかったんだけどね、見ての通りさ。娘を返しな。さもないと、命の保証はしないよ!」

「てめぇ、いつから官の手先になりやがった! この、汚ぇ裏切り者が!!」

「はん! あたしは真っ当でもきれいでもないけどね、女子供を質にするあんたらみたいに、性根まで腐れちゃいないんだよ!!」

 彼女の紅い唇に、ありありと嘲笑ちょうしょうの色が浮かぶ。

「――やっちまえ! こいつらから血祭りだ!!」

 円陣を押し包んで、山賊共はわっと躍り掛かった。

 たちまちにして乱戦になった。

 リンネの手には、得物の八角棒が既に握られている。襲い掛かる敵の急所を的確に打ち、次々にこれを沈めていった。

 リム、シャオローンの槍は言わずもがな。ライラは片手使いの朴刀ぼくとうで、相手の剣を巧みにさばく。

「ハッ!」

 あからさまな隙を見せた相手の側頭部に、電光石火の回し蹴りが炸裂した。そのまま崩れ落ちる。

 この間に、アオイはカールのいましめを解いていた。彼の縄目は偽結びになっていて、引くと簡単にほどけた。

 アントニオは身の自由を取り戻したカールに刀を渡す。

 この隙とばかり、賊の一人がアントニオに斬り掛かった。

 しかし剣より早く、彼の拳が相手の顔を捉える。山賊は一撃で殴り飛ばされた。

 思わぬ強敵を前に、山賊共の戦意はややくじかれた。包囲の輪が広がる。

「ジャンマーシェン! おれはあの娘を連れてくる。それまでそいつらを足止めしてろ!」

 言い置いて、ジーゲンはぱっと身を翻した。

「待ちな!」

 後を追おうとするリンネの前に、大兵の男が立ちはだかった。面倒臭げに呟く。

「足止めだと……あいつ、おれをなめてんじゃねぇか」

 ジャンマーシェンはリンネを見下ろし、頬にせせら笑いを貼り付けて言う。

「女豹将とか言ったな? あんた、悪ふざけが過ぎたな。いい女がもったいねぇが、心配すんな。苦しまずに済むように、早く終わらせてやるからよ!」

 言うが早いか、大剣がうなりを上げて彼女目掛けて落ちて来る。

 かっ、と大音が響く。

 彼女の八角棒は、大剣の刃を寸分の狂いもなく鉄環で受け止めていた。巨漢の強力にもびくとも動かない。

 ジャンマーシェンの顔に、驚きの色が濃くなっていく。

「悪いけどね、あんたの能書のうがきを聞いてる暇はないんだよ!!」

 八角棒が大剣を弾いた。

 直後、棒はジャンマーシェンの頬桁ほおげたを張り飛ばし、間髪を入れず脳天に振り下ろされる。

 驚愕の表情のまま、ジャンマーシェンは頭から鮮血を吹き上げながら膝を着き、やがてくずおれた。その横をリンネは彼に目もくれずに駆け抜け、先に逃げたジーゲンを追う。アオイもそれに続いた。

「アントニオ殿! ここは我々に任せてリンネ殿を!」

「おぉ!」

 シャオローンの言葉にアントニオは力強く頷き、二人を追って行った。

 強敵の人数が半減したので、山賊共はこれ幸いと再び攻勢に出た。

 その前に槍を携えた二人の男女が、これよりは一歩も通さない構えで立ち塞がる。

関中かんちゅうでは少しは名の売れた、鎗角麟そうかくりんのリム=リンよ。相手になる奴は出ておいで!」

「同じく、関西で多少は知られたシャオローン=シェン。この天翔龍てんしょうりゅうの槍が受けられるか!」

 山賊共の足が止まった。


 リンネは堂屋の裏の廊下を走った。ジーゲンは既に見失っていたので、小部屋があると中を覗き込み、誰もいない事を確認しながら先へ進んでいた。

 時は薄暮、辺りは相当暗くなっている。しかし待ち伏せの危険など無視したかのように、彼女は走った。

 灯りの漏れている小部屋がある。あれだ! 彼女の速度が上がる。

 戸口から中に飛び込んだリンネの足が、急停止した。

「ネロス!!」

 部屋の奥、壁を背にして、ジーゲンがいた。左手で娘の首を抱え、右手の剣をその首に突き付けている。その左側にはシャルードが、これも手にした剣を娘に向けていた。

「リンネ! てめぇ、よくも……」

 ジーゲンは怒りに顔を醜く歪ませている。

「動くな!!」

 その怒声はリンネと、漸く追い付いたアントニオに向けられたものだった。

 娘は剣先から逃れようと、身をよじろうとするが首を押さえられている上、両側から剣を突き付けられているのでそれもままならない。ただ二つの瞳に、死の恐怖に対するおびえを色濃く映していた。

 この卑劣な行為にリンネも、アントニオも憤怒に身を焼く思いだった。しかし、その激情を発する事は出来ない。

「武器を捨てろ!」

 ジーゲンの要求が飛ぶ。

 遮光鏡サングラスの奥からジーゲンを睨み付けたまま、リンネは動かない。

「捨てろぉ!!」

 業を煮やしたジーゲンが、調子の外れた声で叫ぶ。その目は血走っている。最早余裕はなかった。

 リンネは諦めたように、八角棒をジーゲンへ向けて投げて寄越よこした。

 八角棒は高い放物線を描く。誰もがその行方に目を移した刹那せつな

 リンネがフッと身をかがめた。

 その後ろに、アオイが立っていた。弓を引き絞り、矢をつがえて。

 矢が放たれる。続けざまにもう一矢。

 二本の矢は一直線に空を飛び、あやまたずジーゲンの、そしてシャルードの剣を持つ手を貫く。

 弦音と同時に、リンネは駆け出した。低い体勢のまま数歩走り、勢いを付けて、床を蹴る。

 彼女の跳ぶ軌跡と、落ちて来る八角棒の軌跡が、交錯する。

 手を伸ばし、愛用の得物を掴む。

 眼下にジーゲンの姿があった。アオイの矢で右手を壁に縫い付けられ、こちらを見上げる目が恐れ戦慄わななく。その卑屈な眼差しが、爆発寸前の女豹将の怒りに火を点けた。

 双瞳が、赫怒かくどの炎を吹き上げる。

「この、クサレ外道がぁっ!!」

 彼女の激情もそのままに振り下ろされた八角棒が、ジーゲンの頭蓋を真っ二つに砕く。

 断末魔の声を上げるいとまもなく、ジーゲンは朱に染まってたおれた。

 地に降り立つリンネ。その両肩は未だ治まらない怒りにうち震えている。

 ……シャルードは、目の前の惨状に歯の根も合わないほどの衝撃を受けた。このままでは、自分も命がない……。

 今、女豹将はこちらに背を向けている。自分は右手を射られたが、落とした剣は幸運にも足の上に乗っかっていた。今しかない――!

 シャルードは剣を蹴り上げ、自由の利く左手で受け取ると、リンネに背後から斬り掛かる。

 次の瞬間、シャルードの顔は壁にり込んでいた。

 アントニオが走り込み、シャルードの横面に拳を打ち込んだのだ。撲殺虎の体重と、そして怒りの乗った一撃である。何でたまろう。シャルードは板壁に頭を突っ込んだまま、動かなくなった。

「ありがとよ」

 リンネが肩越しに言う。

「礼を言うのはこっちだ」

 アントニオは右手を差し出した。

 その掌に、リンネは自分の右手を叩き付けた。

 甲高かんだかい音が響く。それは、彼等の勝利のときだった。

「……さ、もう大丈夫だ。立てるかい?」

 未だ床にへたり込んでいる娘に気付いて、リンネは手を伸ばした。

 惨劇を目の当たりにして、娘は反射的に後退あとずさる。そして怯えたような目で、旧知の巨漢を見上げた。アントニオは漸くまなじりを下げて頷く。娘はおずおずと手を出し、リンネの助けを借りて立ち上がった。

「テレーゼ……!」

 カールが現われる。妹の無事な姿に、それ以上の言葉が出ない。

「お兄様!」

 テレーゼは兄に駆け寄り、抱き合って互いの無事を祝した。

 次いでリム、ライラ、シャオローンもやって来た。兄妹の再会の場面を目にして、一同は安堵の息を吐いた。

 リンネが言う。

「よくやってくれたね、アオイ」

 アオイはにっこり微笑んで、指でVの字を作って見せた。彼女が百歩離れて柳の葉を射切るほどの弓の名手で、故に“神箭姫しんせんき”と呼ばれている事を、一同はこの時初めて知ったのである。

 次いで、リンネはリム達にも声を掛けた。

「あんた達の腕、確かに見せてもらったよ」

「おぉ、そうだ。助力、誠にかたじけない」

 アントニオもやって来て、一同と力強く握手を交わす。

「あんた達も、おとこだね」

 言われて、リムは表情の選択に困ったように、ライラやシャオローンの方を見た。しかし顔のほころびは、誰も隠していない。その時である。

「こんな所で何をしているの、リンネ=レインカーン」

 聞き覚えのない声が、全員の耳朶じだを打った。

 リンネの顔が、凍り付く。

 振り向く一同の前に、一人の女性が立っていた。年の頃は二十四、五か、長い金髪に碧眼の、顔貌がんぼうきりりとした女武者である。身の丈は六尺半ばとやや小柄だが、革の鎧を身に纏ったその姿、その身のこなしには一分の隙も見られない。

「ヴァルトローテ……」

 リンネの唇から、驚きの呟きが漏れる。

「あんたこそ、何でこんな所にいる?」

「その前に私の質問に答えなさい。何をしているの?」

 ヴァルトローテと呼ばれた女性は、リンネの言をぴしゃりと遮った。

「答える義務はないね。あんた達お役人と違って、あたしは自由人。どこで何をしようとあたしの勝手さ」

 リンネは薄ら笑いさえ浮かべて返答する。

「そうは行かない。このメッセンタオの山賊ジーゲンとノルトゼーンの軍団長ハリモフにあり得べからざる関係があった事は既に調べが着いている。ハリモフは任を解かれて収監された。さらにジーゲンも捕らえて、全貌を明らかにするのが私の任務。そこに貴女が関わっているのなら、当然事情は訊かせて貰うわ。場合によっては、力尽くでもね」

「将軍、僕が証言します! この人は疑惑に関わっておりません!」

 カールが訴えたが、ヴァルトローテは取り合わない。

「お控えなさい。苦役場長官の子息が山賊と関わりがある等と言われれば、御父君の名に傷が付きますよ」

「何だと……」

 アントニオの目に、険難けんのんな光が走る。一同の視線もまた、この女将軍に対して好意的になりようがなかった。

「リンネ、大事な山寨を空にしてまで、貴女が何をしようとしていたのか、大いに訊きたいところだわ」

「……そんなに知りたきゃ、この拳で教えてやるぜ!!」

「よせ、アントニオ!!」

 リンネの制止も届かばこそ、アントニオはヴァルトローテに殴り掛かる。

 しかし、渾身の右拳は、空を切った。

「なにっ!?」

 ヴァルトローテはアントニオの突進をくぐり、前へ――リンネの方へ向かって駆け出していた。

「ここは!」

「行かせるかっ!」

 リムとシャオローンがほぼ同時に足止めに入る。

 しかし彼女は、二人の僅かな隙間をり抜けて行く。

「は、速い!!」

 ライラは目で追うのがやっとだった。アオイも矢番えしたが、狙いはとても付けられない。

 あっと言う間に、ヴァルトローテとリンネの間を遮る者はいなくなった。

「ヤッ!!」

 リンネの八角棒が、電光の速さで動く。

「ハッ!!」

 ヴァルトローテは一跳躍で躱した。

 リンネを飛び越え、壁を背にして向き直る。

 右手が、細身の長剣ロングソードを抜き放った。正眼に構え、リンネを見据える。

 駆け寄って来る一同を制し、リンネも八角棒を構え直してこう相対峙(あいたいじ)する。

 共に隙なく、迂闊うかつに掛かれないまま時が流れる――。

 ヴァルトローテが動いた。

 剣を逆手に持ち、己が身を突き通す。

「!?」

 絶叫が響いた――壁の向こうから。

 ヴァルトローテの剣は、右の脇の下から背後の壁を貫いていた。壁に赤い染みが拡がっていく。

 剣を抜くと、壁を破って山賊がまろび出て来た。床につくばって二、三度もがき、そのまま息絶える。

 壁の後ろで待ち伏せしていた山賊の存在を、彼女だけが察知していたのである。

「ヴァルトローテ、あんた……」

 廊下の方から、多数の足音が微かに流れて来た。

「将軍、バーラ将軍! いずこにおられます……!?」

 官軍の将兵のようだった。しかも近付いて来る。まずい、とリンネ達がきびすを返し掛けた時、

「私はここにある。何事か!」

 その場の一同には目もくれず、ヴァルトローテは急ぎ足で部屋を飛び出した。

「あ、将軍! こちらの方に賊の頭領ジーゲンが逃亡したと言う情報を得たのですが……」

「私は見ていない。待ち伏せがあったが、相手は討ち果たした。暗さも暗し、これ以上は勝手知ったる賊共に有利だ。一旦山を下り、逃亡者の出ぬよう麓を固めよ。明朝、再び捜索に入る」

「ハッ!」

 足音は去っていった。残される一同。

「リンネ、あの女将軍は一体……?」

 アントニオはまだ、自分の拳が躱されたのが信じられない面持ちである。

 だがリンネは答えなかった。不満気な呟きが唇から漏れる。

「あの女、勿体もったい付けたやり方をしやがって……だからいけ好かないんだよ」

 それも束の間の事、彼女は瞬時に決断した。

「逃げるよ」

「逃げる?」

「そう、ヴァルトローテが麓を固めないうちに山を下りて、アッバースへ走る」

「道は?」

「あたしに任せな。ここは地元だからね、獣道けものみちの一本までお見通しさ。さ、行くよ!」

 かくてリンネを先頭に堂屋を出て、一同の姿は夜の山に消えた。


 アッバースへの道すがら、リンネはヴァルトローテの事を一同に語った。

 ヴァルトローテ=バーラは二十四歳。軍人の名家バーラ家の養女だが、養父の才を実子以上に受け継いだと評判で、ファーノース島西部の街リトルバレルの練兵司令官を務める女将軍である。将才もさる事ながら武才にも秀で、北斗流ほくとりゅう撃剣げきけんを使い、弓も良くする。さらに馬上にあっては長さ一丈八尺の蛇矛だぼうを縦横無尽に振るう、まさに知勇兼備の将である。故に周囲から“羅刹嬢らせつじょう”と畏怖され、その名は北島ほくとうから本島にも知れ渡っていた。

「よりによって、一番借りを作りたくない相手に借りちまったとは、ね」

 リンネも北島に名の轟く女将であり、文はともかく武ではヴァルトローテに引けは取らない。戦場での往来で幾度となく手を合わせながら、未だはっきりとした決着の付かぬ両雄は、まさに好敵手だった。

 その決して負けたくない相手から「見逃して貰った」格好になったのだから、リンネの内心は如何いかばかりか、解ろうと言うものである。

「それにしても、バーラ将軍が派遣されていたとは、思いもよりませんでした」

 カールの言葉に、リンネは胸の中に引っ掛かりを覚えた。彼女もかつては官軍に在籍した身であり、軍の機構も些かは記憶している。

 官人の不正摘発など、ヴァルトローテの本来職務ではない。武官が必要であれば、近隣の都市か又はビルカヴァーから派遣されるであろう。何も一千里彼方のリトルバレルから呼ぶ必要はない。

 では、今回の一件は“北島最強の女将軍”を出馬させるほどの大事件だったのか? ジーゲンは無論、聞説きくならくハリモフもそれほどの大物ではなさそうであるが。

 一体何故、彼女がこの地にいたのか……?

 不意にリンネが立ち止まった。

「……どうした、リンネ?」

 一同はいぶかしむように彼女の顔を覗き込む。

 彼女の脳裏で、ヴァルトローテの残した台詞が繰り返されていた。

“大事な山寨を空にしてまで、貴女が何をしようとしていたのか……”

 彼女は天を睨み、唇を噛み締めた。

「そうか……そういう事か……」

 驚き、怒り、悔しさ。それらが混じり合ったような顔色に、決意の血色がよみがえって来る。

「リンネ姉さん?」

 呼び掛けるアオイに、リンネはきっと言った。

「アオイ、急いで山に戻るよ!!」


 こうして、新たなる女傑が現われ出たる事から、虎将は義の為にくびきを自ら放ち、女豹は宿星によりて己が本性をあらわすのであるが、果たしてリンネが本拠へ帰ろうとする理由や如何に? それは次回で。

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