第十八話 飛天神馬 朋友と北に走り 女豹将 旧知の請を入れるの事
「ほえっ!」
ミークの放った飛叉が蜥蜴人の胸板を捉えた。蹌踉めく蜥蜴人。
すかさず詰め寄ったレイの短刀が、喉首を裂く。蜥蜴人は地に崩れ落ち、やがて動きを止めた。
大きく息を吐くレイ。それが合図かのように、一同は緊張を解いた。
二十匹近くいた蜥蜴人共は、綺麗に一掃されていた。リムに突き倒された者が四匹、ヨシオリの二刀に斬殺された者が四匹、シャオローンの槍の餌食になった者三匹、レイの短刀に喉を裂かれた者一匹、ラットの神速に敗れた者一匹、チャールの召喚した風精に引き裂かれた者二匹、ジョイとゴルドウッドの連携に倒された者二匹、ミークの飛叉を喰らった者一匹、そして今斃れたのが最後の一匹だった。
この他、三匹の蜥蜴人が洞窟から襲い掛かって来たが、デュクレインの鋼線刃と魔剣に斬り伏せられていた。
短いが激しい闘いを制した戦士達は、まず互いの無事を喜び合う。
「助かったぁ……!」
捕らわれていた男の一人が声を上げた。それは、その場の全員の心から起こった叫びでもあった。
日は既に中天を過ぎ、西に傾き掛けている。リムとチャールが案内に立ち、一同をアハトプリンツへと誘った。
街に辿り着いたところで、近隣の者達は礼を述べつつ各々の家路を取った。
ここでシャオローンは、無情な事実をレナに伝えねばならなかった。
「……うそ」
レナは最初は信じなかった。しかし、チャールの神殿に安置された恋人の亡骸に会い、彼女は取り縋って号泣した。
無力感を噛み締めるシャオローン達の間を、彼女の泣き声だけが通り抜けて行く。
その声は、とうとうその夜、止む事はなかった……。
翌朝、傷心のレナとロミオの亡骸を伴って、リムはエストヴィルモントへの帰途に着いた。
「暫くここに留まっていてくれない?」
「それは構いませんが、何故です?」
「あなた達と色々話がしたいと思って、ね」
こんな会話を残して、リムは去っていった。
そして、レイ達三人も旅立つと言う。
「レイ、二度も私達を助けてくれて、本当にどう感謝して良いのやら……」
「野暮は言いっこなしだよ。今の世の中じゃ滅多にお目に掛かれないものに遭ったからね。予定を一日遅らせるぐらいの甲斐はあったってもんさ」
「蜥蜴人ですか?」
「……あんた、自覚ないのかい」
「え?」
不得要領なシャオローンを横目に、レイはヨシオリに小声で話し掛ける。
「やれやれ、あんたもえらい兄さんを持ったね」
「でも、兄さんだもの」
「はいはい」
好きにやっとくれ、と言いた気な表情。しかしレイの顔は綻んでいる。
「じゃ、またどこかで」
「じゃあね!」
「またね、シャオ兄」
こうして、レイ達も旅の途に着いた。
その二日後、ゴルドウッドはタカオ山へ向かった。蜥蜴人の巣穴に貯め込まれている筈の値打物を探しに行ったのである。
結果、武具等を多数鹵獲したものの、宝飾品や貴金属の類は殆どなかった。よくよく調べてみると、どうも誰かが先に入って物色した痕跡がある。ここにお宝がある事を知っているのは――レイ達か。
「出し抜かれたかのぅ」
苦笑しながら、ゴルドウッドは山を下りていった。
ちょうどその日の昼下がり、リムがシャオローン達を訪ねて来た。ロミオの弔いを済ませて、すぐにやって来たものらしい。
この間、シャオローン達はチャールの神殿の一室を借りて寝泊まりしていたが、リムの来訪を喜び、チャール、ジョイ、ゴルドウッドも呼んで、この日の夕餉を細やかな宴に変えたのだった。
ここでリムと一同は、改めて名乗りを交わした。
「そうですか……しかし、独学であの槍の腕とは、お見逸れしました」
「あなたこそ、覇皇流槍術の皆伝者だったとはね」
同じ槍の道同士、シャオローンとリムは会話を弾ませていた。
「……でも、あなた出身は関西って言ったわね」
「ええ」
「どうして、わざわざこの関中まで来たの?」
リムの問いにシャオローンは事も無げに答えた。
「腕に覚えのある者が各地を旅するのは、間々ある事ではないですか?」
しかし彼女は納得した様子を見せず、独語めいた口調で言葉を紡ぐ。
「……最近、怪物の活動が活発化している。よその風評は聞いていたけど、ここにも蜥蜴人が現われた……」
「リム?」
「何か、何かが起ころうとしている気がするのよ……あなたは感じていない?」
「そう、ですか……」
シャオローンはデュクレインと顔を見合わせた。頷きを返すデュクレイン。
「……では」
一瞬間をおいて、シャオローンは語り出した。すなわち、魔物共の活性化の陰に魔王の地上現出があり、それを阻止し得る勇剛の士を求めて自分達はヤパーナを旅している事を。
リムも、ジョイも、ゴルドウッドも、身じろぎもせずに聞いている。チャールだけが変わらず冷静であった。
「……関西に、戦士達が集まりつつある、と?」
「今はまだ少数ですが、宿星を同じくする者が必ず集い来る筈、と信じています」
「ふぅん……」
暫しの間視線を落としていたリムは、ふと後ろを振り返った――エストヴィルモントの方角を。
「その魔王とかを食い止めることができたら、誰もレナみたいに泣かなくてよくなるのかな……」
「リム……」
やがて向き直ったリムの瞳は、鮮やかな紫の炎を立ち上らせていた――怒りと、決意の。
「私はやるよ、一緒に」
その炎を正面から受け止めて、シャオローンは力強く頷き返す。
「私も、加わらせて戴けますか?」
続いて名乗り出たのはチャールだった。
「チャール!!」
「……来て下さるのですか?」
「もしかしたら、その為に私は地上に来たのかも知れません。この日の為に……」
愛する者の復讐だけではない。地界にあった数百年の内に交わった数多くの人々。その生命と幸福を奪い去る事は断じて許さない、彼女もまた、意を決していた。
「チャールが行くんだったら、あたしも行きたいな。けど……」
逡巡するジョイ。その心が手に取るように解る師友は、彼女に優しく声を掛けた。
「お師様に相談して御覧なさい」
「……ええ」
赤毛の少女は、少し表情を和らげる。
そしてゴルドウッドは、
「儂は既に現役を退いた身だ。才気も技量も涸れ果てておる。とてもお主等と一緒には行けん」
と拒んだ。が、残る左目は細く笑っている。
「……だが、商売の話なら、お主等に便宜を図るぞ」
「それで十分です」
……今は。シャオローンは確信していた。ゴルドウッドが真に星宿を持つ者であれば、“刻”が来れば必ず相集う筈。今はそれを待つのが良い、と。
暫し杯を巡らした後、ゴルドウッドがふと思い立ったように言った。
「儂の代わりと言うのではないが、人物を一人紹介しよう。お主等の眼鏡に十分適うと思うから、会いに行ってはどうだ?」
一座の空気が変わる。シャオローンは身を乗り出した。
「是非とも、お聴かせ戴きたい」
そして、ゴルドウッドは語り出した。
「儂はファーノース島の真ん中にあるトーマと言う町の出身でな……」
「ファーノース……あの“最北の島”ですか?」
ファーノース島はヤパーナ本島の北にある広大な島で、その位置と寒冷な気候から、本島以南の者からは“最北の島”と呼び倣わされていた。
「そうだ。そのトーマの南西三百里余りに、島最大の都市ビルカヴァーがある。そのまた南西にシルキュール山と言う山があり、そこに百を超える山賊が巣食っている。そいつ等を束ねているのが、一人の女頭領だ」
「女……ですか」
「うむ。名はリンネ=レインカーン、一名を“紅唇豹”……いや、今は“女豹将”だったかな。美しい女性だが荒事を好み、武芸では山賊団は勿論、島でも一、二を争う腕だ。気っ風が良くて手下にも慕われている、一言で言って女傑だな」
「女豹将の噂なら、私も聞いたことがあるわよ」
付け加えたのはリムだった。
「八角棒を自在に操る勇猛な女戦士、ヤパーナでも十指に入る勇将だってね」
「それは是非会ってみたいですが……遠いですね」
「うむ、普通に歩いても一月以上は掛かるな。しかも海を隔てておる」
シャオローンは思案顔になった。遠きを厭うものではないが、しかしあまりにも遠路過ぎる。ましてジョイは旅の経験が未知、ヨシオリやチャールもこれほどの長旅は初めてだろう。旅慣れた者だけで北に向かい、後はルフトケーニッヒに向かわせるのが良いか……。
その思索の静寂を、リムが破った。
「いい方法があるよ」
「え?」
「友達を一人、知っている。彼女の力を借りられたら、行程は一気に短縮できるわ」
「その友達と言うのは?」
「それは、連れて来てからのお楽しみよ」
そう言って、リムは本当に楽し気に微笑んだのである。
明けて次の日、リムはアハトプリンツを発ち、中山路を東――帝都の方角へ向かっていった。帝都まではおよそ八十里、これを一日で走破し、翌日には帝都東部のスタンエスト地区に到着する。
スタンエスト地区の更に東側、外城の城壁に近い辺りに名刹を有する公園がある。その近隣の一軒の家の前で、リムは足を止めた。
家の中から子供達の笑いさざめく声に混じって、若い女性の声がする。
「よかった、いたわね」
窓から中をそっと覗き込む。
部屋では数人の子供達が仲良く机を並べ、その前で一人の女性が何事か語っていた。それは彼等に教え諭す者の姿であり、彼等の眼差しは師である女性への敬慕に満ちていた。
ふと、リムと彼女の目が合った。
彼女は一瞬目を見開いたが、何事もなかったかのようにすぐに授業に戻る。
「……では、先生はちょっと御用事がありますので、今日はここまでにします。読み物は家でする事。遊ぶ時は、危なくないようにね」
「はい。先生、さよなら」
挨拶も元気良く、子供達は教室を飛び出す。その子等を見送って、彼女も外に出て来た。
子供達の姿が見えなくなると、彼女はリムの方に向き直った。褐色の肌に細く伸びやかな肢体。短く揃えられた紫の髪に碧い瞳、その左目の下に浮かぶ星形のアザ。額に朱紐を巻き、耳飾りが光の加減で時々煌めく。その表情は半ば驚き、半ば喜びの色を帯びている。
「御無沙汰だったね、ライラ」
「リム! よく来てくれたわ!」
ライラと呼ばれた彼女は、満面に喜色を湛えて久しく会わなかった友に駆け寄り、その手を取ると家に招き入れた。
彼女の名はライラ=キョンファ。本職は魔法使い(マジックユーザー)で、それもヤパーナの伝説的大魔術師、ループ=ルディックに師事している高位の魔術師である。一方、明るくのんびりした性格で子供好きなので、修行の傍らで近くの子供達に読み書き等を教えていたりもする。
「……それにしても、急に訪ねて来て、どうしたの?」
久闊を除しながら、聡明なライラは来意を尋ねる事を忘れなかった。リムも率直な性格なので、短く告げた。
「ライラの力を借りたいの」
「ワタシの? どんな事で?」
「ファーノース島に渡りたいのよ。それもできるだけ早く」
「ファーノース島!? 一体どうして……?」
リムは、シャオローンとゴルドウッドが語った内容をライラにも聴かせた。話が進む内にライラの顔から驚きの色が消え、真摯な表情に取って代わられる。
「……それで、リムも協力するつもりなのね?」
「レナみたいな思いを、誰にもさせたくないからね」
「あなたらしいわ、リム」
くすり、と微笑むライラ。
「そう言う事情なら、喜んで力を貸すわよ」
「ライラ!」
「他ならぬリムの頼みだし、ね」
そう言ってライラは片目を瞑って見せた。
「ありがとう、ライラ」
「じゃあ、準備するからちょっと待ってて」
半刻の後、ライラは旅装を整えると、教室を暫くお休みする旨の書き付けを戸口に貼り、リムと共に家を発って行った。
帝都の外城壁を越えた所で、
「そろそろ行くわよ」
ライラは懐より数枚のお符を取り出した。それらは上部に馬の絵が、下部には文字とも模様とも判別しない呪文が描かれている。彼女はその呪符をリムの両足首に結わえ付け、同じように自分の足にも付けた。
「遅れないでね、リム」
「わかってるって。初めてじゃないんだから」
「じゃあ行くわよ、神足天行!」
ライラの一声、途端に二人の体は嵐に巻かれたかそれとも雲に乗ったかの如く、飛ぶように進み出す。
両側の風景は流れるように消え、風を切る音が耳に飛び込んで来る。足は大地を踏まずさながら空を駆けるようで、彼女達だけが日常の世界から抜け出て、別の次元の住人となっているかのようである。
両足に呪符を括り付けて一日に千里を走ると言う稀代な術――“神足天行法”をライラは会得していた。この故に、彼女は“飛天神馬”の異名を奉られている。
半刻経たずして、彼女達はアハトプリンツに着いていた。
呪符を外して足取りを戻すと、二人はチャールの神殿を訪ね、リムは待ち焦がれているシャオローン達にライラを紹介した。
シャオローンは驚き喜び、改めてライラに助力を請うた。勿論彼女に否やのある筈がない。しかし、
「今のワタシの力では、一日千里を共に行けるのは三人までです。それより大勢では、速度を上げる事は出来ませんわ」
術を使えぬ者が神足天行法の恩恵に与れるのは、ライラの力が分け与えられているからである。だが、彼女の力も無尽蔵ではあるまい。納得できる話である。
「……では、貴女の他にリムとゴルドウッド、そして私を連れて行って貰えませんか」
「兄さん……」
シャオローンの申し出は、ヨシオリには肯じ得ないものであった。しかし、他の人選がない事は彼女にも解っている。ゴルドウッドは道案内役として不可欠だし、親友を巻き込んだ形になるリムは、事態を最後まで見届ける為に必ず一緒に行く事になる。
そして残る一人、旅の目的を語って聞かせるにおいては、シャオローンに如くはない。
そのシャオローンは、義妹の心情を量って語り掛ける。
「ヨシオリには、私から是非とも頼みたい事がある」
「なに? 兄さん」
「一足先に、ジョイとチャールをルフトケーニッヒ山に案内して欲しい」
これより前、ジョイは師匠たるラー=シーンに関西行きの希望を伝えていた。
「行くが良い」
師匠の回答は、彼女が一瞬呆気に取られるほど明快だった。
「そなたの宿星は猛き星。未知なるものに挑み掛からずにおれぬが性。しかし、その傍には奇なる星と闊き星が護り輝いておる。何も憂うる事はない」
「お師様……」
「良いかジョイ、そなたは天性あれど達するにまだ遼か遠し。旧きを知り星を見る事、常に怠るなかれ」
「ハイ!! ……ありがとうございます!」
胸に込み上げて来るものに声を詰まらせながら、ジョイは師匠に暇を告げたのだった……。
「……分かったわ、兄さん」
ヨシオリは義兄の思いを正確に受け止め、頷いた。
この夜、旅立つ者達は互いの無事を祈って小宴を催したのであるが、この話はこれまでとする。
そして旅立ちの朝。
シャオローン、リム、ライラ、ゴルドウッドは北を指して、ホーカップから関北西路を北上する。
ヨシオリ、デュクレイン、アリーナ、ジョイ、チャールは南へ向かい、ザイテシュトラントから大南路を西進する。
「北島を巡った後は、ルフトケーニッヒ山に戻るつもりです」
「では、次にお会いするのはかの山で、と言う事になりましょうか」
「そうありたいものです」
「あたし達は大丈夫よ。兄さんの方こそ気を付けてね」
義妹の無邪気な心遣いに、シャオローンはいつものように軽く微笑みを浮かべて応える。
「それじゃ、そろそろ行こうか」
「では、ルフトケーニッヒで」
「また」
こうして二組はそれぞれの道を取り、旅立って行った。
アハトプリンツの街を出てほどなく、シャオローンとゴルドウッドは、ライラの神足天行法を我が身で試す事となった。その驚きは想像を遥かに越えるものだった。
身に当たる風の冷たさ、折り重なって後方に飛んでいく周りの風景、まるで自身の体が自分のものでなくなったかのように感じられる。
それもやがて慣れてくると、道連れと会話を交わす余裕ぐらいは生まれてくる。
「……なるほど、これは便利なものだな」
感心したようにゴルドウッドは呟く。
「また北島まで買い付けに行く時にも同道を頼めんかの、ライラさんとやら?」
「見返りは高いですわよ」
ライラはさらりと躱し、一同の笑いを誘う。
その日の内に彼等は関中を抜け、関北と嶺北の境にあるヴィレジョンの街まで達していた。
「本当に、一日で千里を走ったのぅ」
今は宿で寛ぎながら、ゴルドウッドは心から感嘆している。常人の足なら十日以上は掛かる距離である。
「明日にはブラオヴァルトに着けますわ」
さらに千里先、本島最北端の街の名をライラは挙げた。
「それは良いのですが、ゴルドウッド殿、関北には他に立ち寄るべき所はないでしょうか?」
シャオローンの訊かんとする事を、ゴルドウッドは正しく理解していた。
「ない事もない。モントフォルムの義賊の頭領でチャバ=ザ=ダーハ、一名を捷鞭将とも呼ばれている男がいる。智勇共に常ならぬ人物、と関中でも噂に高い」
「会いに行けませんか?」
「しかし官軍も賊退治にいよいよ本腰を入れるつもりらしい。二十日ほど前に、チャバ一党を討伐する軍勢が帝都から進発した。その将軍に任命されたのが、ペイルリヴァーのショウ=エノと言う話だ」
「雷電虎が!?」
驚きの声を上げたのはリムだった。
「それは……捷鞭将も年貢の納め時、かもね」
「うむ、今回ばかりは苦しいかも知れんな。もう戦も始まっている頃じゃろうし、そんな危ない所へ踏み込んで行く事もあるまい」
「そうですね」
応じたシャオローンだった。無論、彼には知る由もない。この時、捷鞭将の元にシセイとタッカーが客分として滞在しており、緊迫の面持ちで討伐軍を迎えんとしていた事を。まして、この場で名の挙がった捷鞭将、雷電虎と相対する時が来ようなどとは……。
次の日の陽が暮れる頃には、四人はブラオヴァルトに到着していた。眼前の海の向こうに、目指すファーノース島の輪郭が微かに見える。
しかし如何にライラの神足天行法といえども、海を越え渡る事は出来ない。一日待って、翌日の船便を使う事にした。ゴルドウッドの渡航許可証でもって、一行は最北の島に足を踏み入れたのである。
ファーノース島の玄関口であるケシュロスの街から北北東へ約七百里の地に、島最大の都市ビルカヴァーが存在する。この街の南西側、つまりケシュロスからの街道の入口にシルキュール山と言う山がある。その山こそがリンネ=レインカーン率いる山賊団の根拠地である。
そんな事をゴルドウッドが説明しているうちに、一行ははやビルカヴァーの街を目の前にしていた。
ゴルドウッドは街道を外れ、南の山道へと誘導する。残る三人はそれに付いていった。
山際に入った所で、不意に周囲の草むらが揺れた。シャオローンがゴルドウッドの前に庇い立つ。
いつの間にか、十人余りの賊が周囲を囲んでいた。見事な気配の消し方であった。シャオローンでさえ感知が一瞬遅れた。
「ここはオレ達の縄張りだ。ここを通る者には相応の通行料を収めてもらう。知らないか!」
野太い声の脅し文句。しかしゴルドウッドは動じる事もなく、シャオローンを制して一歩前に進み出た。
「良く知っておるよ。いつも通行料を勢んでいるじゃないかね」
周囲の人影に動揺が走る。
シャオローン達の前に、一人の男が降りて来た。何者か確認に来たものらしく、正体を認めると途端に口調が柔くなった。
「何だあんたか、ゴルドウッド」
ゴルドウッドはわざとらしく両手の平を広げて見せ、
「見ての通り、今は手ぶらでな。帰りにはちゃんと挨拶するから、今日はこのまま通してくれんかの?」
「あんたはいつもおいしい思いをさせてくれるからな。今回も期待させてもらうぜ。さ、行きな行きな」
どうやらゴルドウッドは、気前良く“通行料”をばら撒くのでここの山賊団から一目置かれているらしかった。
「済まんな。ところで、頭領はおるかの?」
問われた男は首を傾げて、
「副頭はいるけど、頭領は最近見てねえな」
「そうか、では副頭に挨拶をして行きたいが」
「いいぜ、ついて来な」
男は四人を細い山道に導く。
山寨に入ると、彼等は二人の男の前に案内された。
一人は髪を首の後ろで括り、角張った輪郭に目は細く、穏やかな顔立ちの壮者である。背丈はシャオローンより少し低く、身体の幅は僅かに広い。山寨の副頭目の一人、“知蔵虎”のリチャード=ユーゲンと名乗った。
もう一人は体格でユーゲンより一回り大きく、丸太のような二本の腕が肩から生えている。細面に精悍な眼光と不敵な表情が同居するこの男は、やはり副頭目のアンディ=グロブナー、一名を“加膊猊”と言う。
二人が頭領であるリンネの消息について語った言葉は、彼等に衝撃を与えた。
「それが、姉さんは今ここにいないんですよ。十日ほど前からアッバースに行ってましてね」
「アッバースじゃと?」
アッバースは、ビルカヴァーから東北東に九百里強の地にある街で、ヤパーナ最大の苦役場がある事で有名である。
ゴルドウッドの懸念を、ユーゲンは苦笑しながら否定した。
「そうじゃないんです。苦役場のとある囚人から姉さんに来て欲しい、って手紙がありましてね。姉さんは取るものも取り敢えず、アオイだけ連れて行ったんで……」
「なるほど。それにしても、手紙一つで姉さんを動かせるような漢が、アッバースにいたとはのぅ……」
「それが誰だと思います? あの“虎殺し”で有名な、アントニオ=ウルスでさぁ」
シャオローンの目に驚愕の光が踊った。
アッバースはファーノース島の東海岸中央部に位置する。この地にあるアッバース苦役場は規模においてヤパーナ最大、世上では特に凶悪な犯罪者が流されて来る地と見做されている。
しかし現実には、配流される罪人の中には佞人に陥れられた清廉の士や、罪を捏造された無実の人物等も少なくはない。
時の苦役場の長官フランツ=シュトイヤーは温和で有情の人物として知られ、囚人達に苛烈に当たる事もなく、微罪の者には街の一部ではあるが出入りの自由すら認めていた。
そのようにして囚人の出入りが許される酒店の一つに、この日二人の客が訪ねて来た。二人ともマントを頭からすっぽりと被り、容貌は定かには判らない。
愛想良く出迎えた店の主人は、二人を二階へ案内する。
二階には先客がいた。厳つい顔に太い眉と大きな目、結んだ口元も凛々しい偉丈夫である。髪は無造作に一束ねにし、傷だらけの皮膚の下に隆々たる筋肉、座っていてさえその巨躯は容易に窺い知れる。眉間にある星形のアザも、男の雄偉さを却って増しているようである。
男は二人を見ると、口の端を上げた。
「よく来てくれた。久しいな」
「四年になるわね、あれから」
帰って来た声は、女性のものだった。
二人がフードを外し、マントを脱ぐ。
一人は黒髪も見事な美女である。遮光鏡に隠された目は明らかには見えないが、すっと通った鼻筋から紅い唇、七尺を越える長身に胸大きく腰細く、その女振りは際立つものがあった。黒を基調の衣装に、胸から腰に掛けて巻かれた豹柄の布が、一段と艶麗さを高めている。
もう一人も女性で、見た目は少女のようでもあった。黒い円らな瞳は若々しい光に溢れ、桜色の髪は後頭部で束ねて、前だけを赤く染めている。身の丈は同行者に首一つ足りないが、その小柄な身体には活動的な衣服が実に似合っていた。
「女豹将の噂は、ここにいても色々と聞こえてくるぜ。相変わらず派手にやってるみたいだな、リンネ」
「へえ、嬉しいわね。あんたがあたしの事を気に懸けてくれているなんてさ、アントニオ」
黒髪の美女が軽口で応えた――彼女がシルキュール山の女頭領、女豹将のリンネ=レインカーンである。
「ああ、あんたは初めてだったね。紹介しとくよ。あたしの妹分で、アオイ=ラメールだ」
アオイと呼ばれた少女は、男に頭を下げた。男――アントニオ=ウルスも自ら名乗り、礼を交わす。
二人が席に着くと、酒やら肉やらが運ばれて来た。
まずは再会を祝し、二人の遠来の労を労って杯が交わされる。
幾巡もしない内に、リンネがアントニオに問うた。
「……で、あたしを呼んだ理由は何だい?」
アントニオは杯を卓に置き、威儀を正してリンネを真正面から見据える。その口から押し殺した声を絞り出した。
「こんな事、頼めた義理じゃないのは承知の上でのお願いだ。リンネ、あんたの力を借りたい」
徒ならぬ様相のアントニオに目を見張り、リンネは先を促した。
アントニオは事情を説明した。シュトイヤー長官には息子カールと娘テレーゼがいる。そのテレーゼが、アッバースの西百里に拠るメッセンタオの山賊に攫われたのだ。さらに山賊の首領、“蟠山蛇”のネロス=ジーゲンはシュトイヤーに娘の身と引き換えに苦役場の囚人の解放を要求したのである。しかしシュトイヤーは肉親の情に流されて己の職責を放棄する人物ではない。テレーゼの命の危うき事は、まさに風前の灯火の如くだった。
「長官はおれを、並の囚人として扱わなかった。カールもテレーゼも、おれに義人として接してくれた。おれは今こそその恩に報いたい。だが、おれが一人で山寨へ乗り込んでいってもテレーゼは救えないだろう。彼女を救い出す知恵を、あんたに借りたいんだ」
アントニオは最初、彼女に話を持ち掛けるのを躊躇った。山賊の頭領である彼女を、官に繋がる人間を救う為に賊を懲らしめる企みに巻き込むのは、同じ緑林の徒として如何にも義理を欠く行いではないか、そう考えたのである。だが、故地より遠く流されて来たアントニオには、火急に相談できる存在は彼女しかいなかった。
現に話を進めるに連れて、リンネの表情はいよいよ険しく、迂闊に触れる事が出来ないほど、気を逆立てている。
「……気に入らないね」
鼻先であしらうリンネ。
「そう言われるのは百も承知だ。しかしおれには、あんたより他に頼れる相手がいないんだ。義理を知らぬ奴と見下げてくれても構わん、知恵だけでも貸してくれないか」
「何言ってんのさ、あんたの事じゃないよ」
アントニオは目を見開いた。
「リンネ?」
「あの蛇野郎、そこまで性根が腐ってたとはねぇ……」
「!? ジーゲンと言う奴を、知っているのか?」
「あたしはメッセンタオの西のファーライトの出だからね、近隣の悪には大体覚えがあるよ。蛇野郎はあの頃から気に入らない奴だったけどね、女子供を人質にする、だって?」
遮光鏡の奥の瞳から、怒りの炎が溢れ出しているのを、アントニオは知覚した。
「緑林の風上にも置けないね、そんな奴。テレーゼとか言う娘、助け出そうじゃない」
「手伝ってくれるのか!? ありがたい!!」
「そのつもりであたしを呼んだんだろ?」
リンネは杯を手で弄びながら、嫣然たる微笑を浮かべる。
「あんた、好い漢だね」
それがリンネにとって、最上級の誉め言葉である事を知っているアオイは釣られて表情を綻ばせたが、
「でも姉さん、具体的にはどうするの?」
「それはこれから考えるのさ。まずは情報を集めないとねぇ……」
「その前に、カールをここに呼んで挨拶させよう」
テレーゼの兄カールも妹の身を案じ、救出に心を砕いたが思案に余ってアントニオに相談したのである。しかし決して他人任せにしようとはせず、自分に出来る事があれば何でもすると、決意のほどを打ち明けていた。
アントニオは階下にカールを呼び、やがて現われたのは白皙の青年だった。
平生ならきりりとした美青年であろうと思われるその顔容も、今は憂いに憑かれたように血色の乏しい白色に支配されている。妹可愛さ故の懊悩か――リンネはそう考えた。
だが、青年の困惑したような表情を見て、彼女の内に警報が走った。
アントニオも何やら不審なものを感じたらしい。
「どうした、カール?」
「それが……」
青年が話そうとするより早く、後ろから人影が飛び出した。
「御無沙汰しておりましたな、姉さん」
頭髪の薄い片目の四十男――その姿に、目を丸くするリンネ。
「何であんたがこんな所にいるんだ、ゴルドウッド?」
こうして一群の星が北の島に辿り着いた事により、やがて邪を怒れる女豹が蛇を食い裂き、正しきを知る羅刹が山を平らげる事になるのであるが、ゴルドウッドの目的は果たして何か? それは次回で。




