第十七話 火眼魔精 旧知に再び助力し 鎗角麟 友を捜して洞窟に入るの事
「あら、また会ったわね、シャオローン」
シャオローン達の視線の先には、三人の女性が立っていた。
先頭の女性は黒褐色の肌に長い黒髪、萌黄色の服に黄色の染布、赤い光を放つ二つの瞳――
「レイ!?」
見紛う筈もない。半月ほど前にラングフェルトで別れたレイ=デ=ヴィーニィだった。
後ろにはミーク=ヒロネの姿もあった。もう一人には面識がない。
「まさか、こんな所で会うとは……」
「それはこっちの台詞だよ。アタシは気ままな旅人だからね。あんたこそ、こんな所でどうしたんだい? ……あのお嬢ちゃんは?」
シャオローンは、一別以来の一部始終をレイに語った。
「……あんた達、よっぽど星回りが悪いんだね」
思ったところを正直に口にした彼女だが、
「それで、今度はあんたがあの子を助けに行く訳か。でもシャオローン、あんたはまだ本調子じゃないんでしょ。そんな状態で、たった四人で、あの子達を助けられると思ってる?」
「判らない」
シャオローンの回答もまた、正直なものだった。
「だが、彼女は私の危機に命を懸けてくれた。今度は私がそうする番だ。私は彼女と、生死を共にする誓いを立てている。約を違えて一人生きるくらいなら、二人共に死して義を全うする方を選びます」
レイは一瞬、驚いたように目を見開いた。
「あんたはそれで良いかも知れないけど、そんなあやふやな事に他人を巻き込むつもりかい?」
彼女の指摘に黙するシャオローン。その横から、
「私達は頼まれたから行くのではありません。彼と、その仲間を助けたいと思うから行くのです」
チャールはきっぱりと言い切った。口調にやや非難の響きが含まれていたのは已むを得ぬところであろう。
後ろでジョイも力強く頷き、
「ま、そんなところだな」
ゴルドウッドもわざとらしく言い添えたのである。
レイの見るシャオローンは、どこもヨシオリと似ていない、似ている筈もない。しかし、その瞳の輝きだけは紛れもなく同じだった。強い信頼と、溢れる真情――。
「あんた、あのお嬢ちゃんに惚れてる?」
「義妹ですから」
迷いのない答に、レイは喉の奥で小さく笑った。
「なるほどね、あんたとお嬢ちゃんが兄妹な理由がよく解ったよ」
彼女の火眼が熱を帯びて輝く。
「予言は、北斗七星だったね」
「ええ」
「あんた達は四人。ここにあたし達が入れば、予言通りになる訳だ」
「レイ!」
驚きを隠せない四人。シャオローンは静かに訊いた。
「……また、力を貸してくれるのですか?」
「乗り掛かった船さ。あたしは、あのお嬢ちゃんが気に入っているからね。蜥蜴人共の餌にされちゃ勿体ない。いいだろ?」
最後の問い掛けは、後ろの二人の同行者に向けられたものだった。
「ほえ」
「いいよ」
あっさりと快諾が返って来る。
「決まりだね。加わらせて貰うよ」
三人に対し、シャオローンは深く頭を下げた。
「これで揃ったわ。じゃあ、急ぎましょう」
ジョイの言葉を振り出しに、一同は西へ向けて進み出した。
アハトプリンツからタカオ山までは二十数里の道程がある。この間に、七人は互いの名乗りを済ませたのであるが、ここでレイ、ミークと共に新しく加わった一人を紹介する事とする。
彼女の名はラット=ダット。帝都の東方にある街タオゼントブラット郊外の農場で働く農民だったが、旅の途中で近くを訪れたレイに憧れ、彼女と共に旅に出たいと希望した。レイは彼女にアハトプリンツで待つように伝え、合流して新たな旅に出るところだったと言う。
身の丈は六尺に足らず、赤茶色の髪を目が隠れるまで伸ばし放題にしたその姿は、傍目には少年か少女か区別が付かない。だが、すばしっこさと習い覚えた鎌の腕はそんじょそこらの者には負けないと豪語し、“林中兎”の異名も持っている少女である。
「シャオローン=シェンです。宜しく」
紹介を受けたラットは、
「言いにくいなぁ。シャオ兄でいい?」
と言ってのけたのである。一瞬は面食らった彼だが、「いいですよ」と微かに笑って了承した。が、さらにゴルドウッドを「ゴル爺」と略した時には、本人は絶句し、ジョイは堪え切れずに笑い出し、チャールさえも手を口に当てて俯いていた。
そうこうしている内に、彼等は目指す蜥蜴人の巣を目前にしていた。
巣穴の前には、以前にシャオローン達が不覚を取った、砂人の棲む砂地が横たわっている。
今回は奇襲を予測している。二度はやられないとシャオローンは意を決して砂地を目指す。
その彼をチャールが押し止めた。
「ここは私に任せて下さい」
シャオローンは頷いて身を引き、代わってチャールが砂地の岸に近付いた。左手には既に氷の曲月刀――銘を“凄皇”と言う――が握られている。
チャール=レフィリア。この美貌のハイエルフは召喚術師、呪術師等六種の技能を持つ才媛であるが、近隣には聖騎士として名高く、“聖飛将”と呼び倣わされている。
彼女は凄皇の刃を下に向けて構え、砂地に飛び降りた。着地と同時に、大地に凄皇を突き立てる。
凄皇を中心に、魔法風が吹き抜ける。
砂地には、表面上は何の変化も現われていない。
――ペキ、と微かな音が鳴った。
次の瞬間、チャールの足元、砂の中から腕が伸びた。彼女の細い足首を掴もうとする。
彼女の左腕が光を伴って走った。
凄皇が空を裂き、伸びて来た腕が両断される。
同時に彼女の背後から砂人が立ち上がった。
しかし、砂人は直後にその動きを止めた。
後ろから伸びたシャオローンの槍が、その胸の真ん中を貫いていたのだ。
シャオローンが砂地に降り立つ。続いてレイも。
その足は地面にぴたりと吸い付き、埋もれる事はない。
チャールは凄皇の魔力をもって、砂地の表面を凍結させたのだった。これでこちらは足を取られる事なく、砂人共の動きは氷の割れる音で事前に察知できる。
最早砂人に奇襲を受ける事はなかった。シャオローンは突破を確信していた。
「……どうやら七星は交わったようだな」
瞑想の姿勢のままで、彼は微妙に唇を動かした。
天眼通のラー=シーン。偉大な予言者と言われているが、その引き締まった立派な体躯は、とても文弱の徒のものとは思えない。またその風貌も、颯としたところは若者のようにも見え、堂々とした貫録は円熟した壮者のようでもあり、定かには掴み難いものがあった。
ここはアハトプリンツの街の一角、彼が研究を続けながら住まう家である。
一室で瞑想を続ける彼の頭の中では、天地の理、星の運行、森羅万象の一切が駆け巡っている。
彼は北斗七星を注視していた。柄杓形の七つの星は、瞬きつつもその輝きを強めている。中でも、柄の一星が一際強い光を放っている。
不意に彼は顔を上げた。
「私とした事が、輔星の輝きを見落としていたか……」
真一文字に結んだ口元から、苦笑めいた呟きが洩れる。
輔星――北斗七星の柄のすぐ側に侍する星。今やその光は、主星を凌ぐほどに煌々とあった。
「強き星だ……もう懸念はあるまい」
いつしか彼の顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
ヨシオリはふと目を覚ました。
気怠い弛緩した闇の中でずっと揺られていた意識に、急激に強い光が飛び込んで来て、思わず目を開けたのである――。
辺りをゆっくり見回してみると、そこは岩肌の壁で閉じられた部屋だった。周囲には幾人もの人間が倒れている。
「……気が付いた?」
小声で話し掛けて来る声があった。聞き覚えのある声である。
「アリーナ?」
「シッ!!」
小さく、しかし鋭い声でアリーナが制止する。ヨシオリは起こし掛けた自分の半身を慌てて横たえた。
「……あたし達、捕まったの?」
「そのようね。でも寝た振りをしていて。起きていたら……」
突如、アリーナが口を噤み、目を閉じた。ヨシオリもそれに倣う。
蝶番の軋む音がして、何者かが入って来る気配がある。
ヨシオリは薄目を開けて、様子を盗み見た。
二匹の蜥蜴人が扉を開けて入り、近くの眠っている男を左右から担ぎ上げて、外へ連れ出した。
「……あれは?」
奴等が出て行ったのを確認して、ヨシオリはアリーナに尋ねた。
「連れ出された人は恐らく……奴等の餌にされるわ」
「!!」
予想された事だが、衝撃だった。ヨシオリは無意識に腰に手を遣った。その手は虚しく空を切った。
愛刀が二本ともない。取り上げられたらしい。
「動いちゃダメよ、ヨシオリ。起きている事が判ったら、強制的に眠らされるわ」
アリーナが目を覚ましたのは、ちょうど別の女性が連れ出されるところだった。女性は酷く抵抗していたが、暫くして再び部屋に戻された時にはぐったりしていた。
アリーナの向こう側に、デュクレインの背姿が見えた。その背が規則正しく動いている。彼も眠っているらしい。
「それで、見張りが少ないのね……」
部屋の扉は一つ。その外に二匹の蜥蜴人が立っている。
「……でも、幾ら貴女でも素手では難しいわ。もう暫く、機会を待ちましょう」
確かに、皮膚が硬く力もある蜥蜴人に素手で立ち向かうのは、ヨシオリといえども至難の業である。
「そうね……生きていれば、兄さんはきっと助けに来てくれる。生きていれば……」
あの時シャオローンがどうなったのか、ヨシオリは知らない。だがこの部屋には彼の姿はない。逃げ延びたのか、それとも……
彼女は頭を小さく振って、不吉な想像を追い出した。義兄は強運の人だ。ラングフェルトでも助かったではないか。
いずれにせよ、ここは何としても生き延びなければならない。その為には“ヨシオリ=タイラー”の力では、今回ばかりは及ばないかも知れない。いよいよと言う時には……。
ヨシオリは或る決意を胸に、表面上は大人しく機会を待ち続けた。
しかし、その時間はそう長くは与えられなかった。
見張りの蜥蜴人が再び入って来た。今度は真っ直ぐに彼女等の方へ向かって来る。
二匹はアリーナの両腕を掴んで立ち上がらせた。
「アリーナ!!」
ヨシオリは跳ね起き、手近の蜥蜴人に掴み掛かった。目覚めたのが露見たのか、それともアリーナの“順番”なのかは知らないが、ここは動かねばならない。
不意を衝かれて、蜥蜴人はヨシオリもろとも転倒した。
もう一匹の蜥蜴人の首には、鋼線が絡み付いた。
寝ていると思われたデュクレインだ。
ヨシオリは蜥蜴人の首と左腕を押さえ付け、得物を奪おうとする。
しかし、屈強な戦士にも匹敵する蜥蜴人の膂力に、ヨシオリは片腕で払い除けられた。
両者がすかさず立ち上がる。
蜥蜴人は左手に短剣を持っている。対するヨシオリは素手。
デュクレインの鋼線刃は蜥蜴人の硬い外皮に阻まれて、その動きを封じるのが精一杯である。アリーナもまだ呪文の詠唱中だ。
蜥蜴人が剣を振り翳す。
今しか、ない――!!
ヨシオリは胸の前で印を組んだ。そのまま前方に突き出す。
後は“封印”を解く言葉を唱えるのみ。さすれば、己の内に棲む異形の魔物が百数十年の眠りより醒め、周囲を修羅と変えるであろう。その後は――。
ヨシオリは息を吸い込んだ。
が、その口から言葉は発せられなかった。
蜥蜴人が、剣を振り上げた体勢のまま、ゆっくりと、崩れ落ちるように倒れる。何が起こったのか、ヨシオリには判らなかった。
その陰から光が差し、人影を照らし出す。
髪の長い女性である。前髪を茶色に染めた金髪、鋭く光る紫の瞳、右の頬に二本の傷が走っている。若草色の丈の長い上衣に濃緑の帯を締めた豊艶な身体で、黒光りする鉄鎗を構えている。恐らくこれで蜥蜴人を倒したのであろう。
女性は、鋼線刃に首を絞められて身動きの取れないもう一匹の蜥蜴人も鎗で突き倒した。
「大丈夫かい?」
声を掛けられて、はっと我に返るヨシオリ。
「ええ、ありがとう……あなたは?」
「私はリム=リン。友達を助けに来たんだけど……!?」
そう言って室内を見回していた彼女――リムの視線が一点で止まった。
「レナ!」
ヨシオリとアリーナは顔を見合わせた。ロミオと言うあの青年が、何としても助け出すと言っていた少女。それが確かレナと言う名ではなかっただろうか。
二人を余所に、リムはその場所に駆け寄った。
「レナ、しっかりしろ!」
抱き上げた友人の身体は暖かかった。呼吸もしている。ホッとするリム。
「恐らく薬で眠らされているんですわ」
アリーナが告げると、リムはまた表情を引き締めた。
「急いでここから逃げ出したい。皆を起こせる?」
「やってみます」
幸い、覚醒の魔法が効く類の睡眠だった。すぐに全員が起き出した。
レナもうっすらと目を開けた。視界の中にここにいる筈のない友の姿を見出して、その瞳が大きく見開かれる。
「……リム!?」
「間に合って良かった。レナ、ロミオは?」
「それが……」
レナはまだ意識がぼんやりしているらしい。ヨシオリ達にも答えられなかった。彼女達の記憶の範囲ではまだ生きていたのだが。
「とにかく、一刻も早くここを出ないと。戦える人はいる?」
「得物がないわ」
ヨシオリの二刀だけでなく、デュクレインの剣も取り上げられていた。鋼線刃は袖口に隠していたので見付からなかったらしい。
「これを使って」
リムが左耳の耳飾りを外す。それは瞬時に、彼女の手の中で刀に姿を変えた。
ヨシオリは刀を受け取り、リムと共に真っ先に部屋を出た。その後にレナや、他に捕らわれていた十人ほどが続き、デュクレインとアリーナが最後尾を固める。
「私が来た時、連中の姿は殆どなかった。また狩りに出たんじゃないかな。戻って来る前に逃げるよ!」
一同はリムが手にする灯りを頼みに、暗い洞穴を手探りで進む。
相手は暗視能力を持つ蜥蜴人である。必然的にその歩みは慎重にならざるを得ない。不意打ちを警戒し、先頭を行くリムとヨシオリは五感の全てを研ぎ澄ませている。
――ヨシオリの全身に電気が走った。
微かな光が視界に入った。咄嗟に刀を突き出す。
重い衝撃が、刀を通じて腕に伝わって来た。
横合いから蜥蜴人が斬り掛かってきたのだ。僅かな間合いの差で、彼女は存在を察知し得た。
時を同じくしてリムも襲撃を受けたらしい。灯りが揺れ、激しい剣戟の音が聞こえる。
しかしそちらには構っていられない。ヨシオリは不安定な灯りが反射する僅かな剣光を、必死で捌いていた。使い慣れない刀を持て余し、半ば以上は勘で動いた。
直上から光が降って来る。両手で刀を翳して受け止めた。両腕が痺れ、膝が落ちそうになるほどの一撃だった。
鍔迫り合いの剣の向こうに、不気味に光る二つの目がある。感情の見えない、無機質な双眸。
彼女はこの状況下で、目の前に迫る剣光に目を奪われていた。どこかで見たような光。それが記憶と合致した時、アリーナが声を上げた。
「それは……フォイエルン!?」
フォイエルンと言うのは、デュクレインの剣の名だ。
「気を付けて! その剣は魔力付与されているわ!!」
アリーナは剣の放つ魔力の波動から感じ取っていた。
デュクレインは鋼線刃を構えた。彼の目はこの暗闇の中でも、ヨシオリと斬り結ぶ蜥蜴人の姿を捉えている。しかし、彼女と重なり合っていて狙いが付けられない。
「――やあっ!!」
ヨシオリは力を込め、刀の柄を引きながら身体を左に捌いた。鍔迫り合いの剣が離れ、彼女の髪を掠める。
蜥蜴人の上体が勢い余って蹌踉めいた。
光る二つの目に向かって、彼女の左手が伸びた。
手首が翻る。
二つの光が消えた。蜥蜴人が悲鳴を上げる。
ヨシオリは声を頼りに、刀を逆手にして突き立てた。
再び響く怒声。それは、蜥蜴人の断末魔だった。剣が地面に落ちる音がして、直後に蜥蜴人はどうと倒れた。
さらにもう一体地に伏す音。リムもまた、短いが激しい闘いを制していた。
「デュクレイン!」
「こっちだ」
ヨシオリはフォイエルンを拾い上げると、後方のデュクレインに声を頼りに投げ渡す。
デュクレインは剣を受け取り――即座に投げ返した。
剣は一直線にヨシオリの脇を抜け、壁に突き立つ。
絶叫が洞穴に木霊した。
驚き振り返ったヨシオリ達の前で、胸に剣を受けた蜥蜴人が仰向けに倒れる。
これまで壁だと思っていたそこは、戸口のように大きく口を開けていた。慎重に中を窺うと、すぐ先は壁で小さな部屋のようになっている。
「アッ!!」
ヨシオリが叫ぶ。部屋の床に散らばる武具の中に、見慣れた影を発見したのだ。
「あたしの!!」
彼女の愛刀――無名子と大刀は、こうして一の使い手の元に戻って来た。
刀をリムに返すと、彼女は二刀を腰に差し、抜き放って身構えた。二刀に生気が吹き込まれ、体内から新たな力が湧いてくる。例えようもない一体感が、彼女の心身を満たしていた。
彼女は部屋を退き、リムに言った。
「行きましょう!」
頷くリム。
一同は警戒を払いつつ、道を急ぐ。
途中でもう一度、蜥蜴人の待ち伏せを受けたが、ヨシオリの二刀は斬り結ぶより早く相手を骸に変えていた。
これにはリムも舌を巻いた。手練の戦士である彼女は、愛刀を取り戻したヨシオリの変化を明確に見て取っていたが、これは予想を遥かに超えていた。
「大した腕だね」
素直に賞賛の言葉が出る。こんな時だが、ヨシオリはリムに微笑み返した。
やがて前方で、道は前と右の二つに別れていた。
右に行けば外に出られる、とリムが言う。
「……でも、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「何か……聞こえる……」
ヨシオリが耳を峙てる。皆もそれに倣った。
微かな、ごく微かな物音だった。右の通路の奥から流れて来る。そして、徐々にはっきりと聞こえてきた。金属のぶつかる音、生物の怒号……紛れもなくそれは、剣戟の音――。
「敵だ」
デュクレインが静かに呟く。
リムは灯りを翳した。
右の通路から、数匹の蜥蜴人が飛び出して来た。こちらに逃げて来ようとする。その足が止まった。こちらの存在に気付いたらしい。戸惑いと逡巡が手に取るように解る。
蜥蜴人の背後に、さっと光の固まりが現われた。
砂人共の領域を難なく突破し、シャオローン達は洞穴の正面から堂々と侵入した。
相手は洞穴と聞いていたので、ゴルドウッドは明かりを大量に店から持ち出していた。各人が松明を持ち、自分は角灯を提げている。御蔭で、周囲は相当明るくなっていた。
一行の並びは、まずレイとゴルドウッドが先頭を歩き、すぐ後ろにシャオローン、そしてジョイとラット、最後尾にチャールとミークが付いている。現役の盗賊と元盗賊の勘を頼りに、一行は奥へと進んで行った。
しかし行けども、捕まった人間達はおろか、蜥蜴人の姿さえ見えない。奴等の巣穴である筈なのに何故……?
「また狩りに出ているかも知れないね」
レイの推理には、大いに首肯するところがあった。ならば今の内にヨシオリ達を探し出そう
そう考えた矢先に、目の前に蜥蜴人が現われた。その数、五匹。
物も言わずに、襲い掛かって来る。と言っても、洞穴の通路は狭い。同時に掛かって来れたのは二匹だけだ。
レイは両手の短刀で、ゴルドウッドは愛用の“風塵の短刀”で、蜥蜴人の来襲を受け止めた。
一歩控えていたシャオローンが槍を繰り出す。
ゴルドウッドと相対していた蜥蜴人は、無防備になった脇腹をシャオローンに突かれた。怯んだところを、ゴルドウッドの短刀に顔を斬られ、仰け反って倒れる。
一方では、レイが見事な二刀あしらいの内から蜥蜴人の喉を刺し貫いた。
残る三匹が一斉に来る。
その時、レイのすぐ傍を疾風が駆け抜けた。
光が、蜥蜴人の首を目掛けて疾り、通り抜ける。
ややあって、蜥蜴人は首の根から鮮血を吹き上げて倒れた。
赤い霧の向こうで、赤茶色の髪が振り返る。
ラットだった。驚くべき敏捷性で一行の間を走り抜け、得意の鎌で蜥蜴人の急所を切り裂いたのだ。
一行もそうだが、蜥蜴人はそれ以上に驚いていた。その隙を逃すシャオローン達ではない。
シャオローンの槍が蜥蜴人の隙だらけの胸を貫いた。
もう一匹の蜥蜴人の首には、ジョイの鞭が絡み付く。同時に、チャールが右手を振り上げた。
「火精召喚!」
松明から火の玉が飛び散った。と見る間に、それらは蜥蜴のような姿に形を変えていく。
炎の精霊、火精である。
五体の火精が、鞭を外そうともがく蜥蜴人に四方から火球を浴びせ掛ける。蜥蜴人は黒焦げになった。
「ほえ~」
手を出す暇もなかったミークがひたすら感心している。それほどの見事な連携による、一瞬の出来事だった。
「まだいるぞ」
ゴルドウッドが角灯を掲げて遠方を照らすと、まだ数匹の蜥蜴人が固まっている。だが、向かって来る様子がない。戸惑いを露にして、こちらを窺っている。
怖ろしいのだ。
自分達からすれば、ひ弱な獲物でしかなかった筈の人間達に、一瞬にして五匹の仲間が倒された。それを目の当たりにして、怯みを覚えずにはいられないだろう。思わぬ強敵を前に、躊躇しているものと思われた。
シャオローンは素早く、レイとゴルドウッドに目で合図した。
二人は小さく頷き、一歩ずつ歩を進めていく。一行も後に続いた。
目は前を見据えたまま、あくまで堂々と。
蜥蜴人共は、目に見えて狼狽している。恐れの欠片も見せずに近付いて来る人間達――その腕前は先にまざまざと見せ付けられている。正面切っての戦いでは勝負にならない。
蜥蜴人の一群は、揃って背を向けて逃げ出した。
その後をシャオローン達が追う。戦意を失った敵が逃げる先は当然中枢である。そこに捕らわれたヨシオリ達がいるのではないか――。
逃げる蜥蜴人は、突き当たりを左に曲がった。シャオローン達も後を追って、三叉路に飛び込む。そこで足が止まった。
蜥蜴人はすぐ前で立ち往生していた。待ち伏せではないようだ。見れば、その向こうに十数人の集団が見える。その影からそれが蜥蜴人ではない事が判る。挟まれたものらしい。
進退窮まった蜥蜴人は、前後に分かれて斬り掛かって来た。二匹がこちらに、三匹が奥に向かう。人数を見てそう分けたのだろう。
捨て鉢で掛かって来る蜥蜴人共。
ゴルドウッドに代わってシャオローンが前に出る。
「いやぁーっ!!」
裂帛の気合いと共に繰り出された槍は、蜥蜴人の胸から背中まで突き通った。あえなく絶命する。
もう一匹はレイが適当にあしらい、ゴルドウッドも脇から手助けしてこれを片付けた。
シャオローン達が二匹を倒した時には、奥に向かった蜥蜴人も全て討ち取られて地に伏していた。
奥の人影がゆっくりとこちらに移動してくる。向こうの灯りが一つだけなので、それを持っているのが髪の長い女性らしい事以外は判然としない。シャオローンは角灯を掲げようとした。その時、
「……兄さん?」
声がした。聞き違えようのない声――。
角灯の光に照らし出されたのは、泣き出しそうな笑っているような、義妹の姿だった。
「兄さん!」
矢も楯も堪らず、ヨシオリは駆け寄って来る。
「……やっぱり、助けに来てくれたんだ」
シャオローンは微かに笑い掛けた。
「これで、おあいこだな」
言いながら、義妹の栗色がかった髪をくしゃりと撫でる。
横でクス、と笑う声がした。赤い瞳のダークエルフだ。
「レイ!?」
「無事で良かったね、お嬢ちゃん」
後ろでミークも手を振っている。
「……しかしヨシオリ、どうしてこんな所に? 捕まっていたのではなかったのか?」
「この人が、助けに来てくれたのよ」
そう言って、ヨシオリは義兄達にリムを紹介した。
顛末を聞いて、シャオローンはリムに深く頭を下げた。リムは手を振って、
「私も友達を助けに来ただけよ。でも、あなたの妹さんは凄いわね。私の方が助けられたぐらいよ」
「友達?」
リムが目線で差したのは、レナだった。シャオローンの胸に、苦いものが去来する。
「ねぇ兄さん、ロミオは?」
義兄と来た人達の中にも、ロミオの姿がなかった。
「その件は後で話す。今は早くここを脱出しよう」
努めて冷静に、シャオローンは言った。
リムとヨシオリは顔を見合わせる。しかしここは彼の言に従い、一団はレイを道案内に出口への道を取った。
道すがら、チャールがリムに話し掛ける。
「リム……もしや“鎗角麟”と仰有る、エストヴィルモントのリム=リン様ではありませんか?」
「ええ、そうよ。よく知ってるわね。あなたは?」
チャールが名乗ると、リムは目を丸くした。
「あなたがアハトプリンツの聖飛将? なるほど、道理でねぇ……」
この暗がりでも、チャールの姿は眩い輝きを放って見えた。リムは勿論、ヨシオリもアリーナもレナも、一度は目を奪われたまま放せなかったのだ。デュクレインでさえ、一瞬以上の間、視線が止まっていた。
「実は……」
何かを話そうとして、チャールは言葉を切った。気配を感じて、視線を向ける。
まさにその方向、横合いから蜥蜴人が襲い掛かって来た。
しかし、リムも既に気配を察知していた。襲来する剣を弾き、そのまま突き伏せる。
同時に、反対側にいたシャオローンも別の蜥蜴人を一槍で撃退していた。
蜥蜴人はどうやら奇襲を狙っていたらしいが、見抜かれていては奇襲にならなかった。
「さすがは、あの子の『兄さん』だけはあるわね」
リムはそんな表現でシャオローンの槍技を誉めた。
「貴女こそ、一人でここへ乗り込んで来た自信のほどが、よく解りましたよ」
達人は達人を知る。
流儀こそ違え、リムの腕前はシャオローンに勝るとも劣るものではない。その事は、他ならぬシャオローン自身が一番強く感じていた。
これを最後に、彼等は洞穴を出るまで襲撃を受ける事はなかった。
やがて、岩壁にぽっかり穴が空き、穴の向こうの風景は光輝いていてよく見えない。
「出口だ!!」
一団は太陽の下に躍り出た。特に捕らわれていた人々は、数日振りの、二度と見る事は叶わないかも知れないと思っていた陽光を仰ぎ、歓喜の声を上げて安堵している。
しかし、試練はまだ終わらなかった。
「ちょっと待ってや! あれ!!」
ラットが叫ぶ。
砂人が潜む――あらかたはシャオローン達が行き掛けに退治したが――砂地の向こうに、蜥蜴人の群が姿を現わした。ざっと数えて、二十匹はいる。
「ほえ~」
「狩りから戻って来ちゃったみたいね」
レイの言う通り、一群の中には人間――その大半は女性――の姿も見える。
「ですが、見た以上は見過ごす訳に行きません」
チャールがきっぱりと宣った。シャオローンも同調する。
「ここまで来たんだ。仕上げに連中を一掃して、山の平穏を取り戻そう」
頷く一同。
シャオローン、ヨシオリ、リム、レイ、ラット、チャールが一歩前に出た。デュクレイン、アリーナ、ジョイ、ミーク、ゴルドウッドは後ろでレナ達を守る姿勢だ。
蜥蜴人共が、奇声を発して一斉に砂地を渡って来た。
「行くぞ!!」
六人の戦士が、迎え討つ――。
こうして、蜥蜴人との戦いはいよいよ大詰めを迎え、次には神馬が勇者達を新たなる戦いの場へと導くのであるが、この戦いの帰趨や果たして如何相成りますか? それは次回で。




