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水滸伝獣魔戦記  作者: 神 小龍
本編
15/42

第十五話  竜眼嬢 星宿の邂逅を占い 白鱗龍 群蛇もて刑場を鬧がすの事

 ラングフェルトでは、シャオローンが仮借ない拷問に責めさいなまれていた。

 皮肉破れ血が流れるまで打ち据えられ、気を失うと水をぶっ掛けられ、その責めは昼夜の別なく行われた。

 当初こそ口を固く結び、声一つ洩らさなかったシャオローンだったが、そういつまでも耐えきれるものではない。五日、七日と経るに従って、呻きと苦悶の息が次第に増え、気を失う事も多くなった。それでも、事件についてだけは沈黙を貫き続けた。

 彼は自分の性格をよく弁えている。曲事嫌いで剛直な彼は、咄嗟の方便や出任でまかせが苦手だった。虚実取り混ぜて捜索の手を撹乱させようとしてもしきれるものでなく、いずれ行き詰まる事は目に見えている。

 あらん限りの気力でもって、彼は心身を傷め付ける責め苦に耐えた。

 忍耐力に欠けたのは、県令けんれいの方である。半月も経つとレバード=シャークは業を煮やし、遂に、彼が捕盗府長ほとうふちょうウィッテン=シャーク殺害を自供した、とする旨の供述書を司法府しほうふの書記に捏造ねつぞうさせたのである。

 この供述書を元に、県令は牢役人を呼び付けて断じた。

「かの不逞なる男を、捕盗府長殺害の罪により斬刑に処せ」

「刑の執行はいつにしましょうか?」

「決まっている、即刻だ。明日にでも行え」

 実はこの牢役人、キンドリング家の下男より例のまいないを贈られていた。その事がチラ、と頭をぎったか、恐る恐るこう申し出た。

「お言葉ですが、明日は先帝の命日で、明後日は今上の践祚せんその記念日にございます。刑の執行は差し控えた方が宜しいかと……」

「うーむ、是非もない。それでは三日後にせよ」

 これは、天運がシャオローンに味方したのであろうか。


 処刑の日取りが決まった事は、即座にデュクレイン達の耳にも届いた。

 かの牢役人が、顔知りの下男にこっそり教えたのだ。牢役人はその際、自分の口添えで執行日が延びた事も忘れずに付け加えたので、下男は礼としてさらに金品を渡さねばならなかった。

効果覿面こうかてきめん、か」

 デュクレインが北叟笑ほくそえむ。

 彼等はラングフェルトの街内の宿屋に潜伏していた。ジョスリン=キンドリングの紹介によるもので、平素から懇意にしていると言う主人は、事情を説明すると何も言わずに彼等を匿ってくれた。

「ここで二日猶予されたのは大きいわ」

 ヨシオリ達ともここで落ち合う約束である。が、彼女達はまだ姿を見せない。

 アリーナの言葉は、偽らざる心情だった。

「二日あれば、きっと間に合う筈よ!」

 そして事態は、彼女の希望を裏切らなかった。

 翌日、ヨシオリとアーシャが到着したのだ。

「間に合ったのね!?」

 開口一番、ヨシオリはこう言って破顔した。

 もしかしたら間に合わないのではないか、と言う不安と道連れの道中を駆け抜けた憔悴も、一気に吹き飛んだ感がある。

「後は、レイが来るのを待つだけだね」

 これはアーシャの言。ゴルム達は既に他の宿屋に散宿していた。

「レイ?」

「道中で意気投合した。強力な援軍だよ」

 アーシャはヨシオリと顔を見合わせて、にっこり微笑み合う。

 何も知らないデュクレインとアリーナは、ただ怪訝けげんな表情をするばかりであった。


 その翌日、すなわち処刑日の前日。

 この日は街の大道に市が立つ。地元だけでなく、近隣からも物売りや客が押し寄せて、さながら祭りのような有様であった。

 特に目立った騒ぎもなく一日が過ぎ、太陽が西の空に掛かって、気の早い者はそろそろ店をしまおうかとする頃。

 喧噪も一段落した大道に、一人の女性がいた。

 歳の頃は二十歳前後か、女性にしては長身で、半袖の襯子シャツの上に袖無しの短い上着、短い洋袴ズボンから細い素足がすらりと伸びている。灰色に近い淡い緑の瞳は穏やかな光を湛え、彼女の持つ清楚な美しさを引き立てていた。白に近い金髪は長く、右側で細く三つ編みにしている。右の額に、前髪に透けて星形のアザがちらちら見えた。

 彼女は野菜売りの前に立ち、菜やら芋やら果物やらを一つ一つ手に取って、品定めをしているようであった。

「どうだい、いい品だろ」

 野菜売りの男が声を掛ける。

「そうね」

「お姉さん、見ない顔だね。どこから来たんだい?」

「レフィシットからよ」

 彼女は二百里ほど南にある町の名を挙げた。

「そいつは遠くからご苦労さん。レフィシットのも旨いだろうが、こっちのも負けてないはずだぜ、そら」

 男は彼女に、青林檎を一つ投げて寄越した。

「ありがとう」

 一言礼を言って、林檎を口に含んでみる。シャキッとした歯応えに続き、瑞々しく甘酸っぱい果汁が舌を堪能させ、喉を潤して行く。

「美味しいわ」

「だろ? で、どうだい?」

「商売が上手いわね。戴くわ」

 彼女は林檎の他に二、三品を求めた。それらを受け取った時、ふと横手に目を遣った。

「ねぇ、あれは何かしら?」

 見れば、何人もの役人が青竹の束ねたのを、幾抱えも大道の四つ辻に運び込んでいる。

「ああ、明日そこで仕置きがあるんだな」

「仕置き? そう言えば、あちこちに高札が揚がっていたわね」

「捕盗府長様がキンドリング様のお屋敷で殺された件だろ。殺ったのは食客の一人だって話だ。その食客が首を斬られるんだな」

 野菜売りの男は訳知り顔で話し出す。

「それは、斬首もむを得ないわね」

「しかし、捕盗府長様が死んで、街の者は喜んでるよ」

 男はそこで声を潜めた。

「喜んでる? そんなに酷い役人だったの?」

 釣られて彼女も小声になる。

「ああ、レフィシットまでは知られてないかもしれないけど、そりゃあ嫌な野郎だったぜ。元はならず者だったのが、兄の県令様と一緒にここに来て、県令様の引き立てで捕盗府長の地位に着いたんだ。そんなだから、県令様の威光を傘に着てやりたい放題、街の者もどれだけ泣かされたか分かりゃしない。――キンドリング様もお屋敷を取り上げられそうになって、あんな事をしでかしたんだろうよ。俺達に取っちゃ救いの神さ。まぁ結局、お屋敷は県令様に没収されたんだがね」

「それじゃ、街の人達はその食客を助けようとしているの?」

「いや、県令様の目があるから、嘆願はもちろん、牢へ差し入れすらできない。どんなに頑張っても、権力には逆らえないだろうなぁ……」

「ふぅん……」

 彼女はじっと大道の辻を見詰めている。

 野菜売りはそんな彼女の方を見て――ぎょっと目を剥いた。

「お、お姉さん! 足元に蛇が!!」

「えぇっ!?」

 彼女も慌てて足元を見た。

 が、そこには蛇はおろか、何者の姿もなかった。

「……何もいないわよ?」

「あれ? おかしいなあ、確かに白いニョロッとしたのがいたように見えたんだが……」

 野菜売りの男は頻りに首を傾げていた。


 処刑前夜――。

 レイ達が来着したのは、まさにその夜の事だった。

「計ったみたいね」

 そう言う表現で、アーシャは彼女等の到着を喜んだ。

 早速デュクレイン達と彼女等を引き合わせる。相変わらず寡黙かもくなデュクレインに代わって、紹介はアリーナが引き受けた。

 レイは自分の事を余り語らなかった。ただ“風来坊の盗賊シーフ”と称したのみである。ミークの事も同様、「くっ付いてきてる」と素気そっけない。当のミークは、これまた何を言われてもにこにこと微笑んでいる。

 また、リーベルが“高山民ハイランダース”の戦士だと聞いて、アーシャは非常に驚いた。嶺北れいほくが本拠地の彼女は関西かんせいのヨシオリ達と比べて、高山民の“伝説”に接する機会が多く、それだけ畏敬の念も強かったのである。

 彼等に許される時間はこの一晩のみ。シャオローン救出の手段を練る最後の密議にはヨシオリ、デュクレインとアリーナ、アーシャにゴルム、レイとミークそしてリーベルの八名が顔を揃えた。

 その席上でアーシャが、

「名にし負う高山民の戦士が十人も来ているなら、シャオローンを救い出すに不足はないと思う。そこで、ゴルム達には別にやって貰いたい事があるんだけど……」

と、一案を提示した。

 それを聞いてゴルムは「面白ぇや」と手を打ったが、他の一同は驚き且つ呆れていた。しかし、特に反対する理由もなくこの案は採用され、ゴルムと手勢の半数が別行動を執る事になった。

 その他各自の配置や手筈について詳細を打ち合わせ、かくて、処刑日の朝を迎える……。


 その朝、刑場となる四つ辻は綺麗きれいに掃き清められ、周囲は竹矢来たけやらいで囲われていた。その周りをさらに見物人が取り巻き、空気はざわめきに満ちている。

 野次馬は刑場のみならず、役所までの沿道にも群れ集まっている。そんな人々の目にさらされながら、シャオローンは役人に曳かれて矢来の内へ、白い死衣しえを着し、後ろ手に縛られた哀れな姿を現わした。

 シャオローンは用意のむしろの上に南向きに座らされた。その背後には処刑の監督官たる県令以下、数多あまたの役人が処刑の時間を待っている。

 正時の知らせを受けて、県令が片手を挙げた。

 それを合図に、罪文が読み上げられ、役人の列の内から鬼頭刀きとうとう――処刑用の大刀を携えた斬首役が一人、ゆるりと進み出た。

 斬首役はじわじわとシャオローンに歩み寄り、その横で歩を止めた。

「観念!」

 一語の下、鬼頭刀を振りかぶる。

 差し延べられたシャオローンの首に、まさに振り下ろされんとしたその時。

 ――閃光が走った。

 斬首役が刀を取り落としてアッと倒れる。その首筋には一筋の矢が刺さっていた。

「何っ!?」

 県令が驚愕の余り腰を浮かす。

 次の刹那せつな、轟音と共に三方の矢来が一斉に破られ、十数人の人間がわっと刑場に乱入した。

「刑場破りだ! 狼藉者ろうぜきもの共は残らず討て!!」

 命令を待たずに、役人達は防戦に出る。

 しかし、侵入者の動きはそれに先んじていた。中でも先陣を切る薄紅色の女戦士は右手に刀、左手に槍を持っていたが、槍を使う事なく、刀だけで寄せて来る役人を斬り伏せている。

「ヨシオリ!」

 見間違えようもない義妹の勇姿を見て、シャオローンは安堵の声を上げた。

「兄さん、来たわよっ!!」

 ヨシオリは槍を持ち替え、中天に向けて投げ放った。

 シャオローンは瞬時に槍の軌道を見切り、駆け出す。

「待て!!」

 一人の役人がシャオローンに追い縋ろうとする。が、

「グアッ!?」

 首に何かが絡み付き、その動きが止まった。

 デュクレインの鋼線刃ストリングブレードだ。

 それを余所目よそめに、シャオローンは立ち止まった。

 天空から真っ逆様に落ちて来る槍が、彼の背後を掠めて地に突き立つ。槍の穂先はまがうなく彼の後ろ手のいましめをぷっつりと断ち切っていた。

 身体の自由を取り戻したシャオローン、愛用の槍を一旋させて構えを取る。

 半月に渡る拷問に苛まれた彼の身体も、処刑が決まってからの三日間は痛め付けられる事もなく、多少は休ませる事が出来た。十全とは言えないが、動くに支障のないところまでは回復していたのである。

 取り押さえに来た役人達を、彼はたちまちの内に叩き伏せた。

「兄さん!」

 ヨシオリが駆け寄って来る。

「ありがとう。よく来てくれたよ」

 シャオローンは義妹に救命の礼を述べた。彼女は首を振って、しかしその顔は喜びに満ちている。

 アーシャ、デュクレイン達もやって来た。彼女等にも手短に礼を言う。だが、役人達の抵抗はまだ続いている。逃げ出すためには、ともかくこれを排除せねばならない。

「余り殺すと、後々面倒じゃないか?」

 応戦しながら、シャオローンが言った。

「今更」

 デュクレインが軽く唇を歪める。

「毒を食らわば皿まで。ここまで来たら、悪役人を何人殺しても同じ事よ」

 短剣を振るいつつ、アーシャも応じた。

 さらにヨシオリが、

「アーシャ、少しだけ時間をちょうだい!」

「どうしたの、ヨシオリ?」

「あの男だけは、ここで見逃す訳に行かないの!!」

 そう言って、敵の多勢をものともせずに斬り込んで行く。

 残された三人は素早く見交わし、小さく頷くと、三方へ駆け出した。

 数十人を数える役人達がヨシオリを押し包む。しかし、彼女の相手になれる者は一人としていなかった。双剣娘の名の如く、両手にはいつもの二本の愛刀を構え、一閃毎に一人、また一人と斬り倒してゆく。

 その人壁の後ろに、焦燥感に足摺あしずりする県令レバード=シャークがいた。

「ええい、小娘も入れてたった十数人の賊に、何を手古摺てこずっておるのか!」

 人垣に守られて、威勢だけは大層良い。

 しかし、である。弟ウィッテンもならず者共を率いるだけあって、腕っ節には長けていた。それを一太刀で斬り殺した少女――逃げ帰ってきた者達が言うには。もしそれが本当の事なら、そしてその娘がこの場に来ているとしたら。

 そんな不安がチラリ、と頭を過ぎった瞬間――。

 人壁を割って、薄紅色の少女が飛び出してきた。

 獣のような俊敏な動き。激しい怒りに燃える黒い瞳。

 恐怖と驚愕の余り、県令は声も出ない。

 左右に控えていた護衛の兵士が飛び出して、少女を阻もうとする。が、足止めにもならなかった。

 擦れ違い様の一合で、二人は相次いで斬り捨てられた。

 最早少女と県令の間には何もない。ここに至って、県令は脇に置いた剣を取って立ち上がった。

「貴様か!! 弟を殺したのは!?」

 少女――ヨシオリも相手を確認した。

「あなたね! よくも兄さんを!!」

 両者が共に踏み込む。

 県令は剣を大上段に振り被り、真っ向振り下ろした。

 だが、ヨシオリは大刀だいとうの一撃で県令の剣を弾き跳ばした。

 と同時に、右手の無名子むみょうしを順手に持ち代え、信じられない表情の県令を袈裟掛けさがけに斬った。

「がっ!?」

 異様な叫びを上げて、県令の身体が半回転する。

 その虚ろな瞳に人影が映った。

 見覚えのある筈の人影だった。だが、それが誰だったか思い出す時間が彼に与えられたかどうか。

 県令の胸に鈍い衝撃が走り、直後、彼の身体は地面にたおれ、やがて動かなくなった。

 ヨシオリの瞳が驚きに見開かれる。

「兄さん!?」

 シャオローンだった。彼が県令に止めを刺したのである。

「これで私も、正真正銘のお尋ね者だな」

 義妹に向かって薄く笑い掛けるシャオローン。

 こんな時に、と思いながらも、ヨシオリは自然に笑みがこぼれて来るのを抑える事が出来なかった。

「兄さん、捕まってしまったら『お尋ね者』って言わないのよ?」

「その通り、目的は果たした。ここは……」

 二人は顔を見合わせて、大きく頷く。

「逃げる!」


 信じられない光景を、彼女は目の当たりにした。

 滞在の予定を延ばして処刑を見に来たのはほんの気紛れだったが、後から考えると何か予感があったのかも知れなかった。

 刑場に曳き出されてきたのは、凛とした若者だった。多くの責め苦によるだろう疲弊の色は窺えるが、死を目前にして尚、泰然たる態度に些かも綻びは見えない。

“こんな人物も、悪役人の権力には敵わないのか”

 しかし現実に、筵に座らされた若者を救う手立てはない。後は斬首役の刃が彼の首に落ちるのみ――。

 その時である。

 どこからともなく飛来した矢が斬首役を射倒した。

 騒然となる刑場に、竹矢来を破って乱入する人影。

 白い鎧の戦士が光を放つ。

 金髪の女盗賊の短剣が風を巻く。

 褐色の肌の女戦士は二本の短刀を振るい、その後ろに青い服の少女が続く。さらに十人ほどの屈強な戦士が、役人達の抵抗を撥ね退ける。

 その先頭を、薄紅色の女戦士が縦横無尽に駆けていた。愛らしくも凛々しいその姿から、己の信じるものに命を懸ける一途な心が透けて見える。

 突然、彼女は額のアザがうずく感覚を覚えた。

 レフィシットを発った日の記憶が、急速に脳裏に甦る――。

「……ラングフェルトにはいつ向かうの、レーン?」

 問い掛けて来た黄丹色おうたんしょくの髪の親友に、彼女――レーンは微笑んで言った。

「そうね、市の立つのが五日後だから、明日には発つつもりよ」

「気を付けてね。はなむけに道中を占ってあげる」

「ありがとう、バーディー」

 バーディー――この二つ年下の親友は、近隣でも名を知られた占い師であった。

 バーディーは慣れた手付きで机に手札カードを並べ、一心に念じながら札をっていく。青い瞳は、まさしく未来を見透かしているかのような深い光を湛えていた。

 形に並べられた手札を一枚、また一枚と表に返していく。

 その手が不意に止まった。

「――星が見えるわ」

「星?」

「ええ。四つ、いえ五つ……六つね。六つの星がラングフェルトに集まる。札はそう告げているわ」

「星が……」

「もう一つの札は……“とき”ね」

 そう言ってバーディーは、思い出したように微笑んだ。

「“星”と“刻”か……この札の組み合わせ、前にも出た事があったわ」

「それはいつ?」

「あなたと初めて会った前の日よ、レーン」

 二人は顔を見合わせて、にっこりと微笑み合った。

「あの日、わたしは忘れていた大事な事を思い出したのよ」

「バーディー……」

 年少の親友は遠い目をしている。

 部屋の中を一筋の微風が吹き抜けた。黄丹色の前髪を揺らし、その下――額の中央の星形の図像ずぞうあらわにする。

「ねぇレーン、もしも向こうでわたし達と同じ“星”に逢えたら、是非連れて来てくれないかしら? わたしも会ってみたいわ」

「……そうね。逢えたら……」

 努力するわ、と笑って、レーンは親友の部屋を後にした……。

 今、眼前を駆け抜けて行く少女の頬に、はっきりと星が見える。自分と同じ、“星の宿りし者”の証が。

 “星と出会う刻”――レーンの意識に、親友の言葉が大きく投影されていた。心の底から、熱い何かがほとばしりそうになる。

 怒号飛び交う中、少女の姿は人波と土埃の陰に消えた。が、寸時を置いて再び現われた時、彼女の側には直前まで死座にあった筈の若者の姿があった。

 目的を果たした彼等は混乱する刑場を後目に、破った竹矢来の口から一目散に逃げ出した。

 が、漸く収拾を着けたらしい役人達が、弓隊を並べて彼等を追撃しようとしている。

 刹那、レーンは右手を前へ振り出した。

 折しも役人達は、矢をつがえ弓を引き絞って、逃げる彼等に狙いを定めていた。その時――

「うわっ!!」

「ギャッ!?」

 前にいた二人が突如、弓を取り落として倒れた。

「どうした!?」

 僚友が慌てて駆け寄る。倒れた二人の足下に、二匹の蛇がうずくまっていた。

「このやろう!!」

 踏み付けようとして――その足が止まった。

 それは、とても現実に起こっているとは思えなかった。

 いつの間に集まったのか、役人達の周りを千とも万ともつかぬ蛇の一群が取り巻いている。それこそ音もなく。

 硬直する彼等の正面に、一匹の白蛇がするすると進み出た。二つの目はじっと彼等を凝視し、口からは赤い舌がチロチロと見え隠れしている。

 蛇の群が、周囲を回り始めた。初めはゆっくりと、それから徐々に速度を上げて。

 役人達はこの怪異を目の当たりにして、歯の根も合わないほどの恐怖に襲われていた。最早、刑場破りの狼藉者共を追跡しようと言う気など、遥か彼方に吹き飛び、ただただ顔を蒼白にして、互いの身を寄せ合っている。周囲の野次馬達は、とうに逃げ失せていた。

 やがて蛇はその動きを止め、再び役人達を取り囲む構えを取った。

 包囲の輪をすぼめ、じりじりとにじり寄る。

 堪らず役人達は、南――何故かこの方角には蛇がいなかった――へ、絶叫しながら逃げ走っていった。

 逃亡する役人達を見届けると、蛇の群は現われた時と同様、音もなく忽然こつぜんと消え去った。

 壊された竹矢来を一陣の風が吹き抜ける。動くものは何もなかった……。


 その頃、シャオローン達は街の中を西へと指して逃げ走っていた。まだ本調子と言えないシャオローンをヨシオリ、デュクレインがかばい、前方を屈強な高山民の戦士達が固めている。

 不意に横合いから一群の集団が飛び出して来た。

「姉貴!」

 聞き覚えのある声に真っ先に反応したのは、アーシャだった。

「ゴルム! 首尾はどうだい?」

「バッチリでさ! ほれ、この通り!」

 ゴルムは呵々と笑って、引いて来た荷車の中身をかつての頭領に誇示した。

 ゴルムとウェルウェーヴの盗賊団の面々は、アーシャの策を受けて県令の邸に押し入り、主の不在で手薄な隙を突いて金目の物をありったけせしめて来たのである。

 ここまでは順調だった。しかし……

「門が閉まってる!」

 ミークが悲鳴を上げた。

 見れば街の外へ通じる西門はぴたりと閉じられ、番兵は少数ながら弓を構えて、既にこちらを待ち構えている。

「注進が行ってたようね」

 レイが吐き捨てるように言う。

「時間が掛かると他から援軍が来るかも。どうする?」

 アーシャの問い掛けに、力強く答える声があった。

「心配するな。おれ達が開けてやる」

 高山民の戦士リーベルだ。すかさず仲間達に指図を飛ばす。

「クラウス! ディンゴ! おれと一緒に来い。他は弓だ!」

「おう!!」

 リーベル達三人がさらに足を早め、他の者は弓を取り出し、その場から次々に矢を放った。

 番兵も応射する。しかしその矢は一向に届かない。だが彼等高山民の矢は、一人また一人と的確に番兵を射抜いていった。

 その間にも、リーベル達は門への距離を詰めていた。残り少なくなった番兵達も、そうはさせじと弓を捨てて彼等を阻もうとする。

 だがリーベル、クラウス、ディンゴは殆ど剣の一薙ぎで番兵達を払い除けた。

 そのまま門に取り付き、三人掛かりでかんぬきを外す。

 たちまち閂は音を立てて落ち、扉が開け放たれた。

「……」

 シャオローンが唖然とする早業であった。

 こうして一団は、ラングフェルトの街そして悪県令の手からまんまと逃げ仰せたのである。


 街を出てからも、彼等は逃げ足を緩めなかった。いつ追手が掛かるかも知れないと言う危機感が、体力の不安を凌駕した、と言うより無視させた。山道をひたすら西へと走り続ける事およそ六十里、ヴァイスファードと言う村に辿り着いたところで漸く彼等は一息入れて、再生の喜びを噛みしめた。

 シャオローンはここで改めて、自らを救い出してくれた一同に一人一人礼を述べた。就中なかんずくレイ、ミーク、リーベル等高山民の戦士達にはその義心に深謝し、何か報いたいと申し出た。しかしリーベルは、

「我々は長老より、レイに救命の恩を返すよう申し付けられてここにいる。対価を受け取っては、恩を返した事にならない」

と固辞した。レイもまた、

「面白いものを見させて貰ったからね。見料代わりさ」

そう言って、ヨシオリに片目を瞑ってみせる。

 何の事か解らないシャオローンはヨシオリの方を見たが、彼女もただ微笑んでいるだけだった。

「……それじゃアタシ達はそろそろ行くよ」

 レイとミーク、それにリーベル達が立ち上がる。レイは長老に礼を言いに、高山民の集落に立ち寄って行くと言う事だった。

「縁があったら、また会いましょう」

「そうですね、いつかまた」

 今一度固く握手を交わして、レイ達は西方の山脈へ向かって行った。

 そして、アーシャとゴルム達も出発しようとしていた。

 ヴァイスファードから街道を川沿いに北に抜ければ、嶺北れいほくに出られる。そこからウェルウェーヴ、そしてルフトケーニッヒ山を目指すと言う。

 ルフトケーニッヒ山での再会を約して、アーシャもかつての手下達と共に旅立って行った。

「さて、これから……」

 当初の四人に戻り、今後の道行きを相談しようとしたその時。

 後ろに気配を感じた。四人が一斉に振り返る。

 が、そこに人影はなかった。岩の上に一匹の白蛇がいて、彼等の方を向いているだけである。

「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんだけど……」

と、白蛇が喋った――のではない。蛇の後ろから一人の女性が姿を現わした。

 細くすらっとした長身に活動的な服装、白い肌に長く淡い金髪、緑の瞳の清楚な美しさを持つ女性である。

「どうぞご心配なく。暫くは追手も来ないでしょう。私の仲間が、抑えてくれましたから」

 彼女が右手を差し伸ばすと、白蛇は岩を降り、彼女の体を這い上って右手の先までやって来た。

 この不思議な術と言葉に、彼女に対する警戒を解けないシャオローン達。しかしその視線は、別の所に釘付けになっていた――彼女の額の星に。

「貴女は……?」

「申し遅れましたわね。私はレーン=ホワイト。あなた方の事は街の噂で聞きました。何か手はないかと思っていたのですが、手助けできて良かったですわ」

 そう言ってレーンは、捕手をどうやって追い散らしたかをシャオローン達に語った。

「そうでしたか。見ず知らずの私達の為にかたじけない」

 シャオローンが謝意を示すと、レーンは笑って言う。

「お気になさらず。街へ来る前に、友人が占ったのです。“星”と出会う“刻”だと……」

「では、貴女は……」

 その問い掛けには直接答えずに、彼女は言った。

「すぐに新たな捜索の手が掛かるでしょう。少しでもラングフェルトから離れた方がいいですわ」

「逃げると言っても、どこへ?」

「私の故郷レフィシットへ。そこは官憲も簡単には踏み込めない別天地です」

 シャオローン達は寸時、目で相談した。それは四人の頷きをもって纏まる。

「それでは、案内して戴けますか」

「喜んで」

 四人はレーンに伴われて、南へと進み出した。


 ヤパーナ屈指の水郷地帯レフィシット――周二百里とも号される広大なレフィシット湖があり、湖の中央にはレフィシット山がそびえる――は、ヴァイスファードから二百里余り、三日は掛かる距離である。

 レーン=ホワイトは、レフィシットの郊外に住む農家の娘である。歳は二十歳、明るく活動的な女性で、生来より蛇や蜥蜴とかげ等の爬虫類と心通わせる力があり、獣使い(ビーストマスター)の中でも数少ない爬虫類使い(レプタイルマスター)として高い能力を持っている。故に“白鱗龍はくりんりゅう”ともアダ名されている。

 そんな風に互いの事を教え語り合う内に、一行はレフィシットに到着した。

「これが……レフィシット湖?」

 シャオローン達が初めて目にしたレフィシットは、一帯が深い霧に覆われていた。その為に湖の広さも、中央に聳えると言うレフィシット山の威容も、掴む事は出来なかった。レーンの話によると、晴れた日には山頂を覆う白雲から生い茂る密林の深緑、湖面の澄んだ碧にみぎわの芦原の緑がさながら古の名人の筆による絵画の如く、目を奪われて離す事の出来ない美しさを見せると言うのだが。

 レフィシット湖の東岸に、トレヤフィールドと言う街がある。そこで会わせたい人がいる、とレーンは一行を引き連れて行った。

 トレヤフィールドの街から少し山に入った所に一軒の家がある。レーンはその家の戸を叩いた。

「はーい」

 元気な声がして、直後に戸が開いた。

 現われたのは、黄丹色の長い髪に空青色スカイブルーの瞳を持つ女性だった。年の頃はレーンと同じか、二つ三つ若いくらい。そして、前髪を分けて露になった額の中央には、レーンと同じく星形のアザが浮かんでいる。

「ただいま、バーディー」

「お帰り、レーン!」

 バーディーと呼ばれた彼女は見知らぬ人の群に一瞬戸惑ったようだが、親しい友の声を聞いて、満面に笑みを浮かべて声の主――レーンに抱き付いた。

「……もう、お客様の前よ」

「え? じゃあ……」

 慌ててレーンから離れて、バーディーは四人の客人をさっと見渡した。ヨシオリの所で視線が止まる。

 そのままレーンの方を見た。嬉し気な表情のまま。

「逢えたのね、“星”に……」

 レーンは黙って頷く。

 バーディーは四人に向き直って、深く頭を下げた。

「ようこそいらっしゃいました。わたしはバーディー=リーン。どうぞ中へお入り下さい」


 バーディー=リーンはレーンの親友で、農家の娘だが農作業の傍らで手札カード占いもしている。今では占い師として近隣で名が通っており、“竜眼嬢りゅうがんじょう”とアダ名されていた。

 また、幼い頃からレーンと二人でレフィシットの湖と山を歩き回り、一帯の事は誰よりも知っていると自負している。

「でも、最近は近付く事も出来ないのよね」

 バーディーが天井を見上げ、口を尖らせ気味に言った。四人とは相見たばかりだと言うのに、既に旧知の如く打ち解けている。

「何故です?」

「山賊よ」

 シャオローンの問いには、レーンが答えた。

「“金眼王きんがんおう”のヴァクイー=オーリーヌと言う盗賊が、近隣のあぶれ者を集めて山に篭もって、今では千近い勢力になっているの」

「あそこは地形が複雑だし、霧が深いから隠れ家としてはうってつけ。官軍も恐れて、レフィシットには近付こうともしないわ」

「だから、こうしてあなた達も匿えるんだけどね」

 バーディーが目配せする。シャオローン達は苦笑する他ない。

「それで、今後の事なんだけど……」

 レーンは何か思い付いたようだった。

「シャオローンは少なくとも体を休める必要があると思うわ」

「そうですね……」

 確かに今までは緊張が疲労を抑え込んでいるが、受けた痛手が払拭された訳ではない。

「そうだわ。もしあなた達さえ良ければ、ほとぼりが冷めるまででもあの山に逃げ込んだらどうかしら?」

 バーディーも続ける。

「わたし達は山寨につてがあるから、話はいつでも着けられるわ」

 シャオローン達は一驚いっきょうした。瞬時に四人の間を視線が飛び交う。

「いや、しかし我々は……」

 続く言葉は、大きな音に遮られた。

「山寨に伝があるだと? 御辺ごへん等、山賊の一味か!?」

 勢いよく開いた部屋の扉より、乗り込んで来る人影があった。


 こうしてシャオローン達が新たな二星と相見えた事により、虎が中山の水泊で時を待ち、龍は関中の獣砦で再び危地に陥る事になるのであるが、現われ出たるは果たして何者か? それは次回で。

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