第十三話 双剣娘 大いに嶺北を鬧がし 紫眼龍 蟠踞の地を発つの事
さて、ここで時間を戻して、シャオローン達の足跡を辿る事とする。
シセイ達と別れた後、シャオローン、ヨシオリ、デュクレイン、アリーナの四人は、嶺北路――ウェストキャピタルよりオールトランを経て、ヤパーナ本島の北海岸沿いにニュータイドランドに至る街道を北上し、沿線の街々を訪ね歩いていた。
嶺北はヤパーナ有数の豪雪地帯である。冬は完全に雪に閉ざされてしまうこの地方は、その急峻な地形もあって、中央政府からは辺境扱いされ、軽んじられていた。ヤパーナ全土の食糧を賄えるほどの穀倉地帯でありながら、である。
しかし、嶺北には大きな特色があった。ヤパーナの西には、北海を隔てて大陸が存在する。その大陸との交易の中継地たる役割を嶺北は担っていた。特に大陸一の大国シーナからは、未知の国ヤパーナに憧れる渡来人が頻々と訪れ、本島では最も民族の混在する地域となっている。
「それだけいろんな人がいる、って単純に考えていいのかな?」
「そうだね。シーナはヤパーナよりも遥かに進んだ国だし、色々な文化に触れて見聞を広めるのは、損にはならないと思うよ」
シャオローン達はブレスウェル、オールトランの街を過ぎて、十日余りでリシェスモントまで達していた。
リシェスモントはヤパーナ一の薬の街としてその名を知られていた。古よりこの地で作られる薬は万病に効くとの評判で、その製法は現在に受け継がれている。薬と薬草に関する研究も盛んに行われており、ヤパーナ中の薬師、薬草師にとっての聖地とも言うべき街である。
事はこの街から始まった。
それは、昼食を終えたシャオローン一行が店を出た直後の事であった。一人の若い男が、シャオローンの脇を摺り抜けようとした。
だが次の瞬間、男は見事に転倒し、地面に這い蹲っていた。
シャオローンが身を翻し、槍で男の足を払ったのだ。
「兄さん! どうしたの!?」
ヨシオリの問い掛けに、シャオローンは直接答えず、槍を男に向け、軽く笑みを浮かべながら言った。
「遅いな。それじゃ懐は探れない」
一同は何があったのかを理解した。男がシャオローンの財布を掏摸取ろうとしたが、見破られて転かされたようである。
人通りのある店の前での白昼の出来事である。野次馬がちらほらと彼等の周囲に集まって来た。中からはくすくすと忍び笑いの声も漏れ聞こえる。男はまだ蹲ったままだが、その顔は悔しさと恥辱で紅潮している。
シャオローンとしても、実害はなかったのだからこれ以上男を懲らしめるつもりはなく、
「これに懲りたら、他人様の懐を狙おうとは思わない事だ」
そう付け加えて、その場を去ろうとした。
「ちょいと待ちな、兄ちゃん!」
この時、数人の男達が人垣を押し退けてシャオローン達の前に現われた。
男達の姿を認めた野次馬連中が、一斉に後退る。どうやらこの男達は、街でも強面で通っているらしい。
「オレはこの街を仕切っているゴルムってもんだ。てめぇ、うちの若ェのに何しやがった?」
「見ての通り、この者が私の懐を狙ったので、少し懲らしめただけだが」
「何だと!? おいクード、てめぇ本当にやったのか?」
ゴルムが問うと、クードは勢いよく首を振った。
「し、知らねぇ! やってねえよぉ!」
聞くと、ゴルムはにたりと笑ってシャオローンに躙り寄った。
「おいおい兄ちゃん、こいつはやってねえって言ってるぜ。人前でうちの舎弟を盗人呼ばわりした上に、しかも怪我までさせて、この落とし前はどうつけてくれるのかねえ? それとも何かい、あくまでこいつがやったって言うんなら、証拠を出してもらおうじゃねえか」
「なるほど、そう言う魂胆か……」
シャオローンは口中で呟いた。クードと言う男、掏摸にしては腕がえらく未熟だと思ったが、それはそれで構わないのだ。首尾良く行けば良し、失敗しても懐に手を触れていなければ、後でゴルム等が相手を囲んで難癖を付け、金品をせしめる。どっちに転んでもいいような筋立てになっていた様である。
「……具体的にどうすれば納得して貰えるのかな?」
シャオローンは敢えて尋ねてみた。
「おっ兄ちゃん、話が早いじゃねぇか。……そうだな、兄ちゃんの財布を、こいつの治療費としてオレ達に預けてってくれりゃ、何も言う事はねぇぜ」
やはりそう来たか、と思った時、横合いから別の男が口を挟んだ。
「そうそう、それと世話役に、そこの姉ちゃんにも残ってもらおうか」
男の指差す先には、アリーナがいた。それを聞いて、
「あんた達! ふざけるのもたいがいにしないと、痛い目見るわよ!!」
烈火の如く怒ったのは、ヨシオリだった。顔を朱に染め、怒色を湛えた瞳で睨み付ける。
が、男達はてんで相手にしていない。
「おやお嬢ちゃん、自分が選ばれなくって拗ねてるのかい?」
「あと何年かしたら、相手してやるよ」
等と揶揄するのみである。
彼女の面が一瞬赤みを増した。侮られた怒りに身を震わせながら、その手が腰の愛刀の柄を握り締める。
――シャオローンがデュクレインに目で合図を送る。
男達はまだ哄笑を止めようとしなかった。
「見ろよ、こいつァ勇ましいお嬢ちゃんだぜ。だけど、そんな物がその細腕で振り回せるのか~い?」
「ほらほら、娘っ子の玩具にゃ物騒だっての!」
一人が不用意にヨシオリに手を伸ばした瞬間
彼女の手が動いた。
刀を抜く手は見えなかった。抜いた、と判ったのは、振り挙げた右手の先に愛刀“無名子”の刀身が透き通る剣光を放ったからで、地には男の手首が転がっていた。
一瞬おいて手首のない腕の先から血の霧が立つ。そこで初めて男は魂消る悲鳴を上げて、悶絶した。
「ヨシオリ、殺すなよ!」
先に動いたのはやはりシャオローン達だった。
槍の石突きで正面のゴルムの臑を打ち、体勢の崩れたところに二撃目で顎を突き上げた。
そのまま頭上で旋転させて右に打ち下ろす。
向かって来た一人が、槍に頭を打たれて地に転がった。
シャオローンの動きと同時に、デュクレインは素早く反転した。
振り向き様に剣を抜き、後ろの男の腹に斬り付ける。殺す必要はないので峰を向けていたが、それでも彼の腕力である、男は身体をくの字に折って崩れ落ちた。
いま一人は、武器を抜く前にデュクレインに肩を打たれてへたばっていた。
「こん畜生!!」
残る一人がヨシオリに殴り掛かる。
ヨシオリは今度はゆっくりと右腰の“大刀”を抜いた。
ちょうど男は大刀の刀身に向かって殴り掛かる形になった。
鈍い音がして、男の拳はそのまま、鞘から半分抜かれた大刀に食い込んでいる。
裂けて真っ赤に染まった拳に、男の表情も声も苦痛と恐怖の色に染め上げられた。
ヨシオリの右手が煌めく。
無名子が男の首の根を横に薙いだ。シャオローンに釘を差されているので、刀は返してある。が、男はどう、と倒れて、動かなくなった。
寸時の出来事である。
ややあって、ゴルムが漸く首を上げた。辺りを見回すと、仲間は全員地を這う存在と化している。遅蒔きながら、彼はとんでもない相手に喧嘩を売ってしまった事に気付いた。
「これは本格的に治療費と世話役が要りそうだが……やはりいるのかな?」
シャオローンが丁寧な物腰で尋ねると、ゴルムはぶんぶんと首を振る。
その視線が、ヨシオリの前で凍り付いた。
たちまちゴルムの表情が一変した。目を見開き、口も半開きにして戦慄き出す。
「……こ、こいつら……もしかして、ベイの兄貴をやった連中じゃ……!」
言うなり、ゴルムは脱兎の如く逃げ出した。仲間達も後を追う。その時、
「姉貴に知らせろ……!」
と言うゴルムの声がシャオローンの耳に届いた。
「ベイ? 姉貴? 何の事だ?」
シャオローンは問うたが、ヨシオリにもデュクレインにもアリーナにも事はさっぱり解らない。
ふと見ると、あのクードとか言う若者が、四つん這いで野次馬の群に逃げ込もうとしていた。
シャオローンは素早くその襟首を掴む。
「は、離せぇ! 離してくれよぉ!!」
「その前に、私達の質問に答えて貰おう」
四人の真ん中に据えられたクードは、シャオローン達の圧倒的な強さを目の当たりにして腰を抜かしたらしく、逃げられないと観念したか、洗い浚い喋り始めた。
ゴルムは、この辺り一帯に根を張るウェルウェーヴ盗賊団の構成員だと言う。クードも数ヶ月前に加入し、掏摸等の技量を磨いているところだとか。そしてその手口については、シャオローンの推測通りだった。
「……で、そのベイと言う男は何者だ?」
「盗賊団の副頭さ。あんたら、オールトランでベイの兄貴を叩きのめしたんだろ」
「オールトラン?」
アッ、とヨシオリが口に手を当てて小さく叫んだ。その顔を見て、シャオローンも思い至った。
「ああ、あの時の男か……」
数日前、オールトランの街で彼等と地元のならず者との間に一騒動があった。発端は思い出せないぐらい些細な事で、収めようと思えば口先と多少の威嚇で収められる類の話の筈だったと思う。それが騒動に発展したのは、相手の高圧的な態度に怒ったヨシオリがいきなり斬り掛かったからである。気の毒に相手の頭領格の男は半死半生の体たらくで、手下に担がれて逃げ去って行った。
どうもヨシオリは憤ると、すぐに刀を抜いてしまう性質らしく、話し合いで解決できる局面を流血沙汰に変えた事がこの道中でも幾度となくあった。その都度シャオローンやデュクレインが何とか止めて、これまでのところ死人だけは出していない。が、それもいつまでの事やら、とシャオローンは本気で心配している。
シャオローン自身にしても、その性格は剛直で決して大人しい人物ではない。しかし、同行者により激し易い者がいる以上、自分が抑え役に回らざるを得ない。性に合わん事を、と時々苦笑したくなる彼であった。
「……それで怒った姉貴があんた達を探してる、って訳さ。見付け次第連れて来い、ってね」
「『姉貴』と言うのは?」
「盗賊団の頭領、“紫眼龍”のアーシャネオス=カーンさ。アーシャの姉貴と言えば、この辺りじゃ知らない者はいねぇよ」
その名がシャオローンの記憶を軽く刺激した。
「紫眼龍のアーシャネオス=カーン……どこかで聞いた名だが……?」
少しく思案顔をしていたが、
「そうだ、確かヒロが口にした事がある……」
彼等の本拠地であるシュヴァルツ山賊団の第三席を占めるムスタシス=ラーディー=ヒロ――一名を錦毛犬と言う彼は、大陸から海を越えてやって来た渡来人である。その彼が、ヤパーナ行きの船中で知り合ったと言う同じく渡来人の女性について語った事があった。
「……その女ってのが、前髪を紫に染めた金髪に紫の眼、着ている物もやたら派手な奴だったんだが、盗賊としては確かに一流だったよ。観察眼は鋭いし、手先も器用だ。それに、短剣の腕前もなかなかのものだったよ。まあ、僕の半月刀には及ばないだろうけどね……」
最後に一言付け加えるのがヒロらしいと言えばそうなのだが、それでも彼がこう褒めるなら、相応の才ある人物なのであろう。
「会ってみるのも面白い、かもな」
シャオローンは同行者達の顔を見た。三人共異論はなさそうである。
彼はクードに、頭領の元へ案内するよう要請した。
「あんた正気か? どこの世界に、自分を狙ってる相手の所へのこのこ顔を出す奴がいるんだよ」
対する反応は、驚きを通り越して呆れていた。
「姉貴以外にも、腕の立つのがたくさんいるんだぜ。いくらあんたらが強くったって……」
「狙われるのは、余り気分の良いものじゃないのでね。こちらの言い分を主張して、納得して貰えるならそれに越した事はない」
「姉貴が納得しなかったら?」
「その時は……」
シャオローンは視線をクードの方に振り向けた。
硬直するクード。
「私達を狙おうと言う気を、失くさせるまでの事だ」
「わ、わかった、案内するよ……」
クードは強張ったまま、小刻みに何度も頷いた。
クードの案内により、シャオローン達はリシェスモントより南に百二十里ほど離れたウェルウェーヴの町に辿り着いた。
ウェルウェーヴ盗賊団は、この地方の盗賊組合から発展した組織である。盗賊組合とは、加入者の利益を保護する為に、仕事の斡旋や技能の向上、同業者間の調整、或いは縄張りからの非加入者の締め出し等を行う組織であり、ウェルウェーヴ盗賊組合はその確実な仕事ぶりで名声を博し、勢力を拡大して、現在ではリシェスモントは勿論、隣県のニュータイドランドやシュタインフルスもその勢力圏に入っていた。
アーシャネオス=カーン、通称アーシャがヤパーナにやって来たのは四年前。他の多くの盗賊達と同じく、彼女も“黄金龍の伝説”に惹かれて、海を渡って来たのである。当地の民には殆ど文字通りの「伝説」としてしか捉えられていないヤパーナ創造の物語――巨大な黄金の龍が海に身を横たえてヤパーナの島々と化した、と言う――それが“黄金龍の伝説”である。大陸では、ヤパーナは黄金の国であると考えられ、冒険者達の夢想を掻き立てる存在だったのだ。
リシェスモントの街に着いて幾日もせず、アーシャはウェルウェーヴ盗賊組合から誘いを受けた。派手な身形の渡来人の盗賊、と言う事で組織から早々と目を付けられたのである。彼女としては一人の方が都合が良かったのだが、来たばかりの異郷の地で、情報収集と足場固めの必要性を感じて、彼女は加入を承諾した。
その後、彼女は持って生まれた盗賊の資質と、大陸仕込みの武芸の技量でみるみる頭角を顕した。さらに、雑で天気屋ではあるが気っ風の良い性格で、仲間内の信頼も確固たるものがあり、気が付いてみれば、十八歳にして団の頭領に推戴されるまでになっていたのである。
ウェルウェーヴの町中に入ると、クードはシャオローン等四人を引き連れて、裏通りの一本に入っていった。板塀の続く路地の真ん中辺りでクードは立ち止まると、塀に向かって何やら二、三語話し掛ける。すると、塀の一部がぱっと内側に開かれた。
クードが先に入り、シャオローン達もそれに倣う。
全員が中に入ったのを確認して、クードがまた一語呟くと、扉は音もなく閉まった。どうやら、合い言葉に反応して扉を開閉させる魔法が掛けられているらしい。
「おいクード、そいつらは一体何者だっ!?」
闇の中から恫喝する野太い声が聞こえた。
見ると、目の前に屈強そうな二人の男が立っていた。見張りを兼ねた門衛のようである。
「あ、姉貴が探していた連中を見付けたから、連れて来たんだよ。ほら、ベイの兄貴をやったって言う……」
「何だと? それならさっきゴルムが、そいつらにやられたって駆け込んで来てたぜ」
「まぁ、連れて来たって言うか、こいつらが姉貴に会いたいって言うから案内した、って言うか……」
正直にクードは言った。
「ふーん? ……まあいい、連れて行きな。姉貴は奥の広間にいるぜ」
門衛は道を開け、クード達を通した。
細く暗い通路を歩きながら、シャオローンは自分達の後ろを尾けて来る気配を感じ取っていた。流石に盗賊団の本拠、監視の眼は厳しいようだ。
廊下の突き当たりの扉を開けると、そこは広間だった。奥の方に十数人の盗賊達が屯し、その中央に椅子に腰掛けた女性がいる。
彼女等の視線が一斉に入室者に向けられた。
「クード、そいつ等を連れておいで」
高く、張りのある声がシャオローン達の耳を打った。弾かれたようにクードが一歩進み出した。シャオローン達も後に続く。
この女性が恐らくは、紫眼龍のアーシャネオス=カーンなのであろう。その姿をつらつら見るに、伸ばした金髪は前を紫に染め、白い肌に紫がかった瞳、金鋲で装飾した革の胸当ての上に革の短い上着を羽織り、やはり革の短い洋袴に網タイツ。その他指輪やら腕輪やらで身を飾っている。なるほどヒロの言う通り、なかなかに派手な装いである。右手に煙管を持ち、左手で肘掛けに頬杖を突く姿勢が、この集団における彼女の地位を物語っていると言えよう。
「あんた等かい? うちの者をかわいがってくれたってのは」
アーシャは煙を一吐きして、目の前のシャオローン達に問い掛ける。
「事実だけ言えば、その通りです」
「それでよく、アタシの前に顔を出せたもんね」
「こちらは別に、貴女に喧嘩を売ったつもりはない。単に、降り掛かった火の粉を払い除けただけですが」
シャオローンは、オールトランとリシェスモントでの顛末を委細隠さず話して聞かせた。
全てを聞き終えたアーシャは、
「――ゴルム」
「……へ、へい!」
「手ぇ出して」
「へい?」
素直に差し出されたゴルムの手の上に、アーシャは煙管を打ち下ろした。
灼熱している煙草の燃え殻が、彼の手の平に落ちる。
「あぢ――――っ!!」
彼は堪らず悶絶した。
それを横目で見ながら、
「誰がリシェスモントを仕切ってるって? 大口叩くなら、それなりの事やってから言いな!」
アーシャの叱責に、座が静まり返る。
次に彼女は、その視線をシャオローンに向けた。
「不肖の手下共が迷惑を掛けたみたいね。でも、いくら不肖でも、大事な部下をやられてそのまま引き下がったとあっちゃ、ウェルウェーヴ盗賊団の沽券に関わるのよ。お解り?」
「つまり、落とし前を付けろ……と言う事ですか」
「そう言う事」
客人の物分かりの良さを褒めるような、彼女の愛想の良い表情が、一変した。
「ダイマン!」
「おぅ!!」
野太い声と共に、声に相応しい体躯の巨漢が人垣の間から現われ出た。身の丈は九尺に近く、頭髪はなく、袖のない上衣の下の胸も腹も剥き出しの二の腕も、隆々たる筋肉の鎧で覆われている。右手には渾鉄の長柄棍棒を軽々と持っている。
「このダイマンはうちで一番馬鹿力のある奴でね。あんた等の誰でもいい、こいつと一対一で勝負して、もし勝てたらこの件はそれで終わりにしてあげる。相手の力量も見抜けずに喧嘩を売ったこっちの不手際って事でね」
「こちらが負けたら?」
「こいつは見ての通り荒っぽいから、半殺しぐらいは覚悟してちょうだい。ま、殺されそうになったら止めてやるからさ」
「……いいでしょう。その勝負、受けよう」
シャオローンが一歩前に出たところ、
「待って、兄さん」
後ろからヨシオリが引き止めた。
「あたしがやるわ。元々、あたしが問題を引き起こしたんだし……」
見ればデュクレインも、いつでも臨戦態勢と言わんばかりに気を漲らせている。しかしシャオローンは、
「いや、ここは私がやろう。二人共、済まないが今回は見物役だ」
ヨシオリは不服気に口を尖らせ、デュクレインも口中で小さく舌打ちしたが、構わずシャオローンは紅龍槍を引っ提げてダイマンと対峙した。
盗賊達の笑い囃す声が一段と高まる。得物の長さでは引けを取らないが、ダイマンに比べてシャオローンは身の丈で首一つ分は低く、横幅でもかなり見劣りがした。ダイマンもすっかりシャオローンを呑んで掛かっているようだった。
「おう色男、彼女の前だからってカッコ付けてると、後で後悔するぜ」
「彼女に負けたら貴殿の面目が立たないと思うが、ね」
それを聞いて、ダイマンの顔が紅潮した。顳が小刻みに震え、目が血走る。
野獣の咆吼と共に、ダイマンの棍が打ち下ろされる。シャオローンは素早く後ろに飛び退き、棍はそのままの勢いで床を叩き、床板を砕き割った。
「ダイマン、壊した所はあんたが直すんだよ」
アーシャの苦言も耳に入っているのかどうか、ダイマンは盲滅法に棍を振り回す。その攻撃をシャオローンは最小の動作で躱し続けている。
が、遂にシャオローンが槍を構え、棍を槍で受け止め出した。これを見て盗賊達は、彼が疲労からとうとう逃げ切れなくなったものと思い、一際歓声を上げた。
しかし、彼は棍を受け止めず、受け流している。為に、重い棍を振るうダイマンの方がより疲労していた。その事を見抜いていたのは、ヨシオリとデュクレイン、そしてもう一人……
――鈍い音がして、ダイマンの棍とシャオローンの槍の石突が正面から搗ち合った。そのまま押し合いになる。
「ぬぬっ!?」
ダイマンは驚愕した。多少疲れがあるとは言え、腕力には絶対の自信がある自分が、この局面で押し勝てないのだ。ともすればこちらが押し切られそうなほどに、対手の槍は磐石に感じられる。かと言って引くのは以ての外、ならば隙を見て左右に逸らし、相手より早く必殺の一撃を打ち込むか……。
だが、その考えを行動に移す余裕を、シャオローンは与えてはくれなかった。
「では、今度はこちらから行くぞ。このシャオローンの槍が受けられるかっ!!」
棍と槍が共に弾かれた。
だがダイマンが棍を引き戻すより早く、シャオローンが踏み込んで槍を繰り出す。
ダイマンの身体が宙を跳び、真後ろの床に音を立てて仰向けに横たわった。
白目を剥いて、完全に気絶している。場の盗賊達は声もない。
「――バカな、あのダイマンがたった一発で……」
「違うね、四発だよ」
手下の言葉に訂正を加えたのは、頬杖を突いたまま薄く笑っているアーシャだった。
“見えていたのか――”
紫眼龍の名も伊達ではない、とシャオローンは心の中で賞した。
シャオローンの槍は相手の左右の肩関節と真額、それに胸骨を正確に捉えていた。それにより相手の行動の自由を奪い、成す術も与えず吹っ飛ばす。四心通背、と称する技である。
「これで放免して貰えますね」
構えを解いて、シャオローンがアーシャに問うた。
「行っちまいな」
アーシャが追い払うように手を振る。
それを見て、シャオローン達は広間を出ようと踵を返した。だが、
「ちょっと待ちなさいよ!」
引き止める声があった。ヨシオリである。
「元々は、あんた達が原因でしょう。だったら、お詫びの一言ぐらい言ったらどうなの!?」
盗賊達は一斉に色を作した。
徐にアーシャが立ち上がった。ゆっくりとヨシオリに近付いていく。
目の前まで来て、彼女は歩を止めた。
「悪いけどね、アタシにも面子ってもんがあるのよ」
腰の短剣を抜き、それをヨシオリの顔に突き付ける。
「どうしてもアタシに頭下げて欲しいんなら、力尽くでさせるんだね!」
「望むところよ!!」
一瞬の動作。ヨシオリは抜き打ちでアーシャに斬り付けた。
アーシャはさっと後ろに飛び退る。
それが、戦闘開始の合図だった。
一同が固唾を呑んで見守る中を、金属の乾いた響きだけが流れている。
盗賊であるアーシャは流石に身の熟しが軽く、ヨシオリの必殺の刀撃を躱し続けた。のみならず、逆に鋭い突きを繰り出し、ヨシオリを脅かす。
だが、根っからの戦士であるヨシオリとでは、やはり技量の差は隠せなかった。
短時間だが苛烈な攻防の末、アーシャの短剣は彼女の手を離れ、床に転がった。
「そこまで!!」
すかさずシャオローンが止めに入った。
広間がシン、と静まり返る。
アーシャは自分の右手と、弾き飛ばされた短剣をじっと見ていたが、やがてヨシオリに向き直った。
「……確かにあんたの言う通り、うちが仕掛けた話だった。手下の不手際、これで許しとくれ」
そう言うと、アーシャは膝を付き、頭を垂れた。
これには、ヨシオリ達も意外さを禁じ得なかった。
「あ、姉貴!? 何もそこまで……!」
手下達が駆け寄って、アーシャを助け起こそうとしたが、彼女は拒んだ。
「あんた達も覚えときな。喧嘩を売る相手を間違えると、下げたくもない頭を下げなきゃならない羽目になる、ってね」
一方、ヨシオリは後味の悪さを感じたらしく、少し語調強く言った。
「いいわよ、もう」
それを聞いて、アーシャは立ち上がって膝を払った。
手下達もどうして良いか判らない様子で、ただ彼女を取り巻いている。
「姉貴……」
「ウェルウェーヴ盗賊団の名に、とんだ泥を塗っちまったよ。頭領失格だね……」
「姉貴、何を言うんです!?」
「ベイも暫くは動けないだろう。ゴルム、これからはあんたが団を率いていきな」
アーシャの言葉に、ゴルムのみならず誰もが驚倒した。
「姉貴、オレは……!」
言い掛けるゴルムを手で制するアーシャ。
「こいつはケジメさ、アタシ流のね。いい機会だゴルム、先刻の大口、見事実現してみせな」
ウェルウェーヴ盗賊団の頭領として、リシェスモントを、ひいては嶺北を仕切ってみろと言うのだ。
「へ、へい!」
頷いたゴルムは、暫し頭を上げ得なかった。
アーシャは視線をヨシオリに移した。
「これで気が済んだ?」
だが、ヨシオリは眼を伏せたまま、動かない。
アーシャは肩を竦めて、自棄気味に言い放つ。
「これ以上何がお望みなの? ここの縄張りかい、それともアタシの命?」
「そうですね、では貴女自身を借り受けたいのですが」
答えたのはヨシオリではなく、シャオローンだった。
「なっ……!?」
驚くアーシャに、シャオローンは自分達の旅を目的を語って聞かせた。魔王の地上現出と、それに立ち向かう勇者の探索、そして彼等の結集地である関西ルフトケーニッヒ山のシュヴァルツ山賊団――。
彼はアーシャの人物を評価していた。盗賊としての技量は直接眼にしてはいないが、政治力のみで今の地位を得られた訳ではないだろう。短剣の腕も、ヨシオリとあそこまで打ち合えるなら並み以上と言っていい。何より、一群を率いるに足る統率力、或いは度量を備えている。逃す手はない、と――。
御存知かも知れないが、と前置きして、彼は錦毛犬のムスタシス=ラーディー=ヒロの名を挙げ、彼も一党に加わっている事をも話した。
「そう、あの男もいるのか……」
ヒロだけではない、目の前にいる漢達も、アーシャの目から見ても一廉以上である。そんな漢達を率いているシリウスと言う人物、そして彼等が全てを賭けて果たそうとする目的に、彼女は少なからず興味を覚えた。
「今のアタシは身軽なもんよ。そこまでアタシを買ってくれるんなら、あんた達に付いて行かせて貰うよ」
シャオローンは頷き、ヨシオリの方を見た。彼女はシャオローンに向けて、安堵したような笑顔を見せた。アリーナも微笑んでいる。デュクレインは相変わらず無表情だが、その口元が微かに綻んでいるように見えたのは、シャオローンの気の所為だろうか。
「姉貴! お、おれも連れて行ってくれ!」
唐突に大声を上げたのは、クードだった。この夢想だに出来ない大きな冒険に、自分を賭けてみたくなったと言うのだ。さらに数人が、
「願わくば我々も……」
と同行を願い出た。
アーシャはチラリ、とシャオローンを見た。
「仲間は多いに越した事はない。ですが、我々と共に行くには数が多過ぎる。私が紹介状を書きますから、アーシャは彼等を伴って、先にルフトケーニッヒ山へ行って下さい」
シャオローンが出した結論に、皆が同意した。
「……姉貴」
ゴルムが一歩進み出て、アーシャに別れを告げる。
「オレ達はここに地盤を持っているから、付いて行くことはできねえ。ですが、もしオレ達にできることがあったら、遠慮なく言って下せえ。姉貴のためなら、何だってさせて貰いますぜ!」
「勘違いするんじゃないよ、ゴルム」
しかしアーシャは、逆にゴルムを叱り飛ばした。
「一団の頭領が他人の指図で動いていたんじゃ、部下に示しが付かないよ。あんた達の助けが必要な時は、頭を下げて頼みに来るから、その時は力を貸しておくれ」
「へ、へい!」
ゴルム以下、ウェルウェーヴ盗賊団に留まる面々が、一斉にアーシャに対して叩頭の礼を執る。
アーシャは目を瞬かせながら一同を見ていたが、
「……じゃ、アタシは行くから。後は頼んだよ」
「姉貴も、お達者で……」
アーシャは数人の同行希望者を引き連れて、シャオローン達と共に、団の本拠を後にした。
その晩、シャオローン達はウェルウェーヴに宿を取り、翌朝アーシャ達と共に町を出立した。アーシャに同行する事を選んだ者は二十名ほどにまでなった。その中にはクードやダイマンの姿もある。
やがてリシェスモントの地で、両者の往く道は東西に分かれる。シャオローンはかねて用意の紹介状をアーシャに渡した。
「じゃ、先に行ってるよ」
「シリウス達に宜しく」
そう言って、それぞれ行く先に歩を向けようとした時、
「あ、そうだ。シャオローン、次の目的地って、何かアテがあるのかい?」
アーシャの問い掛けに、シャオローンは首を振った。
「いえ、特には」
「だったら、ちょいと道は逸れるけど、ラングフェルトへ寄ってみたらどう?」
「ラングフェルト?」
「あそこはヤパーナの神域だからね。神がかった話や、天地に纏わる言い伝えなんかが、色々仕入れられるよ。かく言うアタシも、黄金龍の伝説について、かなり訊き廻ったからね。馴染みもいるし、そこを拠点に情報を集めてみたら?」
シャオローン、暫し考え――
「では、そこを紹介して貰えますか」
「いいよ」
こうして、アーシャがシャオローン等をラングフェルトへ誘った事から、貪官の私怨が龍を刑場に曳かせしめ、魔精の義心が高山の民を大街に向かわせしむる事となるのであるが、果たしてかの街で彼等を待ち受ける風雲とは如何に? それは次回で。




