第十二話 撲殺虎 捕盗を一蹴し 紅蓮王 山寨に主座すの事
ハルが自ら門まで出迎えに出てみると、二人の役人が拱手の礼を執っていた。この二人はサントルシャン地区を担当する捕盗官で、共に武芸の達人として聞こえの高い人物である。一方は連鎖球棍の使い手で“跳天錘”のアンドレ=ドルカス、他方は標槍の名手で“飛空鎗”のオスカル=ジョゼ=ベルグドールと言う。勿論ハルもこの両名をよく知っていた。
「これはこれは、朝早くから御苦労様です。して、今日は如何なる御用件でしょうか?」
二人は顔を見合わせて、一寸困ったような表情を見せたが、すぐに向き直って説明し始めた。
「実は、ハル殿がヴォルケネーメンの山賊と通じている、と訴え出た者がおりまして……」
「私が、山賊と?」
ハルは心底驚いたが、そんな色は露程も見せずに、子細を尋ねた。
「これはまた突飛なお話ですが、一体いずこからそのような流言が湧いてきましたのやら……差し支えなければ、一つ教えて戴けませんかな?」
二人の語るところはこうであった。
事の起こりは、“洞中鼠”のリスキー=ヒョッツと言う男だった。この男、元はヴォルケネーメンの山賊団の一員だったが、つい先頃山を乗っ取って頭領の座に就いたチャバ=ザ=ダーハに追放されたと言う。それが、チャバと共に山を乗っ取った面子の内三人がハルの邸宅に入るのを見た、と訴え出たのだ。引き替えに自分の罪の軽減を求めての事である。
イーストキャピタルの捕盗府では当初、この訴えを虚偽と決めつけ、一顧だにしなかった。何と言っても世上に評判の高いハル=アンダルヘールである。捕盗府内にも信奉する者は数多い。しかし捕盗府の上層部には、家柄も低く地位もない彼の名声の高さが気に入らない者も少なくなかった。そう言う者達が、これをハルの名望を失墜させる千載一遇の機会とばかりに様々な「圧力」を掛け、結果この二人が遣わされて来たのだった。
「……解りました。そう言う事でしたら、どうぞ心往くまでお調べなさって下さい」
「では、家の者を全てこの場に呼んで下さい。顔を確認させて戴きます」
ドルカス、ベルグドール共ハルに心酔しており、応対はあくまで丁寧だった。
やがて家人、食客が入れ替わり立ち替わり遣って来て、その都度二人が人相を改める。だが、目撃された三人の特徴に似た者は遂にいなかった。それもその筈で、ハルはオーガイ、マーク、ファムの三人をここに出さなかったのだ。
「……これで全員ですかな、ハル殿?」
「はい、相違ありません」
きっぱりとハルは答える。ドルカスはじっとハルの目を見た。その視線を僚友に移し、互いに小さく頷き合う。
「では、本日のところは左様に報告致します故。どうも朝早くよりお騒がせしました」
と帰り掛けるところを、ハルが引き留めた。
「お役目も終わられた事ですし、さぞお疲れの事でしょう。朝食なと召し上がって行かれては如何ですか?」
断る理由もなく、二人は部下と共に奥の広間へと通され、酒食を振る舞われた。
こうして彼等をもてなしつつ、折を見てハルは席を外し、とある小部屋に身を滑り込ませた。
そこには、オーガイ達三人が先に隠れていた。
「これは、まずい事になったな……」
「申し訳ありません。尾けられていた事に気付かなかったとは、迂闊でした」
「済んだ事は仕方ない。問題は、これからどうするかだ……」
ドルカス等二人はこれで追い返せるとしても、また改めて捕手が遣わされて来るのは疑いない。三人がこの屋敷で見付かるような事があれば、ハルも同罪として拘引されるだろう。よしんば三人を逃がし仰せたとしても、それでお構い無しとなるほど甘くはあるまい。今回の追及はかなり厳しくなりそうだ、とハルは予測していた。どちらにせよ、ここには留まれそうもないか……。
「覚悟を決めねばならんか……よし、逃げよう」
「逃げるって……どちらへ?」
「ヴォルケネーメンへ行くしかなかろう」
三人は目を丸くした。まさか話がいきなりそこまで飛躍するとは思っていなかったのだ。ハルは笑って、
「そもそも、チャバ殿がややこしい話を持ち込むから、こんな目に遭ったのだ。少しは責任を取って貰わねば」
部屋を出ると、ハルは家人下男に命じて、捕手に気付かれぬようにこっそりと、家蔵にある金銀財宝を纏めに掛からせた。
その上でハルは、何食わぬ顔をして接待の席に戻る。やがて、食事を終えた役人達が口々に礼を述べて退席するのを、彼は愛想良く送り出した。
捕手の姿が見えなくなると、彼はすぐさま邸内にとって返し、下男達を集めた。そして、拠ん所なくこの邸を引き払う事となったので、各人自由に身を処すようにと申し渡し、金銀を分け与えた。
続いて彼は食客を呼び集めて告げる。
「此度はとんでもない騒動に巻き込まれて、この一身も危うくなりそうです。折角お訪ね下さった皆様に何もして差し上げられぬのは心苦しいのですが、これ以上関わり合いになると皆様に御迷惑が掛かります。どうぞ捕手のお役人が来ぬ内に、お引き取り下さいませ」
これを聞いて、一座の中でも大層立派な体躯の男が立ち上がった。
「一宿の恩を受け、何で主殿の難儀を見過ごせようか! 出来る事あらば力を尽くす故、何なりとお命じ下され」
その横の女性も応じて言う。
「私にも、手伝わせて下さいな」
さらに我も、我もと賛同を示す声が次々に上がった。ハルの人徳のなせる業であろう。ハルは再三思い止まらせようとしたが、食客達の意志は堅く、遂に説得を諦めて脱出の準備を手伝わせる事とした。
こうして荷造りを済ませ、オーガイとマークの率いる先発隊が家財を持って出発した直後、ファムが息急き切って飛び込んで来た。
「捕手が来ましたぜ!」
遂に来たか、と一同色めき立つところ、
「心配無用。表門は俺達が防ぎましょう。その隙に裏口から逃げて下され」
と自ら引き受けたのは、先刻真っ先に助力を申し出た男女二人の食客である。ハルは二人の手を取って、押し戴かんばかりに頭を下げた。
「忝ない。決して捕まってはなりませんぞ」
「もとより!」
猛り立って出て行く二人の背を見送りながら、ファムは不安気に漏らした。
「……しかし、たった二人で大丈夫かねぇ」
「大丈夫ですよ。あの人達なら例え百人掛かりでも負けません」
打ち消すように答えたのは黒い髪の小柄な少女だった。ファムは面識がない。自分達が邸を出ている間に訪れた食客らしい。
「知り合いかい?」
「ええ。あの人は……彼は、伝説の人なんですよ」
「伝説?」
少女はにっこり微笑んで言った。
「虎を素手で倒した、と言う伝説の……」
その頃、捕手の一団は邸宅を目前にして、手勢を三つに分けていた。この捕り物の総指揮を任された捕盗頭のラッド=ハッセンは、共に任に当たるドルカスを裏門に回し、自分とベルグドールが表門から踏み込むと言う作戦を立てていたが、
「いえ、かの邸にはもう一つ門が存在します」
とベルグドールが指摘したので、彼にも一手の勢を具してそこを押さえさせた。しかし実は、彼は何とかハルを逃がしたいと考えていたので、このように偽って人数を割かせ、ハルの逃亡を容易ならしめようとしたのである。
そうこうしている内に、一群は邸宅の門前に到着した。門内は静まり返っていて、物音一つ聞こえない。ハッセンは手勢を展開させ、邸内に向けて大声で呼ばわった。
「ハル=アンダルヘール殿、先の一件で改めて取り調べたき儀あり、直ちに捕盗府へ出頭せられませい!」
しかし、返答はない。再度、応じない場合は強制的に連行する旨を付け加えて呼び掛けるが、これも黙殺された。
「巳むを得ん。踏み込んで召し捕れ!」
捕手達がどっと門に押し寄せる。
その瞬間、門扉が内側から勢い良く開かれた。
扉に取り付いていた捕盗手が数人、弾き飛ばされる。
蝶番の壊れた門扉が、音を立てて倒れた。
「なっ!?」
ハッセンは目を見張った。
門の内に、一人の男が立っている。
身の丈は九尺に達し、筋骨隆々の堂々たる偉丈夫である。袖のない布の上下に紺の帯を締め、革の手甲、脚甲を身に付けている。地肌の覗く上腕や顔には無数の傷があり、豊富な戦歴を物語っていた。肩まで届く髪は一束ねに括り、眉太く目大きく、眉間には星形のアザが見える。まことに魁偉な容貌と言うべきか。
右手で閂を支えるように立ち、ぐっと捕手の集団を睨まえている。その威容、気迫に捕手達が呑まれてしまったのも無理はない。
「貴様、狼藉を働くか!」
気を取り直してハッセンが怒鳴った。
「ハル殿は天下の名士。それを捕まえようと言うてめえらと、どっちが狼藉だ!」
野太い声で男が反論する。
「構わん! 反抗する者は残らず引っ捕らえろっ!!」
命令を受けて、捕手達は一斉に男に掛かって行った。
男はずいと門を出ると、閂を抱え上げて力一杯振り回す。
「そぉりゃーっ!!」
三百斤はあろうかと言う閂が一旋し、先頭の捕手を四、五人纏めて吹っ飛ばした。
捕手達の足が止まった。
男は閂を左右に振るい、草でも苅るように捕手達を薙ぎ倒して行く。
一人の捕盗手が閂を掻い潜って、刺叉を突き出した。
だが、男は目敏く刺叉を掴み取ると、脇に挟んで上へ上げ、捕盗手を中天高く投げ飛ばす。
この無双の大力振りに、捕手はすっかり意気阻喪してしまった。そこへ、
「ちょっとアントニオ、殺すんじゃないわよ」
門の内から一人の女性が現われた。長い金髪を後ろで束ね、前髪を茶色に染めている。身の丈六尺九寸ほど、衣服の上からでも判る豊艶な肢体の女性だが、右手に握られた鉄鎗が実に馴染んで見える。双眸は険しい光を放ち、右頬に走る二本の傷と相俟って、弥が上にも迫力を増している。
「心配すんな、リム。ちゃんと手加減はしている」
アントニオと呼ばれた男が軽く答えた。
「あなたの手加減なんて、ただの人間にはないも同然よ」
言いながら女性――リムはアントニオの横に並び、鎗を逆しまに構えて捕手達を威嚇する。
女の方がまだ与し易いとみたのか、三人の捕盗手が彼女に向かって行った。
だが彼女の鎗が一閃したと見るや、三人は臑を払われ、腹を突かれ、顔を殴られて地面にのたうっている。
「他人の事が言えた義理かよ」
言いながらアントニオは、隙を盗んで近付いた捕盗手を裏拳で一丈ほど吹っ飛ばした。
――既に捕手の数は十人を切り、当初の三分の一にも満たぬ有様で、しかも完全に浮き足立っており、二人を遠巻きにしたまま何も成し得ぬ様である。
唐突に捕手の一人が声を上げた。
「や、邸から火がっ!!」
見れば、敷地のそこかしこから夥しい黒煙が上がっている。と、たちまちそれは派手な紅焔を伴って轟々と燃え上り出した。
同時に門の内から若い男女が馬に跨って駆け出して来る。
先頭の黒髪の少女が馬上からリムに手を伸ばす。
「リム! 乗って!!」
「アズサ!」
リムは少女――アズサの手に捕まると、素早く馬上の人となった。
「アントニオ殿! さあ、早く!!」
こちらでは空馬を曳いた若者がアントニオを促す。
「カール! ハル殿は!?」
「裏から出られました!」
「よぅし、ならばっ!!」
アントニオは不要になった閂を力任せに放り捨てた。
閂は見事にハッセンを直撃し、馬から叩き落とした。さらに地に倒れたハッセンの上に、閂が伸し掛かる。
「ぐぎゃっ!!」
「ハッセン様!!」
捕手達が押し潰されたハッセンを救おうと殺到する。
その隙に、アントニオ達は風を食らって逃げ出したのである。
一方のハル達はと言えば。
奥の一房で、表門の騒ぎを耳に留めながら、下男や壮丁に命じて邸の各所に火を放たせていた。
火は見る間に紅蓮となって邸宅を押し包む。
「さぁ、長居は無用だ。逃げるぞ!」
ハルはファムと下男数人を連れ、馬を駆って裏門から打って出た。
折しもその時、ドルカスの手勢が裏門の固めに駆け付けて来た。
ドルカス自身は同僚と同じく、ハルの逃走を望んでいたが、部下の捕手達は何も知らない。二重三重に横列を組み、ハル達の進路に立ち塞がった。
勿論ハルの方もドルカスの真意が解ろう筈がなく、愛用の熟銅の棒を取り出し、
「邪魔するなら、容赦せんぞっ!」
と恫喝する。ファムも連鎖球棍を振り翳し、
「死にたい奴から、掛かって来いや!!」
その迫力に捕手達が怯んだところを、ハル達は一気に駆け抜けた。
ドルカスはすぐさま馬首を返し、
「奴等は俺が追う! お前達は裏門から踏み込み、逃げ遅れた者共を引っ捕らえろっ!!」
部下に下知ると、単騎で一行を追い掛ける。
一行は永戊門を抜け、帝都の外に出ると、わざと街道を外して横道に入った。その最後尾にいたファムは、後ろから追って来る馬影を認めると、そこで馬を止めた。
「ハル殿、ここはオレが食い止める故、先をお急ぎ下されぃ!」
「ドルカスは帝都でも名の通った使い手、無理はなりませんぞ」
「おぅさ!!」
ハルはファムをこの場に残し、道を急いだ。
寸刻の後、左手に連鎖球棍を携えた騎将が追い付いて来た。
「ほう、同じ得物たぁ奇遇だな」
ドルカスは、待ち構えるファムの人相を見て、あっと叫んだ。
「貴様、ヴォルケネーメンの山賊の片割れだなっ!?」
「てめぇら能無し役人が賊共をのさばらせてやがるから、オレ達が替わって退治してやったんだ。それを賊呼ばわりたぁ、片腹痛いぜ」
八本傷の険相がせせら笑う。
「減らず口を!!」
怒りを発してドルカスが打ち掛かる。これを受けるファム。
得物は共に重さ五十斤の連鎖球棍。全くの互角である。
だが、技量には若干の差があったらしい。十数合も打ち合った辺りから、ファムが徐々に押され始めた。手数が減り、受けに回る割合が増えて来る。
「こいつはいけねぇや」
相手が悪いと見て取るや、ファムは連鎖球棍を大きく一振りすると、隙を突いてさっと馬を逃げ走らせた。
「逃げるな! 待て!!」
ドルカスは追う。しかし、一歩踏み出した彼の乗馬が前足を挫き、彼は地上に投げ出されてしまった。
「おのれ、みすみす逃がすとは……!」
歯噛みしながら、ファムの逃げる背姿を見送る他なかった。そこへ、遅れて駆け付ける一騎。
「アンドレ! 大丈夫か!?」
「オスカル=ジョゼ!」
僚友ベルグドールの到着に、ドルカスは先行するファムを追うように顎で示す。
ベルグドールは頷き、馬を軽く走らせると右手に握る標槍を肩の上に構え直し、およそ二十丈先を走るファム目掛けて中空に放った。
標槍は風を切って斜めに天に上り、そこから獲物を狙う鷹さながらに急降下する。
だが、槍先は僅かに逸れ、ファムの右袖を掠めた。
「ちっ!」
舌打ちしてベルグドールは左手の標槍を構え掛けたが、既にファムは槍の届く範囲の遥か先に駆け去ってしまっていた。
彼は追跡を諦めて、標槍を回収しに向かった。
標槍は道の真ん中に真っ直ぐに突き立っていた。その辺りの地面が酷く泥濘るんでいる。恐らくは馬が泥濘を嫌って左に避けた為、的を外したのであろう。
「運の良い奴……」
槍を抜いて戻ると、ドルカスが手綱を手に待っていた。
「逃げられたか……」
「あぁ。……しかし奴等の流れ着く所は、ヴォルケネーメンしかあるまい」
「となれば、最早我々の権限の及ぶところではない」
「ここは、引き揚げるか……」
「……うむ」
こうして、二人は帝都へ引き返したのである。
捕手を振り切ったハル達はひたすら西を目指し、ブラオプラウムにまで到達していた。
「……いや、今回はヒヤヒヤもんでしたぜ」
「そうでしょう。あの二人の武勇は、官軍の将にも劣らぬものですからな」
暫くして、アントニオ達も追い付いて来た。まずは何より互いの無事を喜び合う。
「……して、これからどうなさるので?」
「この道を行けば、ヴォルケネーメン山に着きます。先にオーガイ達を送っているので、迎えがあるでしょう」
ほどなく、道の向こうより一手の勢が近付いて来る気配がした。警戒の為アントニオがハルの前に立つ。
だが、一勢はハル達の姿を見ると前進を止め、中から一騎が進み出て来た。
「ハル殿、ご無事でしたか」
何とそれはオーガイだった。
先発した彼等からハルの危急を聞かされたチャバの行動は迅速だった。直ちにショウとミックにファルケンネスト、ウトウ両山の手勢を割かせ、追手への対応と出迎えを兼ねて下山させたのである。さらに万一の場合に備えて自らも出向く準備を整えていると言う。
「これよりは我等がお守りします。どうぞ御安心を」
ショウの言葉通り、山賊達の護衛を受けたハル一行は何の妨害も受けずに、ヴォルケネーメン山に辿り着いた。
チャバは山門まで出迎えに現われ、そのまま先頭に立って一同を中央の堂宇まで案内した。
堂宇では早や、歓迎の宴の用意が成されていた。一同が席に着くと、ハル達の無事と来山を祝って幾度も杯が交わされる。
その席上チャバは、ハルに今回の累難を掛けた事を詫びた。ハルは笑って、
「いや、謝られる筋の話ではありませんよ」
と、特に責める風もなく、チャバの下で暫く匿って欲しい旨を申し出た。当然チャバは首肯するもの、と誰もが思っていたが、
「いえ、ハル殿を我が下に置く事は出来ません」
しかし、チャバは首を横に振った。
座の一同が目を剥く。
「ハル殿は最早、巷間には下りられぬ身。なれば、貴方に相応しき席は、この山寨の首座しかありますまい」
言うなりチャバは自ら上座を下り、呆気に取られるハルの前で片膝を付いて頭を垂れた。
山寨の他の面々も、慌ててチャバに従って平伏する。
「な、何を仰せられる、私はそのような……」
ハルは滅相もないと手を振って固辞したが、満座は一斉の拍手に包まれており、
「評議一決、ですな」
とばかり、チャバはさっさとハルの手を取って、上座に据えてしまった。
ここに至っては是非もない。ハルは決意した。
「不肖、私、一同の請いに従い、今日より山寨の主となりましょう。方々にあっては従前通り、その職分によって務めを果たし、共々に大義を貫かれん事を願います」
万雷の拍手と歓声。祝宴は弥が上にも盛り上がりを増した。
その場で新たな席次が決められる。首座を下りたチャバが第二席に着くのは当然として、第三席にショウ、第四の席はオーガイ、第五はマークが取った。以下、六位にミック、七位にゼン、八位にファム、九位にイパ、十位にカディと順位は決まって、ヴォルケネーメンの新体制がここに発足した。
この際、ハルは自分の逃走を手助けしてくれたアントニオ達にも席を用意しようとした。しかし彼等は、
「この度の事は、ハル殿の一宿の恩に報いたまでの事。さらに礼を受ける謂れはありません。それに、我々は約束があって、関西に向かわねばならぬ身なれば、仲間入りの儀は平にご容赦下され」
と丁寧ながら断った。
「ふむ……だが惜しい。貴方達のような人物と交わりを持ちながら、やがて東と西に別れねばならんとは……」
心底残念がるハル。そこへチャバが口を挟んだ。
「ハル殿、いえ頭領、この者達は……?」
「おぉそうだ。お引き合わせがまだでしたな」
ここで、ハルは彼等を一同に紹介した。
まずはアントニオ。本名をアントニオ=ウルスと言い、中山はラングフェルト県のポルトカッシュール山出身である。幼少より体大きく力強く、長じては身の丈九尺、膂力は能く千斤を上ぐ、との勇名を馳せている。中でも彼の名を高めたのは、西畿エインシァンキャピタル県の武官だった十八歳の時、近隣を荒らしていた人喰い虎と素手で格闘し、これを殴り殺した武勇伝である。これより彼は、“撲殺虎”の異名を奉られた。
その後間もなく、彼は私欲の為に罪のない女性を殺傷した上官を義憤から殴殺し、その腹心三十人余をも打ち殺してしまう。本来なら死罪に相当するところであったが、その優れた武勇を惜しまれ、真っ正直な心根を愛された彼は、罪一等を減じられ、最北の島ファーノース島のアッバース苦役場へ流罪となったのである。
「……なるほど、あんたがあの有名な撲殺虎のアントニオだったのか」
一同は大いに驚いた。“アントニオの虎退治”と言えば、ヤパーナでは三つ子も知る豪傑譚である。チャバやショウのみならず、武を志す者の間には、その名は雷の如く轟き渡っていた。
「しかし、アッバースの苦役場にいる筈のアントニオが、どうしてここにいるんだ?」
その疑問に対する答えは、彼の傍らにいる若者――カール=シュトイヤーが知っていた。
カールはアッバース苦役場の長官フランツ=シュトイヤーの長男である。彼はかねて聞くアントニオの人柄に傾倒し、配流直後から何かと便宜を図っていた。過日、長官の娘、すなわち自分の妹が地元の山賊に攫われると言う事件があり、この時にアントニオ達の活躍で妹を無事救出してからは、いよいよ彼を義の兄として敬っていた。本来なら到底放免され得ない重罪人のアントニオが苦役場から出られたのは、表向き「地方を旅する長官子息の護衛役」との理由付けがなされていたからである。
その隣の女性は、“鎗角麟”のリム=リンと言い、帝都西方の街エストヴィルモント出身で、街の警護役を務める女戦士である。右手で鉄鎗、左手で刀を扱い、特に鎗では近隣に当たる者なしと言われている。旧ヴォルケネーメン山賊団も一度エストヴィルモントに触手を伸ばしたらしいが、彼女の鎗に散々に蹴散らされたようで、その事を知る古参の山賊達が何やらヒソヒソと話している。彼女の方でもヴォルケネーメンに対して悪感情しか持ち得よう筈がなかったが、首脳部の面々を見るにつけ、この男達なら何か変化がありそうな気がする、と僅かながら認識を改めつつあった。
そしてもう一人、短めの黒い髪に大きな黒い瞳の活発そうな少女は、アズサ=ショートゥと名乗った。関北一の大都市エルミスタンで薬師の助手をしていたが、厄介事に巻き込まれて困っていたところをアントニオとリムに助けられ、そのまま付いて来たと言う。本職だけあって薬品の調合や薬草の識別に才を発揮し、さらに幼馴染みから手解きを受けたと言うナイフ投げもなかなかの腕を持つ。お気に入りは紫色の大きな石の付いた首飾りで、常に身に着けているので“紫玉花”とアダ名されているとか――。
一通り終わったところで、ハルは先の話を再開した。
「……アントニオ殿、加盟の儀はさて措き、今すぐ関西に向かうのはお止めになった方が良うございますぞ」
「何故?」
「先頃、ウェストキャピタルで大騒動があったそうです。何でも、下級士官が反乱逃亡し、政府高官を殺害して西都を火の海にしたとか……」
ハルの持つ情報は、食客や旅人によって齎されるものである。遠方の事件でも驚くほど速く耳に出来る。
「その為ポルトテールを始め、西畿に通じる街道の関はいずこも人改めが極端に厳しくなっており、封鎖も同然の有様、と聞いております」
「そいつは、やばいな……」
アントニオは唸った。如何にカールがいると言っても、わざわざ不審の目を引くような行動を取っては、却ってカールや延いては父たる長官の声望に傷を付ける結果にもなりかねない。
彼は振り返ってリム達に諮った。
「気は急くが、焦っても仕方がない。ここは、ハル殿の元に暫く留まるのが最良か……どうだ?」
「そうね、その方が良いと思う」
「わたしもそう思います」
「アントニオ殿、貴兄の判断に従います」
三人の賛同を得て、アントニオはハルに向き直って頭を下げた。
「それでは、もう暫く厄介になります」
「どうぞ心往くまで」
こうしてアントニオ達四人はシセイ、タッカー、ベルノと同じく客人の列に加えられた。
「さて……」
酒幾巡か後、ハルが新たな議題を持ち出す。
「ヴォルケネーメンと言う名は、ちょっと長くて言いにくい。それに、これまでの悪行があるから、江湖の評判も良くない。体制を新たにするこの機に、我等の呼称も新しく決めたいと思うが、何か良い名はないだろうか?」
これには皆顔を見合わせた。何せ彼等の大半は無頼漢か武辺者、文の方は些かいやかなり心許ない。時折浮かんで来る案はすぐに反対意見が出て消え、誰もが思案顔で黙りこくってしまった頃、
「あのぅ……」
おずおずと手を挙げたのはシセイだった。
「『ファイエル』と言うのはどうでしょうか?」
「『ファイエル』?」
「ええ、古代語で『火』と言う意味ですけど……」
「あら、それいいね」
真っ先に賛意を示したのは、同じ客分のリムである。
「簡潔だし、響きもカッコ良いじゃない」
「それに頭領のアダ名の“紅蓮王”とも繋がりますね」
アズサもリムに同調する。
「賛成、賛成!!」
一際大声で賛を唱えたのは、やはりマーク。
「『ファイエル』か……ふむ」
この名はハルも気に入ったらしい。
「他に意見のある者は?」
声は上がらない。
「ではこれより、我等は『ファイエル党』の名で行動する。皆、この名を貶めるような行為はゆめ慎まれよ!」
「ハッ!!」
座の全員が平伏して誓う。
「ファイエル党、バンザーイッ!!」
唐突にイパが立ち上がり、雄叫びを上げた。
それを切っ掛けに、場のあちこちで万歳の喚声が上がり、宴席は一層盛り上がりを増した。
そんな中である。チャバがこう持ち掛けた。
「アントニオ殿」
「呼び捨てでいいぜ」
「我がファイエル党の新しい門出を祝って、剣舞ならぬ武技を奉納したいと思うが、お付き合い戴けんか?」
その意味するところを、アントニオも理解する。
「面白え。関北の捷鞭将と手合わせできるなんざ、またとない機会だ。喜んで受けるぜ」
これを聞いて、憤然と抗議するショウ。
「抜け駆けたぁ狡いぜ、チャバ!」
「言った者勝ちだよ。お前さんも自分でお相手を見繕うんだな」
あっさり流されて、ショウはぐうの音も出ない。
言ってる間にも、宴席に五丈四方ほどの空間が作られ、その中で両雄が対峙する。
チャバは右手に自在棍を持ち、左腰に革鞭を提げている。対するアントニオは何も手にしていない。
“虎を殴り殺すほどの豪傑だ。その拳が最強の得物、と言う訳か……”
チャバは毫程も相手を見縊っていない。ショウ以来の強者との闘いに、知らず昂揚感を覚えていた。それはアントニオも同じである。
「御両所、用意は宜しいか?」
審判役のハルが促した。
両雄頷き、それぞれ構えを取る。
「では……、始め!」
上げた右手を振り下ろす。
同時に、アントニオが猛然と突進した。
そしてその動きは、チャバの予想の範疇にあった。
“そう、間合いを詰めるしかあるまい”
チャバの左手が腰に伸びる。
刹那、その左手から黒い蛇が放たれた。蛇の鎌首が正確にアントニオの両拳を捉える。
「!?」
思わず突進を止めるアントニオ。その両手首には革鞭が絡み付き、彼の腕の自由を奪っている。
口の端を吊り上げるチャバ。
相手の両手を縛り上げて行動の自由を奪い、攻撃を事実上無力化する、チャバの得意技である。だが、鞭の一撃で両手を同時に捉えるのは生半可な事ではない。チャバならではの大技である。
間髪入れず、チャバは棍でアントニオに打ち掛かる。
その時、アントニオは身体を捻り、両手に繋がれた鞭を逆用してチャバを手繰り寄せた。チャバの上体が泳ぐ。
しかし、それもチャバは折り込み済みだった。同時に床を蹴って跳び、引っ張られる力と共に自身の推進力として棍に乗せ、威力を倍加する。彼の狙いはそこにあった。素早く棍を短めに持ち替えて、間合いの変化には対応している。アントニオの反撃より早く、こちらの攻撃が決まる筈だ。
次の瞬間。
棒が肉体を叩く鈍い音がした。
だが、チャバの棍はアントニオの左腕で防がれている。
「ぬっ!?」
アントニオがチャバを引っ張ったのは、チャバの体勢を崩すだけが目的ではなかった。捻った身体を元に戻す反動を使い、棍の一撃に負けぬ力を得ようとしたのだ。
そして、さらに。
「うおぉぉーっ!!」
雄叫びと共に、左腕を滑らせ、繋がれた両手で殴り掛かる。渾身の一撃を防がれたチャバはこれを躱し得ない。
拳が腹に食い込む。
「グッ!!」
息が詰まる感覚の直後、チャバは一丈余りも吹っ飛ばされ、背中から着地した。
意識は失わなかった。二、三度咳き込んで、チャバはゆっくりと立ち上がり、首を左右に数度振った。
「――ってぇ、これじゃ虎が目を回す訳だ」
言いながらチャバは、無理な体勢から繰り出された今の一撃が、アントニオの本当の力ではない事を承知していた。
アントニオも、短い闘いに力を出し切ったように、立ち尽くしていた。
「参ったぜ、まだ左腕が痺れてやがる」
ここで漸く、アントニオはチャバが立ち上がった事に気付いた。
「よう、ほどいてくれねぇかな」
「おぉ」
チャバが鞭を一振りすると、それまでアントニオの力を持ってしても解けなかった縛しめが、あっさりと一本の縄に戻って彼の左手に収まった。
また万雷の拍手が巻き起こる。
「見事、見事」
ハルも両雄の噂に違わぬ武勇を褒め称える。
この息詰まる格闘を目にして、身を疼かせていたのは、やはり武勇をもってなるショウ=エノ。
「……もう我慢ならねぇ、次は俺の番だ!」
二人が退がるのももどかしげに場に立ち、相手を指名する。
「リム! この二人を除ければ、この場の中じゃあんたが一番腕が立ちそうだ。一つ手合わせを願いたいが、受けてくれるか?」
彼の台詞が終わるより早く、リムは立ち上がっていた。
「いいよ、勝負!」
――この後、オーガイとファム、マークとミック、ゼンとイパがそれぞれ腕を競い合ったのであるが、この話はこれまでとする。
……腕に覚えの者達の競演が終わって、皆精も魂も尽き果てたように堂宇の床に横たわっていた。飲み疲れた者、騒ぎ疲れた者……宴は静かに幕を閉じようとしている。
「……なぁ、アントニオよ」
ぽつりとショウが呟いた。
「……ん? 何だ?」
「あんたほどの漢を、わざわざ関西まで呼び付けるような人物って、一体どんな奴なんだ? 約束がある、とか聞いたが」
「あぁ……いい奴だよ」
アントニオは目を閉じ、懐かしむような表情をする。
「自分の信じるものの為に、命を賭けて悔いのない漢さ。ただのお人好しかも知れんが、そう言う奴だからオレは奴を信じられる」
アントニオの語調の強さに、ショウは揺るぎない信頼を感じ取った。
「あんたがそこまで言う漢か……一度会ってみたいもんだな」
「あぁ、機会があったら紹介するぜ」
「名は?」
「シャオローン=シェン、またの名を天翔龍……」
こうしてアントニオの口から天翔龍の名が出た事により、舞台は替わって嶺北へ、はたまた北島へと飛び、更なる英傑が物語に彩りを添えるのであるが、アントニオとシャオローンの間に如何なる因縁があったのか? それは次回で。




