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水滸伝獣魔戦記  作者: 神 小龍
本編
11/42

第十一話  夜摩天 暗中に飛躍し 捷鞭将 三山を攻取すの事

 ショウ、マーク、ファム、ミック、ゼンの五人はそれまでの守勢から一転、逆襲を開始した。狙うは賊将ドウーロン唯一人。数にものを言わせて幾重にも取り囲んでいた筈の山賊団の包囲は見る間に切り裂かれ、突破を許してしまいそうになる。

 この異変に気付いた賊の後詰めは、そうはさせじと弓矢を構えて牽制する。それを見たオーガイ、やおら腰に差した棒を取り出して、左右に拡げると、

「じゃ、焼いちゃおう」

独白どくはくと共に宙に放たれたそれは、彼の得意とする飛翼刃ブーメランであった。普段は折り畳まれているが、いざ拡げると中に封入されている油が染み出し、それに火を点けて投げる。目標に当たれば飛翼刃は砕け、油に引火して獲物を丸焼けにする。オーガイはこの飛翼刃で百発百中の腕前を誇り、故に赤太歳せきたいさいの異名をたてまつられているのだ。

 飛翼刃は独特の弧を描きつつ、狙い違わず弓兵達に襲い掛かった。弓兵は突如自分達に降り懸かって来た火に慌てて逃げ惑い、一本の矢も射ぬ内に混乱した。

 この間にもショウ達は、ドゥーロンとの距離を詰めていた。しかし、彼我の間にはまだ頭領直衛の集団が立ちはだかっている。

 中でも、銀色の板金鎧プレートメイルに身を包み、片手半剣バスタードソードを携えた左頬に刀傷のある大男が彼等の目を引いた。その魁梧かいごな風貌が存在感を際立たせている。

“どうやら、奴が一番の手練てだれらしいな”

 そう察したショウは、敢えてその男に向かって行った。どのみち避けては通れないのだから、寧ろ打ち破る事で敵の士気を削ごうと言うのだ。

 大男も闘気に感応したか、ショウを相手と定めている。

「うぉりゃーっ!!」

 片手半剣が異様な唸りを上げる。

 強烈な斬撃。ショウは全身の力を込めて受け止めた。

 つばり合いの剣光と、殺気をはらんだ視線が複雑に交錯する。

「マーク!!」

 ショウが叫んだ。

先刻さっきのお返しだ。こいつらは俺達が相手する。貴君がドゥーロンをやれっ!!」

「ありがてえ。恩に着るぜ!」

「そうはさせるかっ!!」

 大男はショウを打ち捨て、マークの行く手を阻もうとするが、

「おっと、逃げんじゃねえよ。貴様の相手は俺だっ!」

ショウに遮られ、釘付けにされていた。

 一方、マーク達はあらん限りの勇を揮い、直衛集団の重囲にきりみ込むように入り込んで行く。

 激闘の中、遂に彼等は敵の守りを貫通した。

「よっしゃあーっ!!」

 突破口から、渾鉄こんてつの棒を引っげた好漢こうかんおどり出る。

南太洋なんたいようの荒波男、マーク=ファンクこれにあり! 山賊ドゥーロン、おいらと勝負しろ!!」

 敵の勢いに馬首を返し掛けたドゥーロンだったが、こうなっては引き下がれない。

「何を小癪こしゃくな若僧め! 死んでから後悔しても追い付かぬぞ!!」

 ここに一騎討ちが始まった。

 ドゥーロンはなかなかの剣の使い手だったが、マークも棒術にけた猛者もさ。一方が斬れば他方が受け、一方が打てば他方が払う、と言う状況で、二人は五十合近くも渡り合った。

 だが、最後で技量の差が表われたのか、それとも気迫が勝ったのか、ドゥーロンが疲れからあからさまな隙を生じたところを、マークの棒が逃さず捕らえた。

 こめかみに一撃。堪らず落馬するドゥーロン。

 マークは歩み寄って、ドゥーロンの脳天にとどめの一撃を振り下ろし、首を掻き取った。

「ファルケンネストの山賊ドゥーロンは、このマーク=ファンクが討ち取ったぁっ!!」

 マークの勝鬨かちどきは、ショウと延々打ち合っていた大男の耳にも届いた。

「な、何ぃっ!?」

 一瞬の動揺をショウは見逃さなかった。

 素早く踏み込んで、横薙よこなぎに斬り付ける。

 大男は辛くも剣で受け止めた。

 再び鍔迫り合い。と思いきや。

 不意にショウが刀を引いた。同時に体を左にさばく。い棒を失って、大男の上体が前にのめった。

 次の瞬間、ショウは左脇で男の両腕を挟み込んだ。さらに反動を利して、右肘を男の頬骨に叩き込む。

「ぐぁっ!」

 くぐもった悲鳴を上げて、男はった。

 そこへ肩にみね打ちの一撃。大男は剣を落として膝を付いた。

 痛みに顔をしかめながら、それでも大男は剣に手を伸ばそうとした。が、その眼前に凱命がいめいの剣光を見るに及んで、観念したように地にへたり込む。

 これで、山賊共の士気は瓦解した。戦意を喪失した彼等は雪崩なだれを打って潰走した。――いや、しようとした。

 だが、退路はチャバの部下達によって、既にふさがれていた。

「武器を捨てろ! 降る者は許す。だが、抵抗する者は容赦せんぞ!」

 進退窮まった彼等は、チャバの言に従って次々と投降した。

 この状況を見遣りながら、かの大男はチャバに向かってこう言った。

「大将がやられちまったんじゃ、戦にならねえよ。だが、おれ達はここより他に行く所がねえんだ。食わせてくれるんなら、おれ達はあんたに従おう」

 この姿勢が、えらくチャバの心にかなったようだった。

「お前さん、名前は?」

「イパ=クローム、又は“光剣将こうけんしょう”と呼ばれてる」

「気に入ったぜ。お前さん達の食は、俺が保証しよう」

「ありがてえ」

 大男――イパが座礼ざれいすると、他の者もそれにならった。

いては、一つやって貰いたい事がある」

「何なりと」

 チャバが持ち掛けたのは、ファルケンネスト山の留守を固める連中の説得と、拉致した少女達の解放である。イパはこれを快諾し、チャバ達を伴って山寨さんさいに赴いた。その道中、チャバはイパの身上に耳を傾けていた。

 イパ=クロームは、帝都イーストキャピタルのシーダーロウ地区出身で、平民だが裕福な家庭の出である。幼い頃より祖父に武術を鍛えられ、軍を志して士官学校に入ったが、貴族階級の子弟の妬みを買って追い出されるように中退し、流浪する内にファルケンネストに辿たどり着いたとか。山賊団では小頭目の一人に過ぎなかったと言うが、チャバの見るところ、多少軽そうではあるが、なかなかに見識もあり、とても小頭目程度の器ではない。ドゥーロンにはその才が見抜けなかったのか、それとも見抜いていたからこそ冷遇したのか――。

「どっちにしろ、ドゥーロンも存外度量の狭い男だったな」

 やがて山寨に到着すると、イパはすぐに説得を開始した。残留組はドゥーロンが討たれ、イパも降伏したと聞くと、あっさりチャバの支配下に収まった。どうやらドゥーロンよりもイパの方が人望があったらしい。さらに少女達も皆解放された。ここでアレーナはユリナと涙の再会を果たしたものであるが、この話はこれまでとする。


 こうしてファルケンネスト山をまんまと奪取したチャバ達だったが、席を暖める間も惜しんで次の行動計画に乗り出した。

 言うまでもなく、ヴォルケネーメン山の攻略である。

「あのヘプター=ヨーダを討つってのか!?」

 聞かされて、イパは心底驚いた。この小人数でファルケンネストを手中に収めた手腕は確かに見事であったが、ここより数段強力な集団をも相手にしようと言うのは、壮挙を通り越して暴挙としか思えなかった。

「イパ、ヨーダってのはそんなに腕が立つのか?」

「ああ、朴刀の名手だ。おれでも勝てるかどうか……」

「聞いたか、ショウ? お前さんの見せ場だぜ」

 イパの台詞せりふにも、チャバは全くたじろぐ風を見せない。それはショウも同じであった。

「相手が誰だろうと、負ける訳には行かねぇ」

「その通りだ。俺達には目的がある」

 口元を歪めながら、チャバは同調する。その顔を見てイパは、この一廉ひとかど以上の男達を駆り立てる「目的」が何なのか、是非とも知りたくなった。

「ま、いいか。おれはあんたに従うと決めたんだ。こうなりゃとことんまで、あんたに賭けてみるぜ」

 チャバの表情が、一段と不敵なものになった。

「損はさせねぇぜ。期待しててくれ」

 この場で彼は手早く段取りを取り決めた。まずこの山の固めにミックとゼンを当て、さらにシセイ、タッカー、ベルノ、アルカイックも残留させた。一方、間道からヴォルケネーメンを突くのはチャバ、ショウ、オーガイ、マーク、ファム、カディ。他に屈強な男達が数人加わり、イパが道案内を務める。

「いくら何でも、少な過ぎないか?」

「これ以上はあやしまれて駄目だ」

 ゼンの意見を、チャバは簡明に否定した。

「しかし、相手は八百人だぜ?」

「山寨の中に入りさえすりゃ、あの狭い空間だ、大人数がそのまま有利になるとは限らんさ。それに、こちらには目的をヨーダの首一つに絞れる強味がある」

 頭領のカリスマがあればあるほど、頭領を討たれた時の集団の士気の減退は大きい。チャバの狙いはそこにあった。

「いざ事が始まったら、オーガイとカディはまず場を混乱させてくれ。方法は任せる」

「承知した」

「そしてショウ、手下共は俺達が抑える。お前さんがヨーダを追い詰めろ!」

 無言で頷くショウ。

 三山略取戦は、いよいよ佳境を迎える……。


「何? イパが来ただと?」

 手下からの注進に、ヘプター=ヨーダは怪訝けげんそうな表情を作った。

「一人でか?」

「いえ、十人ほどです。何でも、お頭にぜひとも会わせたい人間を連れて来たってんですが……」

 聞いて、ヨーダは一層眉根を寄せた。

「ドゥーロンの奴、このところ近隣のあぶれ者達を手広く掻き集めていやがるらしい。どうもせんな……」

「と、言いますと?」

 侍立じりつしていた赤毛の副頭が聞き返した。

「勢力を増やして、俺様に取って代わろうと企んでんじゃねぇか、って事よ」

「追い返しますか?」

「それじゃ如何いかにも俺様が奴を恐れているみたいじゃねぇか。何、奴にゃ俺様に逆らう度胸はねぇよ。それに、イパは少しは物の解る奴だから、そんな大それた事をする訳がねぇ」

 この思い込みが、過信から来る油断である事に、彼は気付いていなかった。

 それでも一応の備えとして、手の空いている者を堂宇どううの周囲に伏せさせて、イパ達を引見する事となった。


 イパを先頭にして、チャバ達は堂宇の中央に導かれた。一同は神妙を装いながらも、油断なく周囲に目を配る。左右の壁際には二、三十人がたむろし、前には大きな肘掛け椅子に、ざんばら髪に口髭をたくわえた剽悍ひょうかんそうな男が、座してこちらを見据みすえている。これが“独角鬼どっかくき”のアダ名を持つ、頭領のヘプター=ヨーダであろう。左右に立つ二人の男はどうやら副頭らしい。その向かって左側の男を見て、チャバ、ショウ、カディの三人は内心で事の成就じょうじゅを確信した。天をく赤毛に銀色の鱗鎧スケイルアーマー――見紛みまがうなくユーディである。彼の方でも、顔には出さないが、こちらに気付いている事は間違いない。

「イパよ、俺様に会わせたい奴ってのはそいつらか?」

「はっ。ヨーダ様の徳を慕って山に上って来た者達ですが、なかなかの逸材と思われます故、直々にその人物を確かめて戴きたいと、ドゥーロンより言付ことづかっております」

「ふむ、ご苦労な事だな」

 ヨーダは一人一人をじっくりめ付けた。なるほど、皆それぞれに一能ありそうである。

 その視線がチャバとショウを通過した時、彼は僅かに目を細めた。彼の目から見ても、この二人はどうも徒者ただものとは思えない。

「何でこの山に来たんだ? 腕があるなら、官軍にでも行きゃあ真っ当に食えるだろうに」

「宮仕えってのが、いまいち嫌いなんすよ。この出鱈目な世の中じゃあ、門地も財産もない奴は例え実力があっても上へ上がれませんしね」

 ヨーダが探りを入れるも、チャバは如才じょさいなく答える。

「それで山賊になろうってか? また極端な話だな」

「ここのお頭は、働きに応じて食わしてくれるって評判ですからね。俺達も力の奮い甲斐がいがあるってもんでさ」

「で、お前達を入山させたら、お前達はどう働いてくれるんだ?」

「この辺り一帯をきれいに治めて御覧ごらんに入れましょう」

 ヨーダの視線がけわしさを増す。

「どういう意味だ? ここは俺様の縄張りだぞ?」

「だから、それを俺達が貰い受ける」

 猛然と椅子から立ち上がるヨーダ。

れっ!!」

 その命令が下るより早く、オーガイが動いた。

「焼いちゃおう!」

 腰から飛翼刃を引き抜くと、一動作で八方へ散らせた。飛翼刃は壁と言わず床と言わず、そこら一面に炎を振り撒く。同時にカディも持参の火種を投げて、火勢をあおった。機先を制された山賊達は、一転して消火に奔命ほんめいさせられる。

 その隙を突き、チャバ達は山賊共を薙ぎ倒していった。そしてショウが、ヨーダに挑み掛かる。

「ヘプター=ヨーダ、覚悟っ!!」

 右手の副頭が、ショウを防ごうと立ちはだかる。

 そこを横合いからユーディに斬り倒された。

「なっ!? き、貴様っ!!」

「俺はミナツバーラ義賊団の副頭、ユーディクライム=シュレッダーだ! たった今からこの山は、俺達の頭領チャバ=ザ=ダーハが戴く!!」

 ユーディが名乗りを上げると、ヨーダは驚倒きょうとうした。

「す、捷鞭将すいべんしょう!?」

 そこへ凱命が襲い来る。これをかろうじて朴刀で受け止めた。

「俺はペイルリヴァーのショウ=エノ。この名に覚えがあるか!」

雷電虎らいでんこか!!」

 凱命を払いけ、ヨーダが斬り掛かる。これをショウが躱し、二撃目を打つ。また流す。さらに斬る。また除ける。

 攻防入り乱れて両雄斬り結ぶ事十余合、流石に関中かんちゅうの雷電虎には敵し得なかったか、遂にヨーダは朴刀を叩き落とされた。

 ショウは凱命を構え直し、じりじりとヨーダに迫って行く。ヨーダは自分の椅子の背に回り込んだ。両者は大椅子を挟んで対峙する。

 ヨーダが椅子を蹴飛ばした。

 ショウが一刀両断する。

 だが、次の瞬間にはヨーダの姿はショウの視界から消えていた。ショウが目撃したのは、ヨーダの背後にあった壁が扉のごとく閉じようとしている様子だけであった。

「どんでん返しか!」

 ショウは急いで隠し扉を開けようとしたが、ぴったりと合わさった扉は、元の壁に戻ったように動かない。

 その背後から、賊の一人がショウ目掛けて得物の斧を振り下ろした。

 しかし、ショウは寸前で察知した。振り向き様に斧を避けると、そのまま賊を胴薙ぎに斬り捨てる。賊は血を吹いてたおれた。

 ショウは賊の手から斧をもぎ取り、それで壁を叩き付ける。

 三度目に隠し扉の軸棒が折れ、壁が向こうに倒れた。その先は隠し通路になっている。ショウは迷わず中に飛び込んだ。

 通路は真っ暗だが、出口の方には明かりが見える。ヨーダがこの通路を伝って逃げた事を、ショウは確信していた。一刻も早く追い付き、奴を討たねばならない。足元の不確かさもいとわず、彼は走った。

 そして出口までもう数歩の距離で。

 断末魔の悲鳴が彼の耳に飛び込んで来た。

「なっ!?」

 驚き急いで駆け付けた彼が見たのは――。

 そこは、狭い小部屋だった。調度は何もなく、正面に開け放たれた扉がある。ここから外に脱出できるのだろう。

 その扉の前で、立ち尽くしていたヨーダがゆっくりと仰向けに倒れた。首筋から鮮血をしたたらせて。

 重い音を立てて床に崩れ落ちたヨーダは、血溜まりの中でそのまま動かなくなった。

 そして、扉の向こう側には一人の男が立っていた。

 全身黒尽くめ、眼光鋭く、その表情は怜悧れいりな刃物を連想させる。手にした手札カードは赤く染まっていて、これがヨーダの命を奪ったのはほぼ間違いなく思える。ショウは一目でその道の者、と直感した。

暗殺者アサッシンか……しかし、何故なぜヨーダを?”

 男と目が合った。

 その刹那せつな、男の手から手札が飛んだ。

 ショウは居合いで手札を両断する。

 その頬に赤い筋が走った。

「!?」

 二つになった手札は、それでも尚獲物の喉笛を切り裂こうとするのだ。

 さらにもう一枚、手札が来る。

 今度はショウは刀の峰で手札を弾き返した。

 手札が天井に刺さる。

 男が猛然と襲い掛かって来た。その右手には、銀色に光る短刀ダガーが握られている。

 ショウが一歩踏み込んで斬り付ける。

 男は身のこなしも軽く避けると、一動作で短刀を突き出した。

 斬撃を躱されて体勢の崩れたショウが、これを危うい所で回避する。

 男が暗殺者なら、その刃には猛毒が塗られている事だろう。ショウにとってはかすり傷すら、文字通り命取りになるのだ。

 それから両者は二十合余り打ち合ったが、一向に勝負は着かなかった。ショウの刀はなかなか男を捉えられないが、男の短刀も未だショウの防御を崩せずにいた。

 また凱命と短刀がぶつかる。そのまま鍔迫り合いになった。

 その時、男の空いている左手がするするとショウの脇腹に伸びていった。

 その手に銀色の光を認めると、咄嗟とっさにショウは右手で男の手を掴み、押さえ付けた。

 ショウの意識が右手に傾いたその瞬間。

 男は鍔迫り合いから引いた。

 ショウの体が一瞬泳ぐ。

 その隙を狙って、男はショウの顔目掛けて斬り付ける。

 ショウは強引に左手を突き上げた。凱命の柄が男の右手を直撃し、堪らず男は短刀を取り落とす。

 ショウは渾身こんしんの力で男を突き放した。

 男は筋斗とんぼを切って、見事に着地する。

 呼吸を荒くしながら、ショウは再び凱命を構えた。男も少し右手をさすっていたが、改めて左手で短刀をきらめかせる。

 再度互いに撃ち掛かろうとしたその時。

「そこまでにしとこうや」

 割って入った声に両者の動きが止まった。

 二人が同時に声の方を向く。そこにいたのは、黒の上下に赤の肩当て、手に棍を構え腰にむちたずさえた、不敵な表情の長身の戦士――。

「チャバ……」

 漏れた響きは、暗殺者の男のものだった。

「久しいな、ハンキー」

 どうやらこの男は、チャバの旧知の人物らしかった。しかし、ショウは警戒を解く事なく、じっとハンキーと呼ばれた男を見据えている。

「だが、それ以上ショウと遣り合おうって言うんなら、この俺も敵に回す事になるぜ」

「ショウ……なるほど、雷電虎のショウ=エノか。道理で……」

 得心とくしんがいった、と言う表情を見せ、ハンキーは一跳躍で扉の前に舞い戻った。

「おめーら二人を同時に相手にするほど、俺はバカじゃねぇよ」

「上等だ」

「仕事は済んだ。じゃ、あばよ」

 そのままハンキーの姿は部屋の外に消えた。ショウは追わなかった。既に辺りは薄闇に覆われている。迂闊うかつに出て行けば、暗がりから逆襲されるのは明白だった。

 凱命を背に戻し、ショウはチャバに問うた。

「チャバ、今“ハンキー”と呼んでたな。すると……」

「あぁ、奴があのハンキー=パンキーだ」

「“夜摩天やまてん”か……」

 ショウはうなった。少しでも裏の社会に足を踏み入れた事のある者ならば、夜摩天のハンキー=パンキーの名を知らぬ訳がなかった。情報屋として、また詐欺師として非常に名の通った人物であり、且つ凄腕の暗殺者でもある。およそ関中で起こった迷宮入りの事件の大半に、何らかの形でこの男が関わっていると言われており、社会の陰部を巧みに遊弋ゆうよくし暗躍する、暗黒街の傑物である。故に“ペテン野郎ハン(ハンキー=パンキー)”と呼ばれる一方、“夜摩天(閻魔えんま大王)”と畏怖いふされるのである。

 そこまで思い巡らした時、ショウの心にふと疑念が生じた。それを彼はチャバにぶつけてみる。

「なぁ、奴は確か『仕事だ』と言ったな? どう言う意味だと思う?」

「さぁな……」

 チャバも同じ疑いを抱いていた。偶然と考えるには余りに頃合が良過ぎる。自分達の行動を見計らっていたとしか思えない。となると、この計画を事前に知っていたのは唯一人しかいない。

“ハル殿か……”

 しかし、チャバは自ら導き出した結論を胸に仕舞い込んだ。表に出すまでもないと考慮したのだ。

「まぁ、一応目的は果たせたんだ。良しとしようや」

「……そうだな」

 ショウも同意した。裏に何かあるとしても、当座の自分達にとっては利のある方に働いている。今ここで気に病んでも仕方がない。

「取り敢えず、終わったな」

 大きく息を吐いて、ショウは漸く笑顔を見せた。

 チャバがショウの肩を叩いた。

「じゃ、そろそろ収拾を付けに行くか」


 戦場は燃え盛る堂宇から、その周囲へと拡大していた。オーガイ、マーク、ファム、イパ、カディ、ユーディ、そしてヴォルケネーメンにも入り込んでいた元ミナツバーラの面々が、紅蓮の炎を背に、数に優る山賊達を相手に一歩も退かぬ戦い振りを呈していた。

 そこにヘプター=ヨーダの死が知れ渡ると、山賊達の戦意は一気に喪失し、皆抵抗を止めてチャバの軍門に降った。

 チャバはこころよくその降をれた。のみならず、彼に従うをいさぎよしとしない者に、山寨を去る自由まで与えた。山賊達は、彼が強いだけでなく、鷹揚おうようで大器量の人物と知って、心から彼に服した。彼は寛容をもって、山賊達の信頼を得たのである。

 さらにチャバは、ウトウ山に使者を送って従属を勧めた。ウトウ山の頭領ジョルダンは、ヨーダもドゥーロンも既にいと聞いて、あっさりとこれに従った。

 ここにおいて、チャバは三山を完全に掌握しょうあくした。ヨーダが「力」で纏め上げた組織は、より強力な「力」を持つ者にそっくり譲り渡されたのである。


 破壊の後には、再生が待っている。

 休む間もなく、チャバは三山の再編に取り掛かった。

 まずお決まりの席次の決定。第一席には当然チャバが着き、アルカイックとユーディはその補佐役として別枠の席を与えられた。第二席はショウ、第三にミック、以下ゼン、イパ、カディと順に席に着いた。オーガイやシセイ達は客分の扱いである。また、ファルケンネスト山の守将にショウとイパ、ウトウ山の守将にミックとゼンを当て、これによって三山は真に一体となるであろう。

 またチャバは常日頃から「俺達は山賊じゃねえ、義賊だ」と言って聞かせ、弱民を虐げる事を厳しく禁じた。破る者には相応の報いを与えたので、寨内の意識は急速に改まった。

 さらに山寨の整備。焼け落ちた堂宇の再建もさる事ながら、何より生活に必要な食糧や物資を自給できる体制を早目に確立しなければならない。さもなくば、義賊とは名ばかりの強盗集団に成り下がるだけである。幸い三山にはまだ手を入れていない土地も広く、義賊団の中にはかつて手に職を持っていた者も少なくなかった。彼等を活用して、いずれはこの千人近い大所帯を養えるところにまで生産能力を引き上げるのが今後の課題であった。

 そんな最中さなかの一日、チャバ達は五人の男女を山寨から送り出した。ハルの下に戻るオーガイ、マーク、ファムの三人と、家に帰るアレーナ、ユリナである。

「力添えに感謝する。ハル殿に宜しくお伝えしてくれ」

 チャバが差し出す手を、オーガイが握り返した。

「なに、役に立てたならそれで十分。また力仕事があったら、いつでも呼んどくれ、なぁ?」

「おうさ、今回みたいな楽しいお招きを期待してるぜ」

「おいおい」

 ファムが如何にも満足気に言うものだから、イパは思わず苦笑する。どうもこの連中と関わっていると、命が幾つあっても足らなそうだ。まあ、それだけの甲斐はあるが。

「あのー、おいら何となくここが気に入っちまったんで、ハル殿のお許しがもらえたら山寨に入りたいんだけど、いいかな?」

 照れたようにそう持ち掛けたのはマークだった。チャバは一瞬だけ視線を横に――シセイの方に向けたが、

「歓迎するぜ」

とあっさりと承諾した。

「やった!」

 指を鳴らして喜び、マークはいきなりシセイの手を取った。

「ということで、なるべく早く戻って来るからね!」

 その迫力に気圧けおされしているシセイ、硬直した笑顔で、

「え、ええ……」

とだけ応えた。マークは歓声を上げながら山道を一目散いちもくさんに駆け下り、ふと振り返ってオーガイとファムに呼ばわった。

「二人とも何やってんだよーぅ、急ごうぜーっ」

「これだ」

 二人は互いに肩をすくめた。

 今度はアレーナとユリナが一歩進み出て、チャバ達に感謝の意を表わす。

「チャバ、アルカイック、ショウ、助けてくれてありがとう」

「本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げるユリナ。アレーナの姉代わりと聞いていた通り、落ち着いた感じの女性である。

「道中は気を付けるんですよ」

 気遣きづかうアルカイックに、アレーナは笑顔を返した。

「あなた達なら、みんなを苦しめたりしないと思うわ。だから、頑張ってね」

 山賊家業を頑張れと言われてもなぁ、とショウは小さく笑った。

「オーガイ、帝都まで二人を頼むぜ」

「ああ。それじゃ」

 オーガイは軽く手を挙げて、別れを告げる。ファムも一礼してその後に続いた。去り際にアレーナとユリナが祈りを捧げた。

「皆様に、神の祝福がありますように」

 こうして五人は山寨を去っていったのであるが、この話はこれまでとする。


「彼等は、成功したようですね」

 ハルは杯を傾けながら、卓の向こうに座る人物に話し掛けた。

 そこはハルの自室であった。如何に客を遇する事この上なく篤いハルとは言え、私室に招じ入れて酒をみ交わすほどの相手となると、よほどの深い関係である事は推察されよう。

「夜摩天も上手くやってくれたようで。御苦労様」

「別に、あたしは大した骨折りはしてないよ」

 その人物は女性だった。黒褐色こくかっしょくの肌に長い黒髪、切れ長の目に大きく尖った耳。きつい顔立ちの美女だが、その瞳は光の加減で時に不気味な赤い光を放つ。

 彼女の名はレイ=デ=ヴィーニィ、アダ名を“火眼魔精かがんませい”と言うダークエルフの女性である。

 ダークエルフはエルフの同族であるが、その好戦的な性質と肌の色から、一般に嫌悪の対象とされる事が多い。特に同族である筈のエルフとの相性は最悪で、集団抗争にまで発展する事もしばしばである。

 しかしハルは彼女の人物を買っており、種族に対する偏見とは無縁の位置にいた。故に彼女も、ハルには少なからぬ信頼を寄せている。

「それにしても、貴方がそこまで肩入れするなんて、よほどいい男達みたいね」

 二つの杯に代わる代わる葡萄酒を注ぎながら、レイはハルの反応を伺った。

「興味がありますか?」

「さあ、どうかしら……」

「そう言う貴女も、今回の旅では面白い人物に巡り会ったそうじゃないですか」

「そうね、面白い男女だったわ。この御時世に、実の兄妹でもましてや恋人同士でもないのに、互いの為に生命を張れるってんだから……義兄妹って言ってたけど、ああ言う人間もまだいるもんね」

「そう言う人物なら、私も是非会ってみたいものです」

「そのうち会えるんじゃないかしら?」

 口元で傾けた杯を止めて、ハルはレイを見遣った。

「おや、まだ何かを知っていそうですね」

「さあね。ただ、時機ってのは思ってもみない時に訪れるものよ」

 どうもはぐらかされたように思いながらも、ハルは笑って酒をあおった。

 そこへ、下男が扉の外からオーガイ達の帰参を告げた。それに合わせて、レイが席を立つ。

「それじゃ、あたしはそろそろ行くよ」

「帰って来たばかりだと言うのに、また旅ですか」

「とどのつまり、あたしは風来坊なのさ。ミークとラットを待たせてるしね。じゃ」

 相棒達の名を口にして、レイはひらりと片手を振って部屋を出ようとする。その背中にハルは言葉を投げ掛けた。

「土産話を楽しみにしていますよ」

 彼女は軽く振り返り、片目を瞑って見せた。ハルも杯を掲げて応える。

 彼女が出て行った後、ハルは衣服を改めて客間に赴き、オーガイ達を迎えた。

「首尾良く行ったようですな。貴方達に行って貰って正解でした」

「よくよく御礼申し上げて欲しい、とチャバ殿から言付かっています。それと、こちらをハル殿に、と」

 オーガイが差し出した物は、百両の金子きんすだった。

 実は、オーガイ達はチャバが御礼にと金子を渡そうとするのを再三固辞したのだが、いつの間にかチャバが荷物の中に忍ばせていたようで、道中気付いたものの引き返すのもどうかと思い、取り敢えず持ち帰ったのである。

 聞くとハルは笑って、

「義理堅い御仁だ。返せば却って礼を失する。有難ありがたく頂戴しよう」

 この場でマークはハルにいとまうて、ヴォルケネーメンに入山したいむねを願い出た。ハルは「さてさて、チャバ殿も見込まれたものだ」とこれを快諾し、さらにこう言った。

「では、今日の夕食はマークの壮行会そうこうかいとしよう。旅の疲れを忘れるまで大いに飲み食いして下され」

 その夜の宴は、真に心行くまで飲み食らい且つ語り合い、誰にとっても楽しいものであった。


 翌日、早速に旅支度を整えたマークを一同見送ろうとしていた矢先の事である。

 下男の一人が血相を変えてハルを呼びに来た。

「だ、旦那様ーっ!」

「朝から騒々しいぞ。一体どうしたと言うのだ?」

 悠然ゆうぜんと構えていたハルだったが、下男の次の言葉を聞くと、急に眉を曇らせた。

「お、表に捕手とりてのお役人様が……」

「捕手だと?」


 こうして、予期せぬ訪客を迎えた事により、猛虎暴れて大いに帝都を騒がし、麒麟きりん走りて好漢山寨の首座に立つ、と言う事になるのであるが、果たしてハルの元へ訪れたのは一体誰か? それは次回で。

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